マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

江戸前ばかりが鮨ぢゃねぇ

2012-09-16 14:32:37 | 

江戸前ばかりがにぎりとちがいま、と言いたい。

こうまで江戸前の「仕事をした」寿司が大手を振って闊歩する時代になると、
ちょっと待てよ、という気になってしまう。

関東大震災以来、東京から避難してきた寿司職人によって
江戸前スタイルのにぎりは全国区になったというが、
今まで90年間、単にスタイルだけを真似て来たということを認めたって
ことになりゃしないのかな。


お通しのなまり節煮。
しょっぱなに来るには味が濃いけど、ビールは進む。







ちょいとつまみを行く。

春さん、蛸のぶつ切りをくれえ。

井伏鱒二か。







こんなに本わさびだか本わさび風が世の中に出回ってるのに、

わざわざ粉わさびを使うのは疑問だな。なんの主張なんだろ。

 





奥で女性が一所懸命焼いてくれただし巻き。

ここは高槻「亀八寿司」。最近、グリーンプラザの地下から地上に上がってきた。

安くて、これはこれでよござんす。


さて、寿司だ。

冒頭でもふれたが、関西のにぎりってものをもっと見直してもいいのではないか。

例えば、白身。 関西は圧倒的に白身文化である。

汚れたといえど、瀬戸内という天然の生け簀がある。

押し寿司の長い歴史があり、鯛の扱いには手慣れている。







東京のにぎりは圧倒的にまぐろ偏重である。

冷蔵庫のない時代、三陸辺りで獲れたまぐろが江戸へ運ばれてきて、

真黒に変色したのを食ってたのである。まともな人の食べ物ではなかった。

だけど、天保年間に江戸近郊で何の拍子かバカ獲れした。

たいがい廃棄か肥料にされていた下魚だが、鼻のきく奴が握って寿司にして

バカ当たりした。折から出て来た醤油も関係してのことだろう。

関東も元は白身だったのである。

まぐろ確かに美味いが、そんなに大間の戸井のが高級と言われてもね。

ましてや世界中の海へ出張って、非難されるほどまぐろ食っちゃいけない。







大阪の伝統的にぎり(とあえて言うが)の弱点は、飯への味付けが弱いことにある気がする。

酢や塩をちゃんと効かせると、おのずと刺身を切ったのを貼っつけるだけでなく、

飯に合わせるために魚にも下ごしらえをするようになるはず。

目の前の天然の生け簀が、逆に「活かっている」ことばかり重要視して、

寿司飯と魚を手の中で一瞬にして馴らすという作業を軽視しすぎて来たきらいがある。







でも逆にいうと酢飯が強くないから、型にはまることなく、

自由な発想でいろんな具材を乗せてご飯とのバランスを図ってきた。

海外のSUSHIの発想に近い。

ハモの湯引きなど最たるもの。右はサンマだが、ネギやショウガを乗せたり、

ふぐのちりにぎり、ああいうものも関西の寿司屋が生んだ寿司であろう。

 





