枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

読書数の目標

2019年12月11日 | Weblog
 毎年、読める冊数を目標に、図書館での貸し出しをして読み、その中から手元に置いておきたい書籍を買う。今年は、宮部みゆきさんの、この世の春上・下と、脳科学者の母が認知症になるにした。認知症と言う言葉は、最近になってのことで、それ以前には、惚けや痴呆とも囁かれる。有吉佐和子著作・恍惚の人は有名。

 映画では、森繁久彌が熱演している。個人的には、情況の設定や表現の違和感に戸惑う。邦画も原作とは異なることはある、と先入観で知る。砂の器も然りで、あの長さでは無理もあろう。唯、心情やら情景に関しては胸を打つ。作者の云わんとするところも伝わり、鳥肌が立ったものだ。故人となられた方々が多く出演。

 先日に、子ども等が贈ってくれた、海よりもまだ深くは、多分に期待していただけに、ちょっと空振りした。樹木希林さんの出演されているDVDで頼んでいた。まあ、好みのこともあるので、何がどうという訳でもない。こういう空間があることに、ちょっとびっくりした。探偵も色々あるんですね。今後が信用しないで。

 冬薔薇が、蕾を膨らませており、食卓に何もなかったので挿した。この白い色が、空の冴えた青とのコントラストに、眼を瞠るようだ。山茶花もそろそろ終わりに、花芽は咲き出す。匂いが漂い始めて気づいたが、この頃では季節を知ることも。今年は、少し遅れている。地球の温暖化に、著しい影響が出始めて久しいが。

 青空市で見かけたパンジーが、売れ残って¥100であったので、2つ買って植えた。シクラメンは、我が家の台所と出窓で、葉を伸ばし蕾を付けている。毎年のことだが、忘れもせず花を咲かせる。健気と言うか律儀と言うか、有り難い花です。時々枇杷葉茶を注いでいる。これって再生力に影響するの?ナメクジ退治する。

 今朝は、陽射しがなく、空はどんより曇り空である。雨になるかな?耳も痒くなっているしで、すばるを見れば就寝中です。ふかふかの毛布の中で気持ち良さそう。餌はお代わりで満腹であり、寝息を立ててぐっすりである。帰宅するまで、留守番をしてくれる。時々は、外も眺めているようだが、寒いので出て行かないのだ。

 冬の宙には、一番星が輝く。その後に、月の姿がくっきりし、惑星も観えて来る。一頻り佇む。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横着者のつぶやき・・・

2019年12月10日 | Weblog
 天気は好いが、指先が冷たいので、結露を拭きながらすばるに言うが、あまり忙しくの無いのを知って、手伝おうとはしない。部屋中を駆けていたかと思うや、箪笥の上に上がって下りれないと騒ぐ。何してんのよ、と叱れば、塵と一緒に落下する。蒲団を干したが、出掛けるのに時雨れてもと仕舞う。あらまっ、青空が広がる。

 図書館に返却と予約本の受け取りに出向き、銀行と本屋に寄って帰宅。友人が来るので、慌てていたが、2時頃に到着する。最近は、年金生活になっており、買い物の類は節約らしい。年金生活にならなくても、節約・倹約は必要だ。娘と息子夫婦からの、お歳暮も金券にしてくれるよう頼んだが、まちまちでややこしい限りだ。

 図書券を貰っても、DVDは買えない。至る所の金券より、全国共通の金券の方がいいのだ。ちゃんと相談してから送ってくれ。出不精の者には、それなりの備えはあるが、体力が続かないので困るのだ。貰ってうれしい物はなく、食べる物にも飽きている。野菜中心の、質素堅実が一番である。お正月も旧暦で祝うので簡素にね。

 明日は、弁当の具彩に、牛蒡と蒟蒻を入れて肉と炊こう。葱もいいなぁ…、青空市で里芋も買ったので、当分は困らない。味噌汁も作ろう。枇杷葉温圧療法で、腰痛も治まっている。今週は忘年会があるので、体調管理には気をつけておきたい。千振も飲みつつ、饅頭を頬張る。休日の醍醐味は、誰に遠慮することなく過ごせる。

