一言でいえば、
「浅野氏が乱心→ 吉良氏に背後から一方的に無言で斬りつけた(現行犯逮捕)吉良氏は無抵抗で100%被害者、
という『赤穂事件』の歴史は 『忠臣蔵”伝説”』に改定され、今日までドラマや映画を通じ、浸透していますよね。
因みに、精神科医によれば、浅野氏の言動から、明らかに精神分裂症 → 統合失調症と診断されるそうです。当時の資料(日記)には、『乱心』という言葉も。当時の人にとって、乱心とは、今でいう統合失調症なのだそうです。
江戸時代を体表する荻生徂徠(おぎゅうそらい)は、浅野や大石のことを次のように批判;
「浅野は一時の怒りに先祖の恩すら忘れ、吉良義央を殺そうとした。このこと自体、不正義であるのに、大石ら四十七士は、その主君の邪志を継いだ。どうしてこれが正義といえようか。」(65ページ16行~18行目抜粋)
これが通説とはならず、結果的に幕府が46人を義士と認めたことで、将来的には倒幕への墓穴を掘ったことになるのだけれど… 主君に義を示すなら、幕府にも義を示すだろうという幕府の甘い認識…💦 この判断ミスは、その後の2.26事件も引き起こし…。
ここで、一体誰が、名君、徳川綱吉を「バカ殿」と改定したのか?について、書いておく必要があります。
その人の名は、新井白石(はくせき)。五代将軍綱吉の後、6代家宣(いえのぶ)、7代家継に渡って「政治顧問」として仕えた。この男が書き残した記録や日記、その影響を受けて記された史書、すべて「綱吉は暗君」と述べている。(151ページ)
井沢さんによれば、なんとすべての「ネタ元」が新井白石! 江戸時代を代表する儒学者で、「中国的論法」を展開した人。後の時代の人が前の時代の史書を書く、いわば中国式。
ここで今一度、徳川将軍の政策決定の仕方を初代、家康から五代綱吉まで確認しておきたいと思います~ 井沢さんが表にまとめてくれていますが、
まずはタイプ① カリスマ将軍、初代家康
林羅山、本多正信ら、ブレーンがいるが、将軍、家康が老中に命令を下す。トップダウン形式。
タイプ② 将軍はお飾り
二代秀忠、三代家光、四代家継が、ここに入る。将軍はお飾りでOK。老中が合議をし、将軍に上奏。将軍は承認するだけ。実際に幕府を動かすのは老中、ということになる。家康は、この方が争わずに徳川家が代々幕府を収められると思ったのだろう。
タイプ③ ここで五代綱吉登場。
彼は、全く新しいシステムを考えだした。将軍と譜代大名からなる老中との間に、側用人(そばようにん)を置いたのだ! 老中はまず、側用人に合議の内容を伝えねばならない。側用人は将軍、綱吉の腹心であるから、将軍の意向は良く分かっている。だからそのまま将軍に報告することもあれば、突き返すこともある。要するに、側用人を一人、置くだけで将軍綱吉は拒否権もあれば、修正案を出すことも出来るようになったのだ。井沢さん曰く、「綱吉マジック!」(144ページ)
ゲーム感覚で人斬りも出来た時代から、🐶一匹、身勝手に殺せない平和な世へと、「社会意識の変革を成し遂げた」功績といい…そして、側用人を置くことで政治を円滑に実行する、というシステムを考え出した綱吉。まさに天才!
しかし、そんな綱吉が何故、暗君にされてしまったのか~?
答えを先にいうと、史書は老中が書き残してきたからだ。
老中とは、どのような人達がなるのか? それは江戸時代初期に決められた通り、名門の譜代大名しかなれない。名門の家柄からのみ、選ばれるということは、かなり限定される。しかし、時にはバカ殿もメンバーに入ることになる。
その一方で、側用人とはどのように選ばれるのか? 実力だ!