ひと頃までは江戸前にあらずんば寿司にあらず…と輩も思っていた。

が、今ではこれはこれと考えている。

例えば、トロを高い値段で出したのは大阪といわれている。

東京でアブといわれ、脂っこ過ぎて気持ちが悪いと言われていた頃、

大阪ミナミでは高級な珍味ということでトロを出したともいわれる。

そういう掟破りも大阪らしい。







煮穴子、下足

べたっと重いツメさえも関西らしい。

時価が大流行りだった時代に、皿盛り3貫の安売りを行ったのは

がんこ寿司である。 とにかく大衆的な寿司がそこら中にあり、

端から握って行き、客は好きな皿をとって食べて、目の前に積み重ねて行った。

そう、まさに回転すしの皿のように。







穴子きゅうり巻き

本来は1本を6個に切るのが正しいはずだが、それさえ今やかまやしない。

女性など食べにくいだろうからね。

ここはないが「とろたく」なんてのも大阪らしい。

とろにたくわんのみじん切りを混ぜて巻いたりするもの。

東京でまぐろになんか混ぜてくれというと、さぞ嫌がるだろうな小野次郎さんなどは。

そんなのもおかまいなし。うまけりゃいい、そこに立ち帰るとこの90年のうちに

工夫されてきた大阪の寿司、再認識できるだろう。

あるもの全部巻いた、超太巻きもそうだ。 関東の寿司職人はああいうことはやらない。







だいたいがね、ウナギなんか乗せてしまうんだぜ。

東京行って頼んでみなさい、ウナギ食べたけりゃ鰻屋へ行ってくれ…と言われる。

ウナギ乗せて美味いといえるのは、塩と酢のたよりない酢飯だからだ。

自由奔放、横紙破りな大阪の寿司。90年ずっと、スタイルだけ江戸前で来たとは言わせねぇ。

大阪の寿司食いの矜持というものを、私ゃ東京のコアな寿司ファンにも知ってもらいたいねぇ。


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山家の蕎麦も楽しからずや

2012-09-10 12:21:27 | Weblog

そうだ、山を越えて蕎麦食いに行こう。

そう思うと矢も盾もたまらず、高槻市から亀岡へと向かった。






目指したのは、亀岡の「拓郎亭」。

しかし、午後の休みに入ってしまっていた。

やっぱ蕎麦屋は通しでやってもらいたい。

昼酒を楽しみたい人も少なくないだろうから。

で、周辺の蕎麦屋へと急きょハンドルを切った。







亀岡から一番近そうな場所ということで、越畑の「まつばら」を目指すことに。

近いったって、結構ありそう。

やっと見つけた看板には、ここからまだ車2分とある。

2分でなど行けなかった。







何にもない、里にひょっこり出てくる新しい民家風。

越畑フレンドパークと名前が付く。

働き口がなく、高齢化が進んでいく地元救済策として助成金をうけて、

蕎麦屋をひらき、受け皿としたといったところ。

バイクのツーリング客などもいた。







過疎の村で、農村の姿を残しながら生き残って行く、

一つのサンプル事業となっている。







入口のところで地元の野菜をちょっと売ったりして、雰囲気は悪くない。





店内はゆったり。右の打ち部屋で蕎麦が打たれる。

ちょっと手荒いが、そこは山家の蕎麦である、固いこと言いっこなし。

左手の窓の外には・・・




こんな景色が広がる。

山のマイナスイオンっつうか、前菜がわりに深呼吸を。







蕎麦にゃ日本酒と行きたいが、道路交通法がなくても

ここで酩酊して山道を帰れるだけの自信は毛頭ない。

揚げ蕎麦ポリポリやりながら、蕎麦茶でかっぽれ。

なんだか、冴えないなぁ~。

場所は箸袋の裏に。







ものすごいざっくりしてる…。







ざるそば大盛り  ¥1150

蕎麦粉は季節には地元産もあるけど、ブレンドだと聞いた。

麺はちょいと細めで歯応え、香りあり、つゆも割としっかりしていた。

ふん、こりゃなかなかいい。







こっちは天ざる ¥1470   何でもない野菜の天ぷらが旨い。

そりゃあこれだけ走らして来て、旨く感じなきゃウソだろう。






そば湯はしっかり濃いパターン。






緑は色濃い。

さぁ、山越えして帰らねば。

フンドシ引き締めて、アクセルを踏み出すのだった。

ポテチン。




      手打ちそば「まつばら」   京都市右京区嵯峨越畑鍋浦 11~16時(冬季は~15時)


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阪和線にそって

2012-09-03 04:23:55 | Weblog

私が沿線に住んでいた頃の阪和線はこんな具合でした。
戦前ぢゃねぇやい。
中にポールが立ってやがってね、そういうのはひと頃メトロ銀座線にもあったな。

とにかく、全国の列車の墓場かみたいに感じた、あの頃。
ストライキがやたらあって、むちゃくちゃ混み合う電車の窓から出たこともある。 

今となってはちょっと懐かしい。




さて、天王寺にハルカス阿倍野が建築中。

先ごろ地上300メートル。日本一のビルとなった。

倒れなきゃいいけど。





天王寺から始まった、魔法のレストランのロケ。






林家ペーパー子師匠、赤井英和、メッセあいはら、ミサイルマン。

ペー師匠と、赤井は同じ高校の出身。

ということは吾もそうだ。

同じ釜の飯というか、同じ学食のくさい飯を食った仲である。



ロケは粛々と進み、それなりの店に行くのであるが、

スタッフはこんな弁当をロケバスの中で、そそくさとかっ込むのである。

こいつはショウガ焼き。鶏唐揚げとの選択肢があるのがいいね。

とりあえず食っておかなければ、グルメ取材なんかしてると体がおかしくなっちゃう。






阪和線に沿って、大阪市内から大和川越えて、堺を越え、和泉市を越え、

泉大津を越えて、岸和田越えて、貝塚越えて、泉佐野越えて、泉南越えて、

和歌山に着いた頃には大層くたびれた。

なぜかペー師匠、赤井くんのことを終始、「赤井先輩…」と呼んでいた。

ようわからん…。







和歌山マリーナシティでクランクアップ。

この模様は、9月5日(水)のMBS「魔法のレストラン」で。

ご覧になって下さい。







道中、すごい雨にも見舞われたけど、いい夕景になった。

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