大学卒業後、「一番安く行けるから」という理由でワーキングホリディビザを利用し、初めてオーストラリアへ旅立った私だったが、本格的に勉強したくなっってしまった。ワーホリ1年滞在の予定を7カ月にカットし、まずは資金を稼ぐため、日本へ帰国。翌週に受けた子供英会話講師の面接と試験にめでたく合格し(22人の受験者、合格者は経験者の中堅と、教える事に関して全くの素人の私の2名だった、と後日、知らせれた)晴れて人生初の子供英会話講師となったのは、23歳の時だった。若かったぁ~、あの頃ぉ~♪ 幼稚園から中学生までの二十数名の生徒さん達とは、そんなに年齢差も感じず、その一方で、主に40代だった保護者のお母様方とは、年齢差を感じていたのも、はやり自分が見た目は勿論のこと、精神的にも「未熟なお子さま」だったから?? 生徒さんの中にはレッスン後、机の整理を手伝ってくれながら、真剣な眼差しで、「先生、好きな人、おる?」と、聴いてくる5年生の男の子もいた。
(この年齢で好きな子がいるのか…早熟なんだ~)と、そちらでも未熟というより奥手な私は、(恋愛相談には乗れないかもなぁ)と、どぎまぎしながら思ったものだ。今では あの子も立派な青年になり、社会で活躍していることだろう。当時も「とある」スーパー、といっても、さくらではないが、本当に「とある何処かの」スーパーで準社員としてフルタイムで働きながらの講師業だったわけで、予定より早く資金を確保でき、再びオーストラリアに戻って行ったのは、約2年後の25歳のときだった。2年ぶりに訪れるオーストラリア。何も変わっていない。ホストファミリーのパパ、テッドが空港まで出迎えてくれ、シドニー北部の郊外にあるホームスティ先へ向かった。懐かしい…。この家で、その後4年以上を過ごすことになる。
今でもはっきりと覚えているのは、私がワーホリ時代に最初に、この家へ来た同じ日、トオルと言う名の、これまた私と同じ年齢の男の子(当時はね)も到着したことだ。私がキッチンでホストマザーのジーアとお喋りばかりしている一方で、部屋から全く出てこないトオルのことをジーアはとても心配していた。
「トオルは部屋にこもったまま、出てこないんだけど、お腹空かないのかしら? 大丈夫かしら?」…と。後々分かったことは、全く言葉が理解出来なかったトオルは、ただ単にシャイになっていたってこと。その後、日本から到着する英語学校へ通う学生たちは、みな、そうだった。日本に居た頃から英語を話すチャンスを伺っては、高校でも電車でもJICAでも大学でも英語で喋りまくっていた私の方こそ、レアな存在だったのかも?って思う。普段は大人しい、でも好きなことには超積極的、という周囲には理解されない性格だった。今でも そうか(爆)
私とトオルをジーアもテッドも可愛がってくれた。ジーアの趣味なのか、「トオルとマユミを劇場へ連れて行く!」とはりきってもいた。これは実際には実現しなかったが。当時、ジーアが何度も言っていたのは、「トオルはきっと、日本の家族に海外へ行け!と、おくられたのだろう」ということだった。自分の意思で渡豪したとは思えないほど、最初の頃は物静かで猫をかぶっていた、いや、大人しかった、ということだ。当時の下宿人の中では一番にホームシックで帰国してしまいそうな雰囲気だった。 私が2年ぶりに再びオーストラリアの地を踏んだとき、そのトオルがホームスティ先に滞在しているなんて、予想できないことだったのだ。しかし、真黒に日焼けして、キッチンでお寿司を巻いていたんだよね、あの日。
「ここに何年もいたら、こんなことくらいしか、することがない」とか言いながら。
当時のオーストラリアは日本からの観光客、留学生が最も多く、ホームスティ先の日本人人口は更に過密化していた。日本人学生だけで7人下宿していたと思う。残りは韓国人。他にスイスやチェコなどヨーロッパ人、そしてインドネシアやシンガポール、香港、タイといった、東南アジアからの留学生も多かった。下宿先だけでも異文化体験を毎日していたことになる。
