新暦と旧暦を使っていると、何時しか暦を見ることを心掛け、月の満ち欠けや潮の満干潮が気になる。地震が起きるのも尤もで、自然学とも言う摂理に突き当たる。数学も、昔は算額と言い、星の出現にも用いられる。天地明察には、人間の知恵を生かした遣り方でもあろう。天文学にも通じ、彗星の予測さえ当てていた。
何時、誰がと言うことでなく、そういったことに取り組んで、今日への業績に貢献してきた人々が居る。小さなことへの積み重ね、皆の関心の薄いことにも諦めず、信念を追及して自らを高めた人等が居る。謂わば、何等報いの無い事柄でもある。誰のためでもなく、その物の持つ不思議さに惹かれて研究をしていくのだ。
実に感無量の心地だろう。奇人・変人と呼ばれても、挫けず。その日暮らしであろうと構わず。努力をしているのに、認めてもらえない心境。亡くなってから、その業績を讃えても、故人が歓ぶとは思えない。残された者にも、その時の苦労が溜まっていて、素直に喜べるのか?書籍にはそういった人々の膨大な記録が残る。
枇杷葉の活用法。エキスは嗽にも用いれ、水虫・たむしに効きます。塩の力も侮れません。薬草とは、買って飲む物ではなく、自分の足で探して採り、乾燥させて煎じる物です。自然からの恩恵を感謝し、地球に棲めることを歓びとして、晴耕雨読の暮しが好い。便利な物程、具合が悪くなった時には、大金が掛かるものだ。
今朝は、気温が低いのか手がかじかむ。衣類も温かく着ているが、背中が丸まる。着過ぎると肩が凝るので、懐炉を装着している。然し、手はそうもいかなくて、冷たさが抜けない。これが、何かの拍子に熱を帯びてくることがあり、治療に使える。何時もではないので、効き目も強くなる。だが、気紛れを通り越して不明。
一日、寒い日であった。然し、仕事は真面目にしなければならない。そうするときちんとしようとか、これだけはしておこうとか、様々に思えてきて、余計に捗らない。何をしているのかが理解不能になってくる。その都度、仕事を放りだして帰りたくなる。現実と希望とのギャップに苦しめられる。介護の仕事って理不尽なの。
花芽の匂いには、清々しさが溢れる。伽羅や白檀のような高貴さと、爽やかな香りを放つ。今が盛りに。
何時、誰がと言うことでなく、そういったことに取り組んで、今日への業績に貢献してきた人々が居る。小さなことへの積み重ね、皆の関心の薄いことにも諦めず、信念を追及して自らを高めた人等が居る。謂わば、何等報いの無い事柄でもある。誰のためでもなく、その物の持つ不思議さに惹かれて研究をしていくのだ。
実に感無量の心地だろう。奇人・変人と呼ばれても、挫けず。その日暮らしであろうと構わず。努力をしているのに、認めてもらえない心境。亡くなってから、その業績を讃えても、故人が歓ぶとは思えない。残された者にも、その時の苦労が溜まっていて、素直に喜べるのか?書籍にはそういった人々の膨大な記録が残る。
枇杷葉の活用法。エキスは嗽にも用いれ、水虫・たむしに効きます。塩の力も侮れません。薬草とは、買って飲む物ではなく、自分の足で探して採り、乾燥させて煎じる物です。自然からの恩恵を感謝し、地球に棲めることを歓びとして、晴耕雨読の暮しが好い。便利な物程、具合が悪くなった時には、大金が掛かるものだ。
今朝は、気温が低いのか手がかじかむ。衣類も温かく着ているが、背中が丸まる。着過ぎると肩が凝るので、懐炉を装着している。然し、手はそうもいかなくて、冷たさが抜けない。これが、何かの拍子に熱を帯びてくることがあり、治療に使える。何時もではないので、効き目も強くなる。だが、気紛れを通り越して不明。
一日、寒い日であった。然し、仕事は真面目にしなければならない。そうするときちんとしようとか、これだけはしておこうとか、様々に思えてきて、余計に捗らない。何をしているのかが理解不能になってくる。その都度、仕事を放りだして帰りたくなる。現実と希望とのギャップに苦しめられる。介護の仕事って理不尽なの。
花芽の匂いには、清々しさが溢れる。伽羅や白檀のような高貴さと、爽やかな香りを放つ。今が盛りに。