枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

アラビアンナイト、望・大潮

2020年02月09日 | Weblog
 書籍のアラビアンナイトを読んだのは、中学生の時だったか?スリル満点で、その話の面白さに惹かれた。退屈な授業よりも、図書館に潜り込んでの読書は、まさにアラビアンナイトだった。その頃は、町の中学校が統合されて、図書室には本が溢れていた。富島健夫や川端康成も同じように並んでいた。無論、SFもあって夢中で読んだ。

 大人になってからは、そういった時間が中々作れずで、新聞を読むしかなかった。子ども等が大きくなって、教科書の物語に出遭い、灰谷健次郎さんの作品を全部読み、講演で来られた時には無我夢中で出かけて行った。あの大きな温かい手を、今も懐かしく覚えている。太陽の子も兎の眼も新鮮な感動が満ちた。亡くなられて久しいが。

 書籍は、読書感想文を書くための物ではない。言葉で表現しなくても、心に残った想いには、本人の意思があり、必ず生きている。またどんな本にも漫画にしても、想い込みが激しければ、人生も変わってしまう。活字の持つ魔力かも知れない。現に、沢山の本を大量に読んではみたけれど、印象に残った物は少ない。本に良し悪しも否。

 他人さまが何を読もうと、同じ感想には至らないし、異なるからこそ話が愉しいもの。或いは、共通の感想もあろうが、違っていてこそ面白い。現実のことではない話や、事実の語りもあるのだが、捉え方の差に不思議な感動を抱く。本の持つ楽しさや面白さには、惹かれて読むことに作者への思いを知ることもある。自分で見つけるの。

 映像にしてしまえば、想像していた場面とは違うのにがっかりする。それはどんな物語にもあり、監督の腕も加わる。アラビアンナイトも、調べてみれば結構あってびっくりした。ディズニー制作の、実写版アラジンには、随所に面白さを入れており、俳優も魅力的なのが愉しく観える。アマゾンで10枚組を見つけたのは当たりだった。

 日曜日は何時も通りに、食事の用意があり、本日の献立は鯖の煮つけと、白菜と揚げの煮物に、かきたま汁である。旬の物を提供するのであるが、多少はずれ込んで来る。土生姜を刻んだのに、鯖を入れて味をなじませる。白菜と揚げは、シンプルに醤油で煮付ける。鍋に生姜が入ったのをそのまま移し、煮崩れしないように注意する。

 午後からは、食事の支度をしなくてもいいので、ホットケーキを焼く。卵もあったので入れて牛乳を注いだ。偶さか作ると先を争って食べている。焼きたてなので尚更なのか。油は控えめにしてじんわりと焼くのが美味しい。餡子を入れたかったが、糖尿の方がいるので止めた。満腹状態で、ゲップまで出す始末。美味しく食べれば好し。

 月の移り行きを観察していると、何故か愛しさがこみ上げて来る。恋するというのか、何だか胸が苦しい。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧小正月・大潮

2020年02月08日 | Weblog
 寒いが底冷えと言うのでもない。洗濯物を干しながら、気温の変化を思うが、未だ暖かさには程遠い。それでも確実に春は訪れており、庭の梅も蕾が見え始めた。枇杷葉も、花芽の綻んだのもあって安堵する。既に咲き終わっているのもあるが、気温の異変で中々咲かないでいる。今年の白枇杷がそうで、剪定をしたこともあって数芽しかない。

 暁子さんのは、殆どが満開をして、結実がどうなるか怪しいが、幾つかは生るだろう。何時も通りなのが長崎茂木で、剪定をする枝を決めてしているが、結構咲いてもいるし、結実もする。自分ちで食べる分には不自由しない。サンタさんのが少し多くなって、りささんのは難しい。初花芽が付いたのは淡路田中で、これは実を買って種を移植。

 木には、植えた年数が無関係ではないが、その年の気温や環境にも因るのだ。況してや売り物ではなく、愉しみにしているのでは、自然に委ねることが多い。あらゆることに感謝しての出来。従って小さい割には甘くて美味しいのだ。自然は気紛れなのであり、人間の勝手にはいかないもの。何もかもが思うようになるなら、人工で育つだろう。

