Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 502 赤ヘル番地獄耳

2017年10月25日 | 1985 年 



快調に首位を走る広島だが、エースである筈の北別府は今一つ波に乗れず取り残されそうな雲行きだ。一昨年は山根、昨年は川口に勝ち星で遅れを取ったので今季こそは、とキャンプでは例年になくハイペースで調整したのだが今の所はその成果は現れていない。セ・リーグ投手15傑には名を連ねてはいるものの、チームメイトの高木・川端・金石・大野らの後塵を拝している。負けん気の強い北別府は何とか彼らに追いつこうとしているが、いかんせん防御率が4点台とあっては勝ち星をなかなか手に出来ない。

生命線である制球力の精度が悪く勝負所で打たれてしまっている。直近の例では6月19日の中日戦の終盤にモッカに逆転3ランを浴び負け投手に。「肩の開きが早くて球道が定まらない(北別府)」と本人も制球難の原因は分かっているようだ。その対策として最近では走者がいなくてもセットポジションで投げるようにしている。もっとも古葉監督ら首脳陣は「北別府が投げる時は相手チームのエースと対戦する事が多く、今季は巡り合わせが悪くて勝てていないが調子そのものは決して悪くない」と心配していない。


ネアカと言って誰もが真っ先に思い浮かべるのは達川選手。本人自ら「口数だけは3割バッター」と。ところが今季はキャンプの頃から周りがどこか具合が悪いんじゃないか、と心配するくらい寡黙な男に様変わり。しかし根っからの明るい性格はそう簡単には変わらない。否、変えられない。中日8回戦で今季初の4安打。それも同点打あり、満塁の走者一掃の二塁打あり。更に三塁打を2本放ち計4打点の大活躍。おまけに5打席目にはあわや本塁打の大飛球とあって試合後はお喋りが止まらず「口数だけは3割バッター」が復活した。

「5打席目のが入っちゃったらコージさん(山本浩)を引退に追い込んでしまいますよ」と得意の達ちゃん節を披露。実は5打席目に達川選手が入った時はスタンドからはまるで本塁打王を迎えたかのような大声援が飛び交った。「いや~、ついその気になっちゃいました。コージさん達は毎回あんな声援を背に野球をやっているんですねぇ。羨ましい(達川)」と。春先のオープン戦で足首を痛めて以降、思うような動きが出来ず正捕手の座を山中選手に奪われ影が薄かった達川選手だが、こんな軽口が飛び出すようになればもう大丈夫。


少し前までは広島の選手が購入する車はマツダ製が暗黙の了解だったが、今時の選手達はそんな事はお構いなし。山本浩や衣笠はベンツ、高橋慶は電話付きのベンツの他にBMWも所有している。昨年からマイカー族の仲間入りをした長嶋や小早川も同じくBMW。小早川は大学在学中に運転免許を取得していたが運転は禁止されていたとの事。晴れて憧れの車を運転しているが乗り心地は最高だそう。まだ車を持てない若手連中からは「1300万円だって…」と羨望の眼差しを受けている。ただ「是非とも高級車に恥ずかしくない成績を」と首脳陣からはチクリ。


若手投手の充実で中継ぎ投手の出る幕がない。これも弱点?
弱点が無い?今の赤ヘル軍団はそのくらい盤石なのである。強いて弱点を挙げると打線?これも数字上の話になるが打撃ベスト10に広島の選手はいない。したがってチーム打率は高くないが得点圏打率は良い。つまり少ないチャンスをモノにしているという事。正直言って本来の赤ヘル打線はこんなもんじゃないが残念ながら今季は今一つ波に乗り切れていない。それでいて6月戦線を凄い勢いで走り抜けてこられたのはやはり投手陣のお蔭である。湿気でムシムシする梅雨時の6月、15試合消化時点で起用した投手は僅か27人(1試合平均 1.8人)うち完投が8試合、2人でまかなったのが5試合。他球団の半分以下で済ませている勘定だ。

