Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 868 覆面記者座談会 ①

2024年10月30日 | 1977 年 



お盆の8月は怪談とミステリーの季節。プロ野球界も毎年この季節になると色々な怪談が生まれる。その真打が監督更迭のミステリー。担当記者諸氏にその怪談の出処など話してもらったのだが、その正体は実体はヒュ~・ドロドロ…

阪神・村山監督再出馬難航で吉田安泰?
A記者…お化けの季節だけど球界の幽霊話は聞かなくなったね
C記者…そうでもないよ。元巨人の湯浅投手の話とか
A記者…えっ、本当の幽霊話?
B記者…5年ほど前に急死した湯浅投手の幽霊がよみうりランドの合宿所に現れたって話ね
C記者…そうなんだ。2~3年くらい前から夏になると選手が考えられない怪我をするようになったのも
    湯浅投手の祟りじゃないかと。湯浅投手が亡くなったのも夏だったから

D記者…言われてみればそうだね。新浦投手の右目に打球が当たり怪我したのもオールスター戦だったし
B記者…オールスター戦明けのヤクルト戦で河埜選手が背筋痛で離脱し後半戦は2勝4敗と苦しいスタート
C記者…でも巨人のV2は動かないだろうな。追う阪神がだらしない。吉田監督の首が怪しくなってきた
A記者…確かに今年の阪神は強い時は大リーグ級だけど弱い時は草野球並み。情けないよ
D記者…でも吉田監督の評価は本社のお偉いさん筋には受けが良い
B記者…元監督の藤本定義氏も田淵、ラインバックらの怪我は想定外で吉田監督を責めていない
A記者…しかも後任監督に目ぼしい候補がいない。人気では村山さんが一番でフロント陣の評価も悪くないが
    村山さん本人にその気がない

B記者…そりゃまた何故?
A記者…村山さんはSSKを退社して自身で運動具会社を興したばかり。社長業と評論家の両立でスケジュールが
    一杯だそう。消去法で吉田監督続投となりそうだ。


与那嶺の采配いかに、今年まで?
C記者…さて広島だが古葉監督は遂に8月5日に正式留任が決まった。でもルーツ監督時代の活気は無いね
D記者…トレードの失敗に尽きる。一時は山本一打撃コーチが監督代行になるのではと噂されていた
B記者…開幕前は広島と中日が優勝候補の双璧だった。それが揃って最下位争いするとはね
C記者…与那嶺さんも覚悟は出来てるみたい。ちょうど契約も切れるし潮時だよね
A記者…後見人でもある小山オーナーがバックアップしてるけど新聞業の商売敵である巨人に昨シーズンから
    後楽園球場19連敗。今シーズンも2勝11敗1分けじゃ援護のしようがない。

D記者…後任は中利夫コーチの昇格が有力視されているけどネームバリューは今ひとつだし選手間の人気もない
C記者…牧野さん(元巨人)の名前も昨年あたりは盛んに挙がっていたけど、今の収入(推定5千万円)を
    手放してまで火中の栗を拾うことはないだろうね

B記者…中コーチ、近藤貞夫氏の他にも地元(岐阜商)出身の森昌彦氏までリストアップしてるそうだ
A記者…森氏は面白いね。評論家としての評判も良いし長嶋政権がこの先も続きそうで巨人では出番が回って
    来そうもないし、中日の監督として長嶋巨人との因縁対決は注目を浴びる

C記者…そういえば土屋亨球団総務が今年から東京駐在になったけど、さては森監督への口説き役かと
    冷やかされてたね。本人はニヤニヤして肯定も否定もしなかったけど、あとは森氏の気持ち次第だね

D記者…" 森監督 " がお流れになったら高木選手のプレーイングマネジャー昇格も有り得る
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# 867 本拠地移転決定