 然し、贅沢でもあるなぁ、と反省もする。何でもない時間があるという幸せは、神さまからの贈り物でもある。好きなアーティストのDVDを観たり、読書ができることに感謝をする。この世の終わりが近づいているという不安さえも消える。だが終末は確実に迫っている。その日までの日々を、感謝しつつ送れることを祈るもの。

 地元の定期講座に、バラ色講座と言うのがあるが、顔触れはどう解釈しても、黄昏としか思えない面々である。講座名を付けるのも、もうちょっと考えてはどうか。参加しずらい雰囲気であるのが理解してもらえない。色で表現するのも、間違いではないが紛らわしい。何でもかんでも、年寄りを可愛いと言うのと同じ。莫迦じゃない。

 どんな災害が起きても、自然の力は揺るぎないもので、微妙な気温の違いで、その季節を知っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小春日和に・・・霜月

2019年12月09日 | Weblog
 12月である。冬でもあるのに、天気が良く、穏やかな気温に風もない。有難いことこの上なしで、蒲団を干す。洗濯物も溜まっており、これ幸いに何杯も洗う。二槽式なので、洗剤と水の節約である。もうずっと、洗濯洗剤ではなく、ボディソープを使っているが、静電気も起きなくなったし痒くもない。枇杷湯の入れ換えで洗う。

 昨日、帰宅して着替えをしていたら、置いてあるジーパンが動いている。ひっくり返してあるのも可笑しい。もしかして、と捲ってみれば、すばるのゲロである。何時もなら、吐いたままにしてとんずらなのが、飼い主の怒りを察してか、隠してあるのに笑えた。枇杷葉ローションを吹きかけ、放置していたら暖房で乾いたようだ。

 で。今朝は大洗濯となったのだが、天気に安堵している。枇杷葉の枯れた葉を取り除き、水遣りをしておく。花芽も順調に開花していて、匂いが立ち籠める。意外な場所からだったり、思わぬ箇所に綻んでいたりと、探していくのも愉しい。本日は、休刊日で図書館も休み。借りた本を読まねばならず、先にブログ更新をしている。

 すばるは、網戸の近くで毛繕いをしていたり、庭を眺めていたりと忙しい。飼い主の足元に縺れて来るのは、餌の催促だけである。先日は走り抜けるおりに、こけそうになった。歳を重ねると、猫にも用心しなければならない。家内での転倒や骨折に繋がる。たんこぶ位ならいいが、大怪我の元にもなるので、壁を伝って歩くのだ。

 このブログに訪れて下さり、且つ、応援等をしてくれる方々に、お礼を言いつつ、対応の難しさにそこからが進まない。こちらとしては、知っていることや自然観点での話が多く、退屈かなとも思うのだが、何分年寄りの個人的見解と思ってください。単に、ブログの更新をしているだけの、勝手気ままな者でして、悪意ではない。

 百日紅が、余りにも高くなって来たので伐った。この時期、枯葉も舞うので、桑も剪定している。枇杷葉は、来月になってからで、お茶葉にしたり、花芽茶にもしよう。化粧水にもなるのですが、焼酎が合わなければ、精製水とグリセリンで遣ってみて。でもこれは、使うたびに作らなければ腐る。焼酎なら漬け込んでおけばいい。

 月の夜毎変わる姿に、或いは星々の煌きに、冬の寒さも厭わず佇み、観上げてしまうものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真珠湾攻撃・太平洋戦争

2019年12月08日 | Weblog
 この日の未明、日本の戦闘機は密かにパールハーバーに向かったが、実は仕組まれていた罠でもあった。アメリカはこの日を待っており、日本を服従させる口実にほくそ笑んだ。白洲次郎氏が、日本は戦争に負けたが、アメリカに降参したのではない。と言った件は有名だが、以来沖縄はアメリカの思うが儘、戦後は終わらず。

 原爆を、広島と長崎に落とされても尚、国民を騙し続け、福島の被災を招く有り様。原発の恐ろしさを知っている者を封じ込め、利益に走った電力会社に咎めは無い。綺麗で、便利で簡単なことには、必ず裏があることに気づいた、庶民の心を逆なでする。人間の命は貴いと言いながら、そこに棲む全ての生き物には無関心で。

