Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 450 キャンプ特報:広島東洋カープ編

2016年10月26日 | 1985 年 



【 朝 】:練習開始が午前10時なので朝食は8時前後になる。朝食だけはきちんと摂るように首脳陣は目を光らせているが、1日の練習量がとてつもなくハードなので起床時間にすんなりお目覚めとはいかないようである。宿舎がホテルなのでモーニングコールがあり目覚まし時計は必要ないのだが律儀に持参する選手もいる。池谷投手や新美投手はシーズン中も持ち歩いているのだとか。一方で森脇・今井・堀場選手ら早起きが苦にならない選手もいる。しかしそんな彼らも一目置くのが野崎球団本部長。夜明け前に起きて宿舎の周囲を散策するのだが、こちらは還暦を過ぎて自然と目が覚めてまう年齢のせい?

【 昼 】:分刻みの練習が午前10時から午後4時過ぎまで延々と続く。この間、休みは昼食の1時間だけ。そんな今キャンプで一番のお忙しなのが昨年の新人王・小早川選手。昨シーズン後半から打撃フォームを崩して成績は尻つぼみとなり悔しい思いをした。秋季キャンプから引き続いて今キャンプでもフォームの矯正に取り組んでいる。加えて二塁コンバートを命じられ猛ノックの洗礼を受けている。山本浩・衣笠の後釜を育てるのがカープの近々の課題。小早川をはじめ斎藤や伊藤が連日、特打&特守で汗を流している。

【 夜 】:野球漬けのキャンプでは夜も遊んではいられない。一昔前ならお酒や女性にまつわる豪傑話も事欠かなかったが、現在では屋内練習場も完備され夜間練習が当たり前の時代となった。ましてや今季は助っ人不在とあって若手にとってはレギュラー獲りに願ってもない状況なのだ。夜間練習には山本浩や衣笠も兼任コーチとして顔を出すだけに格好のアピールの場となっている。練習後、門限の午後10時半までの僅かな時間にパチンコやゲームセンターで気分転換をするのが精一杯である。

【 推奨株 】:杉本投手(ドラフト1位指名・箕島高)は187㌢と身体が大きいからもっとぎこちないかと思っていたけど実に滑らかな投球フォームをしている。球の回転も良いし球質も重そうだ。ペイ(北別府)が入団した時より下半身もシッカリしていて身体全体のバランスも素晴らしい。ペイは入団した年に2勝したけど杉本もそのくらい勝てる可能性を秘めている。タイプで言うとペイより山根に似ているが、いずれにせよ申し分のない素材である事は間違いなく楽しみな投手ですよ(古葉監督)。

【 我が家へのラブコール・大野 豊 】
男やもめにウジが湧く・・の例えもある。キャンプは長いし男だらけの大所帯。家庭持ちなら家が恋しくなり家族の声の一つも聞きたくなるのが人情だ。中でも大野の一粒種の莉絵ちゃん(2歳)は今が可愛い盛り。シーズン中の遠征に出発する際には娘とタクシーに乗り、家の近所を一周して別れを惜しむ溺愛ぶり。それだけにキャンプ中の寂しさは人一倍?「キャンプに出発する時は広島駅までタクシーで連れて来ました。娘もタクシーに乗るとパパと離れる事が分かってきたみたいで・・今は3日に一度くらい電話で声を聞いています」と娘の話になると、とたんに笑顔になる。


【 ウチの秘密兵器… 川端 順
聞き手…新人だった昨年のキャンプと比べるとだいぶ余裕があるようだね?
川 端…昨年は右往左往してました。余裕とまではいかないけどペース配分は分かるようになりました。それに昨年の今頃は体重が
      86kg もあったけど今はベストの 78kg をキープしています

聞き手…今、一番気をつけている事は?
川 端…安仁屋コーチから踏み出した足がインステップしない様にと右ヒジの使い方を注意されました。それから竜コーチにはもっと
      左腕を使えと言われています。球速も増したしキレも良くなったと感じています。また球種も落ちる球を習得中です

