緊急事態宣言が解除されました。帰りに図書館へ寄ってみると、駐車場が「宣言に入る前日のように」ほぼ満車。図書館はずっと開いていたのですが…❓ 予約を入れていた3冊を受け取ってきました。残りは他図書館から取り寄せです。
順序が逆ですが、先週、1⃣を見つけたので読んでみました。忘れていた箇所もあり、「たとえ」に笑いました。そうだったな~著者は名古屋出身だったな~ だから、中日ドラゴンズか~ 本題に入る前に、今の日本史研究における問題点に触れられています。
歴史に記録されぬ「当たり前のこと」
「なぜ、ソフトバンクホークスのマスコットは、鷹(ホークス)なのか?」
と、問われたら、
「うーーーん。そうだな~ 鷹は、鳥の仲間の内でも強そうだし。」
「じゃぁさ、楽天イーグルスのマスコットは、どうしてイーグルスなんだろう?」
「ホークスもいいな~と思うけど、すでにソフトバンクが…っていうより、ダイエーが採用していたから」
「じゃあ、中日ドラゴンズは、どうしてドラゴンズなんだろ?」
「そりゃぁ、ほんとは🐯虎とか🦁ライオンとか強そうな動物が良かったけど…阪神と西武に使われてるから」
では、実際の「ドラゴンズ50年史」には、どう書かれているかというと、
「昭和22年、チームは中部日本新聞社社長の干支が「辰年」であるところから、それにちなんでニックネームがドラゴンズと決まった」
では、もし社長が私のように酉年だったら? まさか、中日ドラゴンズではなく、中日チキンになったんだろーか
Back To the Future バック トウ ザ フューチャーっていう有名な映画の殺し文句;
「君はチキンか~?」 要するに弱虫、弱腰、意気地なしって意味だけど… いくら干支が酉🐔でも、中日チキンは いかんわ~」
(注意:決して中日を馬鹿にしているのではありませんので)
まぁ、ようるすに、たまたま社長の干支がチキンや🐰ウサギじゃなくて(弱そう…)辰だったから採用になった! 当たり前じゃないから「記録」された。一方で、他のチームに対抗して何か動物を~と考えたという、当たり前の事柄までは記録されないって井沢さんの主張、当たり前すぎるだけに見落としてしまう重要ポイントだな~と改めて思いました。
もう一つの重要ポイントは、怨霊、言霊、といった呪術的側面の無視。これはシリーズ全編を通して何度も触れられており、1⃣では、何故、出雲大社と宇佐神宮だけが、 二礼 四(死)拍手 一拝 なのか?
以下は、単なる( ..)φメモメモです:
「死拍手をもって拝礼されるのは、不幸な死を遂げたタタリ神。宇佐神宮に祀られているのは、比売大神。
井沢説は、古代初の皆既月食で卑弥呼は死を迫られた(殺された)→ 不幸な死を遂げた → 古事記に記された神話、「雲隠れの神が原因で、世の中が真っ暗になった(これは卑弥呼が死んだ年に起こった皆既月食ではないか?)」→ 卑弥呼はアマテラスではないか? 実在の人物 卑弥呼を神格化したのが天照大御神(アマテラスオオミカミ) もう一つ、天照大御神を祀った伊勢神宮は、いわば「仏壇」 天皇は大事なことを決める際、宇佐神宮へ遣いをやった → 宇佐神宮(九州)にこそ、天皇の祖先は居た(北九州市に卑弥呼の墓(壺に収められ、お腹に何本もの矢が刺さった女性)はある → すなわち卑弥呼=比売大神=天照大御神。
宇佐神宮は天皇の祖先の墓(のようなもの)であり、伊勢神宮は天皇の仏壇のようなもの。
ちょっとややこしい? 神格化された天照大御神を祀ったのが伊勢神宮であり、その、もともとの実体を祀ったのが宇佐神宮である。(309ページ11-12行抜粋)
「宇佐(あるいは北九州)の地が天皇家の先祖の地であることを知っていた宇佐地方の神官たちが、「応神天皇の霊の出現」を言い立てて、朝廷に大きな社殿を作らせた」だから邪馬台国はやはり九州にあった、という井沢説。 面白い! これを読んで早速、宇佐神宮と出雲大社へ~ 甥っ子&両親と参拝したのは、甥っ子2歳の時だったから…17年前!
ちなみに、自分で調べたこと:として、井沢さんも書いていたことをノートに自分も書いている!
