家では余り呑まないが、食事の際、酒がないのは寂しすぎるので、
おかずに合わせて酒を選択する。
しかし、たまさかではあるが、家で一杯やるモードになることもある。
そんな時は冷蔵庫にあるあり合わせのもので十分。何かと何かを組み合わせると意外な発見があったりする。
常日頃、酒飲みは目で食うのであるぞよ、と家人に申してある。
なんでも、てんこ盛りの合宿メシみたいなのでは呑む気も失せる。
左から、数の子茗荷和え・らっきょう松の葉昆布和え・黒豆サラダ・ところてん三杯酢。ところてんは意外に酒に良い。家人に命じてふんぞり返っているように見えるかも知れぬが、独り身の頃から、こうして何品か拵えて、ドンと一升瓶を傍らに据えて呑んでいた。
今夜の酒は堺の「夢衆」。
天野酒の西條さん復活の酒である。酒どころ堺の夢をもう一度という意味が籠められている。サントリー響と同じ書家によるラベル。
海苔かに味噌。ちょっと醤油をつけてもいい。
海苔は焼き海苔でなければならぬ。大阪はベタベタとくどい味付け海苔が多くて閉口する。
手前は高知の生節とコーンのサラダ仕立て。糸ウリの粕漬けは前記、西條さん肝いりの逸品。
かつて、金原亭馬生という師匠が我が家のアテみたいな記事で、焼き海苔、梅干、らっきょう、納豆、冷奴…などを並べて一杯やってた。それが実に旨そうであり、酒の遍歴も極めるとこういうものに落ち着くのだ…という気がしたもんだ。まだまだ私ら、呑みが甘い。
オムレツ。飲み屋でも食堂でもあれば頼んでしまう。木津市場当志郎のオムレツも旨い。ちょいとマッシュルームなんぞが入っている。こういうのを焼く際はバターが力を発揮する。こういうのが欲しくなるとこらへんも、まだまだダメだ。
バカに乗り出して、こっちも酒に弾みがついてしまう。
ハムとブロッコリーのサラダ。
買い置きのチキンカツを辛子ソースで。浅草っ子、久保田万太郎も渋い枯れた酒肴より、カツなどで呑むのが好みだった。大先生と同じような嗜好ならまぁいっか。
まだまだ酒とベストマッチを見せるアテがこの世の中にはあるはず。
あくまで私流の。そいつを探し求めていくのもまた一興なるかな。
13分茹で上げた手打ち麺に、全卵と香川の細いネギを散らす。
香川の葱は香りが強いという。
梅田「うどん棒」の、かま玉。
醤油を2周半。さっくりと混ぜて一気に頂く。卵は混ぜすぎない。醤油の香りも生きる。ズズズ…カッコつけずに思い切り吸い込む。
これがいい。コシの強すぎないソフトな麺をめざしたらしい。小麦粉は香りのいい香川産と粘りの出る北海道産をブレンド。
店主は川福創業者の孫にあたると聞いてびっくり。麺の太さも「割り箸の先の太さ」と一緒。讃岐では離乳食にうどんが用いられるのだから、ノドの通りの悪いものではいけない。「とにかく一刻も早く食べて欲しい」という主人はまだ若く、イキのいいうどん屋である。
はたして、同じフロアにある横綱店「はがくれ」のかま玉はどうだったか…。確かめにハシゴ。昼どき、変わらず門前行列をなしている。すごい!
