枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦の薦め・・・

2019年12月21日 | Weblog
 新暦と旧暦を使っていると、何時しか暦を見ることを心掛け、月の満ち欠けや潮の満干潮が気になる。地震が起きるのも尤もで、自然学とも言う摂理に突き当たる。数学も、昔は算額と言い、星の出現にも用いられる。天地明察には、人間の知恵を生かした遣り方でもあろう。天文学にも通じ、彗星の予測さえ当てていた。

 何時、誰がと言うことでなく、そういったことに取り組んで、今日への業績に貢献してきた人々が居る。小さなことへの積み重ね、皆の関心の薄いことにも諦めず、信念を追及して自らを高めた人等が居る。謂わば、何等報いの無い事柄でもある。誰のためでもなく、その物の持つ不思議さに惹かれて研究をしていくのだ。

 実に感無量の心地だろう。奇人・変人と呼ばれても、挫けず。その日暮らしであろうと構わず。努力をしているのに、認めてもらえない心境。亡くなってから、その業績を讃えても、故人が歓ぶとは思えない。残された者にも、その時の苦労が溜まっていて、素直に喜べるのか?書籍にはそういった人々の膨大な記録が残る。

 枇杷葉の活用法。エキスは嗽にも用いれ、水虫・たむしに効きます。塩の力も侮れません。薬草とは、買って飲む物ではなく、自分の足で探して採り、乾燥させて煎じる物です。自然からの恩恵を感謝し、地球に棲めることを歓びとして、晴耕雨読の暮しが好い。便利な物程、具合が悪くなった時には、大金が掛かるものだ。

 今朝は、気温が低いのか手がかじかむ。衣類も温かく着ているが、背中が丸まる。着過ぎると肩が凝るので、懐炉を装着している。然し、手はそうもいかなくて、冷たさが抜けない。これが、何かの拍子に熱を帯びてくることがあり、治療に使える。何時もではないので、効き目も強くなる。だが、気紛れを通り越して不明。

 一日、寒い日であった。然し、仕事は真面目にしなければならない。そうするときちんとしようとか、これだけはしておこうとか、様々に思えてきて、余計に捗らない。何をしているのかが理解不能になってくる。その都度、仕事を放りだして帰りたくなる。現実と希望とのギャップに苦しめられる。介護の仕事って理不尽なの。

 花芽の匂いには、清々しさが溢れる。伽羅や白檀のような高貴さと、爽やかな香りを放つ。今が盛りに。
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印象深い・・・

2019年12月20日 | Weblog
 リメイク版・新装だが、無論タイトルは以前の儘。オリエンタル急行殺人事件で、デイジーの家庭教師をしていた女優。顔は記憶にあるし、あの面立ちは印象に残っている。それなのに役が代わると、思いだせないのだ。それでも3回目にやっと判った。スターウォーズでNO7から主演をしている人だった。名前が出て来ない。

 ナタリー・ポートマンのように、どの作品を観ても直ぐに分る女優は、そうそういないことに気づく。カイル・マクラクカンでさえ、イメージが代わったらさっぱりだった。ルイスと不思議の時計。俳優だから、変身するのは当たり前のことだが、観客を見事に騙す役どころに感心する。往年の俳優で一作しかないのも頷ける。

 新聞の書評と言うか、アナと雪の女王2のことが書かれていたが、個人的には、アラジンのジャスミンの意志の強さや、やさしさ・思いやり、アラジンとジーニーのかけあいの、何気ないやり取りが素晴らしい。どちらかというと、此方の方に気持ちが偏る。元々、アラビアンナイトは好きで、どの話も興味が尽きない作品だ。

 虫プロダクションがアニメ映画にした、西遊記は、わたくしが中学3年の時の作品。映画館には観に行けず、廊下に貼ってあるポスターを狙って、外す時に貰った。当時は、SFの鉄腕アトムや、ビッグX、マグマ大使、W3等にのめり込んでおり、中国の話をアニメ化したのに興味を惹かれた。自分で買えるようなったので注文。