 だがそこには、思わぬ落とし穴があるもので、安全と謳われ、安心と云われることには危険が隠されている。そんな素晴らしい物が存在するなら、文明は高度な成長を遂げ、人類が戦争するには至らずだろう。地球は誰の物でもない筈で、他国になった謂れは、神を畏れなかったからではないか。人類は未だに、心に刻み顧みることを忘れてる。

 地球が嘆き、哀しみの深い想いになっていても、自国の利益のために諍い、壊していくのは堪らない物があるに違いなく、地震や津波でしか現わせない。それなのに気づこうともしない愚かな人類を、きっと見限ってしまうだろう。命は何よりも大切と言うが、それは何を基準にして?人間だけが棲むのではない。生命には終わりがなく存在が。

 リエさんの書いた、はやたろうが映画になったそうで、うれしく喜ばしい。狐の童子も挿絵が素敵なので、気に入っているが、これはこれでよかったね。リエさんの題材には、派手さはないが、基本がしっかりしているから面白い。何でもこつこつと続け、現わして行くことには忍耐もあるが、自分の目指すところがはっきりしていていいのね。

 寒さが厳しくなると、西の天に輝く金星。内合になっているので、宵の明星と呼ばれる。光度もマイナスで眩い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早春の気温

2020年02月07日 | Weblog
 春寒い頃でもあるが、寒暖のさが激しいのにもついていけない。夏には、オリンピックだと騒いでいるが、果たして行えるのか?コロナ・ウイルスで大混乱ではないか。何が原因かって、言うまでもなく快適で、便利な世の中になっているからで、これが昭和の時代のように、子どもは風の児と囃したりする環境であれば、此処までの悪化にはなっていまい。

 コンビニが樹立する中で、食事も簡単な変わりようだ。キッチンはあるが、使うこと等滅多にない状態で、添加物や防腐剤ばかりを口にする。作った物は買っても、自分で作ることは稀になる。わたくしも、手抜きをすることもあるが、基本は作ることを心掛ける。味の加減が同じなのは頂けない。好みの味で、旬の材料を使いたいからでもある。新鮮な物。

 煮炊きはストーブを使うことも多い。食べたい物を頂くのも、一つの方法で、分量を加減できれば言うことも無い。独りだと多いし、では誰に食べて貰うかとなると、同じ物を延々と食べることになる。従って、美味しく無かったり、何度も火にかけることが不可能だと、勿体ないことに。粗末にする気はないが、1週間も同じ物では厭きることもあるのです。

 職場の若いのが、久しぶりに足湯に来る。凍傷になっているらしく、痒いという訴えがあり、枇杷葉エキスを塗って、血行を促しておく。2時間近く遣っていると、指先もだるくなる。本人は気持ちが好いのか、ぐっすりと眠っているのも可笑しい。信頼してくれているのだが、折角観てもらおうと点けた、アラビアンナイトも最初だけで眠ってしまう有り様。

 感染のロタも、ノロも早く終了してほしいが、嗽も手洗いも、緊急事態が起きても、我が身に降り懸からねばいい加減である。わたくしは1年中、枇杷葉茶で嗽をして、感染しないようにしているが、ハイター使用にしんどくて堪らない。枇杷葉茶には、除菌作用もあるので、欠かせずに出勤時と退出時には行う。水道水が苦手というのもあり、自分で守るだけ。

 がんこちゃんも推奨しているが、嗽と手洗いも、毎日続けるからこそ意味がある。言われてするのであれば詰まらない。自分から遣ってこそ効果も大きいのだ。同時に、食生活の改善にも取り組もう。身体は、自分で管理しての健康さで、医者に任せるものではない。そうでないと、異変があっても直ぐには気づかない。天候も無論だが、自然に感することを。

 我が家に来て次第に慣れてきているが、陰猫には違いない。絶対に姿を見せないのも、すばるの特徴。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未知よりの使者

2020年02月06日 | Weblog
 否、耳が痛いのである。宇宙からの声にも思えるが、聞こえが悪い。熱が36℃から37℃迄の辺りが一番しんどい。それ以上になるとぶっ倒れる。先日もその際で寝込んでしまった。扁桃腺なので、食事が咽喉を濾さないし、喋れないと言うのも難儀した。介護の仕事が激務なのは覚悟しているが、普通の状態なら未だしも、感染対策では遣り切れぬ。

