読書週間は、本を読むということよりも、書籍を知ること、触れることにも繋がる。自家製本というと、本人の満足感だけであり、もらった方は当惑することもままある。最終的には、廃品回収に出される。古本でも要らない。面白さの要因にも様々だ。
図書館で借りるのは、ハードカバーでだが、自分持ちは文庫が多い。児童書は文庫がないから、それはそれで場所を取る。然し、容易には捨てられない。著者のサイン本などは特に、古本屋では何等価値はないそうだが、手放すことは不可能だ。
本人が自慢するくらいで、他人には全く意味も無い。文豪の悪戯書きの方が、高価に売れる。夏目漱石の生誕150年とかで、当時の本であればどうかな。仮名遣いが少々難だが、読んでみる価値はある。普通の人間のは、迷惑千万となるようだ。
本を読んで、何が愉しいかは、個人差が大きく、一概に矯めになることではない。教養が深まるようだが、そうとも言えない。これは愉しみ方の方法次第で、その世界を堪能できるか否かだろう。空想であって、現実でもあり、摩訶不思議な世界だ。
現実逃避だと云われれば、そうかも知れぬし、教訓であるかと言えば、その通りかもしれない。面白い本の根本は、その世界に、自由に行き来でき、終りのないことかも知れず。決して断定的には決められないものだ。あいうえおを並べ替える愉しさ。
挿絵がないと、読む気のしなかった頃には、本来の醍醐味が分らなかった。時を経てみれば、どんな小さな行にも、作者の意図があり、巧みな描写に心が踊る。映像がなくても、自分で想像できる楽しみも加わり、自由自在に場面は広がっていくよ。
歴史を紐解くのは、自分らの祖先へと繋がる。命は、過去から現在に、未来へと進む。立ち止まることは無理だが、自分を見つめ直すことはできる。時間を遡っても、その時の自分には遇えないからだ。不可能を可能に出来るのは、一瞬の迷いかも。
クリスマスローズが綻びだすと、心なしか庭が華やぐ。小さな花にも、春を感じて目覚める季節が・・・