聞き手…昨シーズンは新人王最有力候補と言われながら高野(ヤクルト)や池田(阪神)に水を空けられましたね
川 端…これが高校や大学だったら焦りますけどプロは先が長いですから勝負はこれからだと思っています。昨シーズンは欲がなかったと
      反省しています。今シーズンは1つでも多く勝てるよう貪欲にいきます

聞き手…カープはリーグ No,1投手陣と言われるだけに学んだ事も多かったのでは?
川 端…ハイ。配球の組み立ては特に大事だと再認識しました
聞き手…首脳陣の期待も日増しに高まっている
川 端…何としても頑張らねばと自分でも驚くくらい燃えています。実績が無いので具体的な数字は言えませんが、出る試合全てで
      完全燃焼する覚悟です

聞き手…背番号が「13」から「33」に変わりましたが
川 端…自分からお願いして変えてもらいました。最低限、背番号くらい登板したいですね
聞き手…バリバリ働いて秋には結婚?
川 端…頑張って年俸が倍増なんて事になれば…。結婚?いいですねぇ

まだ右ヒジの使い方が完全じゃないけど投球フォームは総合的に安定してきたお蔭で球威も増して球筋も定まってきた。
期待の一人ですよ(安仁屋投手コーチ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 449 二人の怪物ルーキー 

2016年10月19日 | 1985 年 



2月3日午後5時40分:広沢はユマの土を踏んだ。広沢のスーツケースの中には野球道具以外には6千円のブランデー1本と
タバコが1カートン入っていた。酒とタバコを携えてキャンプ入りするとは恐るべきルーキーだ。「いえ、僕は大酒呑みでも
ヘビースモーカーでもありません。たまたま隙間があったので入れただけです」と恐縮するが、なかなかの豪傑であるが実は
中継地のロサンゼルスからの飛行機が20人乗りの小型プロペラ機だと知らされると大きな身体で仔犬の様に怯えた。
「だって小さいし、揺れるし、怖くて怖くて寝られませんでした」と10時間の飛行を終えグッタリしていた。
明治大学の卒業試験を無事終えてユマに向かった筈が実はそうではなかった。「試験?エへへ、オリンピック精神ですわ」
オリンピック精神とはつまり " 参加する事に意義がある " という事。「論理学の試験を受ける筈が倫理学の試験を受けちゃって(笑)」と豪快に笑い飛ばす。卒業は来年までお預けとなった。さすが大物


2月3日午後6時30分:デザートサン球場で移動で固くなった身体をほぐす為に軽くランニング
2月3日午後7時00分:夕食。焼き肉と3種類のサラダをペロリとたいらげる
2月3日午後8時30分:初日から夜間練習に参加。ティー打撃に使うスポンジボールに興味津々で秦とふざけていると
伊勢打撃コーチに「オイそこの新人2人、何を遊んでいるんだ!」と一喝される


2月3日午後10時30分:就寝。移動の疲れもあり直ぐに眠りに落ちた
2月4日午前7時30分:起床。ただし、目覚まし時計では起きられず小山田ブルペン捕手のモーニングコールで起こされた
2月4日午前11時30分:フリー打撃練習で柵越え。両翼105㍍・中堅128㍍と広い球場ながら右に1本、左に5本と逸材ぶりを誇示
「たまげた。今のウチであんなに速い打球を飛ばせる奴はいない(土橋監督)」「25本塁打はいけるんじゃないか。
オールスター後は四番に座ってるかもよ(伊勢コーチ)」と首脳陣のド肝を抜く。ただし本人は「五~六分のチカラ。伊勢コーチに
アッパースイングを注意されたので気をつけました」と涼しい顔


2月4日午後3時30分:練習終了後、宿舎までの4kmをランニング。初めてのプロのキャンプにグッタリ
2月4日午後6時00分:夕食。疲れている筈が自分でも意外なほど食欲がある。ローストビーフ 300g 、4種類のサラダ、
スイートポテトに丼めし2杯。「こんなに美味しく食べられるとは自分でもビックリ」と食べる方でも大物ぶりを披露