例えば、柳沢吉保は元々若い頃から綱吉の側近だったが、誰を側用人に抜擢するかは、将軍、綱吉が決め、実力次第ということになる。名門の出でなくともよい。…ということは、つまり、その…
老中が抱く、実力を備えた側用人に対する感情は… 名門出の代表、松平定信は、かつて田沼意次を刺し殺してやりたい!と言ったというから~。 田沼は側用人から老中に抜擢されている。出来る男は憎まれるのだね。いつの世も変わらないねぇ、ここは。
譜代老中が、成り上がりの実力者老中をどう見るか~? 「悪い奴」であるからして、『護国女太平記』も「目こぼし」され、「柳沢吉保は大悪人」でなければならず、「綱吉も暗君でバカ殿」でなければならなかった…😨 何故なら、成り上がりがのさばる「システム」を考え出し実行に移したのが、綱吉だったから。 (147ページまで~まとめ)
歴史上、代表的な側用人といえば他に、真鍋詮房(まなべあきふさ)、田沼意次(たぬまおきつぐ) 彼らは映画、テレビ時代劇では必ずといって良いほど「悪人」として登場する。
…ってことは、吉良は良い殿様だったが、浅野をヨイショしたいばかりに、大悪人でなければならなかった。歴史上の評価、という点でも、実に気の毒な人なのだ。そろそろ綱吉と吉良の殿様の名誉回復しても良い頃なのでは…❓
でしょ~
私も、ある時点まで、バカ殿の代表は綱吉って、刷り込まれていたもん。
あんなドラマを作る大人が悪い!
小学生の頃から、「平清盛は大悪人」と教われば、
「ほんとにそうなのかな?」
と自分で調べ、違う記述を見つけては喜び、自主学習ノートにしっかり書く! (以前、ブログでも披露したので、ここで止めます)
そんな私には井沢さん、塩野さんの著書は出合うべくして出合った!のかもしれませ~ん
ですよね。
今、生きている政治家の評価も、人によってこれだけ違うのに。
ましてや、歴史上の人物となれば・・・・
本人は何も弁解出来ないですし、でたらめも沢山あるでしょうね。
色々な説を教えてもらえると助かるんですが、教師がどのような思想を持っているかにも左右されそう~
歴史学者は資料崇拝主義者が多いのに、何故か吉良については、「無視」をきめこむ、そんな不思議さについても、井沢さんが書いていらっしゃいました。
一方、綱吉については、私は社会福祉士の勉強をしている中で知りましたが、一般的には浸透していないですよね。
井沢さんの参考文献でも、綱吉については、見直している歴史学者もいるようですが、まだまだ…
タイプ別にした表を井沢さんが記載してあり、
私も凄く分かりやすいなぁ~と思った一人です。
Kenさんは、タイプ1のカリスマ経営者だったのですね。
納得です~ 👍
綱吉が悪者って刷り込まれてる~💦
ここまで すずさんが深く入り込むとは想像していませんでした 失礼!
素晴らしい分析と解説でした
私が歴史を見る目 井沢さんの著書に出会って変わりました
逆説の日本史 大好きになりましたね
推理小説も一冊買いましたよ
今年 全て断捨離をしましたが すずさんのブログでより良いご紹介で楽しめました
今の時代でも政治家などの評価が権力者の都合のいいように一般の人々が
思うようにされてるので(自分的にはまず一般の人に人気のある政治家はろくなのがいないと思ってます)
歴史的となるとほとんどでたらめでしょうね~
色々な説があり少数派の意見でも、歴史など
教えるときはいろんな考え方教えるべきだと思います。
おはようございます。
歴史は勝ち組によって都合がいいように書かれてきたわけですね。
綱吉や吉良の名誉回復は少しずつ歴史学者によってなされてきましたが、まだ世に浸透していませんよね。
このすずさんのブログも少しは貢献していますよね!
今朝も面白いですね。
将軍のタイプ別、側用人の話等々勉強になります。
私はタイプ①の経営者でした。お許しくださいね(笑)