 今朝も寒さが強い日だ。早出ではないので、少し遅く起きたが指先が冷たい。然し、枇杷葉を飲むようになってから、以前のような冷えも感じなくなったし、凍傷にもならなくなった。子ども頃やこれまでのことを考えたら、随分と改善されて来た。雪女か氷の魔女か、という身体の冷えに、自分でも辛くなる日々であった。結論は、血液の浄化です。

 ほうれん草ばかりを幾ら食しても、血管の錆は取れないもので、枇杷葉のお陰としか言いようがない。また、玉葱等のお茶にも、そういった成分が含まれるが、飲み易さでは枇杷葉が佳い。同時に手軽に作れるのも有難い。庭に種を植えておけば育つし、年数が経てば花芽も付くし実も生る。待つと言う根気と、諦めない気持ちがなければ成立しない。

 かく言うわたくしも、何度も植え替えて失敗し、毎年自然に任すので、その時にならないと判らない。こちらで出来ることを、するべき時に行うだけで、恩恵を分けてもらうのだ。その年の気温や環境状況で変化するので、実が生らないとさっぱりである。農薬をかければ決まって取れるが、自然の掟に反する。大切に育てるのは、人間にもひとしい。

 マスクがないそうだ。職場には自前で持って行っているが、店頭にもないようである。知らなかったが、備えあれば憂いなしで、事前に準備しておくのが何よりも望ましい。洗って何度も使えるのが好く、手間も必要なことですな。一回使って捨てるのは、衛生面からはいいだろうが、却って高くつくものだ。快適で便利なら、それ自体が発生しない。

 日中の勤務をしながら、窓の外を見遣ると…、おおっ!雪がちらついている。風もあって結構な視界である。と、見るみる消えていく。春の雪は淡雪とも言うが、跡形もない様だ。降ったり止んだりの一日であった。気温が低いので寒さが募る。懐炉を貼っていてよかったです。マスクの紐を緩くしたので、耳の痛さがなくなった。明日は休みである。

 宇宙を眺めていると、突然流れ星が観えたり、未知との遭遇もある。まるで映画のような展開にはならず。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小槌・天赦、睦月

2020年02月05日 | Weblog
 今朝の寒いことと言ったら、氷が張っているではないか。早出勤務には辛いが、立春を過ぎたというだけで、何となく温かく感じる。手袋も二重にしていたのを止め、リエさんがくれたのだけを填める。この手袋も、指先が薄くなっているので、新しいのにしようか迷うが、中々捨てられないのだ。自分で買ったのは然程に思わないが。

 勤務先でテレビの宣伝に、紙魚を隠すとやっている。枇杷葉茶には、隠すのではなく、消えさせる効果がある。一番目立つのは首筋と手で、全く無くなっている。あったんですよ、紙魚も雀斑も手や顔に。それが、いつの間にか気づいたら消えていた。自分でもびっくりする威力です。美白効果があるのは分るが、血液の浄化からです。

 自宅で飲むのは、花芽茶が多いが、種も葉も適当に飲んでいる。毎日の繰り返しに依って、身体が変わって来るのは言うまでもないこと。加えて、水が良質でなくては、効き目も違うように思えるが、既に10年以上続けていると、こういう身体に組織細胞が変わるものらしい。枇杷葉に対する信頼感は大きい。病気もしなくなってる。

 蒟蒻の威力も半端でない。寒さで身体が冷えたのには、温めた蒟蒻が良く、小石川療養所でも用いていたようだ。漢方でも自然の物で対応するので、その効果は絶大なるものだ。自然からの恩恵を信じるのは、宇宙を神を崇める心であろう。命はそこから生まれ、地上に降りて来る。地球と月との関係にも大きく作用する。潮の満干も。

 どんなに近代化しても、命が育まれていくには、神秘的なことが多くある。科学でも解明できない事象も多い。視えないものが見える、姿の無いものに気配を感じる。誰しもが皆、持っている力ではないが、ちょっとした心になれば解かることもある。まやかしでもなく、魔法でもなく、現実に起こり得ることも有る。自分の心次第ね。
 
 坂田靖子さんの漫画には、一種独特の味があるが、個人的にはその内容に惹かれる。わかるんですよ。実際に視ていないと疑問でしょうが、その体験が呼び覚まされる。漫画の世界ではなく、現実にあることに気づく。でも、誰彼に話しても、きっと納得しないでしょう。同時に教える気にもならない。この秘密に心が躍る。愉しくなる。