2月4日午後8時00分:連日の夜間練習に参加。1時間みっちりトレーニング
2月4日午後10時30分:就寝
2月5日午前10時30分:休日ながら広沢と秦にだけランニングが課せられる。上水流トレーニングコーチの指導を受ける
2月5日午後0時00分:休日を利用してバーベキュー大会。ランニング終わりの広沢だったが一番多く食べて周りを呆れさせる
2月5日午後2時00分:カメラマンの要望で広沢・秦・青島のルーキー3人が写真撮影。お土産にカリフォルニアオレンジを貰って大喜び
2月5日午後4時00分:宿舎に戻り初めてのフリータイム。「する事が無いので寝ます」と6時までグッスリ
2月5日午後6時00分:夕食。この日はステーキとサラダと軽め
2月5日午後8時00分:夜間練習でトスバッティングを1時間。「3日目で少し内股が張ってます。プロの練習は見た目よりキツイ」と少々お疲れ?
2月6日午前7時30分:起床。気温が15度と涼しい予報に「少し楽になるかな」
2月6日午後1時00分:守備練習でしごかれる。何度も何度も捕球・送球の繰り返しでバテバテ。「一応合格」と猿渡コーチ。
本人曰く「明治の時は守備のサインプレーは4つだけ。さすがプロはフォーメーションも複雑で違います」と戸惑い気味

2月6日午後5時00分:ミーティング。審判員を交えてルールに関する質疑応答。ペンを片手に熱心にメモを取るが
「僕には半分がチンプンカンプン」と苦笑い

2月6日午後6時00分:夕食。炭火焼きのステーキと白身魚のフライ、それとサラダ
2月6日午後8時00分:夜間練習
2月6日午後11時00分:就寝


開幕から一塁のポジションが予定されている広沢だが、先ずは順調な滑り出し。だがプロのキャンプは始まったばかりで、まだまだ先は長い。その広沢が日本を発つ前の2月1日に同じ明大から大洋入りした竹田投手の二軍落ちが決まった。もう一方の怪物ルーキーは早くもプロの壁にブチ当たっている。1月13日、横浜市保土ヶ谷区にある大洋の合宿所に入った竹田はどこか挑戦的な視線に囲まれているのを感じた。これまでは " 頂点 " にいた。自分で意識しようがしまいがマスコミが自分を頂点にと押し上げていった。だがこの日から始まった新たな人生は竹田を底辺に近い所へ遠慮なく引きずり降ろしてしまう。明らかに自分より体格のよい同年代あるいは年下の選手ばかり。そんな彼らでも一軍は遠い世界。「僕なんか本当にプロで通用するんですかね。速い球を投げれる訳じゃないし、2~3年でクビになるんじゃないかと不安になりますよ」と少しは謙遜もあるだろうが竹田は新生活に不安を抱いていた。

卒業試験の準備でトレーニングもままならずベスト体重を5kg オーバー。案の定、1月16日からの自主トレではオフの間も鍛えていた他の若手選手について行けず、田村トレーニングコーチに「今の竹田につける薬はない」とバッサリ斬り捨てられる程に身体はナマリきっていた。卒業試験の日以外は自主トレに参加しヨレヨレながらもどうにか乗り切った。しかし2月1日の静岡キャンプに竹田の姿はなかった。2月4日まで残った卒業試験と未だ不十分な体調を考慮し二軍が横浜に残る2月12日までという期限付きで一軍メンバーから外れたのだ。「どこでも一緒ですよ。逆にありがたいと思っています」と本人は平静を装っているが内心は穏やかではあるまい。キャンプ前から近藤監督は「抑えの斎藤明を先発に回すので竹田は抑え投手で起用する。彼ならきっとやってくれると信じている」と公言していただけに、大学時代からプライドと向こう意気で投げてきた竹田は悔しかった筈だ。