 地球には、人間の命を守るためにでなく、自然の掟で棲んでいる命がある。その地球を壊すことに、何等罪悪感もなく、破滅の路をひたすら辿る。ローマ教皇との会談は、一体何のためであったの?一時期の人気取りなのか。オリンピックを従来の秋に移し、アメリカの言い成りは止めよ。本来は中止が望ましい。膨大な借金。

 今朝の気温は例年並みになったようだが、暖かさに気分も緩んでいただけに、寒さに怯んでしまった。如何なぁ…。と反省もし、慣れとはかくも恐ろしいことに気づく。仕事に出掛けても、中々気温は上がらず、暖房に頼る始末である。然し、業務は動かねばならない。懐炉を装着してとなる。これも金がかかるが経費と考え。

 寒いと身体が委縮してしまうので、猫背になっている。肩も凝ってくる。血液の循環が悪くなって、更に固まるのだ。湯舟に浸かると、手足が伸びるが、温まるには時間も掛かる。それでも、暮らしていける幸せを感謝する。節約と倹約での暮らしで、愉しみをたくさん持てることもうれしい。枇杷葉に援けてもらえる有難さ。

 風邪の行方が知れない。千振に恐れをなしたか?すばるも、数回の投与で目脂も熱も消えて下がった。寝床は、あちこちにして遣っているが、飼い主の観劇チェアーで微睡んでいる。毛布の中に湯たんぽも入れているのには、暖房が届かないのか行かない。すばるの居場所で快適さが判る。餌もストーブが消えると行かない。

 サンタさんのにしている枇杷葉。これは、淡路島に枇杷狩りに行って、買って帰った実の種が発芽したもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霜月・三隣亡、大雪

2019年12月07日 | Weblog
 二十四節気 大雪 寒気盛んとなり、大雪となる気配も濃く、前の小雪に対し大雪と言う。毎年、十二月七日頃である。今朝は、雪こそ舞っていないが、指先がかじかむ寒さで、ついストーブの側に行く。朝の枇杷葉茶を沸かしたり、弁当の煮物をかけておくのだが、便利重宝している。ガス台の方も使いながら、手早く出来る。

 それにしても、12月も早1週間が過ぎた。来週には忘年会であり、体調を崩さないように、千振を飲んでいる。あの苦さが身体にいいのだが、人間も勝手な者で、勧めても顔をしかめて逃げる。病院に行けば、しこたま待たされ、挙句に数分の診察で、薬の処方待ちとなる。金額にも依るが、高い医療費でもある。ああ勿体ない。

 自分の身体は、ちょっと異変が起きると分かり、ドクダミであったり、刀豆になり、その時に応じての薬草で済む。枇杷葉茶は、毎日のことであるから、きっと身体も気づくのだろう。実に有難いことで、病院に行く時間からして、自宅での読書に安堵する。無論のこと、手洗いと嗽は欠かさないように、日々清貧の暮しで保つ。

 昔なら、外仕事が多かったので、野良着も必要としたが、最近は一着あれば済む。汚れ方が格段に違うので、間に合うというものだ。仕事には、着替えを日数分用意して、乾かない時の用心もする。寒がりなので、純毛がいいのだが、毎日洗濯とはいかず、仕方なくアクリル系で我慢している。休日には、殆ど同じ格好で過して。

 衣類の汚れも、付いてすぐなら水洗いで落ちるし、時間が経った時点でも、ボディソープを数滴垂らし、酸素系の漂白剤を乗せておけば、手洗いで充分なのだ。漂白剤も多々あるが、液体では綺麗に落ちない。大抵の汚れは時間を置けばよく、これに布地の下に、タオルを敷いて叩くのが手早い。水道代の節約と、経費の軽減が。

 セーターも洗濯機で洗う時には、一気にするのが好い。同じ温度での洗濯がいいようで、全自動では縮む。短時間での洗いが尚好く、さっと洗ってしまう。この時に、襟口や袖口の辺りに、ボディソープを叩きこんで置けば、綺麗になること間違いなし。自分の手を信じて、小まめに取り扱うと、商品も長持ちするというものだ。

 パソコンの椅子に寝ているのを起され、機嫌が悪い。暫く待っているとどいたが、膝に乗って来た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不手際に・・・

2019年12月06日 | Weblog
 昨日、段取りは上手くいっており、用事も滞りなく済み、電車に間に合ったまではいいが、観劇を終えてから、夕食を食べて帰ろう。となってぎくっとした。ブログの更新をしてこなかった。こういう時に限って、切断するんだな、との厭な予感が当たる。出掛けるにあたって、蒲団を干したくなる上天気でもあった。

