1991年から連載されたエッセイを一冊にまとめ、改訂版として登場した文庫です。日本の政治についても、結構触れられています。どれもこれも時代遅れどころか、今読んでも納得な内容。特にユリウス・カエサルや、先週紹介した
マキアヴェッリが友、フランチェスコ・ヴェットーリと交わした往復書簡
、そして『君主論』などの著書について。
今回は視点を変え、政治哲学のみならず、個人対個人、人間対人間についても、全く同じことが言えるな、と改めて感じました。
「最も成功した人が得るもの、それは賛美と憎悪。何故なら人は嫉妬せずにはいられない生き物だから。憎まれたら、認められた証拠。」
その通りですよね。
マキアヴェッリは、友のヴェットーリに幾度も無職の自分に仕事を紹介するよう、手紙で頼みます。元々は、「君主論」も再就職を狙って書かれたものでした。また、失職しなければ、書かれることは恐らく無かった著書でもありましたが。
「君主論を上司に渡して欲しい。そうすれば、何らかの仕事も与えてもらえる筈だ」
友のヴェットーリは、君主に会う機会もある外交官だったので。
しかし、友は その内容を手紙で詳しく知らされても、感想は無し。マキアヴェッリに 「読んだか? 感想は?」と催促されて、ようやく書いた返事は、わずか数行。出来上がった手書き原稿を読んでも、「まだ完成された物を読まなければ分からない」と塩野七生さんによれば、実に素っ気ないものでした。
大ヒットする『君主論』について、友人でお互いをよく知っている、書くものも認めていただろうに、この冷めた反応と、その後の世間の高い評価との温度差。賛美や憧れは、やがて劣等感と憎悪へと... でも、認めているからこそ、ですね。
彼が紹介するのは、地方の田舎のポジションばかり。収入面より、やりがいを求めていたマキアヴェッリには魅力ない話だったようです。
一方、暇とはいえ友は一応、君主に会う機会もあった外交官なのだから、いつでも仕事のあっせんをするチャンスはあるはずなのに、と友のヴェットーリは後の歴史家からも不人気です!
ただ...
「手紙の催促をしましたね? 『君主論』についての、コメントをかなり強い調子で求めてきましたね? しかも、上司に見せ、仕事をくれと頼めだと?? 何度読み返しても、貴方は嫌でも上司に掛け合ってくれ!オレを喜ばせてくれ!という我儘しか伝わってこない。 自分の感覚だと、友人レベルに求めることじゃない。手紙のやり取りはお断り!」
といった類の書を送りつけなかっただけでも、ヴェットーリは立派です。
『君主論』については、著者が満足できる感想を送らなかった彼ですが、その他については、相手が書いた手紙の内容を受けて、返信しているのですから。いわゆる「往復書簡」です。
もしも、、ヴェットーリが殆ど相手の手紙の内容を無視して、自分が書きたいことだけ書いたなら、そもそも君主論も誕生していませんからね。
次に、ユリウス・カエサル。以前、他の記事でも触れたのですが、大体、以下のような内容です。
「最悪な結果となったことも 善意で始められたことだった。」これをマキアヴェッリも自分の著書で更に紹介し、読み砕いている!
古代ローマ時代、誰でも望めば市民権を与えたことで、スペシャル感がなくなり、ローマ滅亡へと... 善意で始めたことだった、という例です。
私は今回、これを国、政治レベル、から個人対個人。人間対人間に置き換えても考えてしまいました。
ヴェットーリは頼まれても紹介しませんでしたが、私は知人の「ぼやき」を聞いて、最初の一年は 「プライドが許さないだろう」と思ったので、「こうしたら上手くいくかも」というアドバイスのみ。「ぼやき」が3回を超えたところで、相手の許可を得て、紹介しました。 反応もよく...ここまでは良かったものの、その先は 最悪の結果となりました。私は善意で始めたことでしたが。
でもいいです。善意で始めたことが、最悪の結果を招くことは、よくあります。寧ろ、こちらのケースが多いくらいです。困っている人を見ると放っておけない性格の人が陥りやすい罠かもしれません。
では、明日も(いや、今日か)仕事ですので、おやすみなさいませ。帰宅後、ブログ巡りをしますね。
凄い読書量ですね~
雇われ人である限りぼやきはつきないでしょう
ストレス少ない人生歩むには独立しかないでしょう?(笑)
今の日本も善意で皆さんされてることが最悪なのかもよ~?(笑)
一年生さんも、雇われていた時は、ぼやいていましたか?
