「あら! 可愛いわねぇ。何処となく みっちゃんに似ているわ」
おトキさんは一歳になったばかりの沙希を抱っこし、まるでおトキさん自身が童に戻ったかのように微笑んだ。まさか、学生時代お世話になったおトキさんに、私が高齢で授かった沙希を抱いてもらえる日が来るなんて・・・。『あの頃』の私は露とも知らずにいたっけ。学生時代を過ごした下宿先の玄関と、チャイムを鳴らすと同時に駆けてきたおトキさんを代わるがわるに眺めながら、想いを馳せた。
おトキさんの息子さん達が結婚後、それぞれに独立し、空き部屋が増えたから・・・と下宿屋さんを始めたおトキさん。恋する学生だった私をいつも、温かく見守ってくれていたおトキさんは私にとって母親同然の存在だった。後に主人となったテニスコートの彼と私は日頃から仲が良かったが、一度だけ、私が独り相撲をとって いじけていたことがある。若かった私は、『彼とはもう二度と会わないんだ!』 なんてホントは大好きで忘れられないくせに、強がって一週間もふて寝していた。あの時、おトキさんが二人の仲を取り持ってくれなかったら、今、こうして沙希の笑顔を皆で囲んで眺めることもなかったのだ。
何故って・・・・。おトキさんがいなければ、私は主人とゴールインしてはいなかっただろうから。当然 沙希だって、この世に誕生しなかったことになる。
人の縁って不思議だ。人の運命は更に不思議だ。人、ひとりの誕生までも と・き・として 大きく左右する。おトキさんの名のごとく!
私と主人は勧められるがままに、懐かしいキッチンへ通された。ガスコンロがオール電化になった以外は、小窓に置かれた鉢植えも、壁に掛けられた小鳥の絵も、何も変わってはいない。年季が入った鍋がずらっと棚に並んでいる。あの鍋でスープを作ってくれたおトキさんの慣れた手つきが ふっと映像のように浮かんでは消え、懐かしさが込み上げてくる。そして何よりも変わらないのは、おトキさんの大河のようなすべてを受け入れる笑顔。今年79歳になるおトキさんの顔はシワこそ深くなっていたが、人間味も年輪と共に深みを増したように似合っていた。私もおトキさんのように年齢を重ねたいと思わせる笑顔。。。
私たちはおトキさんが作ってくれた牡丹餅を食べながら、昔話に花が咲いた。私の膝の上でガラガラを振ったり、画用紙にクレヨンでグルグルと円ばかり描いて大人しく遊んでいた沙希も、時折、退屈しては ぐずる。そんな時は、おトキさんが すかさず沙希を抱き上げた。『私が若い頃は抱き癖がつくから、泣いてもすぐには抱かない方がいいなんて言われていたけれど、そんなことはない。幼児はしっかり母親の腕の中で抱きしめられてこそ、安心して大きくなれるのよ。きっと成人するころには立派に自立していくことでしょう。貴方達のような、いつでも帰ることが出来る温かい心の故郷と呼べる両親がいれば・・・』 おトキさんの話は私達夫婦の心に、ひと雨ごとに温かくなる春の日差しのように優しく届いた。
「そうですね。いっぱい、いっぱい、この子を・・・沙希を抱きしめようね!」
私達夫婦はどちらともなく顔を見合わせ、幸せに包まれる。沙希、この世に生れてきてくれて、ありがとうね。とっても感謝しているよ。私たちは沙希が40歳になるまで沙希の成長を見届けられないかもしれない。でも、きっと誰かが見守っていてくれるよ。私達にとって、おトキさんがそうだったように・・・・ね。だから、安心して大きくなってね! 母親である私の心の声。一歳の沙希に・・・いや、大人になった沙希に将来届くだろうか。そうであってほしい。
「道子、そろそろお暇しようか?」
「あら? もうこんな時間? おトキさん、長々とお邪魔しちゃって。つい、居心地が良いものだから。もう、おいとまします」
おトキさんは、「あら、そうかい? 今から何処で何を食べるのかい? へぇ~中華料理かい! それはいいねぇ。ところで昨日は東京のどの辺りを観光したんだい? 上野動物園かい! それはいいね。パンダが可愛かっただろうねぇ」
・・・・・・と、先程から幾度も同じ質問をしては、今回初めて聴いた話のように驚いてみせた。嫌、実際に今のおトキさんは、私が何度、『上野動物園へ行ってきましたよ。今はパンダは居なくなったんです』、と答えたところできっと、『初めて聞く話』なのだろう。昔のことは昨日のように良く覚えている一方で、ほんの10分前に話したことは、すでに忘れていた。
「ずっと下宿屋を続けていきたかったんだがねぇ。半年前に、家賃を頂いていないと学生さんに言ったら、両親が連れ去ってしまってね。それ以来、一人、また一人と居なくなってしまって…もう誰も入居しないんだよ。これも時代の流れかねぇ。贅沢な暮しに慣れた若い人たちは下宿なんてしないのだからって息子に言われるんだよ」
金銭トラブル・・・・、もしかして認知症? という疑いが脳裏をよぎる。ふと、キッチンの隅で黙って話を聴いていた同居のお嫁さんの困ったような視線とぶつかった。そうか・・・・。だからおトキさんは下宿屋さんを辞め、住み慣れたこの場所で、息子さんご夫婦と同居を始めたのだ。
「あなた! ちょっと待っていてね! この辺りに今もお花屋さん、あるかしら? ほら! 貴方がバレンタインの日に・・・」
ここまで言いかけた私を驚いたことに、おトキさんが 「そうよ! みっちゃん!」と叫ぶが早いか遮って、階段の踊り場まで丈夫な脚で降りて行った。身体の方はまだまだ元気なようだ。吸い寄せられるように、私も踊り場まで降りていくと・・・。
「ほら!」
白い花瓶いっぱいに飾られていたのは、あの・・・バラの花束だった。きっとそうだ。鮮やかなピンクと赤だったバラの花は、今では赤茶色のような褐色の色をしていた。それでも、まぎれもなく主人が19歳の私に初めて贈ってくれたバレンタインプレゼントだった。 『綺麗なドライフラワーになったら、きっと私と彼はゴールインするよ』 冗談交じりに言った私の台詞が現実になって、目の前に広がっていた。
「みっちゃん、これ、何輪か持っておいき! 幸せのおすそわけ」
「そうですね、おトキさん。私、今から花屋さんへ走ろうかと思ったけれど・・・そんな必要もないみたい。ハッピーバレンタイン、おトキさん!」
「はっぴい ばれんたいん、みっちゃん、旦那様、そして沙希ちゃん!」
人の記憶はすべてが永遠ではなかもしれない。それでもバラは覚えている。それぞれの 人の 生きざまを。 そして 人の温かさを・・・。
はっぴい ばれんたいん!
おわり
我々は今年、銀婚式を迎えますが、いつの年からかバレンタインなんてなくなりました。
今年は感謝の気持ちを込めて、赤いバラ一輪の逆バレンタインやってみようかな?
まるで この物語のようですね。
是非是非、バラの花を
報告
一番伝えたかったことは
すべての
人の縁は、
どこかで繋がっている~
ということです。
4つのストーリーで、
人と ひとが 何処かで繋がり、
命も受け継がれていく。
この世に生れてきたのは
単なる偶然じゃない。
自殺なんて もってのほか!
ということを言いたかったのでした。
では、素敵なバレンタインを
詳しいことは我が家で。
ただ今一人懇親会開催中。(笑)
今からそちらのブログへお伺いしますね。