今回、お話したいのは、国同士の異文化ではなく、日本国内の「異文化」だ。 25歳で二度目の下宿生となった頃、7人の日本人の出身国は、東京、神奈川、名古屋、沖縄、そして私が福岡だったと記憶している。大阪からも多くの日本人がやってきた。
東京、大阪、名古屋、沖縄…日本に居たら、直接知り会えることもない。テレビ以外で、「本物の標準語?」を日常的に聴いたのは、きっと、ここでが初めてだったし、ミュぁ~っといった語感の名古屋弁を聴くのも、外国語のような琉球言葉も初めて耳にするものだった。(当時、沖縄出身者が二人いて、お互いが話しているときは、それって外国語? と聞いてみたくなったものだった。意味、分かんないし、みたいな)神奈川出身の関東人、トオルは、彼らが気を遣いながら喋る沖縄標準語ですら、
「多分、こういう意味だろう」と想像しながら文脈で理解して聴いているってなことを私に言っていたくらい。 日本の方言って、面白いのよね。福岡では普通に、「それ、なおして」というけれど、「どこを直すの? 何処が壊れてる?_」みたいに聞かれて、(しまった!)と思うことが多かった。福岡では「しまう」という意味で「なおす」というんです。方言だとしったのは、成人してから。「お金をこまめて」と言われ お札を渡されたら、小銭に両替してってこと。じいちゃん、ばあちゃん世代が良く使う福岡の方言。これも福岡県民でないと、分からないよね。 方言だけではなく、初めて知った、勘違い、だったり、カルチャーショックを受けることもある。多分、私が二度目の渡豪を果たしてすぐの頃、一番衝撃を受けたのは、きっと、あれだわ…。
「福岡って、お土産用の美味しいお菓子が多いよね。沖縄は ちんすこう くらいしかないから」
沖縄出身の二人が言う。福岡には銘菓が多い。確かにお土産として名前を上げようと思えば、「銘菓千鳥饅頭」「通りもん」「にわかせんべい」「博多の女(ひと)」「鶴の子」と、福岡県民なら誰でも知っている銘菓がいくつもある。
私の全身に衝撃が走ったのは、そのあとだった。関東出身のトオルが言ったのだ!
「東京土産といったら、ひよこ くらいしか無い」と。
「え? 今、何て言った? 東京土産の ひ・よ・こ?」
「うん」
「ひよこの形をした、あの、銘菓ひよこ?」
「そう」
「何を言うんね。ひよこは…銘菓ひよこは、福岡土産よっ! 福岡の銘菓よっ!」
私は自信を持って言った。いや、叫んだ。いや、ちょっと強い調子で言った。 絶対に間違いはない。ひよこは福岡の銘菓だ。子どもの頃から、物心ついた頃から、銘菓ひよこ、は福岡のお土産として駅の売店やデパートで売られているのだ。東京土産の筈がないじゃないかぁ~! バカいうな! という心情だった。
日本国内にいれば、日本の政治に不平不満を言っても、海外へ行けば愛国心が強くなる。 郷土自慢も似たようなところがあり、福岡を離れれば、というよりは、他県の人と会話すれば、郷土愛が強くなるのだ。ひよこは福岡のお菓子だ…と。
私がこれまで出逢った外国人の中で、愛国心が最も強いのは(特に日本人に対抗し)韓国人だった。これは、間違いなく!!!
ホームスティ先でも、韓国人は、「かっぱえびせんは 韓国のお菓子なのに、日本人が真似をした」と言い張った。リンゴの「フジ」も「韓国のリンゴだ!」と強く言う。 「そもそも、フジって何語なのよっ! MtFUJI って知ってるよね? 日本一高い、あの富士山よ。あそこから来てるのよ。リンゴのフジが韓国原産な訳ないでしょーがっ!」 これには韓国人のソックも遂に黙った。韓国人が黙るとき、相手の言い分をしぶしぶでも認めた証拠だ。結局、かっぱえびせんの元祖は日本という私の主張は認められなかった。味噌汁も韓国のものなのに日本人が真似をしたという。 初めて韓国人ばかりが住むアパートへ招かれた時、彼らは「味噌スープ」といいながら、スプーンでみそ汁を食べていたのだ!
「味噌汁とスプーンで食べるなんて、韓国でも? そうするの?」
と、聞くと、「そうだ!」と答えた。私は内心、思った。 味噌汁はお椀を口元へ運び、すするもの。昔から韓国では西洋のスプーンで食べていたというのなら、日本が最初だわい。八丁味噌出身の雄一朗に聞いてみようと。 (彼、結婚でしたかなー? トオルは嫁もろうたみたいやで♪)
かくして、食べ物の発祥の地を巡っては、かなりのバトルになることも多い。(特に韓国人との間では…。気性的には水と油だわっ、と思った韓国人と日本人。まさか、日本で韓流ブームが巻き起ころうとは、当時は思いもしない私だったけれど)
「ひよこは福岡の銘菓か? それとも東京か?」
福岡に決まっている、と信じる私は韓国人のソックが 「かっぱえびせんは韓国の物」と言い張っていたのと同じくらい『自信たっぷり」に 「福岡の銘菓」と主張したと記憶している。しかし、ひよこは東京にも売られている? トオルは はっきりと東京土産だとういし、段々と自信がなくなってきた。真相はどうなのだろう??? これは長い間、何年もの間、私の中で疑問だった。 そして、とうとう真相を今夜、知ったのだ。前置きが長くなってしまったが。
私は たま~に娯楽本を読む。寝っ転がって読むもよし! 仕事の息抜きに読むもよし! 読書大好き。娯楽本もGood! そして今回、書店で見つけたのがこれ、「博多ルール」中経出版 著者は複数いて、都会生活研究プロジェクト「博多チーム」となっている。著書には、こうある! 以下、引用:(79ページ)
『福岡に、東京土産ひよ子を持っていく。これは、まずあり得ない初歩的ミス。いくらおおらかな福岡人が相手とはいえ、「こげなもん、いっちょん珍しくなか!」と言われてしまう恐れがある。(途中、略)製造元は株式会社ひよ子。大正元年、お菓子作りが盛んだった筑豊(ちくほう)飯塚(市)で誕生したお菓子だ。当時、炭鉱の町として栄えていた飯塚で、働く人のエネルギー源として甘いものが好まれたことから考案されたという。飯塚で人気を博したひよ子は、愛らしい形も手伝い、進出した博多でも広い支持を集める。さらに日本一の菓子店を目指した製造元は、東京オリンピックを機に、「ひよこ東京工場」を設置し、東京駅八重州地下街に出店。読みはピタリと当たり、東北新幹線開通が起爆剤となって、ひよ子は東京土産としても親しまれることになる。これが東京土産ひよ子が誕生するきっかけとなったのだ。
よって、ひよ子は福岡を発祥の地とする福岡土産であり、東京土産でもあるわけだが、元祖はあくまでも福岡。本家への敬意を忘れず、ゆめゆめ東京土産として持参するような愚かなマネはしないようにしよう』
以上、引用を終わります。長年の謎が解けた瞬間、「かいか~ん」だった。薬師丸ひよ子…じゃなかった、ひろ子ちゃんのセーラー服姿が一瞬浮かぶ。ちなみに、あれだけ私から「ひよ子は福岡の銘菓!」と強く主張されたトオルは、福岡に住む私の自宅を訪ねてきた際、勿論ひよ子は持参しなかった。オーストラリア土産に東京土産をたんまり頂き、恐縮したが、私も甥っ子もトオルを見送ったあと、喜んで東京のお饅頭を頬張った。そのわずか一週間前に福岡入りした雄一朗も、名古屋土産「ういろう」と甥っ子ちゃんにもお土産を持参して下さり、ゆうちゃんも大喜びしていた。
日本人同士が異国で知り会う。再会場所はシドニーだったり、日本だったり。「博多ルール」を一読し、笑った! 笑った!
そして久々に『青春時代』を思い出した。20代の青春からアラサーになった私達の「福岡での再会」も。そして更にトキは流れ…。 同じ出版社から先に刊行されている『東京ルール』『名古屋ルール』『大阪ルール』『沖縄ルール』福岡は5冊目だそう。これまでに出版された都市はいずれも馴染がある、というよりは知り合いが何故か多い日本の都会。チャンスがあれば、読んでみたい。
「博多ルール」他にも『西鉄バスを乗りこなせる』 そう、『店長に逢いたければ、
バスで行けば?」とアドバイスしてくれた、ひよ子くんのように。
『勝っとうね?と言われたら、ホークスのこと』『人気ローカル番組といえば、ドォーモとナイトシャッフル』『テレビを付けると山本華世の顔を見ない日は無い』『営業マンなら西スポは一応目を通す』(日清食品のメーカーさん、目を通していますかい?)などなど、面白ネタ満載。こりゃ、東京、名古屋バージョンも読まなきゃぁ~ね。書店に平積みされている話題の書。笑えること、間違いなし!
ひよ子はやっぱり福岡が元祖だったっちゃ♪ (分かった? トオルくん?)
あ~そういえば、本には、こんなテーマもあったな。『屋台は日本一!
』
すず「どうだった? 博多の屋台」
トオル「500円って高いの? 安いの?」
すず「うーん、この辺なら400円だけどねぇ。ラーメン(当時)」
トオル「博多の屋台っていうわりには大したことなかったかも。酔っぱらってると何食べても美味しく感じるんだよ」
すず「…」
さてっと…。貴方のお国自慢、してみない?
すず