高木、川端、金石らが台頭して先発要員が溢れてなかなか先発する機会が回って来ない。6月14日に一軍に戻って来たエースの山根すら未だに登板しておらず、左のエース・川口も6月の先発起用はゼロで登板間隔が空き過ぎて調整の意味を込めた中継ぎで登板している程だ。また小林と共に抑えの二枚看板の津田も6月9日のヤクルト戦以来、投げていない。こんな具合だから他の中継ぎ要員は全く出る幕がない。そこで苦肉の策?としてヤクルト戦では新美が代走で出場する珍事も。「夏になれば全員に出番がくる(古葉監督)」それに備えて打撃投手をさせたり実戦感覚が鈍らないよう苦心している。他球団からすれば何とも羨ましい限りである話だが余裕が有れば有るでそれなりに悩みが尽きないものである。

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# 501 実力派5人衆 ②

2017年10月18日 | 1985 年 



ヒットは打たせてやるが点はやらない。円熟タカマサは肉を斬らせて骨を断つ
鈴木投手が珍記録を作った。25連続 " 被単打 " 。つまり打たれた安打が連続で単打、シングルヒットであったという事。6月8日の巨人戦の4回から始まった。4回以降が3安打。15日のヤクルト戦は大量16安打(3失点)を許したが全て単打だった。25日の巨人戦は5安打。ここまで連続24安打全てシングルヒット。27日の阪神戦で記録はストップしたが計25連続被単打の珍記録を樹立した。それを知らされた鈴木投手は「25本も打たれたの?」と先ずは驚き、続けて「若い時なら途中でムキになって大きいのを2~3発は喰らっていただろうね。我ながら大人になった、という事かな」と感想を述べた。

投手にとって安打とは肉を斬られたも同然だろう。だがこの間の防御率は 1.30 と深手は負っていない。低迷する中日にありながら黙々と踏ん張る32歳のベテラン投手が作った記録は、そっくりそのまま鈴木投手の生き様でもある。「若い頃は力勝負をして抑えれば勝ち、打たれれば負けと考えていた(鈴木)」と振り返る。そんな鈴木投手が転機を迎えたのは昭和57年5月23日の大洋戦だった。当時は火消し役で名を売っていたが長崎選手に逆転サヨナラ満塁本塁打を浴び、近藤監督(現大洋監督)から抑え役失格を宣告された。「あの年は開幕してもヒジ痛が酷くてようやく投げられるようになって、さぁこれからと前向きになれた矢先の一発だったから俺の野球人生も終わったと思ったね」と当時を懐かしむ。

その後1ヶ月近くは病院通いが続いた。迎えた7月1日の巨人戦で先発する。期待されての起用ではなく、ローテーションの谷間で他に投手がいなかったのだ。しかしこれが二度目の転機となる。「ダメでもともと。失点しなければヒットは何本打たれても構わない」と開き直った。終わってみれば被安打5でプロ入り初の完封勝利のオマケ付きだった。鈴木投手の第二の投手人生はここから始まった。打たれても辛抱。血気盛んな若い頃ならそんな心境には至らなかったであろう。「野球は点取りゲーム。たとえ1イニングに3安打されて塁を埋められても後続を抑えてホームに還さなければ俺の勝ち。そう思ったら気が楽になった(鈴木)」と。

ただし辛抱と言ってもジッと奥に引っ込んでいる訳ではない。打者に向かって行く気力は前面に押し出さなければならない。鈴木投手は捕手から、或いは球審からの返球を受け取る際は必ず一歩前に出る。それは彼なりの打者に向かう気力の発露なのだ。「この記録はこうした全ての結果じゃないですかね」と鈴木投手は静かに振り返る。低迷するチームにあって孤軍奮闘する鈴木投手。「だってね、プロ13年目の今年に借金をして鉄筋コンクリートの三階建ての家を買ったんだもの、1年でも長く投げなければならないじゃないですか。人生でも失点はなるべくしたくないですから」と苦笑して話す言葉には表現できない程の重みがあった。