主人が混ぜてみせてくれたが、全卵と葱というのは同じ構成。そこから卵と醤油を空気を巻き込むように麺に絡めて行く。「これが旨いねん」という。見る間に満遍なく混ざり、納豆というかカプチーノ仕立てになって行く。麺のコシの強さは「うどん棒」を上回る。旨いが、若干この作業で温度が下がるのが難といえば難か。天ぷらもつけてもらう。
ちくわ、かぼちゃ、半熟卵の天ぷら。黄身を流れさせぬよう、一言注意がある。主人天谷さん相変わらず意気軒昂。お客にあれこれレクチャーするのは美味しく食べてもらいたい情熱から来ているので、多少うるさくてもこれは許せる。しかし、昼から卵3個は効いたァ。だが…
夜、酔って。近所にできた讃岐うどん「喜八」でまたまた、かまたま。
取材でもあるめぇし、どうも固め打ちの癖がついてしまった。卵があらかじめ混ざって出てくるが、客に混ぜさせてくれぇ。刻み海苔も食べにくく、微かな小麦の香りを削いでしまうと思う。(上は前回の写真)
もちろん手打ちなのだが、シコシコ歯応えの「はがくれ」、モチモチのどごしの「うどん棒」に比べ、どっちつかずの印象がある。近場だけに勉強して頑張ってほしいものだ。
たこ焼きに対する、大阪人の偏愛ぶりは外から見るとおかしなもんだろう。どうみても露店のおやつである。百歩譲っても玩具菓子の如きものだ。だが、こういうものでも美味い不味いは厳然としてある。
浪花町界隈にはこういう景色が広がる。長屋があり、物干し台がある。
昔ながらの路地がまだある。だがひとたび火事などに見舞われたら、ひとたまりもない。
そのたこ焼き屋は、こんな街の中にある。
古色蒼然たる看板に対し、真新しい店舗。実は隣家が出した出火によって、類焼。去年から閉めていた。やっと復活、丸1年ぶりだ。
この一年、いろいろなことがあった。
一番大きな出来事は、鍋前に立っていた息子さんが亡くなったことだ。
いつもにこやかで控えめなお兄サンだったが、再建のストレスなどもあったのだろう、病巣が見つかってから、進行はやたら早かったそうだ。
店内は腰板をめぐらせた以外、昔とほとんど変わらぬレイアウト。鍋前の姿もほっとするほど同じ。メニューも一緒。ここで牛乳を飲み、あるいはサイダーを飲み、たこ焼き20個とかを昼食代わりに食べてゆく者もいる。
TVは大阪場所の中継。午後のたこ焼き屋にぴったりの長閑なる風景。保証牛乳というのがいい。
さっそく、12個を所望。そのままでだしが効いていて充分美味いが、
店で食べると、自由にソースも塗れる。ここのたこ焼きは強火で表面をカリカリに焼くこと。途中、油を足して、しっかり焼き目がつくまでひっくり返し続ける。
飾り気のない、実質本位な、無骨なたこ焼き。人気の店なのにフォロワーとする店は聞いたことがない。それだけ簡単そうに見えてマネのできるものではないのであろう。
たこ焼きの味が一番判る飲み物は水なのだが、あんまり愛想がないので、ビールを抜く。
二代目亡きあとは、今までも手伝っていた孫が本気で性根をくくったようで、今、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん、孫の4人で変わらぬ姿で店頭で焼く。まずは安泰であることを喜びたい。
右手にちらりと見えるのは、大阪コナモン協会から贈られた真っ赤な暖簾。そこには親子三代の名前が染め抜かれている。
たかがたこ焼き。だけど、日々、高いレベルの品質を作り続けるという覚悟は並大抵ではない。こうしてプライドを持って、ゆるがせにしない仕事師がいるから、大阪のたこ焼き、隅におけないのだ。
柄にもないが、帰りに孫に「頑張ってね…」みたいなことを言ってしまった。
1年ぶりに来れたことを喜びながら、頬張ったアツアツのたこ焼きは、相変わらず美味いけど、ちょっと胸にジンとくる味がした。
天五中崎商店街 うまい屋
十三の内環状高架下にある「イバタ酒店」。酒屋の倉庫がそのまんま立ち飲みになっている。梁やなんかはムキだしのコンクリートそのまんま。イマどきのウチッ放しではないよ。
ここは女人禁制。男子校育ちのアタシにはふにゃふにゃした飲み屋よか、男だけの方がなんぼか気分がいい。酒ケースの上にコートを投げ捨てて、さぁ飲むで~!
湯豆腐にお湯割り。おでんも3種、大根・厚揚げ・ごぼ天。
ここでは、かる~く下地をつくる程度。
イバタを出て、向かいにある天麩羅屋へ。ここに天麩羅屋があることはぶとり会のロッケン師匠に教わり、マークしていた。
小さなカウンターだけの店で、中には熟年のご夫婦。寡黙な亭主が揚げる。放蕩を尽くした夫がしっかり者の嫁と小さな店を持つ。「夫婦善哉」やなぁ、と勝手な想像。
アナゴ
イカ
キス
貝柱。サクサクと軽い。この辺りは塩でどんどん行ってしまう。
海老 天麩羅に海老がないのは江戸前寿司に鮪がないのと同じ。
活車海老という訳にはいかないが、これだって充分にイケる。
アスパラ 天つゆか塩か意見の分かれるところ。
油はサラダ油に、カドヤの胡麻油をブレンドしている。
サラダ油だけではこうはいかない。
ナス 今が旬ではおまへんが、油との相性抜群。
シイタケ えっと詰め物してあったかどうかは忘れた…
レンコン 歯触り好きやぁ~
オクラ…と、これだけ食べて¥1200はどうだ。安いし美味い。
こんな店、東京にゃないぞ。目むくほど高い天麩羅屋はあっても。
いろいろひねった食材はないけれど、それはそれでいい。
材料も吟味すれば3倍以上はする。まさに串カツ感覚で楽しめる天麩羅屋。天麩羅で飲ませる店でありながら、どこかで十銭天麩羅の風情(織田作「夫婦善哉」の冒頭にあるような…)を残しているようで嬉しくなった。
で、シメは・・・
通称、ションベン横丁の「十三トリス」。昭和30年代、全国を席巻した
トリスバーの生き残り。江川さんは生ビールを注ぐマイスターでもある。
角ハイボールと平天。
ここはフードメニューが多く、イカ焼きなんかもあって、いかにも食いしん坊の十三のバーなんだなぁ。いいのダ、十三!