 パソコンを使えるようになって、視野も広がって行くし、学ぶことも多いのだが、困った時の助っ人が遠い。料金の方も莫迦にならない。従って、変な誘いには乗らず、可笑しなサイトへのアクセスはしないことだ。相手は、実に誘導の仕方が上手く、気付いたら大金を取られている。取り戻そうにも、その方法が分からない。

 初期設定での、画面表示以外にはアクセスしないことだ。メールも迷惑ボックスに入れ、開けないことが肝要です。相手の了解を取っているのでさえ、安心して出来ないことも有るので、用心に越したことはない。今以て、どうしようかと思考して、アクセスできない。ネットの怖さも、スマホの便利さと連携して恐いのです。

 天気は好いのだが、風が強くて蒲団干しは断念した。洗濯物は良く乾く。気温は低いので20℃設定にした。室内ではあるが、コートを羽織っている。誰も文句を言わないので、温かくて丁度好い。ストーブで芋を焼き食べる。塩が効いて旨い。施設のDrが畑で作った物で、今年は大豊作であったらしい。貰ってくれとの要望だ。

 この時のすばるは、未だ小さくて可愛かった。手術をしたら、餌もたくさん食べるようになって育つ。

 
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天気崩れて・・・

2019年12月19日 | Weblog
 晴天が続かないのは分っていても、洗濯物のあることで、空を見上げてしまう。感染予防の勉強会があり、半勤の勤務であったが、結局時間前まで手伝ってしまう。自分が困っている時には援けてもらいたいし、職員がと言うよりも、運営的なことが回らないからだ。それをどうでもいい話ばかりして、業務は捗らない。

 帰宅したら、午後を悠に回っている。何だか疲れ果てて、眠る気にもならない。すばるが寒いので、抱っこをせがむ。膝に乗って来て甘えている。陽射しが無い分、寒いのは仕方が無いのだが重い。何だか気力が一気に消えてしまった。自然からのエネルギーを貰いながら、生きていける有難さである。魔力は封じ込め。

 シクラメンの香りが漂う。買った時点で直ぐに鉢に移し替え、球根を僅かに見えるようにしている。土の乾きが見えてから水は遣る。ナメクジが球根を齧るので、唐辛子を入れておく。日中の陽射しに当てて、夕方には取り込む。今年のはそうやって花を見ているが、昨年のやそれ以前のは、夏場には水遣りせずにおく。

 クリスマスローズは、寒さに強い花なので、地植えか鉢植えの状態で、庭に置いている。昨年は糠を入れたが、球根が根腐れするので止めた。これもナメクジが寄って来るので、唐辛子での駆除をしている。自然のまま、ごく普通の状態で花が見られるのが愉しい。種もたくさん零れて発芽し、株も大きくなっているよ。

 牛蒡の摺ったのを、お湯か水で溶かして飲む。風邪の予防に効果が大きい。今朝もくしゃみが連発だったが、これで治まった。自分で可能な事には、極力労を惜しまないこと。何でも遣ってみて、愉しみの有る人生を送りましょう。実験することの面白さは、おや?なぜ?どうしてだろうか?と言うような思考でいたい。

 電飾を美しいと思うよりは、宙を観上げることの方が愉しい。流れ星も、観ていれば遭遇するもので、何でもないことに感動できる。当たり前ではない、偶然の一致にも、チャンスが訪れるのです。他人にプログラムを作って貰うのではなく、出来ることから始めましょうよ。ピンチをチャンスに変えてみるのも愉しい。

 南天の実。赤い鳥が食べたので、赤い実が生った。青い実は何の実だろうか。白い実は何かな?
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業務に忙殺される

2019年12月18日 | Weblog
 何時もの事だが、朝連絡を入れて休むと言う。自分での体調管理が出来ないでは、仕事は無理なのよ。自律神経系には特に、気分の浮き沈みがあるため、薬に頼り過ぎると効果が薄くなる。種類が増えて、結果としては何等意味がない。以前にはそうであったが、胃が痛くなってしまい、吐き気も出るので止めた。枇杷葉で正解です。

 決まっている人数での業務は、職員が一人でも欠員すると立ち行かない。散々な結果になったことは言うまでもないが、見守りもゆっくりゆったりも出来ない。可能な限りの対応だが、中々上手く回転しない。然し、しなければならないことは、次々と出て来る。移乗は無論、トイレ誘導を声掛けをしながら行う。汚染も直ぐに溜る。

