さて江戸の絵画展を堪能した帰りは洋食にした。江戸の次の明治みたいなもんである。午後2時半近かったが営業中で助かった。
岡崎の『グリル小宝』名物のオムライス¥850 おっと、湯気で煙ってしまった。見くびっちゃいけない、かなりの大ぶりである。女性客が半分残してたが、まぁそれも分かる。ケチャップで真っ赤にせずブラウンソースをかけるところなんざシャレている。
中はケチャップで炒めたビーフライス。マジにこれだけで腹にガツンと来る。ここのご飯物はみんなでかいと気付いたのは、注文してから店内を観察していてだった。一人一品取った子供連れの顔も苦痛に歪んでいる。
しかし…この程度でたじろいでいる場合ではない。
揚物こそ洋食の華、カニクリームコロッケ¥1900を欲す。脇役のポテサラ、スパゲティが嬉しい。スパゲティはちゃんと温かい。もちりん皿も温められている。コロッケったって、その辺の益田太郎冠者が描いた「♪今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケ~」と歌われた、イモのコロッケとはワケがちがわあ!
中にはカニがたっぷり。サクサクにしてベシャメルソースがトロリ…カニを食べている風味と食感がありあり。これだけのカニクリームコロッケにお目にかかったことはないほど。成程値段だけのことはある。
しかし…これだけで満足していてはいけない。
ヒレトンカツ¥1800、たっぷりとドミグラスソースがかかる。トンカツには白いご飯を所望。明治の先人達はこのご飯に合うようにと舶来の料理を工夫した。だから、このご飯が美味くないと洋食は失格だと断言したい。ここのご飯は上出来だった。
祇園の「グリル宝船」の出身だから小宝。堺正章のフォロワー小堺、長州力の小力と同様。もうちょい盛りを減らして、価格を下げた方が実用的だとは思うが、盛り場を離れた場所にある静かな洋食屋。これから先、「院展」でも見て、ステッキでもついて、年老いた家人を従えて来たいものだ。ま、それまで油物が食えるかどうか…ここだな。
京都近代美術館で開催中の「若冲と江戸絵画展」。車内中吊り広告を見て、この虎の大胆なある種漫画的な表現に期待をこめて行った。江戸の絵画は面白いはず。国立博物館へ行き、まちがいに気付き、岡崎へと大きく迂回。
平安神宮鳥居のすぐ西側。近代美術館エントランスは白亜の殿堂なり。
今回の百点余りの作品はジョー・プライス・コレクション、米国の富豪が半世紀余り前に買い集めた物だという。半世紀前、これだけのものが手に入ったことも驚き。帝国ホテルの建築で知られるフランク・ロイド・ライトの影響下、日本の美術に目覚めたといふ。悔しいが外国の目利きに流出したことによって、こうして我々が見られるということになる。
伊藤若冲は京都錦の青物問屋の生まれという。1716~1800、その画風の実に広範囲なことに驚いた。精緻でダイナミックな構図の鶏の絵などが有名で、最近急速に見直されている画家の一人である。
文明開化で欧米に追いつけ追い越せで、目の色を変えてしまう以前、日本には豊かで見事なアートがあった。実はそこに気付いていたのは外国人の方が先立ったとは皮肉なことだ。江戸の芸術が見直されているのは、まぁ一過性の流行とはいえ善きことに違いない。
信楽・慶順窯の陶工、加藤隆彦さんの個展に。かつて取材を通じて知り合った作家で、信楽の自作の登り窯で焼いているのを見せてもらった。焼き物の師匠というと作務衣かなんか着て、難しい顔した狷介固陋な人物を想像するが、加藤さんは明るくよく喋る。信楽の何たるかも知らぬ頓馬な質問にも丁寧に答えてくださる。そこが素敵である。
かつては生活雑器なども作っていて、わずかに私の手元にあるが、今は子供の手も離れ、好きなものだけを作れるようになった…と展覧会に向けた実用向きではない壷ばかりを中心に作っていらっしゃる。
壷とは名ばかりで、中には何にも入れることが出来ない。口の上には角というか羽根というかとんがりが必ず付いている。
そもそも信楽というのは素焼きでブツブツとした砂交じりなのが特徴で、窯の焼き上がりで一部に赤みが出たり、灰がかりがビードロ釉のように淡青緑がかって流れたりするのが独自の魅力とされる。ロクロではなく巻き上げの紐造りも特色で、信楽の土にこだわり、昔ながらの作法も守った上で新しいことにチャレンジなさっている。(復習したんだ、これでも・・・)
加藤さんの名前は今東京でもよく知られるようになってきた。ネットを通じて外国によく売れるという。自らの感性で面白いと思ったものには作家の名前なんて関係ないからね。でもうちみたいなウサギ小屋ではこの壷は無理だ。特に船形はどうしようもない。
加藤センセ、一発当てたら売ってくださいまし。
それより先に、穴窯で焼いたメチャうまピザ期待しております!