 ストーブの温かさに、傍に来て毛繕いを始めた。陰猫なので、余程のことが無い限り、姿を見せない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

睦月、立春・若潮

2020年02月04日 | Weblog
 二十四節気 立春 冬の陰気に閉ざされた万物に、春の陽気が立ち始めると言う意味で、立春と云われる。毎年、二月四日頃である。暦の行事は、何事もこの日から始まり、お正月を愛でたく迎えられた歓びを感謝する。何れも、旧暦が基本のことで、昨今の事情では怪しい季節感で、困惑状態が多い。心の持ち方にも因ろうが。
  
 昨日に引き続いて晴天に恵まれる。足元で暖を取る毛布だけを干す。余りの陽気に驚く有り様だが、数日で寒さに逆戻りしよう。早春賦の謂れは、厳しい寒さに咲く梅に、春の香りを感じるところか。燃料補給の途中、紅梅が満開になっていたが、例年なら20日ばかり早い咲き具合である。世の中の移ろいを反映するような感。

 友人が、支払いに来るが、注文は自分で出来るので、そっちでしてくれないかと思う。近場には店も多いし、環境のこと以外なら間に合うのだ。こちらは田舎だから、店は遠いし、いちいち買いに行くのも面倒で、まとめて買っている。時間ももったいないし、必要で無い物も買わぬようにしている。知った者に遭うのも厭だし。

 枇杷葉の花芽が、今年は白枇杷が数芽しかない。剪定をしたこともあり、減ったものと思える。昨年とは違う木に沢山付いてもいるし、予測のつかないこともある。リエさんのはまずまずだし、りささんのも剪定しているので。暁子さんのが凄い。長崎茂木は、何時も通りに咲いているのがうれしい。自然の恩恵に感謝しなくては。

 節分には、巻き寿しを食べ、豆まきをして就寝したが、一夜明ければ豆の山。昼には、残りの酢飯を温めて、海鮮丼にして頂いた。餅は、やっと片付けてしまったが、防腐剤の入ってないのは、冷蔵庫に仕舞っていても黴が来る。何分、独りで食べる量は知れており、買う段に注意しなければ、勿体ない結果が待っていることに。

 クリスマスローズが沢山咲いたので、デジカメでも撮影しておく。パソコンに取り込む部品も買ったので、携帯が保証されなくなれば、デジカメの方に替える心算だ。ブログも、写真を付ける必要もないが、自分で出来る範囲でやればいいと思っている。更新出来なくなったら、惚けてしまっているので…。スマホにはしないの。

 枇杷葉の効果にも、痛みを感じて施行する場合と、予備として行っている場合では、効き目も異なって来る。内臓の汚れを取り去るには、日常での枇杷葉茶の飲用が大切だ。辛抱強くコツコツと続けることに意味がある。医者に罹りたくないから飲むのであって、Drの見立ても信じなければ、耳も貸さない変惚である。自分で治す。

 人間の身体の中には、自然治癒力が備わっているので、何か異変があれば、必ず教えてくれるものだ。その時に、医者に行くか、枇杷葉の援けを借りるかは自由。個人的には、身体の一部を切ったりするのが厭で、誰しも病は持っているのを、仲良く付き合っていけば好いだけ。癌も然りで、友好的にいけば、命まで持って逝かない。

 食事療法も大きい。常日頃から良く噛んで頂き、作ってくれた者を悪く言わず、何でも美味しく食べる事。自分で作るなら、ちょっとしたタイミングで、美味しくなるので工夫を。或いは、季節の旬の物を求め、一年中店頭に並ぶ物には注意しよう。わたくしは、スーパーに行かないので、迷うことも無いが、色目は悪くなりますね。

 冬の間は、人参や大根、葱類が多い。里芋も煮ころがしを好く作る。皮つきの芋は、泥だけ落としたらいいので、水に塩を入れて沸騰させます。1時間くらいかな?その後、水で流しながら皮を剥けば良く、痒みも手間も省けます。味付けはそれからです。芋にしっかり火が通っているので、味がつけば柔らかくて美味しく出来上がる。

