枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

飛翔の年へと

2024年01月01日 | Weblog

 今朝は晴れており、風神のたなびきもみえることから何気に窓に瞳をやれば虹が。時刻はAm11時、デジカメにて撮影し濃いくっきりと山を懸けている姿に拝受する。寝正月を決め込む予定であったが、起きよとの声に覚醒。昨夜は二年途絶えていた更新もあり、最大の贈り物。

 りんちゃん、漸くにして向こうに逝けたのね。相棒さんは、やんちゃ盛りを過ぎて来たようですね。あの時には一歳が、早や三歳への成長に驚きも隠せない。時々訪れて、気力の再生を祈る日々に万感の想いも。先ずは一安心と追従で記載していたが、祝福来り感謝と見惚れ。

 更新の度に、書きている内に指がキーボードを叩くことがある。意思に反する作業なのもあり、文章を読みながら驚きも多い。その理由を問われても応えられず、説明は衝かないのも事実。神・宇宙からの通告と思う以外にはなく、心中に文字が並んで組み立てられていくのよ。

 他人との違いと云えば、形ではないこと。素直になれば自ずと判ることを、ネットや誰かに聞いては在り得ないのだ。何かの景色を観て、美しいとの表現ではなく全体を感じることだと想える。綺麗だというのも然り、それは言の葉とは微妙に異なるのに気づかないでいることとも感。

 夜間照明に、植物の悲鳴を感じる為もある。自然への畏怖に感謝と祈りを心得ば、その贈り物は何よりも歓びと。誰かにではなく、必要とされるから授けて貰える。生き方は、逝き方だと気づけたことに万感の想いが募る。新暦での始まりが、こうも有難い幕開けに転じ感謝とも。

コメント (10)
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