直感、第六感・シックスセンスとも言う。難しいことは解からないが、不思議に思ったり、おやっと感じることで、後で知れるが、その通りであったことが多い。日常では、神経が持たないから、使うことは少ないし、しようとも想わない。でも、あっちから来る。
そういうのが煩わしくて、人と接するのが苦手だ。極限まで神経を張り詰めていくと、身が持たなくなる。無論、継続するのは危険で、精神に異常を来たす。命にも、援けられる場合と、してはいけない時、決して告げてはならないのもある。無情なこと多し。
枇杷葉で、可能なことは教えてあげられるが、本人の実行力と持続力にも縁る。心が清らかでないと、邪気が入り込む。それらを跳ね返すパワーがなくては、命は救えない。曼に一つの偶然と、非科学的な現象。神さまではないから、凡ては万能では否。
祖母が、してきたことには、自然を相手だからこそ、そこに身を委ねたものだろう。年齢を重ねて知った複雑な世界だ。前世・現世・来世へと繋がる時間に、巧く溶け込めるかは解からない。あって偶然の賜物。なくても当然の宇宙である。森羅万象は謎。
然し、非科学的であっても、説明できない事でも、データが不足していても、それは起こる。時間の隙間に現れ、瞬時に引っ込む。命の無限を具間観て、驚愕する。星と星の衝突や、超新星の残骸。数多の星の瞬く彼方、命の生まれる、消えていく場所が。
そういう不可解な経験を、された方がきっと居る筈だ。そんなに多くではないと想えるが、それも単なる憶測かも。何故視えるのか、どうしてわかるのか、感じてしまうのいかは不明。これが何時如何なる時に起きるかは、全く解からない。正に未知との遭遇。
雨ばかりの1週間である。何と台風がやって来ていた。テレビを観ない者だから、さっぱりなんだが、勤務先で知った。洗濯物は乾かず、洗わねばならずで、どうしよう。この時期まで、台風は要らないようにも思うが。寒いのはセーターで立ち向かうことに。
月と庭の枇杷葉。夕方の薄闇に、シルエットが見える。今年は、たくさんの苞が、枝々にびっしりと。