皆様、おはようございます。
本日、我が市は『街 美化の日』市民一斉、草取り、市民センターや公園掃除に参加するの日となっております。甥っ子がここ、実家で暮らしていた頃は、私も甥っ子を連れ、
世界ギネスに挑戦!の一員に。
近所の草むらの中に捨てられた空き缶を二人で拾って回ったのです。袋2枚がいっぱいになり、結構な量になりました。それらを甥っ子と市民センターへ届けると、受付係のオジサマから、
「お疲れ様でした~。お子さんはおいくつですか? 市民じゃない? 大丈夫です。参加者名をこちらに…」
近場の市民センターにて記名。参加賞(参加を証明するミニカード)を頂きました。日頃から公園で遊んでいる最中に、ベンチの下に放置されたお弁当箱を公園に設置されていた(現在は消えました、ゴミ箱が…)ゴミ箱に二人で捨てていたので、ゴミ拾いは当時、3歳だった甥っ子も得意でした。今はコロナなので、きっと手で触れさせないと思いますが、当時は自宅へ戻れば必ず手洗いうがいはしますし、自然とこういうことをやっていたんですね。
最初は、ユウキと一緒に遊ぶのに、ゴミが落ちている、しかも、食べた後の弁当箱が数個! これはいただけないと思い、私が勝手に拾ってゴミ箱へ捨てる行為を幼児だった甥っ子も見ていて、真似るようになったのです。 その内、背が低く、視線が下へいきがちな甥っ子の方が私より素早くゴミを拾ってゴミ箱へ捨てる行為をするようになりました。
教育って、何も小学校で『道徳』を教えることが重要なのではなく、周囲にいる大人の行動が、そのまま自然と幼児の教育になっているのだと思います。周囲の大人は、親である必要はありません。
例えば、訪問先のお宅の玄関を開けると、靴が散乱… 思わず靴を揃えていると、そこの家の小学校低学年だった息子さんが私を手伝ってくれ…それが数回続くと、今度は玄関を開けたとたん、彼が急いで靴を片付けるようになりました。そういえば、2歳だった甥っ子も、玄関から自宅へ帰ると、くるっと回って自分の靴を揃えていたっけ。大人の行動、子供達に見られています。小学校でも、廊下に放り投げられたランドセルを無言で揃えていると、男子生徒が一人、やってきて、手伝ってくれました。
叱りつけるのは簡単ですが、 大人の行動を見ていて、「あ! いけない!」と手伝ってくれるような子が登場することを密かに願っていました。勇気がいることだとは思うのですが…。そういう子が出てくると、日頃の行いがいかに大切か、身に沁みたものです。(支援員をしていた頃のお話でした)
あれ?
いつの間にか違う話題に… Back to the subject! 話題を元に戻します!
まち美化の話でした!
母は普通に(?)いつもの公園へ草取りへ~。父はどうしていたのか記憶になく… まぁ、そういう訳でして、我が家から3名がギネス世界一に貢献したのでありました。かつて北九州ベルト地帯であり、新日鉄で栄えた100万都市北九州市も、八幡製鉄所の縮小といったら怒られる? 人口が減り続け、、現在96万人くらいかな? 市政だよりに書いてあるから、次回、配布されたら確認するとして… 日本一、高齢化が進んだ政令指定都市となりました…
そして~
初めて街美化の日に甥っ子と参加した、あの日から早、14年もの年月は流れ、2020年10月4日の街美化の日!
私も仕事がオフであれば、参加してきましたが、前日、母が
「毎日仕事へ行ってる訳だから、今日はいいよ。私が行くから」というので、8時半まで寝ていました。母が出かけた直後、洗濯機を回し、殆ど自分の物ですが、洗濯物を干し、お風呂場の掃除をして…朝、霧雨が降り、曇っているため、シューズ洗いはやめておきました。
今は母が居てくれる為、本当に助かります。
昨年は、特に仕事が遅番の日は18時終了だったので、まず、自宅に着いたら真っ先にお米を仕込み、お風呂掃除をし、父にお風呂に入ってもらっている間に夕食のおかず準備。米が炊き上がる頃にはおかずも出来上がるので、それから私がお風呂。
19時15分頃、「いただきます!」の間に洗濯機を回す。食べ終わった頃、洗濯機も止まるので、洗濯物を干す、ここまでで、夜8時。TVを観るか、漢字の練習をするか、ブログを書くか、ココから自分の自由時間。食器は水につけて置いたものを洗うのですが、意図せず眠ってしまうこともあり、皿洗いは深夜…ということもありました。
現在は熊本の実家から戻って来た母がいるため、慌てて夜に洗濯機を回す必要もなく、私が仕事へ行ったあと、母が洗濯してくれます。夕食も母だったり私だったり。今日の様な日も、助かりますよね。働く主婦が時間の使い方が上手なのは、分かります。同時進行で時間配分が上手なのも、日頃からそうしないと家庭を回せませんものね。
それでも、ここに介護が入ってくると、仕事で他人様の介護をする事と、身内とでは、生活の中に介護があり、切れ間がなく、家庭介護には「公休日がない」点が大きく変わってきます。身内に対しては遠慮もないため、普段、我慢強くてキレない自分も、更年期という微妙なお年頃。30代の頃はで家庭介護でも結構、冷静でいられましたが、医者には当初、完治まで「数か月」といわれた家族の病気が数年に長期化してくると、病人に対して心穏やかではいられなくなってきました。子育てに関しては、神様か⁉と思えるほど、常に冷静沈着でしたが…
「お姉ちゃんがゆうちゃんのこと大好きって、そんなの当たり前だよ!」
と園児だった甥っ子に当然のように電話口で言われたことが、唯一、自分にとって救いでした。(会いたくても、なかなか会えないけど、ゆうちゃんのこと、大好きだからね!と言った際の甥っ子の返事)
私は甥っ子が私に言った台詞を自分の父に対して、とてもとても言えなかったし、(捨て子かも?と疑った時期も…! 「お前は9歳で死ぬ!」と口癖のように言われていた。そうか死ぬのかと思っていたのに、半世紀も生きてきたので、逆に今は父に感謝しております!)
親が自分の事を心から愛してくれている、と自信を持って言える子供ばかりじゃない…虐待ニュースを耳にする度、こちらが辛くなります。新聞では、虐待ニュースを詳しく読むことはしません…遂、避けてしまいます。聞きたくないのです。 戦争体験を語れない方も、同じ理由かな…と感じます。戦争を知らない世代である自分は、直接、話を聞きたいですが…
あ、また、話がズレてしまう…支離滅裂ですみません。秋はふとした時に、(今朝は洗濯物を干す、僅かな時間に…)物思いにふけってしまいますね。
そういう訳でして、この記事のコメント欄は閉じさせていただきます。
今からピアノを弾こうと思っています。fumiel-shimaさんに贈って頂いたのです!楽しみです☆