音もなく雨が降っている。走れば然程でもないような霧雨だが、転んでも困るので、傘を出して差す。Aさんちに水を貰おうと急いで行く。日曜日の夕方には早目に閉めるので、運が悪ければ表戸が開かない。滑り込みセーフで間に合う。足の調子を尋ねると芳しくないようだが、年相応の症状です。
体力も気力も充実していた頃とは、比べるべくもない。それでも、枇杷葉茶やエキスに依って、何とか維持できていることを感謝しよう。医者要らずの別名もあり、罹ることもなくなった。治療費の工面も莫迦にならない。時間もないことでもあり、自然に任せるのが好いようだ。寿命に覚悟しよう。
平安時代とは比べられないが、長生きになっていることを、複雑な想いで受け止めながら、延命などは論外で、自然に委ねることの難しさも感じる。人間、何時・何処で・何が起きるか分からないのだ。帰宅途上では、乗用車がガードレールに激突していた。怪我は無いようだったが、車は前部大破。
暦の活用も、そうしてみれば全く意味がない訳でもない。便利で快適な生活程、金が嵩み精神も病んでいく。贅沢を慎み、節約や倹約をしていても、自分だけのことだ。誰かのために、何かをしようとは思わない。ベルマークを集め、切手を切り抜いて溜め、ワクチンを買う役立てに終わりはない。
牛乳パックも、捨ててしまえば塵であるが、洗って乾かし、切って広げて出せば再生できるのだ。小さなことも、こつこつと積み重ね、続けることに意味がある。然し誰にも迷惑を掛けない割に、見返りもありません。自分の信念を曲げず、努力をしていくことの困難さは、ある意味、痛快でもある。
桔梗が咲き始めて、紫と白とがすっくり立っている。紫陽花も、雨の中を咲き続けている。梔子はそろそろ咲き終わるようで、ドクダミは葉を繁らせ、夏枯草も花がしぼんでしまった。朝顔が蔓を伸ばし、百日紅が満開になってきた。季節は移ろい、その時々の花が彩る。自生しているのでそのまま。
枇杷葉はこの時期、花を咲かせていくが、葉も夏の季節を過ぎて、硬く艶やかになっている。