 大根も人参も、最初は水で煮ます。沸騰させれば味を付ける。煮崩れもなく美味しい。出汁は、昆布や鰹ですると、自然の味で更に美味しい。弁当に箸休めに丁度良く、冬の定番にしています。白菜は、油揚げと煮ます。これは醤油味です。簡単な味付けにこそ美味しさがあり、素朴なことが基本です。調味料で誤魔化さないこと。

 味噌汁も、味噌の販売元や、作り方で味に変化が出ます。具材にも由りますし、味噌を入れるタイミングにも。ちょっとしたコツが、味を引き出し、美味しさを増します。大儀がらずに作りましょう。横着をしていると、年齢を重ねてから付が出てきます。病気になるのは、自分が身体の管理を怠るからです。何にしても健康です。

 秋口から冬にかけて、金星が宵の明星として観えだす。一番星とも呼ばれ、惑星の中では一際目立つ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

節分・睦月

2020年02月03日 | Weblog
 節分には、毎年休みにして、巻き寿しを作る。今年は、予約がなかったので早起きはせず、自分の分と恩師の分とを巻いた。出来上がって持参すれば、これまた泣いて喜ぶ恩師。序でに巻いたんだから、と言っておく。Aさんちに行き、お水を貰って帰る。他部署の友達に持って行き、先日の糠のお礼を伝える。塩を入れて庭の灌木に入れた。

 陽射しは可なり暖かく、蒲団を干したい衝動に駆られるが、もう少ししないと湿りが強い。暖房を点けているので、今のところは室内の方がいい。燃料を容れようと行ったスタンド、無盡君である。諦めて近くのスタンドに立ち寄る。本日の予定も済んだので、やれやれである。明日には、友人が支払いに来ると言うので、ブログの更新です。

 すばるは、巻きずしが気になっていたらしいが、齧った様子もなく無事である。無心に毛繕いをしている。先日、アマゾンで購入したDVDが、一度観ただけで切れている。これまでに、一度もこんなことがなかっただけに、取り扱いを誤ったとも思えない。綺麗に鋏で切ったように割れている。他のDVDは、何度も観ているが何故だろうか。

 アラビアンナイトだけに、不思議な現象が起きるのかも知れない。安いと言えばそれまでだが、何となく納得し難い。こういうのって何処に言えばいいのかな?返却手続きをする。アマゾンに連絡する。然し、その手間がめんどくさい。仕方なく諦めるしかないの?アラジンの基になっている内容なので、面白かったのだが、どうしようかな。

 クリスマスローズが、たくさんの蕾を覗けていて、気付かぬ間に咲いているのもある。薄桃に白、紅色や混ざりもあって、もう少し経てば庭が華やぐ。鉢にしたり、地植えにしているのもあって、下向きに咲く姿が可憐だ。植え替えや新しく購入したのは蕾がない。枇杷葉の花芽が匂い、花の咲く様に見惚れる。季節の移ろいに感謝しながら。

 枇杷葉茶の多様性には、無限性を想うが、個人的な反応や心因性なこともあるので、ことも疑えば効果も無い。テレビの宣伝にも多々あるように、信じることや効き目の問題もある。一朝一夕に効果が出ればいいが、身体の中に巣食った物を出してからでないと、威力を出せないこともある。その肝心な時に諦めるから、効果も薄れてしまう。

 自分の居場所と思ったすばる。暑ければ涼しい所に行くが、寒さには圧倒的にこの場所から動かない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

睦月、上弦・小潮

2020年02月02日 | Weblog
 今朝の寒さは、氷が張っているところを思えば、一番の冷え込みである。明日は節分と言うに、懐炉を慌てて2つにする。早出ではないが、指先や足が冷たいと動けない。冬眠も考えるが、夏への扉のようにはいかない。事実は小説よりも奇なりで、そんなにすんなりといかないことが愉しい。山の斜面の日溜まりに、節分草も咲き出している。

 蕗の薹がそろそろ芽出すか?と自然の様子にも心が動く。人間の身体には、苦味が必要なこともあって、そういった物を口にするのも好い。千振にも、身体をしゃっきとさせて、胃腸を整える働きがあるようで、嘔吐も下痢も止まる。市販の薬は買う気も無いが、処方箋の薬でさえ合わない。漢方も自然の恵を受けての物が最良であるのも納得。