塩野さん、国際化社会、国際人、云々といわれ、外国人が登用される一方で、海外駐在員の日本人が力を発揮できていない、人材活用されていない点を問題視しており...
これって、1991年あたり。日本人が海外で爆買い(初代!)していた頃の話です。すでに企業に雇われた、優秀な駐在員ですら、生かされていない、と塩野さんの目には映っていたようですから、個人の留学組は見向きもされなくて当然だったのかもしれません...(´;ω;`)ウッ…
運動会は出来ず、オリンピックは開催できる。
矛盾だらけだ...という声も聴かれますよね。
子供達からも。
100年後、1000年後は、今の日本をどのように評価するのか知りたいなぁ。
温暖化で地球が滅亡していなければ!
塩野七生さんは好きです。
私の座っている真後ろの本棚にあるのが「ローマ人の物語」ですよ♡
シーザー大好き! とはいえ、戦うのが正義という時代・・・
日本の100年後…どうなんでしょう。
私も見てみたいです。
「最も成功した人が得るもの、それは賛美と憎悪。何故なら人は嫉妬せずにはいられない生き物だから。憎まれたら、認められた証拠。」は、
言い得て妙ですね。ただ、賛美はオープンに行われますが、憎悪は底籠るのが常でしょうね。
なお、私のブログへコメント頂きありがとうございます。
fumiel-shimaさんのところで、心に残るコメントをたびたび拝見させて頂いていました。
「i-モード開発」は、当時の技術レベルで、実現を危ぶむ声も正直ありましたが、
開発メンバーに恵まれ、何とか完成までたどり着けてほっとしました。
開発ミッションとしては、技術者冥利に尽きるものでしたが、
苦悩以上にワクワク感があったことも事実です。
「世界に・・・」とのお言葉を頂き恐縮です。「地上の星」では
ありませんが、この開発に携わった多くの技術者たちは、文字通り
青春や、人生のすべてを注ぎ、時には家庭破壊も省みず開発に注力した
多くの名もない技術者たちでした。今、当たり前に使われているシステムも、
これらの方々の尽力の結果によって創られた
システムと思っています。
その技術者たちの苦闘の一端でも、拙い短歌で表現できればと
詠んだ歌群れに目を止めて頂き嬉しいです。
ただ、昨今の「スマホ依存症」等々の報道を見るにつけ、手放しで
喜べないのも事実です。
驚きました!
ゆりさんの背後には、『ローマ人の物語』
私は全43巻を図書館で借りて読んだので、手元には一冊もありません💦
今回、図書館のエッセイをまとめた本棚にて、偶然、この本を発見したのです。
タイトルは『男たちへ』ではありますが、大好きで尊敬する塩野さんの著書なので、女の私も迷わず手に取りました。
100年後の日本。
存亡の危機かもしれません。
フィレンツェは勿論のこと、あれだけ栄えた古代ローマ帝国、そしてヴェネツィア共和国も滅亡しましたので...
大正生まれの祖母は、すでにあの世ですが、「中国の一部になっているかもしれない」と言っておりました。
指導力がない日本。
米中、そしてロシアの覇権争いを見ていると、あながち...これ以上はやめましょう。
昨夜、ポエット・Mさんの記事を拝読し、『地上の星』がBGMとして、脳内に流れてきました。
早速のお返事、そして、こちらのblogまでお越しいただいた上、コメントまで残して頂き、こちらこそ恐縮です。
ありがとうございます。
私も fumiel-shimaさんのブログで、度々、ポエット・Mさんの詩人のようなコメントを拝読しており、勝手に親しみを感じておりました。
文章からは、文化人のイメージでしたが、まさかの技術者!
この点も少し意外でしたが、更に感動しました。
世界をリードする仕事にかける、技術者たちの日々の努力...
それこそ、
「最も成功した人が得るもの、それは賛美と憎悪。何故なら人は嫉妬せずにはいられない生き物だから。憎まれたら、認められた証拠。」
賛美は勿論のこと、中には心無い方の憎悪も表に出てこないだけであった「かも」しれませんが、当時の技術革新と成功は、あの時代の人達のお陰。
大半の時間を特に何もせず過ごしてきた私には、眩し過ぎるくらいです。
スマホ依存は、また別のお話かもしれませんね。
使う側の責任というか。
ご訪問、ありがとうございました。
考えさせられます…
私も同じく!