 加えて、トイレが詰まっており、頻回に通う者に待たせたり、距離の長いのを歩かせるのも一苦労するばかり。転倒も怪我もさせないで、神経をすり減らしてへとへとになる。こちらの方が介護が必要な案配だ。休憩も行かねばならないが、非常事態にはのんびりとは入れない。仕方なく、洗い物だけを片付ける。もお、何をしてるか。

 早出勤務は、そういったことでは助かる。夕方のこの時間からが大変なのだ。黄昏症候群で皆、終い支度を始めるからで、てんてこ舞いに拍車がかかる。やさしく笑顔で等、無理です。精々、にっこりするくらいは出来るが、朝から一日中では持ちません。労働者の人権もありますから、作った物は壊れてしまいますね。自然体で過す。

 実際、一日が終了して安堵するのは、無事であったことを感謝すること。大騒動はしたものの、怪我もなく過ごせたことは有難いのです。受診や入院騒ぎ、同居人の諍い等、問題は様々に発生する。給料を貰っているが、こんな重労働は早く辞めたい。誰の親を世話しているのかとも思う。放ったらかしで、小遣いも無い人もいる現状。

 介護の仕事を、もう少し尊敬の出来る、尊い仕事にしてほしい。こんな低賃金では、若者は離れていく一方でしょう。政府の遣り方には、問題が山積み。昔の状況は更に厭になるが、もう少し親を大切にしてくれないか。金が払えないというなら自分で看てよ。することはさせておいて、その値を払わないというのは、一番困るのよ。

 敷地の外から、屋敷に向かって南に植えている。陽当たりが好過ぎるのか、中々育たなかった。
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幸せに想えること

2019年12月17日 | Weblog
 年の瀬を迎えながら、今年も沢山の方々から、多くの贈り物を戴いたことに、心より感謝する。何よりも、ここに来てくれる方の多さに驚く。加えて、応援やら賛同の意思表示をしてくれることにも驚く。可なり好き勝手を書いているので、ちょっと怯んではいるが。何よりも、枇杷葉の用途や効能に感謝し、生かされていること。

 わたくしは、相当の自分勝手であり、我儘な者だと自覚してもいる。但し、間違ったことにはとことん反発してしまう。人情的なこともあるが、金が絡むと汚いもの。でも、そういったことは、政権の中では当然で行われる。自分の利益になることには、積極的に事案を通し、めんどくさかったり、どうでもいい事には独断で決行。

 沖縄の海が、死んで逝っている。自然の貴重な財産が失われて、残るのは災害となることばかりだ。嵐が襲い、地震が起きると、自然災害のように言ってしまうが、元の元凶はこういった強硬な遣り方にある。人間が、自然を敬い崇めていた時代ではなくなった。山も海も慟哭している。本当のやさしさは、それらに気づくことだ。

 地球は、人類だけの物ではない。あらゆる命を生み出す星である。人類の野望にはかかわりたくないのも、人間が丸裸にしてしまう。自分達の棲む星を壊してまで、諍いを止めようともせず、都合のいい事ばかり並べる。人類が地球を救うのではなく、滅亡へと疾走する。地球が啼いている。その声は、地震や津波に転じてくるよ。

 足湯に来た娘が、余りの気持ちの好さに、アラジンも観ないで眠ってしまう。こちらは、話しかけているのだが、返事がない。可笑しいやら愉しいやらで、夕食を食べて帰って行った。誰かに何かをすることも、形や遣り方は違っていても、厭なことはしないこと。そうしておけば、困った時には援けてくれる。有り難いこと感謝。

 枇杷葉の芳しい匂いがし始めると、何処に居ても心が満たされて来る。森羅万象に、思わず心は翔ける。
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物忘れ・・・

2019年12月16日 | Weblog
 歳は取りたくない。然し、年齢と共に様々なことに支障が起きる。用事をしに行くのが、はて?何しに来たのかということになったり、今何処に向かっているのか?と思うことも間々あるのに慌てる。まあ、それでも事無きを得て来たが、仕事を辞めたら、時間さえも忘れそうで怖い。かと言って、体力も無くなれば続けられず。

