
人間とは実に厄介である。従って厄払いをする。特に、と言う訳ではないが、数字の上でのごろ合せが悪いと、気にしなくてもいいことを気に病む。子どもの頃には、意味もわからず逆らっていたが、近頃は、したい人には、それなりの理由があるのだ。と考えることにしている。何だかんだといった処で、本人ではないのだから、安易なことは慎まねばならぬ。
お化けがいると思えば、怖い。一度そう思い出したら、そういった類の者が居ないとは、到底考えられなくなる。更なる恐怖を味わう。私は、霊魂は何処にでもいるが、さしたる悪さはしない。と思えるのです。魂が浮かばれないのには、理由があるから、解決してさえあげれば成仏する。してしまわないのにも理由があるらしい。それはそれでその生き方が気に入っているらしいのだ。
私が、気になることは、欠けた茶碗やお皿を平気で使うこと。怪我をするではないか。持った時や、口に近づけた時が危ない。洗っていても指を切る。もったいなくて使っているのなら、それでいいのです。自分が使うには、それなりの気持ちでしているから、たいしたことではない。ケチったりするのが厭であるのだ。それも他人に対しては尚更です。
次には、鷲掴みで物を持つこと。或いは、食べ物に指が当たったり、汁物に指が入っていたりは、頂けません。見た目がよろしくない。やはり口に当たる部分は、触ってほしくないです。更に言えば、誰彼の構わず、使い回す方には閉口する。何時も何で飲まれているか、見て覚えてもらいたい。名前がないから使った。では済まされない。とも思うのです。
新型インフルエンザが蔓延するというのも、原因は案外こういった感染経路であったのではないのか?いやいや例えですよ。細菌などという生命体は、顕微鏡でも見つけにくい。なまじかからない方が不思議です。唯、抗体や免疫などが、偶然からか、体内にできていたかで、事無きを得ただけである。同時に、タイミングの佳し悪しもあるだろう。
生死を分けることでもないが、あるかもしれない。どんなに快適な生活空間を創っていても、細菌の入りこめる隙間はミリ単位以下である。人間などの計り知れない世界なのだ。と思えるのです。厄災は有難くないが、向うからやってくる場合もあろう。しかしそういった場合も、厄ばかりを気にしてはいけない。同時に福も来ていることがあるからだ。そこをうまく乗り切っていくのが、人間の知恵である。
君子危うきに近寄らず。では何もできなくなる。解決方法は必ずある。そういった冷静な心を持つことで、糸口が見つかると言うもの。物は試しである。やってみなくてはわからない。算盤も、何も弾くだけが使い道ではないだろう。時には、床を滑ってみるのも楽しい。使い方はあるのだ。トニー谷は算盤の使い方がうまかった。腰痛にも効くかも知れん。
物事は、一遍通りでない。如何様にも通せる。イソップにも、グリムのもそういった教訓がたくさんある。日本の昔噺にも多い。探偵はそういった事柄を多く覚えている方が、信用されるものだ。しかしくどいと疑心暗鬼に陥る。人間とは実に厄介な生き物である。宮部みゆきの『日暮し』を先に読んで、しまった!と思った。慌てて『ぼんくら』を借りてきた。
白梅が咲き始めたよ。あれ?昨年は、紅梅ではなかったかな?こういうとんまもしでかすだ。世間に疎いのではなく、肝心なところが抜け落ちているのです。
ドクダミの中で、発芽した枇杷の苗。現在は移植して、プランターで育っています。
お化けがいると思えば、怖い。一度そう思い出したら、そういった類の者が居ないとは、到底考えられなくなる。更なる恐怖を味わう。私は、霊魂は何処にでもいるが、さしたる悪さはしない。と思えるのです。魂が浮かばれないのには、理由があるから、解決してさえあげれば成仏する。してしまわないのにも理由があるらしい。それはそれでその生き方が気に入っているらしいのだ。
私が、気になることは、欠けた茶碗やお皿を平気で使うこと。怪我をするではないか。持った時や、口に近づけた時が危ない。洗っていても指を切る。もったいなくて使っているのなら、それでいいのです。自分が使うには、それなりの気持ちでしているから、たいしたことではない。ケチったりするのが厭であるのだ。それも他人に対しては尚更です。
次には、鷲掴みで物を持つこと。或いは、食べ物に指が当たったり、汁物に指が入っていたりは、頂けません。見た目がよろしくない。やはり口に当たる部分は、触ってほしくないです。更に言えば、誰彼の構わず、使い回す方には閉口する。何時も何で飲まれているか、見て覚えてもらいたい。名前がないから使った。では済まされない。とも思うのです。
新型インフルエンザが蔓延するというのも、原因は案外こういった感染経路であったのではないのか?いやいや例えですよ。細菌などという生命体は、顕微鏡でも見つけにくい。なまじかからない方が不思議です。唯、抗体や免疫などが、偶然からか、体内にできていたかで、事無きを得ただけである。同時に、タイミングの佳し悪しもあるだろう。
生死を分けることでもないが、あるかもしれない。どんなに快適な生活空間を創っていても、細菌の入りこめる隙間はミリ単位以下である。人間などの計り知れない世界なのだ。と思えるのです。厄災は有難くないが、向うからやってくる場合もあろう。しかしそういった場合も、厄ばかりを気にしてはいけない。同時に福も来ていることがあるからだ。そこをうまく乗り切っていくのが、人間の知恵である。
君子危うきに近寄らず。では何もできなくなる。解決方法は必ずある。そういった冷静な心を持つことで、糸口が見つかると言うもの。物は試しである。やってみなくてはわからない。算盤も、何も弾くだけが使い道ではないだろう。時には、床を滑ってみるのも楽しい。使い方はあるのだ。トニー谷は算盤の使い方がうまかった。腰痛にも効くかも知れん。
物事は、一遍通りでない。如何様にも通せる。イソップにも、グリムのもそういった教訓がたくさんある。日本の昔噺にも多い。探偵はそういった事柄を多く覚えている方が、信用されるものだ。しかしくどいと疑心暗鬼に陥る。人間とは実に厄介な生き物である。宮部みゆきの『日暮し』を先に読んで、しまった!と思った。慌てて『ぼんくら』を借りてきた。
白梅が咲き始めたよ。あれ?昨年は、紅梅ではなかったかな?こういうとんまもしでかすだ。世間に疎いのではなく、肝心なところが抜け落ちているのです。
ドクダミの中で、発芽した枇杷の苗。現在は移植して、プランターで育っています。
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