パ・リーグの静かなる "黒い旋風"。三冠王・落合もその脅威に怯え始めた
三冠王への返り咲きを目指す落合選手(ロッテ)に真顔で「怖いのは近鉄の外人さん」と言わせた外人こそデービス選手だ。落合にライバルになると名指しされた当のデービスは「そうかい。オチアイがそんな事を言ってくれたのか、嬉しいね。日本でナンバーワンの打者に褒めてもらえるなんて光栄だね」とウインクした。デービスは実に不思議な選手だ。普通の外人選手ならオーバーアクションで自分の存在価値を誇るものだがデービスは違ってタイトルやお金には無頓着なのだ。「野球は楽しんでやるもんだ。お金やタイトルなんか二の次だよ。俺が日本に来たのもお金の為じゃない、好きな野球がやれるから来たんだ」と話す。

昨季、シーズン途中で退団・帰国したマネー選手の補充として緊急来日したデービスだが過去それなりの経歴を誇る。ブリュワーズ➡フィリーズ➡パイレーツ➡ブルージェイズと渡り歩いてきたバリバリの大リーガー。来日2年目の今季は打撃3部門で好位置をキープ。今の所マスコミに大騒ぎされず目立たないが落合が密かに恐れる存在なのだ。母国では父と妹が弁護士として活躍している裕福な家の生まれだが「俺だけが家族の中で異色。でも野球を仕事にしたのは間違ってなかったと思っている(デービス)」と笑う。「大好きな野球が面白くなくなったらアメリカに帰るだけ。不動産のビジネスでもやるさ」とひょうひょうと話す姿は日本流に言えば無欲の快進撃という所か。

しかし野球に関しての取り組み方は緻密だ。「俺の中では投手という生き物は必ず同じ攻め方をしてくると考えている。途中の攻め方は色々でも最後は同じように攻めてくる。それを待っていれば打てる確率が増すのさ」と外人らしからぬ計算と準備で攻略法を練り上げる。対戦した投手の特徴や配球をメモして財産にしている。不名誉な退場第1号になってしまった場面もそうだった。6月20日のロッテ戦の6回、村田投手がカウント2-0から投じた3球目をデービスは悠然と見送った。村田投手の配球を調べ尽した結果、投手有利のカウントでは必ず誘い球を投げてくると分かったからだ。3球目は確かにボール気味だったが判定はストライク。判定に不服なデービスは思わず球審の胸を突いて退場となってしまった。

こと野球に対しては熱くなりがちなデービスだがチームメイトとの仲は陽気な性格とあってバッチリで退場処分となった時もデービスを批判する選手は皆無だった。特に大石選手との仲の良さは格別で「ヘ~イ、ダイ」「何だいディック」と凸凹コンビは顔を合わせると野球談議に花を咲かせる。また自軍の投手陣にも気づいた事を気軽にアドバイスするなどチーム愛も持ち合わせている。無欲で少し変わった性格の持ち主だがタイトル争いについて問われると「夏を過ぎて9月頃に今のようなポジションにいたら狙ってみるか」と本音を漏らしたが、パ・リーグを席捲する " 黒い旋風 " は最後までバットマンレースの中心に鎮座していそうだ。



投げれば投げるほど良くなる驚異のスタミナ。いま20勝という三度目の奇跡に挑む
西武を追う上田阪急の大黒柱は今や佐藤投手。左ヒザ痛の影響で万全でない山田投手や不調で出遅れている昨季の20勝投手・今井投手の穴を補って余りある大活躍、文字通りフル回転の働きだ。「ヨシ(佐藤)はピッチングというものを完全に覚えたね。カーブを使う、つまり抜く事を覚えた。これ迄のただ力いっぱい投げて球が走らなければ今日はオシマイ、という投手から脱皮できた」と語るのは梶本投手コーチ。ハーラーダービー単独トップを突っ走るのも実は当然なのかもしれない。6月24日の南海戦は大量20点の援護があったが気を緩める事なく2失点完投で12勝目。これで9連勝、そのうち7完投と安定した投球で4月29日の近鉄戦の敗戦以来2ヶ月も負け知らずだ。