「正直言えば少しカッとしましたよ。でも冷静に考えれば身体も出来てなかったし、一軍にいても迷惑をかけるだけでしたから。お蔭でゆっくり身体作りが出来ました」と2月13日の一軍合流後に本音を明かした。「これからですよね、本当の勝負は。キャンプではスライダーをマスターしようと思っています。一応はカーブ、シュート、フォークを投げますが僕みたいに直球が速くない投手は1つでも多くの変化球が無いとプロの世界では生き残っていけないですから」とキャンプでの目標を熱く語る。合宿所に入って1ヶ月。最初は竹田に冷たい視線を浴びせていた同僚選手たちの見方も変わってきた。生来の陽気な性格と屈託のない笑顔が同僚たちの心を徐々に和ませ、今では「ミツクニさん」と呼ばれだした。キャンプの為にと新調したグローブは今や泥まみれだ。海の向こうからは広沢の活躍ぶりが伝わって来る。「アイツはそれくらいやる男ですから驚きはしません」と明るく笑う竹田だが、話が新人王の話題になると「僕だって負けませんよ」と表情を引き締める。2人のプロ野球人生は始まったばかりだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 448 キャンプ人間模様 ②

2016年10月12日 | 1985 年 



小早川毅彦(広島):打法改造進まずライバルの追い上げ急 ! 2年目のジンクスがジワジワ
新人王に輝いた小早川が早くも2年目のジンクスに見舞われている。1月15日からの沖縄自主トレに参加していたが、26日に右足大腿部を痛めて周囲を慌てさせた。幸いにも2日間の静養で復帰できたものの肝心の打法改造の方は遅々として進んでいない。昨シーズンは112試合に出場して打率.280 ・16本塁打・59打点を記録し新人王を獲得した。しかし陰りはシーズン後半に見えていた。他球団のマークが厳しくなり右肩が開き豪快な打撃は消え、阪急との日本シリーズでも第3戦以降はスタメンから外された。不振の原因となった右肩の開きの矯正を秋季キャンプで試みたが上手く行かなかった。内田打撃コーチは「昨シーズンの後半から話し合って改造を始めましたが、まだ本人も少し混乱しています。頭では理解出来ても長年の癖は簡単には直せないのは仕方ない」と時間がかかる事を認めている。

サイン会、テレビ出演、ハワイV旅行など多忙を極めたオフだったが、年明け1月8日に始動した。お餅が大好きで学生時代は腹いっぱい食べていたが、さすがに今年は控え目に1日2個までと決めてウエイトコントロールに努めた。「休むと太る体質ですが今年は上手く過ごせました。食べる暇が無かったと言うのが本当の所ですが。これで体調は万全です。2年目のジンクスだと言われないようにやっていきます」と自主トレ開始の会見で語った。 " フル出場・打率3割・20本塁打 " を目標に掲げ年俸アップを目指す。昨年は初めての更改で倍増の九百六十万円を手にしたが今年の目標をクリア出来れば一気に二千万円プレーヤーの仲間入りも夢ではない。「プロになった以上、年俸は選手のバロメーター。1億円プレーヤーを目指します」と高らかに宣言した。

ライバルと目される長内や斎藤も共に1月15日からの沖縄自主トレに参加。長内が「奪われたポジションを奪回あるのみ。僕の長所はバッティング、打って打って使って貰えるよう頑張る」と言えば斎藤も「僕は右打ちですし左打ちの彼らと違うアピールが出来る。飛距離も伸びたしガンガンとアピールしたい」と2年連続ウエスタン・リーグの本塁打王も負けていない。対する小早川は「彼らを意識しない、と言ったら嘘になります。ただ他の人の事より先ずは自分がしっかりとした気持ちを持つ事です。 " 雑草のように " を忘れないよう頑張りますよ」と話す。お年玉と称して妹に10万円をあげたら父親に「高校生にはやり過ぎだ」と叱られた大らかな性格は並みのルーキーでなかった証明だが、2年目のジンクスを自分の力で葬り去る事が一流プレーヤーへの道でもある。



荘 勝雄(ロッテ):郭(西武)には絶対負けない。何だか目立ちそうなロッテの新戦力
「彼(郭)が5勝するなら僕は6勝。10勝するなら僕は11勝するよ」荘は西武入りした台湾の速球王・郭泰源の事を聞かれると甘いマスクをキリリと引き締めてきっぱりと語った。郭とは同じ台南市出身という事もありライバル意識は相当なものだ。バッテリーキャンプを行う為に台湾入りした稲尾監督は荘と初めて顔を合わせた時の印象を聞かれると「いい面構えをしておる。ライバル意識は大いに結構。台湾のONといった感じ」と言って細い目を更に細めた。日本国内では150km投手として郭の方が知名度は高いが台湾では2人の人気は双璧。昭和58年の世界選手権(ベルギー大会)では荘は5勝0敗で最優秀投手賞に輝いている。昨年のキューバ大会では郭にエースの座を譲ったが荘人気は健在である。

1974年に台湾が世界リトルリーグ大会で優勝した時の監督で荘や郭をよく知る蕭長浪が2人を「郭の方が球は速いが安定感では荘が上。郭は好不調の波があり1年間トータルすると荘の方が勝てるのではないか」と評しているが、この意見が台湾の野球関係者の間では総じて一致している。実際に荘の投球を見た稲尾監督も「フォームに大きな欠点は無い。下半身もしっかりしているし腕はムチのようにしなり、踏み出した足がクロスするから右打者には威圧感を与える。素材として一級品なのは間違いなし」と評価した。何より稲尾監督が魅かれたのは荘の真面目で陽気な性格だった。チームに合流した日から球場での荷物運びを手伝い、昼食時には現地スタッフと選手との通訳を買って出てチームにいち早く溶け込んだ。

荘は1959年2月1日生まれの26歳。バッテリーキャンプ中に誕生日を迎えチームメイトからバースデーケーキをプレゼントされ大喜びしていた。実家は幼稚園を経営しているが、荘のお蔭で入園希望者が増えて父親の登復さんも喜んでいる。5人兄弟の長男で妹の雅恵さん、雅文さん(共に実家の幼稚園の先生)から「日本で活躍して私たちを日本に招待して」とせがまれている。妹思いの荘は「約束するよ。今度台湾に帰って来る時はお土産を沢山買って来るから」と言うくらい仲の良い兄妹だ。台湾棒球界関係者の誰もが「荘は真面目でグラウンドマナーも良い」と口にするくらい誰からも好かれる好青年。酒は嗜む程度でタバコは吸わずギャンブルもやらない男だが最近、恋人と別れたそうで「日本へ行ったら恋人を見つけたい」と気になる発言も。西武入りした郭泰源との台湾対戦は今シーズンの熱っパの目玉対決になるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 447 キャンプ人間模様 ①

2016年10月05日 | 1985 年 



山田久志(阪急):ショック!左半月板損傷は投手生命にかかわる重傷
阪急の絶対的エースの山田がキャンプインを目前に2週間の絶対安静を言い渡された。山田のリタイアはそのまま上田阪急のV2への赤信号でもある。余りにもショッキングな診断結果だった。家でも松葉杖を使うよう命じられ山田自身も改めて自分の置かれた状況に「確かにこれまで経験した事のない痛みだったがこれ程の怪我だとは…」と事の重大さを思い知った。遡る事、昨年7月の日ハム戦で柏原の放った打球を右膝に受けて右膝蓋骨亀裂骨折の重傷を負った。治療に専念し広島との日本シリーズには間に合いシリーズ7試合中、3試合に登板した。第4戦で先発したが野手からの送球を飛び上がって捕球し着地した際に痛めていた右膝をかばって左膝を痛めてしまった。山田は痛みを堪えて第7戦にも登板したがその代償は大きかった。

リーグ優勝の余韻に酔いしれたオフの間も痛みは引かずV旅行先のハワイでものんびりと休養に努めたが改善しなかった。年が明けて恒例の南紀・勝浦での自主トレも例年より開始を遅らせた。この頃には上田監督も山田の異変に気づいた。山田が勝浦に松元トレーナーの派遣を要請したのだ。身体チェックを兼ねた温泉療法で日本シリーズで痛めた左膝の痛みはどうにか治まった。合同自主トレには1クール遅れて1月27日から参加し、傍目には軽快な動きに映ったが2日目のランニング中に離脱してしまった。「走るとガンガン響く」と痛みの再発に顔を歪めた。痛みの再発から3日間はまさしく絶望への転落だった。西宮市内の病院で診察を受け「膝内傷」と診断され、翌日には姫路赤十字病院で精密検査を受けた。「左膝内副靭帯炎」に加えて「半月板損傷の疑い」と診断された。日本一のサブマリンに選手生命の危機が訪れたのだった。

