Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 876 週間レポート 阪急ブレーブス

2024年12月25日 | 1977 年 



ホームランで復帰の挨拶
頼りになる男が2ヶ月ぶりに戻って来た。「ボク、休んでいる間に腕力が強くなったのかな」とジョークが飛び出すマルカーノ選手が戦列復帰を本塁打で飾った。練習中に打球を左眼下に受けたのが6月11日。安静と治療に専念し7月26日に主治医からゴーサインが出た。8月の日ハムとの札幌遠征から復帰し、阪急キラーの高橋直投手から値千金の同点本塁打を放った。ちょうど50日ぶりの試合でいきなりの本塁打に「彼の復帰を僕らが打って祝ってやろうと思ったら逆に彼に助けられたよ」と福本選手は苦笑い。

マルカーノ選手の一発に「最初の2~3試合でゲーム勘が戻りさえすれば御の字と思っていたら何のことはないポカスカ打ってくれた」と上田監督や中田打撃コーチは大喜び。気楽な打順で打たせようとマルカーノ選手を七番に起用したことがそれを表している。まさに案ずるより産むが易しだったわけだ。マルカーノ選手はチームが前期優勝を果たした時は病院のベッドの上にいた。もし怪我をしていなければ出場確実だったオールスター戦もテレビ観戦を余儀なくされ悔しい思いをした。

マルカーノ選手の復帰は技術面だけではない。陽気なベネズエラ男がいるだけでチーム内の雰囲気はパッと明るくなる。「ミナサン、ボクガイナクテ、サミシカッタデスカ」と笑顔で話しかける。力強い助っ人のカムバックは快調に後期シーズンを滑り出したクラウンの鬼頭監督やロッテのカネやん、南海のノムさんたちの苦虫を嚙み潰したようなイヤ~な顔が手に取るように伝わってくる。


ウイリアムス1人ニンマリ
このほどの北海道遠征は昭和36年の対オリオンズ戦以来、実に16年ぶりだった。この遠征に上田監督が粋な計らいを見せた。遠征に家族の同伴を認めたのである。上田監督の配慮に阪急ナインは「久しぶりに女房孝行ができる(山田投手)」と喜んだが、蓋を開けてみると家族を同伴したのはウイリアムス選手のみだった。福本選手や山口投手ら幼い子供がいる選手は「もうちょっと大きくなって周りに迷惑がかからなくなったら」と遠慮したらしい。「ボクの家族だけ楽しんで申し訳ないねぇ」と恐縮しながらウイリアムス選手は試合が終わると札幌周辺の観光名所を見て回った。

愛のムチ
ルーキーの佐藤義則投手がご当地での登板を飾れなかった。先の北海道遠征で佐藤投手は対日ハム戦で制球難で3回もたずに降板した。江差港から船で3時間ほどの奥尻島の生まれ。札幌から8時間ほどの距離があり、正直ご当地と呼ぶには遠いが円山球場に両親はじめ親戚一同がつめかけた。漁師の父親・義美さん(54歳)は息子の晴れ姿を楽しみにしていたが打ち込まれ降板した息子に「もっと苦しんだ方が本人の為になる」と激励した。これぞまさしく親の愛のムチ。佐藤投手は「みんな楽しみにして応援に来てくれたのだろうに申し訳ない。この負けを糧にして頑張ります」と気丈に応えた。
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# 875 八重樫幸雄

2024年12月18日 | 1977 年 



ガッチリとした体つき。ちょっとやそっとでは壊れそうにないという感じである。決して饒舌ではない語り口だが皆から「ハチ」の愛称で親しまれており、それがまた彼の魅力のひとつである。

絶好のチャンスだから是非とも頑張らなくては
聞き手…大矢選手の怪我のあと頑張っていますけど調子は?
八重樫…そうですね、まぁ調子は悪くないです
聞き手…広岡監督はリード面を評価しています
八重樫…安田さんと組んで4連勝しましたが僕のリードじゃなくて安田さんのお陰です
聞き手…またまた御謙遜を。昨シーズンまでは主に代打で出場していましたね
八重樫…そうですね。途中ちょっと怪我で休みましたが
聞き手…後半戦は守りの面でも注目されます
八重樫…与えられたチャンスに応えないといけないと思っています
聞き手…広岡監督から何かアドバイスはありましたか?
八重樫…投手のリードも打撃も強気でいけと言われています
聞き手…大矢選手にライバル意識ありますか?
八重樫…勿論あります。僕だけじゃなくて選手は全員持っています。プロですから
聞き手…控えでベンチにいる時も相手打者を研究しているそうですね
八重樫…ええ、大学ノートにメモしています
聞き手…プロ入り前は捕手以外のポジションも経験されたとか
八重樫…投手以外は一通りやりましたが性に合っていたのはやはり捕手でした
聞き手…捕手というポジションは重労働でしょ?
八重樫…やはり疲れます。特に精神面での疲労は大きいです。でもその分やり甲斐もあります

