46年前の「この日」昭和44年7月8日、祖母は若くして(笑)「おばあちゃん」になりました! 初孫の私を抱っこしていると、「若いおばあちゃんですねえ」とよく言われたそうです。幼児だった私を連れて、祖母はよく出かけたものですが、私の記憶の中でも、「お孫さん?若いおばあちゃんですね!」といわれていた情景がぼんやりと…。昭和40年代といえば、ミニスカートが流行した時期で、当時のアルバムを見ると、20代だった自分の母親はもちろんのこと、4姉妹だった母の妹達ってことは私の叔母ですが(昨日はお誕生日おめでとうTELありがとうございました!)、なんと40代の祖母までもが膝上のスカートを着ています! 勿論、祖母のスカートはミニスカートというよりは、ギリギリ膝上程度のタイトスカートではありますが…。自分が当時の祖母の年齢に達して思うことは、「おばあちゃんって、若かったんだなぁ~ 自分の年齢で「祖母」になったのかぁ~ 私が赤ちゃんを抱っこして出かけてら、やっぱり「若いおばあちゃんですね!」と声をかけられるのでしょうか??? それとも最近は晩婚化が進み、高齢出産も珍しくなくなっているので、赤ちゃんの母親だと思ってくれるかなぁ~なんて想像してみると、おかしなものです。ちなみに32歳の時、甥っ子と二人で公園へ出かけると、知らない人から 「若いお母さんですね!10代で産んだんですか?」と驚かれ、「いえ、甥っ子です」というと、「そうですよねー! ママにしては若すぎると思いました!」と普通に言われたりしたんですが、、、あれから14年。流石にママは厳しいか…
今年の誕生日に思い出すのは、祖母のこと。自分の祖母が、人生初の「孫」つまりは私を見た瞬間って、どんな気持ちだったのでしょう。 過去に聞いたことがあるようで、ないような…あれだけ色々話をしたのに、思い出せません。ただ、母は 「おばあちゃんと呼ぶな」みたいなことを言っていたのですが、祖母は「おばあちゃん」と呼ばれることに抵抗はなかったようですね。私が生まれた熊本では、周囲は「じいちゃん、ばあちゃん」と呼ぶ家庭が多い(多かったです、当時は確かに)若かった祖母は、しょっちゅう遊びにきてくれていたことは覚えています。お互いの家を行き来しやすい環境を整えるって、子供にとって大事ですね! 三世代同居が珍しくなってしまった現代社会では特に! その点、両親、祖父母に感謝です。帰れる田舎がある、夏休み等、思い出もその分、いっぱいできましたから。
私にとって、もう一つ、印象深い誕生日というと、32歳になった年です。帰国三日前に32歳の誕生日を迎えたのですが、それはシドニーにある、アパートでした。いつものようにAussie Mate Supermarket というお土産屋さん&スーパーへ仕事へ行き、帰宅すると、アパートのシェアメイトが料理をしてくれていました。職場の同僚、ボスもスーパーの商品(ドリンクやスナック菓子)を手に現れ、あっという間に人が増えていきました。そのうち、Sutonというシェアメイトがケーキを持って帰宅。 嬉し、驚き、楽しいバースディ・パーティーとなりました! 恐らくこれが私にとっては最後の多人数の誕生日会だろうなぁ。三日後には、友人たちに感謝し、機上の人となりました。その時は一時帰国のつもりだったので、まさか、友人たちとの「お別れ」になるとも思わずに… 初叔母になって帰国して、スーツケースを玄関先に入れて、一目散に私が赤ちゃんの時に使っていたベビーベットをのぞくと、そこには生まれてまだ2か月の甥っ子が寝ていて、一目惚れしたっけ。妹が生まれた時とは 全く違う感情が芽生えたものです。 46年前、初孫の私と対面した祖母も、その時の私と似たような気持ちだったのかなぁ~と今になって思います。新しい命を次世代へつなぐということは私には出来ませんでしたが、他の方法で、この世で自分にできることを少しずつ、やっていきたいと思います。
お花のプレゼント、毎年、ありがとうございます!
父の日に送ったもう一つのプレゼントです。若かった父も「おじいちゃん歴13年」です(苦笑)
「夏休み、楽しみに待っとるけんねー」と心の中で言ってますよ。