 燃料を容れておこうと出掛けたスタンドが、何故か締っている。開店しているのに、誰も居ないので、暫く待ったが他で済ます。年寄りと息子の経営では、何かがあれば困窮するのだ。こちらも急いでいたこともあり、用事を済ませての帰宅となった。独り暮らしだと、実際何が起きるかが不明で、用心に越したことはないが…。

 なにもかも、子ども等への負担を強いれない。元気でいたくとも、予期せぬことにも遭う。そういった時に、直ぐ駆けつけて来てくれる者が居れば、頼らざるを得ない。信用は出来ないかもしれないものの、便利重宝には頼めない。困った時にはお互い様と言うが、言葉とは裏腹に、礼儀は心得ていたいもの。人間として生きる。

 足湯に行ってもいいかと連絡が来る。予定がないのと、明日が早出でないので受ける。やはり訪問者は、都合を尋ね、了解を取ってからおいで願いたい。常識として、日曜日の午前中は邪魔に行かないこと。クリスチャンなら、礼拝があるし、普通の者でも、のんびりとして過ごしたいものでしょう?強引に押し掛ける等、論外。

 日曜日は安息日で、働いたりしてはならず、神に感謝して明日への祈りを捧げる。カトリックでも、プロテスタントでも、何れでもないが、天地創造・十戒、砂漠の女王。最近は最後の誘惑も買う。神は、森羅万象そのもので、大天使もエンジェルも視える。祈るという純粋な行為には、万人の幸せを願う。そこまではなれない。

 自分を犠牲にもできないし、勝手な願いを言うばかりで、偽善者には違いない。枇杷葉に祈れば、それだけの結果が現れる。手品でも魔法でもない。自分のしたことだけが還ってくる。多くを願わず、小さくとも幸せを感謝する心にこそ、神は宿るのだろう。日常の行いにも等しく顕れる。貧乏でも、倹しく暮らせば愉しめるもの。

 宇宙には、不可思議なことがたくさんあって、人間の知らないことが多くある。幸せも同じだ。
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忘年会にて

2019年12月15日 | Weblog
 施設と病院合同の忘年会が市内となってから、車での参加に無理があって避けて来た。今年は、乗せて行くからと言われて重い腰を上げたのだ。参加して、思ったよりもご馳走を堪能しながら、会を楽しめてよかった。と感謝する。受付の時間よりも早く着き、他で小腹に詰めたり、お茶もしての事だったが満腹。

 唯、立食なので難儀だった。椅子は置物で取らないで、と言われるので上着を預け、バッグだけ持っての立ちっぱなし。懐炉も貼っていたので、大事にはならなかったが、流石に疲れてしまった。帰宅後は、アラジンを観ながら眠ってい居り、夜半の流星群を観ようとしたが、曇り空で生憎だった。まあ、想定値。

 で。今朝はゆっくりと起きようとしたら、お天気になっている。風は多少あるものの、洗濯日和とくるので、何杯も回しておく。珈琲を挽いて淹れ、さて着替えをしようとした途端、玄関でブザーがけたたましく鳴る。職場の者だが約束した覚えもない。何時もの事だが、此方の都合などお構いなしに困惑するよ。

 日曜日である。況してや昨夜、忘年会があったことは知っているのを、のんびりとしたいだろうとか、約束もせずでは迷惑だろうとかを思わない。冗談ではありません。そちらの都合には付き合い切れません。それよりも、飲んだ枇杷葉茶の代金を払ってくれ。今後は、それなりの対応となることは確定でしょう。

 庭の枇杷葉も、暁子さんのが早くも咲き出して、他は苞の状態である。仄かにそして芳しいのが、身体中を包み込む。人口の臭いには閉口するが、自然からの芳香には、やさしさが含まれるのでうれしい。その季節だけで充分な香りに、堪能できる幸せを感じるものだ。何事にも感謝と祈りの心でいよう。晴耕雨読。