心斎橋「川福本店」のきつねうどん。大きめの揚げ。揚げをチョイチョイと押さえて、だしを一口二口、そして麺へ。しつこくない甘さだ。
このところ、うどんづいている。近頃、関西も讃岐うどんの台頭いちじるしい。大阪びいきのボクとしては悔しい思いだが、大阪のうどん屋は、そこそこのだしを保持していれば客はついてくるというポジションに安住しすぎた感がある。あの柔らかいフニャフニャした麺に対するアンチテーゼとして、しっかりとしたイキのいい讃岐のうどんが受けている気がしている。
川福本店は昭和43年、いち早く大阪で讃岐のうどんを紹介した店。現在の讃岐に比べ、やや細いうどんを出すので「ここは讃岐うどんに非ず」とネット上で槍玉にあげられ、看板から讃岐の文字を取り去ったという経緯がある。さぞ悔しかっただろう。下は登録商標「ざるうどん」。つやつやでもちもちの麺を、かえしをきかせたつゆに浸けて食べる。
高松から東は麺がやや太く、丸亀・琴平から東は細い…という説もあり、一概に讃岐うどん=太打ちとは限らない。なのに、そこで批判するのは正しいのかどうか。琴平で自宅でやっていたのと同じ形で戦後スグから出し、地元選出の故人大平正芳氏がずっと贔屓にして「ふるさとの味だ」と言ってたのだから、これもまた讃岐の一つのスタイルだと思えるのだが。
時代はますます加水率を上げたコシのあるぶっとい麺の方に傾斜しているが、ボクにはどうもあの太い麺、喉の通りが悪い。ツルツルと吸い込めず、ズズズ…とブレーキがかかってしまい、下手すりゃ咳き込む。「讃岐うどんは噛むもんぢゃないよ」とも言うらしいが、いや、あたしゃ噛みたい、噛ませてくれ。太いのも程度もんだと思う。
因みにいなり寿司も美味い。稲荷やおでんを出し始めたのも、ここが四国で始めたという。ミナミの深夜族で、川福でうどんすきやざるうどんの旨さを知った客も多いと思われる。
一方の大阪うどんの雄というと、きつね発祥の店、南船場「松葉家」やだしで知られる道頓堀の「今井」ということになる。松葉家出身の「てんま」、今井出身の「紅葉庵」など、セカンド・ジェネレーションの時代に入っている。てなことで、吹田市豊津にある「紅葉庵」へ。
だしを効かせた「だし巻き」は、箸で持ち上げただけでジワッとだしが染み出す。巻き簾を使った丁寧な仕事。
四角いあげが二枚は昔ながらの骨法を守る。品のあるだしはやはり今井ゆずり。甘さをおさせた、じんわりとした旨味がある。鶏そぼろ丼も気になって頼んでしまう。温泉卵がポトリ。
この直前に旭区の「蔵十」という讃岐うどんの店で「釜玉ちく天付¥780」を食べてきたので(カメラバッテリー切れ)、いいかげんお腹パンパン。いいかげん玉子とり過ぎ。
ごく最近、高槻にできた讃岐系の店「喜八」へ。釜玉うどんを。まずまず。近場で食べられるようになったのは喜ぶべきことだ。根っこがなく讃岐のスタイルだけが一人歩きしていることをちょっと懸念する。大阪うどんに頑張ってもらいたい!
老舗の流れを汲まず、一代で美味いだしで勝負し、麺もなおざりにしていない店主に出てきて欲しいと熱望する。
ただ、どこまで行ってもうどん屋に酒は合わない気がする。うどんは蕎麦屋とちがって腹が膨れてしまうのだ。まして、だしまで干してしまうと尚更のこと、満腹と酒は相容れぬ。