日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

天使の賛歌(1)

2025-03-10 21:13:32 | ショート ショート

 あれは確か…春の陽射しが感じられるようになった、暖かな午後のことだった。

 父さんの事業が失敗、倒産し、全てを失った僕は、英国で学ぶことは諦めざるを得なかった。それでも世界を見たい、という夢は捨てきれず、豪華客船に乗り込んだ。勿論、お客としてではない。乗員としてだ。船底で寝泊まりし、雑用は何でもやった。あの日も遅めの昼食を掻き込むと、気が荒い船乗りたちにせかされながら、甲板を磨いていた。一心不乱に働いていた僕だったが、ふと、ほんの一瞬、顔を上げると、目線の先には少女が一人で立っていた。僕とおない齢くらいだろうか。女の子のふんわりとカールした髪が、潮風に揺れている。身なりから察すると、そこそこの華族の令嬢だろう。後ろ姿で顔は見えない。しかし、少女の中の何かが僕の目を捉えて離さない。凛とした佇まいからは、何か強い決意のようなものを感じ取っていた。もしも、父さんがあのようなことにならなければ、もっと自然な形で、あの子と出逢えていただろう。船員と客、或いは船を降りた後は、従者と令嬢、のような関係ではなく。同等の人間として。この時になって初めて、僕は自分を不憫に思った。

 

 この日を境に、僕は時々、甲板で少女を見掛けるようになった。一人で海を眺めているか、ばあやのような人が一緒の時もあった。ちらっと見えた横顔は、生き生きとしている時もあれば、寂しそうな時もある。両親が一緒にいる気配はない。もしや、僕のように… そんな考えが頭をよぎり、慌てて首を横に振った。他人の境遇が自分と同じであればよい、とでもいうのか。自分を慰めたいのか。父は独りで責任を負うように急激に痩せて、あの世へ逝った。身体が弱かった母も後を追うように亡くなった。一人っ子だった僕には負債だけが残された。そんな疫病神の僕を引きとろうとする親戚は誰もいないことを尻目に、僕は「これ、幸い!」と、世界を巡る旅に出たわけだ。だが、実際に船に乗ってみると、ペンより重いものを持ったことが無かった僕には、バケツ1つ運ぶだけでも重労働だった。誤ってヒックリ返せば、複数の船員たちの声が四方八方から飛んでくる。楽しみな筈の食事も早食い競争のようで、最初は胃が持たれた。やっと横になると、ベットは鉄板のように固く、船員たちのいびきで眠れない。ふらふらしながら甲板を磨く自分には、時折、見かける彼女の後姿こそが、救いのように思えた。七色の光を浴びる彼女の背中には、見えない筈の天使の羽すら見えるようだ。 自分は大丈夫だろうか。充分な睡眠がとれていないからか、まるで白日夢だ。本来、口すら聞ける相手ではないのだが、ふいに振り返った少女と目が合った。栗色の瞳は母に似ていて、思わず懐かしさがこみあげ、泣きそうになってしまった。

「あら?」と、少女は軽く頷くと、僕に近付いて来た。天使が喋ったぞ!しかも、良く響くハープを奏でるような声だ。少女が一歩、いっぽ、歩を進める度に、僕の胸が高鳴りだした。しかし、それだけではない。

「どこかでお会いしなかったかしら?」と、天使が問うたのだ。まさか、あの世が近いのか。落ちぶれた自分が華族の御令嬢と知り会うことなど、あろうことか! 

「人違いでは?」と、言いかけた自分を遮るかのように、少女の目が見開いた。

「思い出したわ!2年前、サマーキャンプに参加されたでしょう?あなた、アメリカ人ね!」

少女は急にくすくすと笑い出した、いや、笑いたいのを必死に堪えていると言った方が適切だろう。

「あなた… 牛に追いかけられていたわ!」

「…は?」

今度は僕が驚く番だった。牛に追いかけられて…というと…もしや、あの時の…

「わたし、必死に叫んだもの。帽子、その赤い帽子を捨てるのよって。走ってはダメ、牛は興奮し、益々追いかけられるわ、って」

僕は記憶を辿った、というよりは、突然、目の前にあの日の光景が広がった。真夏の青空の下、確かにボクは牛に追いかけられ、小さな、しかし勇敢な女の子に助けられたのだ。しかし、あの子は…あの子は確か…

「Julieよ!私、背が伸びたでしょう?当時は12歳で…あなた、いつも子供扱いしてくれちゃって!でも、あの牛事件以来、立場が逆転…あら、ごめんなさい。あなた、Johnね。そうでしょ? John James そして、わたしは Julie Johnson 二人共イニシャルは J.J.ね、って話したんだった」

少女は懐かしそうに遠い目をした。まさか、あの、お転婆が…このような可憐で美しい少女に成長しようとは!駆けっこなら誰にも負けなかったジュリー。牛でさえジュリーの前では大人しくなったものだ… それが今ではおしとやかに、微かに笑みを浮かべつつゆったりと歩いてくる。

「お会い出来て嬉しいわ、ジョン。見違えるような美しいレディーになったな、って顔に書いてある!」

少女は… ジュリーはそういうと、クスクスと笑う。あぁ、この笑い方、確かにあの、お転婆だ。だけど勇気ある優しい御令嬢だ。二年が経過し、確かに見違えるほど美しい14歳の少女に成長していた。しかし、中身はそれほど変わってはないらしい。急激に距離が縮まった気がして、僕は嬉しくなった。あの時、こうだった、ああだった、と、まるで旧友と再会したかのようにはしゃいだし、心の底から笑い転げた。ジュリーが僕の心を軽くしていく。安心感を与えてくれる。そう感じ始めていた時、ふいにジュリーが思い出したように言った。

「ところで、あなた、ここで何をしているの?」

バケツの水を浴びたように、僕は全身が冷たくなった。何を…って...。

僕の表情に陰りを見たのか、ジュリーは慌てて言う。

「話したくないなら、何も言わないでいて。」

「いや… 話すよ」

僕がこれまでのいきさつを話すと、ジュリーは深いため息をついた。

「色々と大変だったのね」

「ああ、しかし、悪いことばかりじゃないさ。無一文になっても、働きながら旅は続けられている。それに…」

僕は一旦、ここで言葉を切ると、ちらっとジュリーの顔を見た。

「それに...何?」

続きが早く聴きたい!とジュリーの栗色の瞳が語っている。僕は一度、深呼吸をすると、たいしたことじゃないように言った。

「それに… 英国で学ぶ夢は途絶えたが… こうして君に2年ぶりに再会できた!」

「まぁ、ジョンったら!」

慌てて横を向いた彼女の頬が、ほんのりと赤く染まった気がした。ジュリーの背後で傾きかけた夕陽が頬に反射していたのかもしれないが。

 

続く...

 

 

 

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 共作プレミア 橘ドゥビアン... | TOP |   

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | ショート ショート