 クリスマスプレゼントも、他人に依っては好みが違うので、出来れば本人が一緒が好い。わたくしは、自然からの恩恵に感謝出来ること自体これ程にうれしい物はない。若い時なら慾望もあったが、物が溢れ過ぎて欲しい物がない。リエさんが贈ってくれる物には外れがない。上京時に泊めてもらえるのが最高です。

 野鳥が啄んで落としたのか。次第に育って増えていく。今年は、手折って花瓶に活けてみた。鮮やかです。

 
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ふたご座流星群・月明かりに

2019年12月14日 | Weblog
 此のところ、気温も落ち着いていて、朝を除けば温かい。温度も18℃で充分な部屋である。午前中の勤務を終え帰宅し、着替えて昼食を摂り、ブログの更新に。お洒落をするには気力が必要で、年齢を重ねるとどうでもよくなる。出不精の横着者の言い訳だが、インフルエンザの影響もあって、外出は極力控えたいのだ。

 千振やら、牛蒡やらでの予防に、懐炉を貼っての意気込みである。明日を休みにしているので、多少は心配ないものの、それでも体調は崩したくない。すばるの餌も用意し、用心を重ねての外出である。可能なら昼間が望ましいのだが、それでは人員が集まらないそうで、やはり夕方からとなるそうだ。楽しんでこよう。

 少しづつ苞が開いて、とても佳い香りがしている。昨年に引き続いての開花や、今年初のもあって、更に賑やかになっている。北向きのは結実しないから、花芽茶の心算でいる。冷凍庫に一杯なって、片付けもしなくてはならない。リエさんにも贈るが、昨年ので好ければあります。と言っても、勤務先で分けてしまう。

 義士祭。然しながら、本来では旧暦でのことで、今は霜月18日である。従って、雪も降らなければ、寒さも柔い。大石内蔵助が、十方ぐれの時になぞ、討ち入りはしませんからね。幾ら元禄時代であろうとも、暦は最も重要であり、最良の日を選んでの決行でしょう。昼行燈と陰口を叩かれても動ぜずで、忠臣蔵なのだ。

 枇杷葉も、剪定をしなければ伸び過ぎて困る。脚立がないと袋掛けさえできない。花芽が咲き出してから伐る心算でいるが、いざその段になると、何だか伐りそびれてしまうもの。葉が黄色になったのに声をかけて落とし、枝を揺すっていく。木村秋則さんが林檎にしたのも分かる。自然からの贈り物はどれもが貴重だ。

 我が家の枇杷葉は、品種もまちまちで大きさこそ小さいが、果汁はたっぷりとあり、甘くて美味しい。長崎茂木が一番早く、次いで房州だったり、田中になったりする。熟れ始めると待ったなしで採らねばならない。箱詰めにして送り出すが、歓んでもらえることもうれしい。気を発して枝を揺すり、願いを籠めている。

 月が満ち欠け、その姿を変えていくが、見えない部分があるというだけである。手塚治虫氏の月世界旅行だね。
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煤払い、霜月・十方ぐれ入り

2019年12月13日 | Weblog
 新暦では煤払いとなる。子どもの頃には、日曜日の午前中、天気が良ければ畳を上げ、障子や襖の張り替えをしていた。祖母は、実に器用な者で、襖も修理して直していた。障子の紙も丁寧に剥がし、相当な破れは除いて取っておき、書き付けにしたり、字を習うのにしていた。糊は飯粒を潰して鍋で炊き、使っていた。

 舌切り雀は、お婆さんが悪者のように云われるが、祖母のしていたことを思いだすと、何もせず遊んでいた爺さんこそ、役立たずである。昔話にも、誇張や体裁が隠れていて、男性主体の物事にうんざりする。そういう偏見でいるから、戦争へも突っ走るし、正しいことには耳を貸さない。小泉進次郎氏、その典型だわ。

 今朝は早く起きたが、休日なので蒲団の中で暫く過ごし、天気を幸いに起きる。本日の予定は、明日の忘年会の衣装を出しておくのと、支払いと図書館への返却。すばるの餌も買わねばならない。花木店でシクラメンの白を見つけ、2ポット買う。帰宅して鉢に移し替える。この時に、球根が見えるくらい出しておく。