「ウチの打線なら前半さえ頑張っていたら必ず点を取ってくれる」と佐藤は先ずは打線への信頼を挙げる。例えば6月8日の南海戦で佐藤は味方のエラーで初回に1失点した。南海の先発は藤本修投手で6回まで阪急打線をノーヒットの快投を見せたが佐藤も根負けせず2回以降は無失点に抑えていた。7回に阪急打線が遂に藤本を攻略して佐藤は勝ち投手になった。続く15日のロッテ戦では台湾から新加入した荘投手と息詰まる投手戦を演じ、熱投160球の末の延長10回裏に福本選手のサヨナラ本塁打で劇的勝利を得た。上田監督が言うには「投げれば投げるほど良くなる男」だそうだ。無類のスタミナと忍耐力が佐藤の武器である。

この武器は故郷の北海道・奥尻島の厳しく豊かな自然が育んだ。「子供の頃から暇さえあれば小舟を漕いでアワビやワカメを採っていた。漁師をしていた親父の手伝いもしていた。嫌な時もあったけどまぁ楽しかったな」と懐かしそうに話す。夏の海が佐藤の強靭な身体を作り、厳しい冬の荒海が粘り抜く精神を植え付けた。高校、大学を経てプロ入りした後も順風満帆ではなかった。最大の危機は昭和56年の自主トレでギックリ腰になり1年を棒に振った挙げ句、翌年には任意引退を言い渡された。実際は治療に専念する為の措置だったのだが本人にとっては先の見通しが立たない絶望状態だった。その後奇跡の復活(4勝13S)を遂げ、昨季は抑え役から先発に転向し17勝と二度目の奇跡を起こしたが今季は20勝という三度目の奇跡を目指す。
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# 500 実力派5人衆 ①

2017年10月11日 | 1985 年 



派手さは無くても存在感は主砲級。意外性の男が初めての優勝にトラ・トラ・トラ
「三冠・バース大明神」「掛布 300号」等々、21年ぶりの優勝に向けて突っ走る阪神を扱うスポーツ紙の大見出し。存在が地味な佐野選手が本塁打を打っても、ましてや1~2安打くらい打ってもスポーツ紙の扱いは小さい。佐野選手は存在感が無いのか?冗談じゃない、この数字を見てほしい。6月25日現在、187打数・59安打・打率.316 ・11本塁打と堂々の打撃ベスト10入りしている。阪神にとって佐野仙好という選手は必要不可欠な選手なのだ。吉田監督以下、阪神の歴代監督が口を揃えて「彼が抜けたらやっていけない」と言っていた。監督ばかりではない。6月14日の大洋戦で左前腕部に死球を受け苦痛に顔を歪めるシーンがテレビ中継に映されるのを見た知人やファンが球団事務所や何と佐野選手の自宅にまで怪我の状態の問い合わせが殺到したのだ。

「僕の事なんか記事にしなくていいですよ」どんなに派手な活躍をしようと自分から前に出ようとはしない。昭和49年のプロ入り以来、コツコツと一歩づつ地道に努力を重ねてきた生き様が多くのファンの胸を打つ。控え目な人柄だがやる時はやり、時に大きな仕事をやってのける。5月20日の巨人戦、0対5と劣勢に立たされていた7回に代打に起用された佐野選手が槙原投手から満塁本塁打を放って反撃に出た。試合は真弓選手の決勝2ランで阪神が大逆転勝利した。佐野選手の一撃があってこその勝利だったが本人は「ちょっと目立たせてもらいました」と相変わらず控え目。これも浮かれる事なく決して自分を見失わない性格のなす技であろう。また親分肌で若手の面倒見もいい佐野選手はチーム内の人望も厚く佐野選手を慕う選手は多く " 佐野一派 " という言葉がある程だ。

