10年前、この店の斜め前に仕事場を借りていた。
ある日、見るからに蕎麦屋なのに「当分、うどんしかできません」という貼り紙を見て、ケッタイなこと言うなぁ・・・と怪訝な顔で前を掃いていた女将さんに尋ねた。すると、「ただいま息子が蕎麦の修行に出ておりまして、帰ってきたら蕎麦一本にいたしますので」という。
「失礼ですがどちらへ?」と問うと、「小淵沢の翁」と言うではないか。音に聞こえた高橋邦弘さんの蕎麦屋ぢゃないか。「解りました、おとなしく待ちます」と答えた。
約1年後、暖簾をあげた「なにわ翁」も今月で10周年。早いもんだ。記念の蕎麦会があり、師匠高橋さんが特別に蕎麦を打った。
久々に見る高橋さんの仕事ぶり。空気がぴんと張り詰め、無駄口など
叩けない雰囲気。名人上手が醸し出す空気感だろう。
目の前で料理人たちが息をのんで見つめていた。
動きに無駄がない。流麗な動作というのではないが、
無駄な力は入っていない。だから一日に何百食と打てるのだ。
高橋さんの師匠は、蕎麦界では知られた「一茶庵」片倉康雄氏。
なので「なにわ翁」勘田拓志くんは、友蕎子の孫弟子にあたる。
高橋さんは広島の豊平町「達磨」から、道具から台、包丁から蕎麦粉から一切合財、掃除機まで車に積んでやってくる。出張蕎麦会もあちこちでやり慣れていらっしゃる。
客の顔ぶれをみると、パッパの松本さん、トゥルトゥーガ萬谷さん、イルチプレッソ高島さん、可門の清水さんと奥さん・・・料理人が多い。蕎麦職人には格好のお手本がすぐそこに見られる訳で、土山人の若い人たちも連日通ってきていた。えらい。
かぼちゃ羹と小豆のいとこ煮風
豊の秋(島根)、ここではもっぱらこれを呑む。
蕎麦の邪魔をしない、いい酒だ。
前菜盛り合わせ 焼き鴨、鯖、うなとろ、鯖きらずまぶし
お母さん、大奮闘の巻。
次の回に(この日4回あった)やってきた某ホテルのベテランソムリエが、「大阪らしいわぁ」と、きらずまぶしにいたく感激していた。
焚き合わせ 冬瓜、ずいき、茄子、豌豆、海老
高橋邦弘氏の手打ちそば
翁一門は二八(二割小麦粉)が基本。その方がのど越しのよさが出るという。ぷんと蕎麦のはかなげな香りが鼻へと抜ける。
おろしたての山葵でするする・・・と。 至上の清涼感。
街中にいながら、野の精気を頂いている気になる。 うまい!
打ち終わった師匠、ホールに出て来られてごあいさつ。
本日は、常陸秋そば(茨城県水府村)を使っている。
勘田くんは師匠と自分の蕎麦では雲泥の差があると言うが、
正直、二つ同時に並べていないので、よくはその差が解らない。
姿、噛んだ歯ざわり、のど越し、鼻へと抜ける蕎麦の香り。僕にはそれほどひけをとっているようには感じないのだが。
10年前、大阪の都心で、たやすく美味い蕎麦を食べるなんて、考えられなかった。東京出張の機会まで蕎麦、寿司、天ぷらは我慢したもんだった。ここはそんな現状に風穴を開けてくれた一軒なのは確か。
ここで昼下がり、のんびり一杯やるのが大好き。
なに、志ん朝さんに教わったことをやってるまでだけどさ。
この10年で、蕎麦屋で酒を呑む秘かな楽しみが
少しでも大阪人に浸透し始めたら、愉快なことだなぁ。
満心などしない人なので安心してるが、たえず蕎麦のグレードを
見詰めつつ、職人としては客の健康を預かるんだから、自らの健康に
も気を配って、良い蕎麦を打ち続けてもらえりゃ、言うことなす。
「なにわ翁」 大阪市北区西天満4
http://www.naniwa-okina.co.jp/