「卑弥呼様は、神にお仕えする巫女だ。神のお告げを受けて、邪馬台国を収めて下さるのだから、宮殿の奥深くに閉じこもり、めったに人前にお出にならないそうだ」「弟様といわれるお方がお食事を運んだり、女王様の命令を伝えたりしている。」(小学校ノートより)
ちなみに、井沢さんは弟様というのは、実際には夫だった可能性もある、と書いている。お腹に矢が刺さった状態で亡くなったのも…意味深。
小学校ノートの「調べたこと」;聖徳太子が死んだ後、どうなったか?
かつて自分が書いたこととはいえ、気になる記述を発見。
「聖徳太子の死によって、一時は新しい国作りもこれまでか…と思われた。しかし、それまでおとなしくしていた蘇我氏が勢力を盛り返し、思うままにふるまい始めた。このため、太子の志は、もはやこれまでかと思われた。 しかし!(…と、ここで小学生が強調!)
645年、そが氏は天皇中心の国を目指していた中大兄の皇子や中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らによって滅ぼされてしまった。
授業でも、「悲劇の聖徳太子」が強調されていた気が…
聖徳太子がやったこと
●十七条の憲法 ●法隆寺(ほうりゅうじ)●摂政の仕事(推古天皇のかわりに政治を行う)●遣隋使 小野妹子
日本全国で、豪族同士が争っていたが、仏教の教えを守り、天皇中心の国を作ろうとした。
蘇我氏と協力してやろうとしたが失敗。
「世間のことは、むなしい。仏だけが真実だ」といい、失望して死んでいった。享年49才。
小学生が見た日本史
以上、小学生ノートからの抜粋でした。
予約し遂に借りてきた5巻を明日から読みます。
たとえがわかりやすく面白いですね~
スワローくらいまでならわかるけどチキンは確かにないですね~(笑)
小学校の時のノートがまだ残ってるんですね~
関根勤が昔はラビット関根って芸名だったのは兎年だったから・・・って訳では無さそうですね(笑)
おはようございます。
すずさんはどんな小学生だったのでしょう?
ますます興味がわいてきます。
歴女のはしり?
きっと先生の話をメモを取りながらじっと聞いているような子だったのでしょうね。
ノートを残しているのもすごいです。
すずさんの記事の
>以下は、単なる( ..)φメモメモです:
の部分を知りたくてまだ返却日の来ていないビジュアル版の「一」古代偏㊤をもう一度開いてみました。
既に書物を読み、実際に現地を知っているすずさんに感想のようなものを伝えるのも失礼だと思いましたが・・・
「卑弥呼=天照大神」説を裏付ける248年の皆既日食と大岩戸伝説でも日食や皆既日食などの天文データーは規則的な天体の運動の結果起こるものなので、古代に起こったものでも正確に計算できるということからその時期に皆既日食があったのならば「天の岩戸隠れ」の神話は事実に基づくものではないかという説・・・
その結果、紀元前158年と248年に皆既日食があったことから卑弥呼の死と一致すること。
そして卑弥呼=比売大神=天照大御神。
「魏志倭人伝」に卑弥呼の名はあるが日本の資料には「卑弥呼」の名は見当たらないこと。
「古事記」や「日本紀」に登場する女性のうちだれが卑弥呼なのかなどと様々な説が唱えられてきたこと。
アマテラスは古事記では「天照大御神」日本書紀では「天照大神」と記されていることなど、そして日本書紀の筆者は天照大神は巫女であると言っていることなどいろんな情報も得ましたが、宇佐神宮に隠された「比売大神=アマテラスの謎を解く」と
いう部分では宇佐神宮の本殿に三つの御殿が並び、三柱ある祭神「応神天皇」「比売大神」「神功皇后」が祀られていることや日本の常識からいえば主祭神である応神天皇の御殿が中央になるのが普通だと考えられるのになぜか「比売大神」が中央に鎮座
していること・・それは「比売大神」こそ本来の主祭神であることを示しているのではないかという興味深い内容とともに「比売大神」は誰のことか?・という解説にのめり込みそう・・・
主祭神であるはずの「応神天皇」より格の高い位置で祀られているのは太陽神として神格化された卑弥呼と考えるのが妥当だろうという説・・・・
そしてそれを裏付けるのが「二礼四拍手一拝」拝礼作法であるということなど興味津津・・・
「四拍手」=「死拍手」の意味とそれに該当するのは卑弥呼しかいないといいう説明などにも興味を持ちました。
ああ、長くなっちゃいましたね。
我が家はそろそろご飯のようです。
興味ある「小学生ノート」についてもまた後日・・
分かりやすい例えを井沢さんが書いてくれていたのを わたしは自分の干支まで持ち出して…
ギャグにしてしまいましたわ~
(⌒▽⌒)アハハ!