2024年10月23日 | 1977 年 



「ホエールズ横浜へ移転表明」…川崎市民の反対署名運動も効果なく、大洋球団は横浜移転を決定した。

54万人の反対署名むなしく
大洋ホエールズの横浜移転が本決まりになった。8月2日、大洋球団の横田球団社長が伊藤川崎市長に「前オーナー(謙吉氏)の遺志を継いで横浜市に本拠地を移すことを決めました」と通告した。伊藤市長は移転反対運動の先頭に立っていたのでガッカリした表情のままだった。「川崎市民の心と企業の論理の違いを冷酷無残に見せつけられた思いだ」と市民感情を代弁した。川崎市民はホエールズが横浜に出来る新球場に移転する話を聞いて、なんと54万人もの反対署名を集めた。川崎市民は103万人。その半数を超える人数を巻き込んだのだから凄い。大洋球団は移転通告する機会を幾度か先送りし市民に淡い期待を持たせたが結局、本拠地移転を表明した。

横田社長は球団も企業であるから営業成績を第一義に考えなくてはと語った。川崎に本拠地を置いて以来、22年間ついに儲からない川崎を出て横浜に行くのだという。横浜に移ることは早くから予測されていた。昨秋、西武グループの国土計画が横浜スタジアム建設を発表した際、建設費用の一部を賄うとして一口250万円の指定席を売るにあたって「巨人戦が観戦できます。向こう45年間に渡りセ・リーグの試合を観戦できます」とPRすると250万円×800口が瞬く間に売れた。その時点で大洋球団の横浜移転は決まっていた筈である。そうでなければ計20億円分の詐欺行為になってしまう恐れがあるからだ。

反対運動の中心は川崎市と労働組合だった。「プロ野球が無くなったら川崎には健全な娯楽が無くなってしまう。競輪と競馬の街になってしまう」なにも競輪や競馬が不健全娯楽ということではないが、未成年の子供たちが楽しめるプロ野球ほど市民に浸透していない。去り行くものに対する情の大きさが反対運動を盛り上げたのだろう。「大洋ホエールズは川崎ホエールズだった。選手は川崎市民のシンボルでもあった。昭和35年に優勝した時の感激は忘れられない」と存在して当たり前で普段は気に留めない大洋ホエールズが無くなる寂しさ。プロ野球と市民との繋がりが鮮明に浮き出たフランチャイズ意識の発掘になった。


大洋の代わりにロッテが進出?
8月2日に最終的な決定を川崎市に通告した横田球団社長は「今までお世話になった恩は忘れない。巨人戦も何試合かは川崎球場でやるようにしたい」と話すと伊藤市長は「どうしても出て行くのなら代わりのプロ野球球団を川崎に誘致することに大洋球団も協力して欲しい。巨人戦も川崎球場でより多く開催するよう努力して下さい」と申し入れた。現時点では巨人戦を川崎球場で何試合やるかは決まっておらず、川崎市が納得できる提案を大洋球団が出来るかは未知数である。

一方で他球団の川崎誘致に関してはロッテオリオンズの移転が有力視されている。ロッテは仙台に準本拠地を置かざるを得なくてジプシー生活を送っていたが、これでようやく地の利のいい本拠地を持つことになりそうだ。だが仙台市では早くもロッテ移転反対の声が一部で上がっているが、大洋球団が去る川崎市ほどの動きはない。現実問題として巨人戦がないパ・リーグだけにロッテが去ることに仙台市民の間では運動の盛り上がりは欠けている感じだ。


プロ野球に新時代到来?
新球場の横浜スタジアムの前身は平和球場。それ以前にはルー・ゲーリック球場と呼ばれていて、日本で最初のナイター(進駐軍主催)が行われた由緒ある球場だ。昨年10月以来、改装工事が進められ全面人工芝で観客席を移動させて野球以外のスポーツや催し物にも使用できる3万人収容の総合スタジアムである。スタジアム建設は横浜市と国土計画が主体になって進められている。来年3月20日の完成予定でこけら落としには巨人や阪神を招いてオープン戦を開催する予定だという。

建設主との関係から大洋ホエールズの移転が正式に完了した暁には、オーナー企業が大洋漁業から西武(国土計画)に変更するのではという見方がある。既に大洋球団の株の45%を西武グループが保有しているといわれていることからそういった見方があるのだろう。だが堤義明国土計画社長は「球団経営には全く野心がない」と全面否定している。しかし大洋ホエールズの横浜移転はどこか新時代の到来を匂わせている気がしてならない。
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# 866 レン・サカタ

2024年10月16日 | 1977 年 



攻守に溌剌プレーのレン・サカタ
大リーグ史上初の日系人選手、ミルウォーキーブリュワーズのレン・サカタ選手(24歳)は連日攻守に大ハッスルし早くもチームの人気者になっている。ただし「日系選手ということではなく、いちプレーヤーとして注目して欲しい」と現状の " ルーツ探し " 喧噪に注文をつける。7月下旬に正二塁手だったドン・マネー選手(30歳)が怪我で離脱した為、3Aのスポーケンインディアンスから大リーグに昇格した。サカタ選手の3Aでの成績は317打数95安打・4本塁打・68打点。昇格直後の7月25日のオリオールズ戦で先発のマルチネス投手から嬉しい大リーグ第1号本塁打を放った。

8月7日、地元カウンティスタジアムでのダブルヘッダー対ブルージェイズ戦で第1ゲームは4打数3安打・1打点、第2ゲームは3打数1安打・1打点と活躍しチームは連勝した。だがチーム状態は良くなく東地区で53勝70敗と勝率5割を下回り首位のレッドソックスから21ゲームの大差をつけられ7球団中6位と低迷している。それでもフレッシュなサカタ選手の話題が影響したのか1万2千人のファンが球場を訪れた。あのベーブルースの本塁打記録を破ったハンクアーロンが在籍していた昨年ですら1万人を割る試合が多かったことを考えるとサカタ選手の人気ぶりが分かろうというものだ。

14日のインディアンス戦では第2号本塁打をマーク。これにはサカタ選手の育ての親であり、かつて太平洋クラブライオンズにも在籍したハワードコーチも「Good Job!」と大喜びした。攻守の中心だったマネー選手が怪我で離脱した時にサカタ選手の昇格を強く推したのが昨年まで3Aのスポーケンインディアンスで監督をしていたハワードコーチだった。身長1m75cm・体重73kg と決して恵まれた体ではないが、こと守りに関してはプレーイングコーチだったレイノルズ選手に鍛えられ「レンの右に出る二塁手はいない」とまでになった。何しろ今巨人で活躍しているリンド選手をブリュワーズから追いやったのはサカタ選手なのだ。

今から13年前の1964年9月1日に " マッシー " こと村上投手(現日ハム)がサンフランシスコジャイアンツでデビューし、大リーグの日系人選手第1号として話題を集めたがアメリカ本土では日系人選手はサカタ選手が最初と認識されており、アメリカンリーグ・ナショナルリーグともに連盟関係者はサカタ選手が日系人選手第1号だと公式に表明している。怪我で戦列を離れていたマネー選手は1ヶ月ぶりに復帰したが二塁のポジション争いに敗れて嫌がっていたDHに回されてしまった。それほど現在のサカタ選手は周囲の信頼を得ているのである。ハワイはホノルル生まれの正真正銘 " 日系人選手第1号 " サカタ選手の活躍ぶりは楽しみである。
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# 865 首位打者争い

2024年10月09日 | 1977 年 



確実なのは巨人のV2くらいで個人タイトルの行方も混沌としている今年のプロ野球。なかでも首位打者ほど激しく火花を散らしている争いはない(記録は8月17日現在)。昨年と一味ちがうバットマンレースを分析すると…

首位打者へ派手に逆転!ブルーム
昭和26年から51年までのセ・パ両リーグ首位打者53人(昭和44年のパ・リーグは同率で2人)のうち90%近い47人がオールスター戦までの前半戦で打撃10傑の上位に位置し、23人はトップに立っていた。セ・リーグでは昭和30年から7年連続で前半戦のトップ選手がそのままタイトルを獲得した。一方でトップと打率5分以上の差をひっくり返したのは昭和34年の杉山選手(南海)、37年のブルーム選手(近鉄)、44年の張本選手(東映)、51年の吉岡選手(太平洋ク)の4人しかいない。

中でも派手に逆転したのがブルーム選手と張本選手。ブルーム選手は前半戦では打撃10傑8位だったが終わってみたら2位の選手に4分以上の差をつけた。後半戦は166打数77安打・打率は4割6分6厘だった。張本選手は前年まで2年連続でタイトルを獲っていたが、この年はトップの永淵選手(近鉄)に6分5厘差の7位で前半戦を終えた。それが後半戦再開後、4打数4安打するとジリジリと打率を上げて最終的に永淵選手と同率でタイトルを分け合った。


掛布にも充分ある首位打者の資格
過去の例を参考にすれば今年も打撃10傑上位から首位打者が誕生すると考えて良さそうだがセ・リーグでは、いま規定打席不足で潜航している掛布選手を見逃してはいけない。掛布選手の打率3割4分4厘は第4位に相当する。規定打席数はチーム試合数の3.1倍。あと10試合、8月末には堂々ランクインするはずだ。今シーズンの掛布選手は開幕戦で満塁本塁打を放つなど快調なスタートを切り打ちまくったが4月17日の広島戦でアクシデントに襲われた。あの死球禍である。この試合でも2回に4号本塁打を打っていた。ところが4回の打席で松原投手から右ヒジに、次の打席では渡辺投手から左手首に死球を受けた。

当日の診断では全治2~3日の打撲だったので一軍登録は抹消されず代打で試合に出続けた。それが裏目に出た。4月24日のヤクルト戦ダブルヘッダー(神宮)の第2ゲームに先発でフル出場した後に「どうも手首に違和感がある」と慶応大学病院で診察を受けるとドクターストップがかかった。欠場は1ヶ月続き復帰できたのは5月27日の巨人戦だった。長いブランクの影響で試合勘が鈍り、復帰戦は4打数無安打。結局、対巨人3連戦は11打数1安打に終わり周囲は不安顔だったが本人は「久しぶりのナイターで緊張しましたがもう大丈夫」と一安心。徐々に試合勘も戻り6月4日の巨人戦では3打数3安打の猛打賞で復活をアピールできた。

掛布選手と同じく規定打席数不足でランキングから外れていた昨シーズンのパ・リーグ首位打者の吉岡選手(クラウン)は8月中旬に規定打席に達したが打率は2割8分7厘で11位だった。開幕から5月頃までは控え選手で5安打しか放っていなかったが基選手の戦線離脱で正二塁手となった。プロ入り8年間で32安打しか打っていない選手だったが、規定打席到達後の後半戦は124打数47安打・打率 .379 と打ちまくり首位打者になった。この吉岡選手に比べたら掛布選手は昨シーズン打率5位の実績がありタイトル獲得の資格は充分にある。


ひしめく新顔、笑うのは誰か?
最近は毎年のように新顔が首位打者争いに参戦するようになった。昭和50年のセ・リーグは山本浩選手(広島)、パ・リーグは白選手(太平洋ク)。翌51年のセ・リーグは谷沢選手(中日)、パ・リーグは吉岡選手(当時太平洋ク)と2年連続で両リーグともに新顔がタイトルを奪取した。今シーズンもパ・リーグの上位5人のうち過去に首位打者になった経験があるのは4位の加藤秀選手(阪急)だけ。現在トップの門田選手(南海)は昨シーズンの3位がキャリアハイだ。2位で頑張っている島谷選手(阪急)に至っては昨シーズンまでの中日時代の8年間で打撃10傑入りすらしたことがない。

現在のセ・リーグのトップは昭和47年に首位打者になった若松選手(ヤクルト)。3位には過去7度の経験者である張本選手がいるが、その間で奮闘しているのが2位の大島選手(中日)。打率は若松選手と1分5厘差だが2ヶ月前は4分の差があったのをここまで追い上げてきた。大島選手は昨シーズンまで専ら代打要員だっただけに大躍進である。もう一人、高木選手(大洋)の存在も忘れてはならない。現在5位につけている6年目の苦労人で昨シーズンの201打数56安打・打率 .279 がこれまでの最高成績。果たして最後に笑うのは若松選手ら常連か、掛布選手や大島選手らの新顔か首位打者争いから目が離せない。
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# 864 週間レポート 大洋ホエールズ

2024年10月02日 | 1977 年 



流れ流れてどうなんの…
猛暑が続いたと思ったら今度は秋の長雨が連日シトシト。この影響を良きにつけ悪しきにつけ受けたのが大洋ナインだ。12日の巨人戦を平松投手の力投で勝ち、「さぁ残りの試合も頂きだ(別当監督)」と意気上がったのも束の間、13・14日の巨人戦が雨天中止に。「まぁいい休養になる」とここまでは大洋ナインの表情も穏やかだった。だが後が悪かった。16日の練習は3日分の練習不足を取り返そうと多摩川で泥まみれになって猛練習となり大洋ナインはヘトヘトになり、翌日は18日の静岡での阪神戦の為に新幹線で移動した。曇り空を眺めながら「阪神戦は大丈夫かな」と不安な表情を浮かべた。

その不安は的中した。大洋ナインが草薙球場に入ったとたんに待っていたかのように土砂降りとなり試合は中止に。「俺たちは何しに静岡まで来たんだ」と愚痴った。しかもお盆の時期と重なって全員一緒に帰京する新幹線のチケット入手が難しく、牛込マネージャーは「各自めいめい帰って下さい!」とヤケ気味に指示をしたが、なんと大半の選手が座れず立ちっ放しで帰京する有り様だった。ツイてないのはこれだけではない。翌19日の阪神戦(川崎)も雨天中止となり7日連続の休養となり、手持ち無沙汰の大洋ナインを横目に頭を悩ませているのが堀本投手コーチだ。

投手のやり繰りは普段でも大変なのにこの雨の影響で苦労は増した。「雨でグラウンドが使えず走り込み不足、投げ込み不足になってしまった。かといって登板予定の投手に無理な練習はさせられない。どうすりゃいいんだ」と堀本コーチは雨空を見上げてブツブツ。投手陣の中でも最大の被害者は斎藤明夫投手。新人ながらローテーション入りしているが何度か先発起用を告げられてもその都度雨で中止になり精神的に追い込まれた。「胃の当たりがキリキリと痛い。食べ物にあたったわけじゃあるまいし何でやろう。こんなの初めての経験」と日頃の強気な態度も消えてダンマリを決め込んだ肝っ玉ルーキー。


貫 禄
にぎやかな選手が帰って来た。今シーズン開幕当初に二軍落ちしていた関本投手が8月11日のヤクルト戦から一軍に復帰した。10日に合流した関本投手は先ずは「やぁ君たち俺の留守中は元気だったかい?」と二軍暮らしもなんのその、得意の舌先での先制攻撃に大洋ナインは意表を突かれた。特に投手陣は若手主体なので関本投手の貫禄ぶりに返す言葉もなかった。「そろそろ働かないとオマンマの食い上げ。せっかく大洋に来て戦力にならずじゃチームに申し訳ない。今までの分も取り返すよ」と言うが、肝心の直球のスピードは往年には程遠く首脳陣の評価も芳しくない。関本投手にとって前途は多難のようである。
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