部屋に通され、着物姿の仲居さんがすき焼きの準備にとりかかる。
お~~~っっと、久しぶり! どないしてはりましたん!
と言いたくなるほど。 前回はいつ喰ったのだろう。記憶にござらぬ。
そもそも、すき焼き自体、家庭ではやらなくなってるのではないか。
少なくとも私の身辺の実感である。
鍋が熱くなったところでケンネ油をひき、肉を着地。 そこへ堂々の上白糖が雪の如く…
そこへ濃口醤油。 小豆島のマルキン醤油と聞いたような。
菜箸をササッと動かしながら、からませる、なじませる。
甘いとうまいはそもそも同義語だった。糖と脂の究極の組み合わせが美味くないわけがない。
手元の溶き玉子の中へ入れてくれる。
何をかいわんや・・・・・・なんにも言うな。
野菜が入って、一挙にすき焼きに突入。
家庭ですき焼きをしなくなったのは、家族だんらんの崩壊にあると思う。
ある時代まで賞与が出たりすると、家長は精肉店で竹皮に包んだ肉を買い込み、
家族の待つ家へいそいそと帰って行った。
それが単身赴任だの、子供の塾だのでバラバラにさせられた。
すき焼きの無い家庭とは、不幸なる光景ではあるまいか。
肉が足りなくなり、追い肉。 ついでに地元で作っているという白滝も。
仲居さんが何を聞いても的確に帰ってくるし、家人この家の娘さんと見抜いた。
仲居さんの人手がまわらず、自分が手伝っていますとのこと。
年齢からいうとベテランでもないのに落ち着き、頬笑みを伴うサービスが抜かりなかった。
社長はお祖母ちゃんで、父はまだ専務。 兄も働いていますとのこと。
家族経営はいいな。 うまいものを食わせる予感が漂っている。
ただ、すき焼き始まってしまうと、とにかく忙しい。
仲居さんに任せると、ホイホイホイと出来上がってしまう。
途中で何か別のものをとって、ワインでも抜いてみるか…みたいな気になれない。
大体、ツレは飲めないので、一足先にめしに行っている。
すき焼きでめしは、美味いに決まっている。
もうちょい、ゆったり勧める訳にはいかないものだろうか。
なんてことを思いながらも、私もめしを。
地元伊賀米の新米って言ってたかな。
日野菜の漬物も滋賀のものかと思ってたら、こちらにも伝わっているとのこと。
恥ずかしながら三杯も喰ってしまい、帳場にいたお兄さんに挨拶も早々に、
店の外へ。 腹一杯で夜空を見上げながら歩いた。
声を大にして言おう。すき焼きを! すき焼きの復権を!
明治初年、明治天皇の肉食宣言からの伝統的な料理だ。もう少し大事にしたいと思う。
まず家で。 そしてときたま、こうした専門店で、
手練なおねーさんに焼いて食べさせてもらいたい。