僕は亭主関白で厳しいでしょうね
聞き手…昨年のオフに長年の恋が実ってめでたく幸子夫人とゴールインしました
八重樫…えへへ(照れ笑い)
聞き手…馴れ初めを教えて下さい
八重樫…高校3年の冬休みにクリスマスパーティーをやったんです。僕がいた仙台商は男女交際に
    厳しくて彼女はいませんでした。高校生活も残り少ないからと野球部の友達がパーティーを
    開いたんです。そこで知り合いました。卒業してから3年くらいブランクがあったんですが
    再会して付き合い始めて4年後に結婚しました。

聞き手…結婚すると野球のプレーでも気持ちが違いますか?
八重樫…それはありますね。独り身の時みたいにノンビリできないですから。やっぱり生活が
    かかっているというか、気持ちが引き締まるっていうのは感じます

聞き手…お子さんはまだですがやはり男の子が生まれたら野球をやらせたい?
八重樫…まだ生まれてもいないので(苦笑い)
聞き手…亭主関白と愛妻家、ご自分ではどちらだと思いますか?
八重樫…そうですねぇ、亭主関白ですかね
聞き手…なんとなく分かります。口数も多くないし、一見すると怖い印象を受けます
八重樫…そうですか?まぁ短気は短気ですけどね。高校時代と比べたら穏やかになった気はします
聞き手…暴れん坊だった?
八重樫…人に手を上げることはなかったですけど、すぐカッとするタイプでした(苦笑い)
聞き手…後半戦も活躍を期待しています。今日はありがとうございました
八重樫…はい、頑張ります。ありがとうございました
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# 874 未来のヒーロー ④

2024年12月11日 | 1977 年 



寿司職人からプロの世界へ
開幕前に一番の話題となったのは柴田民男投手(大洋)ではないだろうか。夢に向かって猪突猛進していた男が遂に己の限界を知り夢を捨てた。昨年夏の都市対抗野球に富士重工の柴田投手は日立製作所の補強選手として出場した。日立製作所は1回戦で住友金属に敗れ柴田投手も大会を去った。大会後に柴田投手は年齢(28歳)と実力の限界を悟って野球から身を引いた。同時に富士重工を退社した。「野球をやめるんだからサラリーマンでいたってつまらない。自分の腕一本で食っていきたい」と兄・明さんが経営する東京・向島にある「柴寿司」で修業をすることにした。富士重工時代に知り合った柳子さんと結婚もして第二の人生を歩み出した。

暮れも押し迫った12月に一人の紳士が柴寿司に現れた。大洋の湊谷スカウトである。カウンター越にシャリを握る柴田に湊谷スカウトは「なぁ柴田君、いっちょウチで勝負してみないか。君ならやれると思う」と声をかけた。状況が飲み込めぬ柴田はその紳士が湊谷スカウトだと知ると放心状態になり「えっ、まさか…」と狐に化かされたようにキョトンと固まってしまった。日大三➡日大➡富士重工と野球を続けたのは「俺の夢はプロ入り」という願いを叶えるため。その野球をやめたのもプロになれないなら続ける意味がないと思ったからだ。しかも、もう独身じゃなく責任がある。自分の夢だけを追っていい立場じゃない。


無失点デビュー
悩む柴田を後押ししたのが兄・明さんと柳子夫人だった。「男だったらプロでやってみなさいよ。寿司屋の修業は後でいいから」と。そうして寿司職人柴田は柴田投手に戻り白球を握った。春のキャンプから柴田投手は飛ばした。別当監督や堀本投手コーチはニコニコで「こりゃ掘り出し物だ」と口を揃えた。しかし好事魔多し。5ヶ月間のブランクは大きく右ヒジ痛でダウンしてしまった。だが夢だったプロの世界で負けてたまるかと奮起し、黙々と走り込んで故障の回復に努め早期に投げ込みを再開した。開幕一軍はならなかったものの、オールスター戦期間中の一軍練習に参加し、主力打者をキリキリ舞いさせて一軍昇格を果たした。