 風邪を引きそうに思えたので、牛蒡を摺り下ろして、枇杷葉茶を注ぎ飲む。あらまっ、不思議や不可思議。すっきり爽やかになりました。千振もちびちびと飲む。何を於いても、明日の忘年会には出席しないと。約束をしているので、キャンセルはしたくない。青空市に寄って、牛蒡を買い、すき焼きに入れておいた。

 枇杷葉の枯れた葉を取り、駐車場を掃いて片付ける。庭が何もなく淋しいので、パンジーを植えたが、カーネーションが咲いているのが侘しい。クリスマスローズは、健やかに蕾を付けている。枇杷葉の苞も、徐々に開花し始めて、仄かな匂いを漂わせる。今年は、少し遅れているのかしら?寒いのか暖かいのか疑問。

 銀行に行くと、必ず本人確認をされるので煙たい。何も自分の通帳から金を下ろすのに、誰に遠慮がいるのか?手続きが面倒であるなら、カードを作ればいいが、暗証番号がこれ以上は覚えられない。印鑑での方法で行う。それにしても、銀行は肩苦しく厳めしい。貯蓄も無いので不愛想でもあるが、更に足は向かわず。

 すばるのトイレを換えて、ブログの更新をしている。干した毛布に包まって、心地好さそうに眠っている。昨年のことを思えば、大きくなったもので、抱っこをせがむが重い。指定席は、暖房の当たるマッサージチェアのある場所。飼い主が座ると、ちょっと機嫌が悪いのが偶に傷。仕方なく譲ってくれるので抱っこを。

 昨年の花芽の開花状態。匂いも強くて、噎せ返りそうになった。花芽茶も香りが好く美味しい。


 
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霜月、望・大潮

2019年12月12日 | Weblog
 昨夜は、真昼のような明かりがして、まさに不思議な世界を堪能できた。こんな夜には、魔術も然程難しくない。でも、人間の果てのない欲望には、見向きもされないもの。適うなら、きっと魂までも奪われる気がする。アラジンで、3つの願いを魔人が言ってくれればいい。魔人の願いを聴いてくれた者はいなかった、という件。

 千夜一夜物語も、アラジンやシンドバットが出てきたリ、実に不可思議なことの連続だが、願えるのも3つとなると、欲望が剥き出しになる。絨毯が破れてしまったのを、元のようにしてしまうが、お気に入りの衣類を、元に出来たらいいなとは思う。肥ったり解れたりで、着られなくなった物が惜しくて、捨てられない。貧乏性。

 今朝は早出であるので、昨夜の内に用意をしていたので、洗濯をするだけで済んだ。枇杷葉茶葉温かいのが飲みたいので、毎朝沸かすが、寒い時には弁当のおかずは、前以って出来る。つまりは、横着者の手間省きでもある。隔月の検食はあるものの、順番に付くので、これまた手間でもある。時々は給食を頼む。タニタ食堂がない。

 早出勤務は、朝が早いのは当然だが、終いも速いので気分的に助かる。この後からが一騒動となる。唯でさえ、家に帰りたく思うのが、時間的にピーク状態になっていく。職員の止めるのを振り切ったりはないが、同じことを繰り返す。夕食も作らねばならない。拘わりもするとなると、負担の割合も大きくしんどい。話題転換する。

 満月。狼に変身したり、バンパイアの集いが持たれたり、密やかに行われる魔界の時間となる。古の人々は、自然を敬い崇め畏怖の念で暮らして来たが、信仰の自由も変わってきて、却って危うい現実になっている。自然から学ぶことは多い。人類への警告を知ろう。地球を破壊して棲めなくして、一体どうしようと言うのだろうか。

 黒豆茶を注文したから上げる。と言われるが、枇杷葉茶で満足しており、これ以上もこれ以下もないと信じている。豆類が好いのは知っているが、それだけでは駄目で、だからこそ枇杷葉茶を飲用しているのだが、そこのところが分かってもらえない。飽き性でもあるが、これだけは譲れない。どんなに薦められても信念は変わらずだ。

 人生の黄昏時に差し掛かると、宇宙の神秘さに魅了されることが多くなる。これ程に美しいとは。
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