「自分一人だけ取り残されていくみたいで心細い」と話す山田の表情は暗い。それもその筈で半月板の怪我の怖さは過去の例が示している。掛布(阪神)は復帰に1年を要し尾花(ヤクルト)は昨年に手術に踏み切った。彼らはまだ若く治療に専念できる時間もあるが山田に残された時間は多くない。阪急の先輩でもある足立(現二軍投手コーチ)や安田(現ヤクルト投手コーチ)は半月板の怪我で引退を早めた。「コレで終わった選手も多い。今が選手生活17年間で一番つらいよ(山田)」と無念の思いを滲ませる。上田監督が山田の最終診断を聞いたのはオーナー主催の激励会の最中だった。「昨年のシリーズで痛めた時に事後処理をきちんと指示すべきだった」と反省の弁を述べる一方で「起きてしまった事をとやかく言っても仕方ない。こうなった以上は完全に治して万全の状態で帰って来て欲しい。こうした危機を乗り越えるのが我々の仕事」と言い切った。



藤王康晴(中日):田尾を放出してもオツリがくる !? 三塁・藤王で200万人動員の皮算用
キャンプ目前に突然の田尾放出。そこには藤王の存在が大きく影響している。甲子園を沸かせた大物ルーキー、プロ入りしてもその存在感は変わらなかった。殆どが代打での出場ながら34試合で打率.361 ・2本塁打・8打点は高卒新人としては合格点。ジュニアオールスター戦では4打数4安打し「王の再来」との触れ込みは嘘でない事を証明した。「130試合使えば王クラスの選手になれる」と打者を育てる事に定評がある山内監督の言葉に球団上層部が乗った。「1年早いが球団創立50周年は " 藤王イヤー " にしたい」と鈴木球団代表は熱く語る。スター選手に何処を守らせるか?それは田尾の抜けた外野ではない。「ファンに一番近いサードしかない(鈴木代表)」とチーム改造は着々と進行中だ。

田尾のトレード発表後の1月28日、藤王はナゴヤ球場での自主トレで外野の守備練習をしていたが首脳陣は既に三塁での起用を想定してキャンプでは内野の守備練習をさせるつもりだ。「サードは各チームの看板選手が守るポジション。長嶋さんしかり、原しかり、掛布しかり。しかしウチは外様の選手や外人選手ばかり。ファンも不満ですよ」とある球団幹部は言う。 " サード・藤王 " の誕生で昨シーズンは191万人だった観客動員数を球団初の200万人超えを達成したい腹づもりだ。藤王本人も球団幹部の熱い思いをしっかり受け止めて「今年は勝負の年」と言い切る。意欲の強さは昨秋から今年にかけての動きで分かる。シーズン終了直後の串間秋季キャンプは皆勤、続く磐田冬季キャンプも皆勤。暮れと正月は名古屋市内のジムに通うなど徹底的に身体を鍛えた。

「プロはやれば必ず給料が上がるんですね」と目を輝かせるのは初めての契約更改で四百万円から六百万円にアップした自分の事ではない。四千四百万円から六千万円に大幅アップした谷沢を目の当たりにしたのだ。高卒1年目の若者の素直な驚き、新鮮で鮮烈な感動でもある。「やるっきゃないっス」の決意の前では " 2年目のジンクス " など吹き飛ばす勢いだ。いわゆる2年目のジンクスの原因については様々な意見があるが要は1年目の実績にホッと一息つく気の緩みであろう。当然、他球団も研究し攻め方も1年目とは違ってくる筈だが藤王もその点は心得ている。山内監督も「藤王は同じ事を教えても他の選手と違ってキッチリ自分のモノにしている。大したもんだ。2年目のジンクスも心配ないだろう」と褒める一方で昨年の暮れに藤王が遊びほうけている、と耳にすると「若いうちから遊んだ奴に大成した選手はいないぞ」と直々に忠告した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする