西国街道と能勢街道が貫く交通の要衝であった。物資の集積所で、
人々の往来も盛んで、街道筋にうどん屋も何軒も並んでいたといふ。
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今も大阪うどんの店として名を馳せる「阿津満」。
のちに「吾妻」と表記されるようになった。
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かろうじて昔の面影を留めている。
上はマンションになっているのであるが、
景観に対する配慮にも、店の心意気を感じる。
かつては一戸建てで、厨房のそばにはおがくずが山のように
積まれていた。それを燃料にだしを温めていたそうな。
昔、腰の曲がった小さなお婆さんがよちよちとうどんを運んできた。
当代のお祖父さんの妹さんだという。
それほど久々である。まずは大阪うどんのだしをいただくために、
きつねうどんを。
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だしが美味い。じんわりと身体の底から温まる。
あっさりとしていて、まったり。甘さがあとをひかない。
道南の真昆布、かつお、さば、うるめのブレンド。
揚げはスタンダードな四角を二枚。
麺は自家製機械打。讃岐に比べたらかなり細い麺。
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今どきの店みたいに昼休憩などなし。
だから時分時を外した時間帯でも、客がひっきりなしに訪れる。
江戸・明治の昔からそうだったんだろうな、大八車を前に置いて、
商人や職人がケツの埃りを落としながら、入ってきたのだろう。
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吾妻の名物「ささめうどん」。
先代5代目が考案した細うどんである。
三つ葉、刻み昆布、蒲鉾、擂り胡麻、刻みぎつね、おろし生姜
だしはあんがかかっている。寒い冬にはいいね!
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谷崎潤一郎の未亡人、松子さんが食してこの名を命名した。
「細雪」からの連想だ。
麺の細さはまるで蕎麦のようだ。
当代の6代目が考案した「冷しささめうどん」。
毎朝取るだしを、かえし(ねかせた醤油)で割って濃い目のコクの
ある冷しのだしにする。天かすがいい。
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一度水で締めるので、弾力は細いささめ用の方がある。
近頃の讃岐うどんの台頭ぶりの前に、大阪うどんは打つ手無しと
見ていたが、実は別種の魅力にあふれていた。
手打ち麺の力で食べさせる讃岐に対し、どこまで行ってもだしの
大阪。温かいだしに柔らかい麺、消化がよく、身体への負担も軽い。
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だしは変えない、変えてはいけない。我々ごとき人間はスケベ心を出して、自分の代で変えようとしてしまったりする。
無論、猪名川の伏流水が使えた時代とはちがうので、それに合わせて修正していかねばならないだろうが、変えないことの難しさ。変えないから時代を超えて生き抜いていける強み…のようなものを感じた。
吾妻 大阪府池田市西本町6