つばめ くらいなら、まあ、許せるというか、
機敏な動きをするツバメと機動力のヤクルトは、イメージ的にもピッタリかな~と。👍
でも、中日チキンは、流石に…((+_+))
中日ファンに怒られそう。
今の所、名古屋の叔母からもクレームはないけど…
ドラゴンズファンなんで💦
気合を入れて調べたノートなので、捨てられなかったです。
算数のノートはすぐ、捨てました😨
関根勤が昔はラビット関根!?
そっ。。。そーだったんですか!
🐰 なんでラビットなんだろ~
案外、干支だったりして!(^^)!
8巻くらいまで~と思っていたら、私が知らない間に、次々と続編が…!
今は、逆説の世界史もありますよ~
もう、ビックリです。
でも、このシリーズ、面白いので読む価値は大です。
気になる時代を読んでみる、というのもあり✋かも。
そうですね。
今も人の話を聴くことが好きで、( ..)φメモメモを取りながら…ということが多いです。
特に市が主催する歴史講演会などは。
小学生の頃は、親の影響で大河ドラマを見ていたため、小学校6年生の社会で歴史の授業が始まると、見事にはまりました。
先生の話を聴く、に加え、その後、自分で調べてノートを作る、という過程が特に好きでした。
以前、大河ドラマ「麒麟がくる」で桶狭間の戦いのシーンが放送され、その時、この小学生ノートを思い出しました。
その時、ブログに初登場させましたっけ。
桶狭間の戦いは、小学生だった自分が特に、面白い!と思った時代だったからです。
今でいう、「歴女」だったのかな~
歴史って面白いですね。
んまぁ~👀
私が省略した箇所を詳しく書いて下さってありがとうございます。
初めて読んだ時は、呆気に取られました。
アマテラスオオミカミがヒミコ?
邪馬台国は九州にあった!と小学生の頃から信じている自分ですが、
いえいえ、正しくは信じたい自分、かな?
井沢説は面白く、説得力もあり、証拠もある。
推論も勿論、沢山ありますが、すぐに出雲大社を参拝したくなりました。
阪急のツアーに家族4人、申し込み、
二礼 四(死)拍手 一拝
してきました。
勿論、お墓参りをするために訪問した宇佐でも。
宇佐神宮も、かなり広くて、散策するにはもってこいだな~と子供の頃から思っていました。
父が宇佐市出身で、私も2歳までは宇佐神宮のそばで育ちました。
お伊勢参りをいつかしたい、とも勿論思っていましたが、この本を読んでから、出雲大社が先になり、今日までお伊勢参りはまだ…
あちらは「仏壇」だしなぁ…と、どこかで思ってしまうというか。
でも、いつかお伊勢参りも…と思っています。
ところで、ビジュアル版というのは、イラストや絵が多いのでしょうか?
桶狭間で舌を巻きましたが!もっともっとあるんですね(*^^*)
私は小学生の時は算数が一番スキでした。
宇佐神宮は行きたい神社に上っております。遠いけど是非行きたいです。
>父が宇佐市出身で、私も2歳までは宇佐神宮のそばで育ちました。
それはご縁がありましたね。
私は伊勢神宮は講仲間で行き、出雲大社はたった一度の一人旅!で行ってます。
地元の大神神社系のお祭りの日に生まれてますので神社好きです。
ちなみに大神神社も行ってますよ。
今回のすずさんの記事から18年ぐらい前に名古屋在住の後輩たちを訪ねた時帰りに熱田神宮と伊勢神宮(内宮)を訪れ、その荘厳な様子に大きな感動を覚えたことを思い出しました。
「逆説の日本史」のビジュアル版は写真(カラー・モノクロ両方)や説明図、それに絵などのほかに井沢さんの写真や対談などもあり、飽きずに読めますね。
ところですずさんの「小学生ノート」も凄いですね
拡大してページを何度もめくって読みました。
やはりそのころから現代なら「博士ちゃん」や「歴女」と言われるに相応しい小学生だったのですね。
すずさんの書いた部分は明日、ビジュアル版でゆっくり読むことにします。