再び『一碗水』へ。最初は「秋刀魚の黒酢煮」これは前回も頂いた。
写真は2皿目から、「牛の胃袋と香菜、ピリ辛の和え物」。ハチノスは茹でこぼし、丁寧に下拵えがしてあるので全くクセがない上品な味。数日前に行った時に豚の胃を3,4時間煮ていたのでそれを言うと、「出しましょうか」と出てきた。だからガツ&ガツという頓馬な続きになってしまった。「豚胃袋とセロリのマスタード和え」。
さすがに初回のヤラレタ感はなかったが、こういうので紹興酒を飲んでいると最強である。「ホタテの湯引き」は生のホタテをさっと湯をくぐらせて醤油、熱い葱油を上からジュジュッ…とかけたもの。トッピングの一つに花ニラの塩漬けもある。下右のスープのように見えるのは「河内鴨のレバーすり流し清湯仕立て」。カワチガモ?不明を恥じるが初耳。要は合鴨である。鴨とあひるの交配種。河内國松原でそんな名物があったとは知らなんだ。レバーも淡白、丸鶏のスープとよくマッチする。
「金針菜(キンシンサイ)と黄ニラ、ツブ貝の炒め物」(写真は4人分)緑に見えるのが金針菜でユリ科植物のつぼみだそうだ。黄ニラもユリ科。香りがよく精がつくから珍重されたのかな。かの国では高級野菜である。シメジ、エリンギ。独特のアミノ酸系の旨みは蝦醤(アミエビの塩漬け)を使用。黄ニラのシャキシャキ、ツブ貝のブツブツした歯応えが心地いい。
右は「加茂茄子、豚肉、子持ち鮎のハンバーグ仕立て」上に咸魚の薄切りを重ね、上湯(金華ハム、鶏、などでとる上質のスープ)を流し込んである。つくね煮のような感じ、淡白な塩も控えめにしたつくねを、咸魚の旨みと上品な上湯で食べさせる力作。
さぁ今回、再来の目的がここからの二品。月替わりの料理の中、この二品だけはレギュラーメニューとして時知らずで生き残っている。「黒酢酢豚」は豚肉のみ。ここにチョコレートのようなコクのある甘酢あんがからむ。肩ロースを拍子木に切り、調理時間の短縮を計っている。美味いが個人的にはさらに豚肉をカリッとさせ、内部に火を通した方が好き。茅台酒を所望。53度の強い酒だが、こういうキッツイのがしつこい油や濃い味を洗い流してくれる。
「四川麻婆豆腐」。これだけはご飯を添えて乗っけて食べてもらうという。ご飯にかけて丁度いい辛さだ。かつて麻婆豆腐の父陳建民を訪ね倅建一に作ってもらったが、本場四川の麻婆はかなり山椒が入る。現在の流布される麻婆は日本人向きにアレンジしたもの。その時の味に似ている。レンゲを持つ手も止まらないが汗も止まらない。食べながら痩せて行きそうな勢いだ…。南さん、気合入って、中国産花山椒をきかけてくれたので、辛味とえぐみがかなり立った。飯がスースーした。そこをしょっぴくと美味いにちがいない。
ひりひりした後に、デザートの「ココナッツミルクの天ぷら」はアッサリして快適。「黒米餅、オレンジで煮たサツマイモ包み」も好評。これはお薄でもいける。
ホントに南さん一人でどうなっていくのだろう。これからまだまだ一碗水の料理は変化して行くにちがいない。期待を持って眺めようっと。
天満天神繁昌亭の開業は上方落語界にとって歴史的な意味を持つ。なんせ今まで大阪には落語の定席が一つも無かったのだ。天満宮の協力で氏子の駐車場を寄付してもらい、上物は一般からの浄財を募った。そんな奇特な方々の名前が提灯に書かれて、ホールの内外に何百と並べられている。天神さんの大工門脇の緑を借景に。大阪の町のまん真ん中で濃い緑、これは非常にいいロケーション。
二階から舞台を見た図。この日、口上があったが、せいぜい6人も並べば一杯の幅。舞台奥には墨跡鮮やかな「楽」の一文字。桂米朝の筆による。緞帳は天神祭船渡御の図柄。これもスポンサーの寄付とみた。
椅子は○○食堂でおなじみFujioCorp’の寄付という。それは美しいのだけれど、椅子の背に大きな広告のプレートが入ってござるがな。隣接する茶店もここの仕切りというし、なかなか商魂たくましい。
私の行ったこけらおとし公演六日目は、桂春之輔、桂小枝、春風亭小朝、露の新治、桂坊枝、笑福亭由瓶、林家染太。東京からの来演小朝師匠の「ためし酒」が素晴らしかった。
もちろん杮落としゆえ、ご祝儀客で満席だった。打ち出しの太鼓が鳴る中、法被を着た噺家連中が木戸の辺りで客を送り出す。さすがに苦虫潰したようなヤツはいない…落語好きに悪人はいないような気になる。春団治ゆかりの朱塗りの人力車が飾られ、華やいだ情緒が漂う。
さぁどこぞで一杯…と思ってウロウロ。小朝師の噺を聞いていたので、こっちは十分飲みたい口になっている。だが腹は膨らましたくない。あちこち物色しているうちに日は落ち、本日3回目のお客の入り時間になっていた。暗闇の中に提灯の灯火が鮮やかに浮かび上がる。
若干明るすぎるきらいもあるが、かまやしない。上方芸能に点った灯りもともし続けて欲しいと願わずにはいられなかった。