8月2日の阪神戦(甲子園)で念願のデビューとなった。6回裏から2イニングを投げ、4安打されたが得意のシュートで2併殺を奪い無失点に抑えた。「やっぱり緊張で地に足がつかなかった。本当に嬉しいです…」と声を詰まらせた。憧れの甲子園球場で無口な男が精一杯の喜びを表現している頃、東京では明さんと柳子夫人は「本人も嬉しいでしょうが私たちも大喜びです。良かった良かった」と祝福した。別当監督も柴田投手の好投に大満足でこれからも柴田投手をどしどし投げさせるそうだ。夢だったプロ野球の世界で次はエースへの夢を膨らませる柴田投手である。
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# 873 未来のヒーロー ③

2024年12月04日 | 1977 年 



打たれても青雲の志を捨てぬ
巨人の入団テストを受けるも不合格。ならば巨人を見返す為にと阪神のテストを受けて合格した青雲光夫投手。文字通り " 青雲の志 " を持って阪神に入団した。その強肩ぶりは春のキャンプで注目され速球王の「山口二世」だと話題になった。あれから半年、真っ黒に日焼けした青雲投手はまだ屈託のない笑顔のままだ。「プロ野球ってそんな甘い世界じゃないですよ。まだまだ勉強しなきゃならないことが山ほど残ってます」と " 二軍ずれ " していない青雲投手が頼もしい。0勝3敗と二軍でも勝ち星は無く、久保二軍投手コーチは「正直いうと二軍の試合でも投げさせるレベルではない」と手厳しいが本人は前向きでへこたれない。

昨年10月に行われた巨人の入団テストを受けて、某スカウトから「合格だよ」と耳打ちされ喜んだが結果は不合格。ならば自分を落とした巨人を倒せる阪神の入団テストで遠投120mを投げて周囲を驚かせ見事合格した。そうしたプロ入りの経緯や反骨精神も阪神ファンを喜ばせた。「これは即戦力です」と吉田監督の一言でキャンプ中の安芸市営球場は大騒ぎとなった。早速マスコミは「山口二世」ともて囃し、青雲という珍しい名字もどこか浮世離れして興味を引きつけた。ドラフト1位指名の益山投手や前々年のドラフト5位指名で1年後れで入団した深沢投手ら即戦力投手を差し置いて安芸キャンプに抜擢された寵児だ。


一軍選手もビックリの球も
だが現実は甘くない。ウエスタンリーグで17イニングを投げて自責点7。本塁打も3本浴びた。「深沢さんや益山さんに比べて僕は経験が少ない。高校野球なら初球の甘いコースのストライクを見逃してくれてもプロは打ってくる。初めて経験することが多く大変です。プロの世界に慣れるにはもう少し時間が必要です」と。久保コーチは「ピッチングの型は出来ている。でも正確なコントロールや配球はまだまだアマチュアで二軍レベルでも通用しない」と手厳しい。キャンプで即戦力だと喜んだ吉田監督もとんだ勇み足だったが、並みのテスト生とは違い将来性は確実にある。

時々、打撃投手として一軍の練習に参加するが何球かに1球は一軍選手も手が出ないスピードのある球を投げる。それを目の当たりにした皆川一軍投手コーチは1ヶ月ほど前、二軍の試合で投げる青雲投手を見に行った。「カーブで攻めればよいところでシュートで勝負している。あの辺のテクニックが分かれば勝てるようになるよ。素材が良いのは間違いない」と評価した。現段階の青雲投手に高等な投球テクニックを求めるのは無理かもしれないが、逆に言えばそれだけ無限の可能性を秘めている投手なのだ。高校時代(島根・平田高)は県予選の1回戦に勝つのが精一杯で神奈川大学に進学するも中退。投手としての伸び代は充分残っている。

安芸キャンプで一歩リードしていた2人のルーキーに今は差をつけられた。益山投手は一軍のマウンドに立っている。右手首の腱鞘炎で二軍にいる深沢投手もいずれは一軍に上がるはずだ。「やっぱり悔しいです。でも2人は僕より野球を知っている。いろいろ経験値を積んで1日でも早く甲子園球場のマウンドに立ちたい」と野球エリートに対するライバル心は捨てていない。テスト生から300勝投手になった小山正明氏にあやかって背番号「47」のユニフォームを着ている青雲投手。その志は夏空の雲のように大きい。
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