枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

タイガースへの邂逅

2017年10月22日 | Weblog

 先日買ったCDは、40thMEMORIALBESUT+CHARITY SHOW LIVE。これまでの田園コロシアムも、その他のも其々に素敵なんだが、個人的なことで言えば、選曲がいいのかも。とても聴き易い曲ばかりだ。きっと何枚も聴いたからこそかも。

 タイガースの生演奏は、残念ながら聴いたことがない。当時、高校生であり、私立の然も女子高だったので、校則が厳しくて即、停学やら、退学の対象になる。親は直ぐに呼ばれるわ、謹慎させられるわであった。まあ、そこまで厳しいとは思わず。

 朝、登校する校門には、規律委員が教師と共に、巻尺や物指しを持って立っており、スカート丈を計る。一ミリたりとも違わない丈でなければ、校門を通過できない。他校の男子とは、口を利くことは愚か、眼も合わせてはならず、男女交際禁止で。

 盲腸になった時が傑作で、親には言えず、気分は悪いし、死ぬかと言う思いで、冷や汗を流しながら呻っていた。てっきり眼を合わせたので、子どもが出来たと信じて疑わずだった。今、思えば医学的判断で分るが、当時は何等知識はなかった。

 然し、単なる手術でも、死への恐怖は増すばかり。麻酔にしろ、初体験のことである。花岡青洲の妻を読んでいたにせよ、こればっかりは。執刀のDrは、外科手術が初めてと話す。最悪の状態で、よく生還できたものだ。無知なるが故の無防備よ。

 還暦も過ぎて、したい放態、遣りたい放態が出来るのも、当時には絶対出来なかったからだ。親の金では自由も利かないし、我儘も言えない。自分の働いた給料で、遣り繰りをして買うには文句を言われはしない。従って、今が青春そのものなの。

 沢田研二さんのステージを観に行って、当時のタイガースが目の前に甦る。あそこに瞳みのるさんが居て、ドラムを叩く。今年は特に、50周年とかで、タイガース時代のを歌ってくれたので、すんごくうれしかった。DVDも買ってあるので愉しめるよ。

 雨の一日だったが、タイガースを堪能できた日でもあった。自分だけのステージで、タイガースが聴けることは最上の歓び。時代をスリップして遇える特技に感謝する。明日の散らし寿しの準備も出来たし、エネルギーも充電できた。枇杷葉茶も飲。

 冬の月は、冴え冴えとして冷やかに観えるが、春の月にはやさしさが宿っているようで、光も淡い。

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