私が帰国した翌年か、翌々年だったでしょうか~ NHK大河ドラマは『義経』でした。
タッキー演じる義経よりも、石原軍団の渡哲也さんが演じた迫力と威厳がある平清盛の方が強く印象に残っています。平知盛を演じたのは、昨夜放送された映画、『テルマエ・ロマエ』で古代ローマ人を演じた阿部寛さんでした。清盛の娘、安徳天皇の母を演じたのは、中越典子さん。朝ドラ『こころ』出演後の抜擢でした。安徳天皇の祖母は松坂慶子さん。
「海の底にも竜宮城はございます」
滅びの美学…
幼い安徳天皇を抱き、入水するシーンは忘れません。非戦闘員の船頭さんたちを狙い殺した義経。 小学校で義経びいきの先生から連戦連勝の義経伝を聞かされたときは、心躍る気持ちでしたが、この時は違いました。家族を取り巻く自分の状況もあってか、この時は大河の主人公である義経が、自分の目には初めて、”ルール違反の狡い武将”に映ったものでした。
源氏の総大将、頼朝を演じたのは、中井貴一さん。平家滅亡で、自分の中では、この大河は最終回を迎えました。
ただ、その後の大河では、井沢説通り、物語が展開していきました。
武士による、武士のための、武士の政権を樹立させたい兄、頼朝。
それを理解せず、朝廷から官位を受けた弟、義経。
三種の神器は必ず持ち帰るように、念を押されていたにも関わらず、海の底へ沈めてしまった。平家滅亡より、三種の神器を手に入れることこそに意義があった。これで頼朝の野望も潰えた、と頼朝は思ったでしょうね。
あぁ、それにしても。
当時、日本最強の海軍を持ち、神戸の他、広島県呉市の南にある倉橋島と本土の間 百メートルくらいの海峡、音戸瀬戸で、宋との貿易を盛んにし、(ここまで自分で調べた小学生ノートから)財力もあり、厳島神社も清盛が今のように整備し…
清盛自身、琵琶法師の「平家物語」で語られるような凶悪人ではなく、頼朝・義経兄弟を助けており、(義母に泣きつかれて、ではありますが)、自分の小学生ノートにも記載した通り、「意外に優しい性格 清盛は、家来に対しては、やさしかった。召使が失敗しても、その原因が主人のためにしたことであれば、笑って見過ごしてやったりした」
そんな清盛が不幸にも亡くなってしまったから、というのもありますが…
義経出現で、こんな短期間で滅亡とは…
小6社会科ノート
清盛も藤原氏の摂関政治の真似事ではなく、武士の不満を解消すべく、武士による政権を…と、そこまでは中央(京都)にいれば、見えてこなかったんだろうな。
逆に 井沢さんが言うように、伊豆に流されていた頼朝は、外から京(朝廷)を眺めることで、政治の中心にいては気付かぬことが見えてきたのかもしれない。また、地方にいる武士達の不満を拾い上げ、政治的センスを身につけたか。
弟は…というと、鞍馬を駆け回り、寺から脱走して逃げ回る中、実践でゲリラ戦を学んだ義経。それぞれ持って生まれた素質に加え、「政治」or「武力」得意分野に磨きをかけたのかもしれないなぁ。
1つ、最初に読んだ時には見落としていた大事な点に気付きました。それは、「幕府」という概念は、この当時は「今現在或の意味としては」まだ無かった!という点です。(単語、言葉としては資料に残っているそうです)
つまり江戸幕府のような、もう完全に幕府が政権を担っている、という意味での「幕府」ではなかった、ということです。
頼朝、征夷大将軍となった年を以て「鎌倉幕府を開く」というようになったのは、後の時代のこと。(明治時代…でしたっけ?)”いい国作ろう、鎌倉幕府1192” と覚えましたよねぇ、皆さん。こういうことって他にもありますよね。例えば「鎖国」も後の時代に言われるようになったこと。
NHK大河でも、始まりは東国武士の争いであり、木曾義仲と頼朝の対立があり、そもそも源氏と源氏の争いだった。朝廷としても、源氏と平氏のパワーバランスを上手く保つことで、今でいう軍隊を持たない天皇家は、平氏と源氏を操っていた、ともいえそうで…帰国後、最初に見た大河『義経』から更に約10年後だったかに、放送された『平清盛』 この辺の事情を見事に描いておりました。『新選組』では勇ましい副隊長を演じた山本耕史氏が、『清盛』では藤原頼長に… ぷぷっ😏😗 いい味出しておりました。
そうそう! 松山ケンイチさん演じる『平清盛』が遂に放送され、清盛が主役に! 『義経』では源頼朝だった中井貴一さんが、清盛の父、平忠盛を演じたのが印象的でした。この大河は…過去に何度も書いているので、繰り返しませんが、あらゆる視点から描かれ最高に面白かった!です、はい。視聴率? 私には関係ありませーん 良いものは、よい!
結局、頼朝は「担がれた」。彼自身も分かっていた。北条政子と相思相愛になったのも奇跡。 三代で滅亡した源氏の後も続くことになる武士の政権は、北条時宗に先見の明があったから、というのが井沢説の結論でしょうか。
今朝、fukurouさんのブログへお邪魔すると、公園の花 ツユクサ
我が家の庭にも咲いています! ただ、fukurouさんの写真では、とても大きくハッキリとツユクサが見えます👀 普段、肉眼では気付かなかった部分までクッキリと。 これには驚きました。
こんなに小さな花なんです。
近付けすぎるとブレるので、難しいです。
拡大カットして、ようやく見えました。もやしみたい~( ´艸`)
撮影した角度が横向きだったから、こうなった!ものの、薄紫色がお気に入り💕 色は加工せず、ナチュラルです。
こんばんは。
NHK大河ドラマ。
義経、平清盛、見た見た。
ふむふむと読んでいると、突然fukurouさん?!
何で?
と驚きました。
大河ドラマの話の後に登場するなんて!
相変わらずの文章、のめり込んで読ませていただきました。
関東対関西の戦ですよね。
関西びいきですのでついつい平家を応援したくなります。
それが巨人憎しに繋がっています。(笑)
ツユクサって今頃でも咲いているのですね~
初夏というイメージが強かったです。
ツユクサの実みたいなので,良くカエルをつりましたよ。
小6時代の歴史ノートが素晴らしい。
大河ドラマ、『義経』『平清盛』どちらもご覧になられていましたか。
嬉しいです(*^▽^*)
オーストラリアに居た間、しばらく日本のテレビを観られず久々の大河で熱中したものです。
この本を読んで「平の清盛」も観たので、余計に面白かったのかもしれません。
律令制度から武士による幕府というか、影響力も東国から北条氏の頃には西国へ拡大…
学校で習った当時は、鎌倉幕府は頼朝時代から全国区だというイメージだったので、そこがかなり違っていました。😅
fukurouさんのように撮影できない~と思ったので、リンクして見て頂こうと…
小さな可愛い花なので、fukurouさんの写真を見るまで、気付かなかったことがありました~
今日も30度超えの暑さでした!
もう~初夏ですよ、初夏!
10月になって、もう一度、夏を体験中…
🌻が咲いている地域もあるそうです。
(本日聴いたラジオより)
季節が分からなくなりそう~
小学生ノート…子供のすずが喜びます。(^_-)-☆
先日来のすずさんの「逆説の日本史」の紹介のお蔭で今回、
改めて歴史を再認識する機会を得た私は、子供のころから
物語りを聞いて覚えたことや学校での歴史の時間と、その後の
歴史小説などで知ったこと以外に『そうだったのか・・』と
思うことが本当にたくさんありました。
私たちが子供の頃は育った地域などにもよると思いますが
「源氏」=善「平家」=悪というような構図もあったと思います。
それは源義経や頼朝が主人公の物語もあり、義経の数々の
戦いに登場するゲリラ戦法や義経の不死伝説などによるものも
大きく影響したのではないかと思いますし、私の育った富山県
には雨晴(あまはらし)海岸があり、そこに「義経岩」という
大岩でできた島のような景勝地があるのです。
兄頼朝に追われる義経が奥州へ落ちのびる時の様子が伝説となった
もので、その大岩の場所で雨宿りをしたということから「雨晴」と
名がついたようですが・・・
そんなこともあり、富山県には義経や弁慶に関する逸話も多く
県民には子供のころから義経に対する親しみなどがあるのかもしれません。
さて、前回に続くすずさんの「小学生ノート」ですが、
よく調べよくまとめましたね。
絵が訴える力も大きく、たとえ文字がなく、絵を見ただけでも何を
表しているのかすぐにわかりますね。
よく勉強していたのですね、そのころからすでに歴女としての
素養があったのですね。
ところで西武ライオンズのレオの絵があるのはどうして?・・・
あ、西武ライオンズの歴史をたどると前身が「クラウン」「太平洋」・・・
そしてもともと福岡の西鉄ライオンズに繋がる…ということからなのですね。
西武ライオンズになったのはすずさんが小学生の頃だったからかな?・・・
また小学生ノート楽しく拝見させて頂きましたし、文章のうまさ、楽しさに引き込まれました。
安徳天皇の母を演じた中越典子さん、綺麗だな~~って、すごく印象に残ってるのです。
でね、私は1966年の「源義経」もおぼろげながら記憶にあるのです。もう生まれてましたので(笑)
今ご夫婦の尾上菊五郎&藤純子さんが演じて・・・そこから恋に落ちた??
子供の頃、大人の世界を見たような気分の大河でした♡
つゆ草まだ咲きますね。
間違い探しのブログへ行ってくださりありがとうございます。
ほのぼの絵ですので和みますよね。
花燃ゆといだてんも何か数回で観るの止めたっけ・・・
小学生の頃のノートが今も手元にあるなんてすごいわ~。
そしてしっかりまとめられてて素晴らしいです。
私は日本史が苦手で^^;
そしてツユクサ綺麗ですねぇ。加工無しでここまで綺麗なんて
このあたりの歴史も人物相関が混とんとしていて
面白いところですね。
保元平治の乱あたりから、源平を手玉に取った
後白河法皇や日本三大怨霊のひとり崇徳上皇を絡めて
読み解きたいところです。
このくだりの「逆説」は読んでいないので
とても参考になりました。
ご紹介ありがとうございました。