今年の7月には2人目の子供が生まれる予定だ。「最初が男の子だったから次は女の子がいいな。でも授かりものだからどちらでも嬉しい」と第二子の誕生を心待ちにしている。長男の啓教くんは5歳になって最近はパパの仕事も分かるようになってきた。「阪神が勝ってテレビでヒーローインタビューがあると『パパかな』なんてはしゃいでいます」と英子夫人は言う。「僕もこの世界に入って12年目。入団する前年(昭和48年)はあと1勝で優勝という機会を逃した。今年はそれ以来の優勝するチャンスだと思っています。今までは他球団の選手がビールをかけ合うのを見ているだけでしたが今年こそ俺達が、と思ってバッターボックスに立っていますよ」と熱く語る。父親としての責任に裏打ちされたいぶし銀の好打で夢のセ・リーグ制覇へ突き進む "トラ・トラ・トラ" が発せられた。



近藤野球で蘇った "分相応" の野球。でも盗塁だけは "分不相応" の44個を狙う
5月10日のヤクルト戦で加藤博選手は今季初アーチを放った。報道陣に配布されたコメントには「俺が本塁打を放つなんて信じられない。マグレですよ」とプロ16年目で14本目となる本塁打に自分でも驚いてみせた。本塁打をほぼ1年に1本の割合でしか打てないのを恥じる事なく喜べる。加藤選手は背伸びする事なく、まさに分相応の野球人生を送っている。昭和45年に当時の西鉄ライオンズに入団。昭和51年に阪神に移籍し打率.311 をマークした昭和55年までの下積み生活は10年に及んだ。なかなか陽の目を見ず、もがき苦しんだ野球人生の中で体得したのが「分相応」の哲学なのである。

その姿勢をネクストバッターズサークルの中での行動で見る事が出来る。➊ 松ヤ二の染み込んだ雑巾をサークル内のバックネットに一番近い所に敷く。➋ 敷いた雑巾の中央にバットをヘッド部分をセンター方向に向けて置く。➌ その脇に滑り止めスプレーを噴出口をセンター方向に向けて置く。➍ 最後に素振り用のリングを雑巾の右端に置く。この一連の動きを加藤選手は「雑巾はダイヤモンドのつもり。バットのヘッドとスプレーの噴出口の向きはセンター返しを意味しています。そしてリングは一塁ベースを表しています。つまり大きいのは狙わずセンター返しに徹して一塁に出塁する事を目指す、のを心がけています」と説明した。分相応に徹する事で厳しい世界を生き抜いてきたのだ。

" 分相応 " の考えは母親によって培われたものに他ならない。母・砂子さん(65歳)今でもクリーニングの外交をしているが加藤選手が中学生の頃、母親が自転車の荷台に洗濯物箱を積んで得意先を回っているのを見た加藤少年は「そんなに荷物が多いのならバイクを買えばいいじゃないか。自転車より楽だよ」と言ったら砂子さんは「いいかい博一、バイクならお母さんは楽できるかもしれない。でもねエンジンの音でお客さんの呼ぶ声がかき消されてしまう。自転車で走り回っていてこそ人の声が聞こえて注文も増えるかもしれない。お母さんにはバイクより自転車が似合っているのだよ」と優しく諭したそうだ。子は親の背中を見て育つ、加藤少年にとって母親の言葉が心に響いた。

「屋鋪、高木、加藤の3人には自分のタイミングで盗塁できるようノーサインでいく。仮に失敗しても文句は言わない。つまらぬ文句を言って彼らの意欲を削いでしまう方がチームにとってマイナスだから」と近藤監督は明言している。「ブレイザー監督時代を思い出すね。牽制球で何度か刺されたけどブレイザー監督は『チャレンジ精神を失くしてはダメだ』と言って許してくれた。近藤監督も似ているね(加藤)」と語る。各選手の個性、特性を生かす近藤監督の方針が " 分相応 " 精神を揺り動かす。キャンプ前に今季の盗塁数の目標を問われると「歳の数(33)くらい」と言っていたが今は「背番号(44)くらい」と " 分不相応 " な数字に上方修正した。「久しぶりに自分を上手く使ってくれそうな監督と巡り会った気がする(加藤)」今季の加藤選手から目が離せない。
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# 499 開幕 ③

2017年10月04日 | 1985 年 








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