マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

寒さの中で口ずさむクリスマスソング

2016-12-14 02:09:21 | 音楽

近付いてきましたね、クリスマスが。

東京にいるとFENがやたらクリスマスソング特集をし出すんですよ。
それがなんだかバタくさくて、入らない関西人には羨ましかった…。

バブルの頃を東京でおくっていた私なども、「どこがバブルなもんか…」と
貧しい芝居屋していながらも、どこかで浮足立ってたんですかね、
テッペン越えて六本木で深夜タクシーつかまえようったって、つかまるもんですか。 
仕方なく朝方まで遊んでたようなことで。金が無いのにどうしてたんだろう。


今やクリスマスの喧騒はハロウィンに移ったかのようですな。


さて自分なりにもっとも感動的なクリスマスを求めて、あちこちの教会やら、
山へ登り関東平野見下ろしたこともあるし、湘南あたりにオネーチャンと車ぶっ飛ばしたことも。


でも一番印象的なクリスマスは、なんにも起こらない、ごくフツーのクリスマスでした。


子供の時分から雪が降って一面銀世界になればいいなと思ってましたが、
大阪ではついぞ、そんなロマンチックなことになりませんでした。


毎年TVではクリスマス特別企画なのか、洋画の「ホワイト・クリスマス」、「わが道を行く」 、
「34丁目の奇跡」なんかもやってたような。
そういうものが視聴率戦争関係なく、たぶん良心で流してくれてた訳。


そんなわけで、ビング・クロスビーの歌には親しんできました。


食べ物ばっかりで歌のことを一つも言わねぇぢゃねぇか…と思われそうだから、
今回はビングのLPを。




 

 

動画なんかくっつけねぇよ。YouTubeでもどこでも覗いてくんねぇ。

このレコードが、言うまでもなく大ベストセラーにして、ロングセラー。

何枚ものクリスマス・アルバムは買ったけれど、やっぱりこれに戻るのね。



表題のWhite Christmasはもちろんのこと、Silver Bell、 The Christmas Song、 Mele Kalikimaka、

この頃思い出していたのは、 It's Begining to Look Like Christmas (クリスマスらしくなってきた)



ビングの歌だけぢゃない、コーラスのアンドリュース・シスターズがいい。 楠トシエが3人組んだみたいだ。

ストリングスのアレンジがまた素晴らしい。



ま、一度は騙されたと思って手にとってご覧なさい。
クリスマスぐらい、昔と同じがいいと思うんですがね~



そんな訳で、クリスマスが近づくにつれて、我が鼻歌もFEN化するのでありますよ。



Chestnuts roustin' on the open fire~~♪



今夜は冷えそうですぞ。


 

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Hot Fiddle Band 始動!

2014-03-06 01:24:48 | 音楽

メシ食ってるばかりの男ではありません。
アワも食ってます。

あいや、ミュージシャンの顔も持ち続けてます。


1月に米国南部系ルーツ音楽祭ってのに出たけれど、
ソロはこれが今年初。遅いっちゅうねん。
まぁ、のんびり行きましょう。

ウエスタンスイングという音楽です。
ほぼ専門バンドは日本でも数少ないことになっています。
カントリーともウエスタンともちがう、ウエスタン・スイング。
管楽器も入る10人編成です。

夏が近付いて気温が上がると、また石の下の蔭辺りに
潜りこむようなことになるだろうから、季節の良くなる今のうちです。

大阪駅からわずか17分!風光明媚、駅から2分!日当たりよし。
3月23日(日)15:00 さくら夙川 FORTWORTH  ぜひお越しください。

    




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ロングネックバンジョーの音がする

2014-01-31 02:45:09 | 音楽




ピートシーガーさんが逝った。94歳。

日本のフォークミュージックの黎明期、彼の影響を受けない歌手はなかっただろう、たぶん。

シングアウトする時の、歌いながら次の歌詞を先導していく達人だった。

音楽家としても明らかに優れていた。







若き日、米国共産党に入党。 その後、スターリンの実像を知り、離党。

アルマナックシンガーズの一員として、ウディガスリーと出会い、

組合のストライキなどで歌ったのが、その後の彼のスタイルを形作っている。

50年代はザ・ウィーバーズで活躍。マッカーシー旋風吹き荒れる、赤刈りの時代に合う。

60年代は公民権運動の旗手の一人として、We Shall Over Come は余りにも有名だよね。

70年代、日本にフォークの種が開花し始め、ピート自身は反戦運動と共に、

水質汚染問題に加わり、最後まで辻で一人、平和を訴え続けた。

生涯、バンジョー一本持って歌った姿はやっぱりすごい。

フォークを歌ってポルシェに乗ってるのとは根本的に魂のくくり方が違う。

お疲れさまでした、なんて軽々しく言えない。

あの世でもずっとみんなをオーガナイズして歌い続けているだろうから。

忘れません…。 R.I.P

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There's New BON Over My Sholder ~!

2013-06-15 02:26:42 | 音楽

マーベラス桜井&ホット・フィドル・バンド

バンドを作って来年で10年になります。

長く同じ顔触れでやってると、いろんなことがありますな。

この4月に重要なメンバー、PF担当のカトリーヌ中野早苗を病で失いました。

5年にもわたり、病と闘い続ける中で、やっとこさ解放されたという具合です。

我々も不調を伝え聞き、じっと待っていたのですが、残念無念。

まだ若いのに、つらい別れとなってしまいました。

でも、ぼちぼち行きますよ!

天国のカトリーヌのためにもね。 彼女が愛してくれたバンドなんだから。






ぜひ、新生Hot Fiddle Band 見に、足を運んで下さいな。

千日前お盆大興行~!




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可愛いあの娘と踊った場所は今ぢゃ場末の撞球場

2013-03-23 10:10:03 | 音楽




あがた森魚さんがデビューしたのは40年前。

「赤色エレジー」は林静一の劇画伴い、貧しくせつない男女の暮らしを歌い

あの時代を映し出す一曲だった。





その後、ノスタルジーで耽美的な歌詞を描き、

はちみつぱいの連中と作った「噫、無情」。

同志社の映研の連中と、京都の狭い下宿屋で8㎜映画を撮ってた頃、

あのすえた畳の匂いが蘇ってくる。

あれから30年以上たつのだから、たじろぐしかない。

40年記念アルバムは、「女と男のいる舗道」。

60年代、彼が見た映画群が下敷きになっている。 やっぱり映画。







緑魔子   かつて歌った昭和柔侠伝の唄も、彼女とのデュエットだった。

ボクも大好きな女優さん




大阪堀江・フィドル倶楽部でのライブ

ソールドアウトだったが、キャンセルが出たといわれて行ってみた。

若い人で満杯。どこで知ったのかな。

冒頭、客席の照明を少し点けるように言った。

「顔が見えると緊張するんだけど、暗いとさびしがり屋だからさ…」






バックは山村誠一(per)、水田十夢(Bs)、かんのようこ(Aco)ら大阪のミュージシャン。

彼らを率いて、ライクーダーかダンヒックスのような!






歌詞は独特な、あがた世界が繰り広げられる。

5年前に客がガラガラのライブをやり、客との距離の近さを発見した。

本当はそっちの方がいいと言いながらも、満杯のオーディエンスをすごく喜んでいた。

そりゃそうだろうね。

あがた森魚 65 歳。







ミュージシャンとして、ソングライターとしても

最後の直線コースにさしかかっているという、あがたさん。

この10年を懸命に歌い続けるつもりなのだろう。

表題の歌、「大寒町」は沁みた。

いつの間にかこっちも口ずさんでいた。

 

コメント (3)
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