 風はあったが、飛ばされるという勢いではなく、移動するのも地下を行くので、然程困る訳でもなかった。色々初体験ができました。独りでは先ず、人混みの中に出て行くということがなく、買い物はネットを利用するし、風邪も引き難いのだが、雑踏ではそうもいかない。電車を降りて直ぐ、エキスでの消毒をした。

 車に積んでいるのでドアを開け噴き付けた。夕方の道路はライトが見えるので、注意しての運転で帰宅した。年末の取り締まりもあり、安全運転を心がけた。すばるは、朝千振を飲ませておいたので、お利口さんで眠っている。着替えを済ませて、珈琲を飲むと落ち着いた。やはり我が家の珈琲は、水から違うので旨。

 今朝は、天気が定まらなく雲が多い。蒲団を干すのは無理と判断する。机の上やパソコン周辺を片付け、気紛れの気分転換をやっておく。Aさんちに水を貰いに出かけ、忘年会の打ち合わせをして帰宅する。枇杷葉にふと目を遣ると、花芽が咲き始めている。今年は、暖かいには開花が遅れており、心配していたのだ。

 枇杷葉の生葉が、たくさん黄色くなっており、虫の繁殖が窺える。枇杷葉の汁を吸いに寄って来るので、緑の葉が枯れてしまうのだが、今年は長引いている。山茶花も、剪定をした割には、沢山の花が見えている。あちこちと樹木を植えているのも、四季の花が愉しみたい故で、殺風景には堪えられない。自然に感謝。

 ブログも永年やっていると、ネタにも事欠くらしいが、枇杷葉には飽きないもので、新発見も多くある。自然からの恩恵には、日々の変化が見られるし、心での変わり様にも愉しみがあるもの。図書館での年間約100冊読破は、一応の目安だが楽しみでもある目標だ。風の王国もキリスタンの話で、教皇の祖先が登場。

 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康等の策略家にも、それぞれの思惑と駆け引きがあって面白い。視点を何処に置くかだが、作者に由っても違うので、楽しみ方も異なる。読書する意味は多々あろうが、歴史の紐解きは思考を誘発する。答えが決まっていないからこそ、自分の世界を堪能できるのだ。本は素晴しい読み物。

 月にも金星にも行ったことはないが、物語での広がりには羽ばたける。科学の進歩は好まない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マリス・ヤンソンス死去

2019年12月04日 | Weblog
 呆然自失…。まさかこんなに早く、逝ってしまわれるとは。CDも買って聴いてはいたが、いつか生演奏を聴きに行こうと、夢にみていたのに。返す返すも悔しくてたまらない。指揮棒を振る姿に魅了されていた。どんな人にも死は訪れるが、余りにも速過ぎる。惜しまれる方を失った。音の世界が色あせて見える。

 昨日に続いての早出勤務である。朝の時間帯は比較的空いているが、それでもハンドルを握る手が冷たく、手袋を嵌める。これはリエさんが贈ってくれた物で、ベージュの落ち着いた色が気に入っている。でも、長年嵌めていると指先が薄くなる。次に買ってくれたのは、青の模様であるが、何となく勿体ない想い。

 今年は、イギリス土産に純毛の手袋を貰う。温かくやさしい感触だが、これまた更に勿体ない。箪笥の奥に仕舞っている。リエさんにしてみれば、気持ちだと言うが、こちらは何もお返しが出来ないので、恐縮するばかりだ。枇杷葉の花芽茶や、実が生れば送るくらいしか出来ないのも淋しい。青空市で野菜を買う。

 本日は、三隣亡であり、霜月・上弦・小潮でもある。金星が、人目を惹くようになり、その輝きに歓声を上げる。セレネもビィーナスも、各々異なった美しさがあって佳い。神々の間だにも、美を競うことがあったのかしら?月の光を浴びると、魔力が宿るとも言うが、願わくば平和を維持できるように祈りたい…。

 来年の勤務予定を提出しなければならないが、娘等が何時来るのか分からずで、決めようもない。人員の関係もあるし、休みの数もあるので、有給を使うしかない。旧正月は土曜日に当たるので、そちらが優先でもあるが、さてどうするかな?自分のための休日としたい。寒中には枇杷葉茶を作るので、予定を立てて。

 明日は、市内まで出掛け、観劇の予定である。風邪を引くと業務に支障が出るので、千振をひたすら飲んでいる。備えあれば患いなし、とも言うので、苦いが飲んでいる。その後は、甘い物で咽喉を騙す。すばるの体調が良くなった。我が家のしきたりとも、医者嫌いの飼い主がした苦肉の策でもある。元気になった。

 庭に植えてある植物は、植えた方が忘れても、季節になれば必ず姿を見せる。律儀なことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病は気から

2019年12月03日 | Weblog
 病気にはなりたくない。けれども如何せん、罹ってしまうもので、気分も滅入る。然し、自分から病気にはなりたくない。健康であることを感謝し、自然に任せることで、共に生きて行かねばならない。現在の便利で簡単で、綺麗な生活であれば、その付けが必ずやってくる。インスタントに頼り、簡単な物ばかり摂取しない。

 自然に任せていても、なる時には覚悟したい。老齢もあるだろうし、不慮の事故も襲う。避け切れないことも起きる。心を平静に保てる者ばかりではない。生きていることに望みが持てなくも、頼ることも不可能な場合も出て来る。でも、それも人生なのである。諦めることもしなくていいが、躍起となる必要もない。と思う。

 葉室麟・津軽双花を読みながら、しみじみと思った。某新聞に掲載されたものの書籍だが、曰くつきの小説だ。内田康夫の休載で、急遽短期間の連載となった。この後、内田康夫氏、葉室麟氏も亡くなった。新聞連載がなかったら、葉室麟の名は知らなかった。時代小説が、これ程丁寧に、加えて背景や人物描写が巧みである。


 早出勤務を終え、Aさんちに寄って水を貰い帰宅する。すばるは、千振が効いたようで、すこぶる元気だ。自分も飲んでいるので、鼻かぜも何処かに逃げたようだ。薬ばかりに頼るのもどうかしら?便秘の方が気分悪くなり部屋に篭る。そりゃ動かないんですもの、毎日排便がある方が可笑しい。定期的に下剤投与にしないで。

 食生活を変えていかないと、どんなにしたって出ません。況してや動くように仕向けないと駄目でしょう。そういったサポートを行わないで、じっとしているのでは永久に無理です。ドクダミ茶や、刀豆茶、枇杷葉茶もしっかり、たっぷり飲むことです。大根・玉葱・葱や牛蒡等にも、繊維が含まれているのは、腸の調子を整。

 これに蒟蒻を合わせていけば、向かう処敵なしとなる。一度に摂取しなくても、目安を立てて行えば、自然と維持できるようになる。薬にばかりは頼らないことが、何よりも大切。腰の調子も寒さが堪えるので、枇杷葉温圧療法が欠かせない。一時期、歩行困難になったのが嘘のようで、痛みも消えたのです。自然は偉大な存在。
 
 枇杷葉の枝先に、小さな塊が見え始め、それが徐々に膨らんできて、花弁が弾けるように咲き出す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すばるのくしゃみに

2019年12月02日 | Weblog
 猫は毛皮を着ているので、抱けば温かいが熱気は違う。おまけに立て続けにくしゃみをするし、目脂が出ている。数日様子を見ていたが、何とも心許ない。そうだ!千振を飲ませよう。今朝、枇杷葉茶を沸かしたのに、お茶パックに入れた少々を浸す。一口飲んでみたが苦い。スポイドに吸い取って、口を開け注ぐ。

 仰向けの状態で数秒抱きかかえて、完全に喉を濾すのを確認して、寝床に離す。しんどいのか暴れることもなく寝床に休む。何時もなら、飼い主の先を争って走るのが、実に大人しい。人間なら、痛みやしんどさも訴えるが、こちらが分からなければ、死んでしまう。薬を呑ませるのもいいのだが、連れて行くまで…

 昨日の時点では、活発に動いてたが、熱があるのは明らかである。普段との様子が何となく可笑しい。暖房の設定温度も、19℃に決めて変えないようにした。これで汗をかいて風邪を引いたような気配が濃い。人間の都合勝手には、物云わぬ者には辛いのだ。こちらは寒ければ着ればいいし、暑ければ脱いで置くだけ。

 猫は、薬を嫌がるし呑まないが、枇杷葉茶は飲む。尤も、我が家のすばるは、来た時点からのことなので、枇杷葉茶しか知らない。従って、良いも悪いもなく、これに混ぜて飲ませば好い。注射も痛いし、飼い主同様嫌いなので泣き叫ぶ。そうであれば大人しく千振も飲む。実に賢いすばるに感心する。金も掛からず。

 年賀状も買ったので、書かねばならないのだが、年が明けてもいないのに、何を書こうかが浮かばない。プリンターは新しくしたので、印刷は可能になったが、パソコンでの遣り方が分らない。従って今年も手書きで行こう。そうなると正月の休みに書くしかない。郵便局からの粗品の多さにびっくり。好いのかな?

 正月には孫等が来れば、と休みにしたが、のんびりとしたいのが本音で、普段でも人手不足なのが、食事を作る・片付ける作業が増える。三が日毎日の事で、実際にやってみればしんどい。毎年の奉仕にも疲れて、来年には出ないことにした。金銭の問題ではなく、心労の如何でもある。歳を重ねると、日増しに辛い。

 台所を片付ける大仕事が残っている。家が暖かいと、ゴキブリが這い回る。気温の適温が繁殖させるのだろう。寒ければ出て来ないのが、今年は度々に見かける。人間の勝手さに喜んでいるのは確か。夏のようには活発には動かないが、それでも逃げ足は早い。蠅叩きは常に手元に置いている。作戦立たない逃げ振り。

 月には天女が棲んでいる。地球へと遣ってきては、孵化して還って行くのだ。かぐや姫もそうだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

専門書には・・・

2019年12月01日 | Weblog
 脳科学者の母が…というタイトルを、某新聞の書評で見かけて、図書館に予約をしていた。読み始めて慌てることしきり。難しい用語もあるし、自分の少ない知識では、書いてある内容に対応できない。これは買おうと判断した。専門書は出来る限り、図書館での貸し出しにしようと思うが、仕事柄持っていよう。

 この事例的なことを、施設の方々の様子から、判断できるようになりたい。あの行動には、理由があると思っていたのが、そのまま当て嵌まる。症状でもあるし、薬の弊害でもある。専門の専任が、何時もついている訳にはいかないが、変化を見逃すよりはいい。先日も、器が洗濯を回っていたのに、唖然とする。

 見守りを軽く簡単に考えてはいけない。言葉にも態度にも、こちらの心を感じており、その出方を待っている。排泄と食事とだけではない。その人成りがどのように、見受けられるかも大切なこと。認知症状にも、脳の中の破損状態で異なり、行動にも現れるので、知識は多いほどいい。然し何よりも人と認める。

 言うは易く行うは難し。これが一番難しいことで、頭では分かっていても、そのもどかしさに急かす。時間ばかりが気になる。薬を呑ませることが優先する。では、どうすれば、人格を尊重し、現実を受け入れて対応できるのか?そういったことを考えさせてくれる、深い愛情のある書籍だった。聖書にもあるが。

 わたくしはクリスチャンではないので、その精神にも為されることにも、怯むところが多いが、神の前には、あらゆる全ての事が平等と言うのに、疑問を持つ。奇跡はイエスには起こせないのだろうか?信じることに、寄り添うことに、奇跡は起きるのだと思える。赦すことも、信じることも、並大抵には不可能。

 ヨシタケシンスケさんの新刊。もお、タイトルを見てびっくり!でも、こういう体験は、幼少時には堪えずあった。どうでもいいような物が宝物で、捨てられた時のショックは、今でも尾を引いている。それなのに自分が大人になると、子どもの拾って来る物に、仰天していた。息子は、棒切れが好きであるのだ。

 然も、繭が付いているのや、枝分かれのバランスがあるのとか、虫の類を。それをご丁寧に、箪笥の後ろに隠して忘れる。ぞろぞろと這い出してきた時には、思わず叫んでいた。未だにしているとは思わないが、見解の違いを感じてしまう。そんな物を、後生大事にするとは思わず、気味の悪さに叱りつけていた。

 クリスマスローズは、白い花が先に咲く。淡い色も次々と咲いていく。今年も愉しみにしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする