マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

山に棲むとピザが作りたくなるのかな。

2018-09-30 22:56:54 | 奈良


 生駒へピッツァを食べに行こうと誘われ、店名も知らぬまま向かう。

 生駒で合流し、ケーブルカーに乗る。 何十年ぶりの生駒。

 否が応でも旅気分がしてきた!


 

 ひさびさのケーブルカー。 斜めで平衡感覚おかしく、気持ち悪い。


 



 めざす宝山寺で下車。 生駒山上へはここから乗り換え。



 



 ここら辺一帯は宝山寺の地所だという。

 生駒は宗教施設が多く、古くからパワースポットとなっている。

 目指すピザ屋さんも、断食道場の隣りにある。

 断食しててピザの焼ける匂いがしてきたら、腹の虫も鳴るだろうなぁ。







 ここの若女将が元々マンドリン弾きらしく。 一緒に行った人のお弟子。

 誰かの別荘だったらしい。贅沢な材木が使われたりしている。

 てなことで、席に着くとみるみる雨が降り出した。







 風が荒れ狂ったらまともに食らう生駒の中腹。

 こないだの台風では、雨戸が飛ばされたという。

 この日も次の台風が近付いていて、この空模様。

 晴れたらすごい眺望が見られるらしいが、残念。







 最初にサラダと前菜。 丁寧な仕事に好感を持つ。

 この日の前菜はガスパチョ、タンドリーチキン、カボチャフライ、ポテサラ、ブロッコリーなどなど。







 我々以外に二組程度。

 ピッツァが次々に焼き上がってくる。

 まず、基本ですね、マルゲリータ。

 周りのコルニチョーネが適度にふかふかして心地よい。







 
 雲亭オリジナルピッツァは、野菜がいっぱい。

 サラダ感覚。







 海老、ムール貝、イカなどのシーフードのピッツァ。






 
 トマトソースとニンニク、ケイパーなどのマリナーラ。






 生ハムのピッツァ。 もちろん同行者でシェア。

 ワインと一緒にやると最高のランチになる。

 いつしか、雨が小康状態に・・・

 



 
 見下ろすのは東生駒一帯。

 緑のベルト地帯は矢田丘陵。 それを越えれば奈良盆地。

 庭を見ると、雲亭のエンブレムが立っている。

 いいな、また来よう!






 帰りは腹ごなしのために生駒駅まで下山。

 結構階段が多くて、ふくらはぎが張って仕方なかった。

 その張りが4,5日続いて、どれだけ上下運動に弱いか…。





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私的に焼肉風焼鳥の元祖。

2018-09-05 14:19:48 | 大阪 堺&以南


 幸か不幸か、私を育ててくれた町、大阪堺。

 実家に居る頃はバイトぐらいしかしていない訳で、ろくに銭持っていないので

 ま、ろくなものを喰っていない。 そんな中、ここは思い出深い一軒。


 近所のホールでバレエを見た帰り、バレエの余韻のまま焼鳥ってのもどうかと思うけど、

 折角近くに居るので、行ってみた。

 ここには35年ほど前、音楽関係の先輩N氏に連れてきてもらった。



     

 

 

 宮園団地の前にある、「焼鳥 石樽」。

 店構えは小ぎれいになっている。

 昔はなかば倉庫みたいなところで、平生でもシャッターを半分閉めたまま営業していた。




 




 メニューはあまりにシンプル。

 昔はカウンターの中の親爺に、「固いのと軟らかいのがある。どっちにする?」と聞かれ、

 「柔らかいの!」と答えると、とたんに機嫌が悪くなった。

 嫌なら固いのだけ置けばいいのに、歯が合わない人もいるという配慮なのかな。

 かしわは卵を産まなくなったバアサン鶏で、固いが噛みしめるとうま味があった。




     


 
 大和地鶏といってたかな。 これはごまかしの効かない素材勝負!

 その新鮮さ! 胸肉、モモ肉の盛合せに、ずり、皮、せせり。 


 
     

 

  こちらは、ぼんぢり、肝、ハツ。 これらをただガス台で自分のタイミングで焼くだけ。


  ああコレコレ、このタレだ! あまから酸っぱいにゴマが入ったシンプルであり、クセになるタレ。
 
 

   



  親爺が編み出したタレが抜群に美味かった。

  この味に、35年間がヒュ~ッと逆回転しそうだ。



     



  石川県出身の親爺に勧められて、「萬歳楽」という地酒もここで覚えた。

  機嫌がいいとそういう隠し酒を出してくれるが、わけのわからん客は

  すぐに追い出していた、稀に見るへんくつ親爺だった。 



     




  二代目に聞くと、親爺さんがこだわってた固いの…は、今のお客さんには求められず、

  今や、ほぼ軟らかいのばかりになっているという。 

  無くなってみれば、あの暴力的なほど、やたら固いのが懐かしい。 

  客も時と共に、固いのが歯に合わなくなって行く。 

  親爺も亡くなって十何年…こっちもあの頃の親爺ぐらいの年かさだろう。

 

 

        




  二代目に帰り際に言われて気付いたが、目の前の宮園団地が姿を消していた。

  それでか…どうも、ふわふわとした浮遊感あり、街がしっくり来なかった。

  一種の浦島状態であった。


  

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