江戸前ばかりがにぎりとちがいま、と言いたい。
こうまで江戸前の「仕事をした」寿司が大手を振って闊歩する時代になると、
ちょっと待てよ、という気になってしまう。
関東大震災以来、東京から避難してきた寿司職人によって
江戸前スタイルのにぎりは全国区になったというが、
今まで90年間、単にスタイルだけを真似て来たということを認めたって
ことになりゃしないのかな。
お通しのなまり節煮。
しょっぱなに来るには味が濃いけど、ビールは進む。
ちょいとつまみを行く。
春さん、蛸のぶつ切りをくれえ。
井伏鱒二か。
こんなに本わさびだか本わさび風が世の中に出回ってるのに、
わざわざ粉わさびを使うのは疑問だな。なんの主張なんだろ。
奥で女性が一所懸命焼いてくれただし巻き。
ここは高槻「亀八寿司」。最近、グリーンプラザの地下から地上に上がってきた。
安くて、これはこれでよござんす。
さて、寿司だ。
冒頭でもふれたが、関西のにぎりってものをもっと見直してもいいのではないか。
例えば、白身。 関西は圧倒的に白身文化である。
汚れたといえど、瀬戸内という天然の生け簀がある。
押し寿司の長い歴史があり、鯛の扱いには手慣れている。
東京のにぎりは圧倒的にまぐろ偏重である。
冷蔵庫のない時代、三陸辺りで獲れたまぐろが江戸へ運ばれてきて、
真黒に変色したのを食ってたのである。まともな人の食べ物ではなかった。
だけど、天保年間に江戸近郊で何の拍子かバカ獲れした。
たいがい廃棄か肥料にされていた下魚だが、鼻のきく奴が握って寿司にして
バカ当たりした。折から出て来た醤油も関係してのことだろう。
関東も元は白身だったのである。
まぐろ確かに美味いが、そんなに大間の戸井のが高級と言われてもね。
ましてや世界中の海へ出張って、非難されるほどまぐろ食っちゃいけない。
大阪の伝統的にぎり(とあえて言うが)の弱点は、飯への味付けが弱いことにある気がする。
酢や塩をちゃんと効かせると、おのずと刺身を切ったのを貼っつけるだけでなく、
飯に合わせるために魚にも下ごしらえをするようになるはず。
目の前の天然の生け簀が、逆に「活かっている」ことばかり重要視して、
寿司飯と魚を手の中で一瞬にして馴らすという作業を軽視しすぎて来たきらいがある。
でも逆にいうと酢飯が強くないから、型にはまることなく、
自由な発想でいろんな具材を乗せてご飯とのバランスを図ってきた。
海外のSUSHIの発想に近い。
ハモの湯引きなど最たるもの。右はサンマだが、ネギやショウガを乗せたり、
ふぐのちりにぎり、ああいうものも関西の寿司屋が生んだ寿司であろう。
ひと頃までは江戸前にあらずんば寿司にあらず…と輩も思っていた。
が、今ではこれはこれと考えている。
例えば、トロを高い値段で出したのは大阪といわれている。
東京でアブといわれ、脂っこ過ぎて気持ちが悪いと言われていた頃、
大阪ミナミでは高級な珍味ということでトロを出したともいわれる。
そういう掟破りも大阪らしい。
煮穴子、下足
べたっと重いツメさえも関西らしい。
時価が大流行りだった時代に、皿盛り3貫の安売りを行ったのは
がんこ寿司である。 とにかく大衆的な寿司がそこら中にあり、
端から握って行き、客は好きな皿をとって食べて、目の前に積み重ねて行った。
そう、まさに回転すしの皿のように。
穴子きゅうり巻き
本来は1本を6個に切るのが正しいはずだが、それさえ今やかまやしない。
女性など食べにくいだろうからね。
ここはないが「とろたく」なんてのも大阪らしい。
とろにたくわんのみじん切りを混ぜて巻いたりするもの。
東京でまぐろになんか混ぜてくれというと、さぞ嫌がるだろうな小野次郎さんなどは。
そんなのもおかまいなし。うまけりゃいい、そこに立ち帰るとこの90年のうちに
工夫されてきた大阪の寿司、再認識できるだろう。
あるもの全部巻いた、超太巻きもそうだ。 関東の寿司職人はああいうことはやらない。
だいたいがね、ウナギなんか乗せてしまうんだぜ。
東京行って頼んでみなさい、ウナギ食べたけりゃ鰻屋へ行ってくれ…と言われる。
ウナギ乗せて美味いといえるのは、塩と酢のたよりない酢飯だからだ。
自由奔放、横紙破りな大阪の寿司。90年ずっと、スタイルだけ江戸前で来たとは言わせねぇ。
大阪の寿司食いの矜持というものを、私ゃ東京のコアな寿司ファンにも知ってもらいたいねぇ。