 先月の天候不順の夕方、雹が降った後に虹が掛かっていた。車中からの眺めには、事故も起きるので用心だが、自然の物に眼がいくというのも、その一瞬でしか観えない。宇宙に関心があっても、科学的なことばかりではない。信じ難いことも目の当たりにする。荒神さまに行った時にも、宙一杯に白龍が泳いでいた。やさしい眼差しに癒され。

 今年は、巻きずしの数が減ったので、大騒動をしなくていい。他人の心配も金次第で、そこまでの配慮をしてまで、食べて貰う気もなくなった。買えば手に入るのだ。味はどうであれ、それで満足しているのを、無理に持って行く必要もない。個人的には、形や具は高価でなくても、味と作ることに意味があると思える。市販品の味は戴けない。

 餅を買っていて分かったこと。黴が来たり、腐らないのは、防腐剤と添加物が入っているのだ。搗いた餅には、そういった物が入っていないので、何処に置いていても黴が生じる。でもそれが当たり前の現象で、だからこそ度々搗いたのだ。或いは、保存方法を考えてのやり方であった。世のかも変化していくが、新型ウイルスの発症に関係が。

 近代社会での、便利で快適な生活になったから、予想だにしなかった事柄に発展する。それまでは何ともなかった生き物も、何かの拍子に弾き出されてしまう。人間に取り付いていなければ、子孫繫栄が困難であれば、繁殖力も凄まじい。プロメテウスも観ていて、隠されていた事柄を、探り出そうとすれば、均整が崩れてしまう危険性をはらむ。

 昨年の雪模様。狭い猫の額の庭だが、雪で白くなると別世界が広がる。陽射しにあっという間に消えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時候の挨拶にも

2020年02月01日 | Weblog
 そろそろ2月と言う気分で、梅は咲いたか?と山に行きたくなる。然し、早春賦でもなく、数日のことだが早いのだ。節分が来ての立春であり、急いでは季節は訪れないものでもある。業務をしていれば汗も出るが、じっとしてだけでは寒いものだ。暖房の設定も20℃で換えないでいるが、足元が寒いのは仕方がないこと。その分、靴下でカバーしておく。

 感染力の高い、然も伝染して猛威を振るっていた時代では無い筈が、ここまで広がってしまうのはどうしたことだろう。金さえ出せば、何処にでも行けるので、それも自由であることの結果だ。コレラや天然痘はとっくの昔に対策が出来ており、安易に構えていた物にこそ、威力が残っていた感じがする。人生、何が起こるかが分からないから用心しよう。

 半勤を終えて帰宅し、昼食を戴く。コンサートは夕方からだが、明日が仕事なので段取りもある。介護の業務に終わりはなく、日数が過ぎれば認知症状も進むし、身体の身体の機能にも衰えが著しいので、負担は軽くはならない。物事の考え用でもあるが、生きている人間だけにややこしい。生活歴から比較は出来るが、だからどうなのかは皆目分からず。

 それでも、意思があって遣っていることと、認知症状とは違いがはっきりしている。あれっ?おやっ?という感情に疑問符が付くので、明らかに差が見える。何も分からずに同じ動作を繰り返して、自分が何者かが分からない状態。小賢しい目つきで、職員や同居者の隙を狙って、欲しい物を私物化する。それが分かれば認知症状ではない。区別してる。

 コンサートは夕方からなので、身支度をしつつ同伴者の到着を待つ。一旦、家に来て貰って、珈琲を飲んでから行く。2時間弱の充実した内容に満足。たくさんの曲がある中で、個人的に好きな曲が多くあった。それでも、乾杯を歌われるとは、予想外の選曲だった。オペラも多々ある中、華々しさが素敵な曲だ。星に願いを。ピノッキオ大好きな曲。

 声に張りがあり、とても70代を迎えているとは思えない。本田路津子ややまがたすみこは去って行ったが、一人残った歌手だった。何を歌ってもそつないが、さとうきび畑には沖縄への深い想いが過る。今尚戦争が残っているような政府の遣り方に、憤怒を感じる。戦は終わってはいない。辺野古への埋め立てにも、先ずは基地の撤退を願ってやまない。

 観上げた宙に、金星が輝き、数多の星が煌く。惑星も恒星も地球から眺めれば、これ程に美しいものか。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする