Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 607 広島市民球場乱闘事件 ➊

2019年10月30日 | 1976 年 



4月16日、広島市民球場の乱闘事件は野球ファンだけでなく多くの人を驚かせた。選手がバットを振り回し、ファンとつかみ合った写真が新聞の社会面を賑わしたが不可解なのは怪我をしたファンも巨人軍の選手達もお互いに被害者と叫び合っていることだ。 " 傷害 " の真相はどうなのか?

張本がバットを振り上げ
4月16日、広島対巨人4回戦の9回表に事件は起きた。スコアは6対5で広島がリード、二塁に同点の走者を置いて代打・山本功選手が中前打を放ち二塁走者の土井選手は本塁へ突入し水沼捕手と激しく接触した。微妙なタイミングだったが柏木主審の判定は「アウト」で試合終了の筈だった。しかし巨人ベンチから長嶋監督以下、コーチ・選手らが飛び出して猛抗議。ここから球場内は混乱し始める。1人の広島ファンが抗議をしている長嶋監督らに飛びかかると、同調した約30人のファンがグラウンドに乱入した。ウェーティングサークルにある素振り用の鉄棒を手に持つファンもいた。巨人サイドもそれに応戦し鼻血を流すファンもいて大混乱となったが、主審のゲームセットの宣告で騒ぎは一旦は収まった。

宿舎へ引き上げる為にバスに乗り込もうとする巨人の選手達に激しい罵声を浴びせる約2000人のファンが取り囲んだ。ちょうどバスのステップに足を掛けていた張本選手の肩にファンの一人が手を伸ばした。反射的に張本はバットで応戦したが、それを見た長嶋監督は「構うな!バットを振っちゃいかん」と怒鳴った。この混乱で国松コーチや王選手や土井らは球場内のシャワー室で待機し、選手全員がバスに乗って出発したのは午後11時前だった。この騒ぎで谷村仁臣さん(30歳)が腹と額に重傷を負い広島市内の岡本外科に入院、寺島勝初さん(31歳)は左目下裂傷で4針を縫う怪我を負った。その後の経緯を追うと以下の通り。

4月17日・午前0時15分…張江巨人軍広報担当が広島西署を訪れて宿舎周辺の警備を要請する
  同 ・午前8時57分…広島・重松代表が広島西署に出向き前夜の経緯を陳謝して警備の強化を要請
  同 ・午前10時38分…張江氏が巨人軍宿舎・世羅別館で会見し『警察から任意での出頭要請あり』の一部報道に
            「聞いていない」と答える
  同 ・午後12時20分…張江氏が再び広島西署へ
  同 ・午後1時20分…張本選手が宿舎のロビーに現れ「私の方が被害者だ」と発言
  同 ・午後2時15分…佐伯球団常務、張江氏、長嶋監督が広島西署へ出向き事情を説明する。応対した広島西署の原田義秀署長は
            「二度とこの様な事が起こらないように努力して欲しい。長嶋監督に来て頂いたのは事情聴取ではない」と
            説明。19日までに張本選手の任意出頭を求め参考人として事情聴取をする方針であると発表した


被害者を主張する巨人
翌朝の新聞はこの事件を大きく報道したが、多くが加害者は張本としていた。怪我で入院した谷村さんによると「張本選手に突然バットで殴られた。意識を失いかけたが友人に支えられて倒れずにいた。そして今度は腹をバットで突かれた。相手は張本選手に間違いない」と主張した。一夜明けて精密検査をした結果は頭部の怪我は大したことなく済んだが腹部にはハッキリと打撲の痕が残り入院は続いた。しかし加害者であると言われた張本は真っ向から否定する。宿舎ロビーに午後1時過ぎに現れた張本は「昨日はバスに乗り込もうとした時に後ろから左肩と腰を強打された。痛み?いや今はそれほどでもない」と当初はのんびりムードで時折笑顔も見せた。

だが報道陣から警察から任意出頭を求められている、と聞かされるとさすがに顔色を変え「私の方が聞きたいくらいだよ。一部のファンがバスに近づいて来たのですぐに逃げようとした。そこを後ろから殴られた。私は絶対に手を出していない。私は加害者ではなく被害者です」と訴えた。しかし一人の記者が差し出した地元紙の『張本、ファンに暴行』の見出しを見て事の重大さに改めて気づいた。「おいおい勘弁してくれよ」と暫く絶句した後、「私は広島生まれですよ。確かに今は巨人の選手でカープの敵ですけどこれじゃ親の仇みたいじゃないですか。情けないですよ。一方的に襲われた私の方が被害届を出したいくらいです」と自分は被害者であると主張した。

その主張は球団側も同じである。「警察発表の中で張本君がファンを殴ったという話がありましたので広島西署の三山副署長にお会いして球団として正式に否定しました。逆に張本・槌田両君が怪我を負いました(広島市内の林外科医院の診断によると張本は全治5日、槌田は全治10日)。バスに乗り込む際に一部のファンと揉み合いとなり防御措置を取らざるを得ず、心ならずも結果的に怪我を負われた方が出てしまったのは誠に遺憾に思っております。私は張本君の後ろにいて現場を目撃していましたが張本君は決して意図的に暴力を振るってはいない。逆に張本君に殴り掛かる人物がいて鈴木コーチが止めに入った。それが真相です。私はそう警察に伝えました」と張江氏は話す。

これではどちらが被害者か加害者かは分からない。この間、巨人側は広島西署からの出頭要請に一貫して「我々は被害者。選手らは手を出していない。今日も試合があるから選手に支障があっては困る」と突っぱねていた。その為、張江氏に選手は同行せず佐伯常務と長嶋監督が張江氏と共に広島西署を訪れて原田署長から「今後二度とこのような不祥事を起こすことのないように」と警告されたにとどまった。自分達は被害者で非はファンにあるとする巨人側。しかし数多くの目撃者が巨人の選手が暴力を振るったと証言しているのを無視してよいのだろうか?実際に警察は10人の目撃者から調書を取っている。


張本・任意出頭に応じる
騒動となった翌17日の試合でも小さなトラブルがあった。4回裏の攻撃で広島・大下選手が空振りした際にバットがスッポ抜けて小林投手の目の前に転がった。バットを拾い上げた小林は大下に手渡すことなくホームベース付近に放り投げた。この行為に古葉監督がベンチから飛び出して小林に一言注意すると外野席から左翼の張本選手に向けて数本の空きビンが投げ込まれた。これを見た長嶋監督が選手全員をベンチに引き揚げさせ試合続行を拒否した。審判団による説得にも巨人側は頑なに拒否。事態を重く見た広島・重松代表が球場内のファンに対して警告した事で巨人側も折れて13分後に試合は再開された。

実は17日の試合前に長嶋監督は「もしも今日、例え練習中であろうとグラウンド内へ物が投げ込まれたら直ぐに選手を引き揚げさせる。ファンの皆さんがチームを応援する気持ちは理解できるが相手チームに対する妨害は許されない。野球に限らずスポーツとは選手と選手が自らの技と技術をぶつけ合い対戦相手を尊重する競技なんだ。選手に危険が及ぶ可能性が有れば試合を放棄してでも私は選手を守る」と話していた。結局、17日は小林投手が完封勝利。続く18日は加藤初投手がノーヒット・ノーランの快投を演じ巨人が2勝1敗と勝ち越したが、何かシラケたムードが漂う残念な3連戦となってしまった。

3連戦終了後の19日の早朝6時20分、張本は広島西署を訪れた。傷害の疑いでの任意出頭で現場近くにいた鈴木コーチ、槌田選手、末次選手も張江氏に伴われて出頭した。待ち構えていた30人程の報道陣から「暴力を否定していましたが今も変わりませんか?」と問われた張本は無言のまま署内に消えた。鈴木コーチらの事情聴取は午前中に終了しチームに合流して空路帰京したが張本の聴取は午後も続いた。聴取の焦点は殴ったか否かの事実確認とバスに乗り込む際にバットをケースに収めず剥き出しのまま手に持っていた理由だった。既に警察は目撃者やガードマンから当時の模様を克明に聴取している。その上での張本らの聴取であり、近日中にも事件の真相が明らかになりそうである。
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# 606 後の大エース

2019年10月23日 | 1985 年 



今シーズンのチーム最多勝(12)、最多奪三振数(124)。いささかレベルが低いとはいえ、ともかく巨投の頂点に立った。来季の更なる飛躍を誓っているが、その来季に斎藤とよく似た資質の投手がやって来る。投手がダメなら打者があるさの桑田である。斎藤も入団時は打者の方が…の声が強かった。が、斎藤はあくまでも投手の道を焦らずに突き進んだ。そして成功した。だから斎藤は桑田に言う。「焦るな。じっくりその日を待て。これで俺は勝ったのだから」


20歳を過ぎた普通の若者ならガールフレンドの1人や2人がいても不思議ではない。巨人の若手選手(駒田・岡崎・川相ら)が写真週刊誌に追われていた頃、実は斎藤にも「とある銀行に勤めている彼女がいるらしい」との噂が駆け巡った。その噂の出所は斎藤が11勝目をあげた10月1日の大洋戦後の横浜スタジアムで当時の堀内投手コーチの発言だった。「清六(斎藤のニックネーム)は足しげく銀行に通っている。彼女でもいなけりゃ毎日のように銀行に行かないだろ」とつい報道陣の前で喋った。記者達は色めき立ったが何てことはない。貯金が趣味と話す斎藤を冷やかした冗談がいつの間にか話に尾ひれがついて広まったのが真相だ。野球一筋の斎藤は遊びに小遣いを使わず貯金は貯まる一方らしい。勝ち星が増えるのと比例して取材を受ける機会も増し、当然謝礼金もゲットし銀行に行く回数も増える。

活躍すればそれだけのモノが付いてくることを実感するシーズンだったが、遊びたい盛りの若者が懐が豊かになるとついつい横道に逸れてしまいがちだが「ヤツは放っておいても大丈夫(堀内)」「考え方がしっかりしてるから大きく成長するだろう(江川)」と歴代のエースがプロ3年目の斎藤を次世代のエースに指名する。最近うれしかったことは?の記者からの質問に「球団から頂いたヤング・ジャイアンツ賞ですね」と答えた。金一封の賞金が?と意地悪な質問に対して「ハイ(笑)。でもお金よりも球団が認めてくれたことが嬉しかった」と初々しく答えた。本業の年俸も来季は倍以上の千二百六十万円に跳ね上がった。今は遊びよりも野球をしている方が楽しくて堪らないのだ。

宮崎の秋季キャンプではどんな時でも自信を持って投げられる球をテーマに来季の武器となるシンカーの習得に取り組んでいる。横手投げ投手の宿命で球の出所が見やすい左打者には分が悪い。ましてやセ・リーグには三冠王のバースや掛布、若松など強打者が多い。今秋から就任した皆川投手コーチは斎藤にとって良い手本となりそうだ。現役時代の皆川コーチは左打者の内角にスライダーを投げてファールを打たせてカウントを稼ぎ、外角へのシンカーで左打者を封じてきた。斎藤の場合はスライダーの代わりに胸元を突くストレートで打者の体を起こしてシンカーで仕留める投球を考えている。斎藤の球は一見するとそれほど凄味のあるようには見えないが「見た目より打者の手元で伸びてくるのが斎藤の持ち味で、一番リードしやすい投手」と女房役の山倉選手は言う。

誰もが驚いた桑田の1位指名。斎藤も例外ではなかった。先輩として何かアドバイスは?と聞かれると「テレビで見ただけでアドバイスなんて」と少し照れた後に真顔になって「プロでやってみてすんなり行くか躓くか不安があると思うけど、もしも躓いても焦るなと言いたいですね」実は斎藤自身も1年目はプロの厚い壁にぶち当たった。「1日でも早く投げたい。首脳陣に僕の力を見て欲しいと焦るんです。ところが最初は体力作りばっかりで球さえ握らせてもらえない。しかもその体力作りにも付いて行けない自分に愕然とするんです」と。同じ新人でも野手は比較的早く試合に出場する機会を与えられるが、投手は体力作りが終わるまでブルペンにさえ入れてもらえない。周囲が開幕ムードが高まる中で自分だけ取り残される恐怖を実感することになる。

昨年の上田選手を除けばここ数年のドラフト1位は将来の投手王国を築くことを目標に高卒投手の指名が続いた。槙原、斎藤、水野、そして今年の桑田。この4人が揃ってローテーションを組める日が訪れたなら、それは巨人の黄金時代の到来を意味する。先ずは斎藤が頭一つ抜け出した。勝ち星も年俸も先輩の槙原を抜いた。追い抜かれた槙原は7月14日の阪神戦でバース選手の打球を追った際に転倒し、左足の付け根を骨折してしまいシーズンを棒に振ってしまったが、リハビリも順調で早ければ来季の開幕から復帰できそうだ。また後輩の水野も2人に追いつき追い越せで黙ってはいないだろう。気弱で勝負度胸に一抹の不安があると言われていた斎藤がエース候補の一番手に躍り出た。エースとは?と問われた斎藤は「エースとは誰からも信頼される投手。どうしても勝ちたい試合に登板する投手」と胸を張って答えた。
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# 605 師弟対談 ➌

2019年10月16日 | 1985 年 



毒島ヘッドコーチは最適任者だ !
記 者…コーチの話が出ましたがスタッフの陣容も固まりつつありますね。ヘッドコーチに毒島さんを起用する理由は?
 森 …毒島さんは先ずハッキリものが言える。人間として裏表のない方。それとスカウト経験があり若手選手にも精通している。
    叱ることも出来るし裏表がないからシコリも残らない。今の西武にはうってつけの人だと思い起用しました

記 者…投手コーチは?
 森 …一番の心配は投手陣ですね。とにかく頭数が足らない上に後半戦に肩や肘を痛めた投手が続出し無傷の投手はごく僅か。
    この傷だらけの投手陣を再生しなければ優勝は難しい。先ずは現状分析です。故障の原因が何なのか、練習法か投げ方か
    分析中です。ですから投手コーチには選手の中に飛び込んで行けて投手という人種を知り尽くした人に任せたい。そこで
    選んだのが八木沢君です

川 上…戦力面での課題は外人。郭投手はまずまずだがスティーブ選手は長打力不足で守りも肩が弱い。郭は右肩に不安があり1年を
    通してコンスタントに活躍できていない。もしも郭がローテーションに入れないなら外人打者が2人でもいい。大砲を獲って
    もらいなさいよ

 森 …その件はフロント陣と協議中です
川 上…さすがだね。恐れ入りました(笑)
 森 …フロントもちゃんと考えてくれています
川 上…もう言うことなしだ。これで勝てなかったら監督が悪い(笑)
 森 …はい(笑)
川 上…ついでに言わせてもらうと前監督はマスコミの前で選手に対する愚痴を言っていた。これは感心しません。決して外部に
    不満を漏らしちゃいけない。これはくれぐれも注意してほしい

 森 …僕らの頃は何を言われても聞き流していましたが、今の選手達は真面目ですから委縮してしまう。時代ですね(苦笑)


清原は先ず自分の目で確かめてから
記 者…さて、世代交代の象徴のように扱われているのがPL学園から入団する清原選手ですがどう使う予定ですか?
 森 …彼は一塁をやってきたわけですから先ずは一塁手としての適性を自分の目で確かめるつもりです。しかる後にコンバートの
    必要があればそこで考えます。清原にとって、チームにとって一番良い方法を探っていきたい

川 上…ファンは清原を早く見たいだろうけど慌てる必要はない。体力を付けさせてからでも決して遅くない。逸材である事は
    間違いないのだから

 森 …話は変わりますけど川上さんにお聞きしたいことがあります。監督に就任して初めての優勝(昭和36年)は正直言って
    勝てると思いましたか?ルーキー監督として非常に興味のあるところなんです

川 上…全く思わなかったね。無我夢中で戦っていたら優勝していた感じだった。むしろ大変だったのは2年目ですよ。続けて
    優勝すれば選手も自信が持てると思って手綱を締めた。そういう感じじゃなかった?

 森 …いや、逆ですね。1年目の方が厳しかった。2年目はキャンプも3勤1休になりましたし
川 上…えっ、そうだった?
 森 …昭和36年はとにかく練習、練習の1年でした。多摩川で雨の中でも練習して南海との日本シリーズに臨んだくらいでしたから。
    ところが翌年は一転して楽になった。そうしたら優勝できなくて次の年は36年以上に厳しくなった。憶えてませんか?

川 上…私は囲碁の世界の言葉である『一石は弱し、二石は強し』をモットーにしている。だから1年目より2年目の方を厳しくやった
    つもりだった。ただ頭のどこかで1年目は無我夢中で無茶をしたから2年目は知らず知らずのうちに緩めたのかもしれない。
    ボクシングだって3分間戦って1分休むのだから、キャンプも3日間厳しくやって1日ゆっくり休んだ方が良いと考えて
    3勤1休にしたんです。それくらい昭和36年は精神的に尋常じゃなかった

 森 …あの年は本当に大変だった。移動日や雨の日でも練習するんです。私も含めて選手達は「何でこんなに練習するんだ」と
    不平不満がタラタラだった。それが半年経つと練習するのが当たり前と感じるようになった。人間は不思議な生き物です(苦笑)

川 上…監督と選手の根くらべですよ
 森 …私もコーチになった時に選手に言いました『君達も嫌だろうけど、やらせる我々はもっと嫌なんだ』と


V9野球はあらゆる面で革命的だ
 森 …振り返ると私の本当の野球人生のスタートは昭和36年だった気がします。九連覇は昭和40年から始まりましたが、その原点は
    昭和36年です。川上さんの野球が、優勝 ⇒ 4位 ⇒ 優勝 ⇒ 3位 という歩みを繰り返すうちに巨人軍の野球が確立されて
    九連覇へと繋がったと理解しています。川上さんの口癖は「球際に強くなれ」で、今では当たり前のように言われていますが
    当時は何のこっちゃ、と皆で首を傾げていました(笑)

川 上…「球際で強く」とか「特訓」などは私の造語ですよ(笑)。取材を一手に引き受ける「広報担当」、「トレーニングコーチ」や
    練習中のグラウンドに音楽を流したのも私の発案です

 森 …音楽的センスが皆無の川上さんがバックグランドミュージックを考えるなんて(笑)。それから先乗りスコアラーも川上さんの
    案です。とにかく新たなことを開拓するのは非常に勇気がいりますが川上さんは躊躇しなかった。いわゆる " 哲のカーテン " は
    大正解でした。当時は記者さんがグラウンドの中まで入って取材するのが当たり前だった。それを川上さんが規制した。画期的
    でしたよ。もちろん選手は大賛成でした。マスコミを敵に回してでも自分の信念を貫き通す勇気に感服しました。私も是非とも
    見習いたいです

川 上…森君はよく勉強していた。14年間のミーティングの内容を全てメモしていたのが牧野コーチと森君の2人だけ。実に
    大したものです。長嶋君なんか右から左へ聞き流していた(笑)。でも彼はそれでいいんです。試合でしっかり結果を
    出す彼に理屈は必要ありません(笑)

 森 …自己反省が一番大事だと思います。そのノートはコーチとして選手を指導する際に本当に役に立ちました


9人の敵をすべて殺したプロ根性
記 者…さて来年の話になりますが西武はどんな戦いを見せてくれるのでしょうか?
 森 …今季は確かに西武はリーグ優勝しました。しかし後半戦の西武が本当の姿だと思います。よほど気持ちを引き締めて戦わないと
    足元をすくわれます。他球団は打倒西武で来ると思いますが私はその方が楽しみです。叩かれれば叩かれるほどナニクソッと
    反発するタイプです。何しろ川上さんに毎年のように新しい捕手をぶつけられて鍛えられましたから(笑)

記 者…調べてみたら森さんがレギュラーになって以降、9人の刺客を送られましたが森さんは返り討ちにしました
        昭和35年 佐々木 勲(明治大)・野口元三(平安高)
        昭和37年 淡河 弘(久留米商)
        昭和38年 大橋 勲(慶応大)・宮寺勝利(東洋大)
        昭和40年 吉田孝司(市神港高)
        昭和42年 槌田 誠(立教大)・矢沢 正(中京商)
        昭和45年 阿野鉱二(早稲田大)

      
 森 …これは堪らなかったですよ。しかし常に緊張感を持つようにする事でマンネリや馴れで緩むのを許さなかった。そのお蔭で
    結局20年も現役を続けることが出来た。川上さんに感謝していますよ
      
川 上…君は怪我にも強かったからね。ある時、試合中に怪我をした。それも1ヶ月くらい欠場するような怪我だったのに3日で
    帰って来た。あの頃の選手は性根が座っていたし、長く現役を続けられたのは本人の努力の結果ですよ。とにかく来年、森君が
    どんな野球をするのか楽しみです。監督が変わればそれまで陽の目を見なかった選手が出て来るものです。それも楽しみです

 森 …先ずは使える投手を発掘しなくては。これは私の専門分野ですから何とかしたいです
川 上…何が何でも4年は監督をやる。その間に西武の野球はコレだ、というものを作って次の世代にバトンを渡す。頑張ってほしい
 森 …分かりました。精一杯頑張ります。今日はありがとうございました
記 者…御二方、本日はありがとうございました
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# 604 師弟対談 ➋

2019年10月09日 | 1985 年 



本誌評論家の森昌彦氏が来季から西武ライオンズの指揮を執ることになった。森氏がどんな采配を見せてくれるか今から楽しみだが、森氏のバックボーンはやはりV9巨人の " 最強野球 " 。川上哲治氏が築き上げたチームプレーで勝ち抜く野球である。森氏はその川上V9野球の正統な継承者といえる人。2人の熱論の中から森氏の野球の輪郭がはっきりしてきた。

監督の仕事は先ず自分を捨てる
川 上…先ずは何はともあれおめでとう。この仕事は幾ら自分が願っても相手から請われないと出来ない仕事。このチャンスを
    生かして全力でぶつかってほしい。森君は強靭な精神力の持ち主だからきっとやってくれると信じている。来シーズンが
    本当に楽しみだ

 森 …ありがとうございます。大変な仕事を引き受けたというのが実感です。僕は今まで監督を補佐するコーチを経験してきました。
    いかに監督という仕事が孤独でシビアなものだと肌で感じました。それだけにやり甲斐があると思います

川 上…とにかく森君とは長い付き合い。巨人軍の監督を14年やりましたが、非力な投手陣を上手に支えてくれた九連覇の陰の立役者。
    長嶋君や王君が陽の当たるヒーローならば森君は日陰で目立たないヒーローで欠かせない存在でした。さて私が森君にお願いと
    いうか先輩監督として助言するならば先ず自分を捨てよ、これが一番大事だと思う。自分を捨てるとは自分を無にしてコーチの
    中に入り選手の中に入り一体化する事です。コーチの気持ち、選手の気持ちが全部自分に反映してくるので全てが分かってくる。
    そうして初めて自分がやりたい野球がスタートする

 森 …全くその通りだと思います。監督が野球をやるのではない。いかに選手に最高の能力を発揮させるか、そういう環境をいかに
    作るかというのが全てだと考えています。川上さんのおっしゃる自分を捨てるというのはなかなか難しいですが、実際にゲームが
    始まれば主役は選手で監督・コーチは黒子だと思うしそれが基本ですね

川 上…監督というのは頂点にある人です。目的のない所に目的を設定してチーム全体を牽引しなければならない。コーチ諸君は
    その設定された目的に向けて監督に従いついて行く。だから監督とコーチは同じ黒子でも職質、職域は自ずと違う。森君には
    その事をしっかりと認識してほしいと思う


勝利と選手育成は監督の二大責任
 森 …監督とはこういうモノだと考えていても実際にやってみて初めて分かるモノもあると思います。ですから今日は川上さんの
    貴重な体験談をお聞きして参考にさせて頂きたいと思っています。川上さんは昭和36年に水原さんから監督をバトンタッチ
    されましたが、当時の巨人軍は決して強いチームではなかった。投手陣に絶対的なエースは存在せず、長嶋君が一人で打線を
    引っ張っていました。川上さんはそのチームをリーグ制覇・日本一に導きました

川 上…あの時は水原さんでも勝てなかった。弱かった。そのチームを率いて勝て、という責任を負わされされたのだから、先ず
    勝つという大目標・大前提を置いてどうすれば勝てるという各論的な部分をじっくり考えた。そこから得たのはチームワーク。
    チームワークを整えなければ勝てないという結論でした。そして選手一人一人を少しでもプロらしい選手にしなければ勝てんと
    いう事でした。ではプロらしい選手を育てるにはどうすればいいのか?それには練習しかなかった。さて、そのチームワークや
    チームプレーですが当時は観念的な理解に留まっていた。それを具体的に例えばバント守備ならお前はこう動け、お前は
    こうしろなど出来るまで何度も繰り返す。と同時に監督自身も勉強する。チーム全員を牽引するには選手を理解しなければ
    なならない。それが昭和36年の実情でしたね

 森 …それぞれの球団によってチームカラーや選手の性格も違いますから、一概にこれをやれば全て解決するという正解はない
川 上…監督には二つの大きな責任がある。チームの勝利と選手の育成。正しい野球、間違いのない野球を教えると同時に良い野球を
    選手に身に付けさせる。それが大事です

 森 …まさにその通りで僕のテーマでもあります。西武球団は勝つと同時にチームが過渡期に差し掛かっていますから、これからの
    選手を育てることが重要なテーマです

川 上…人を率いながら仕事を成功させる上でリーダーとしての大事な心得が私なりに三つある。実はこの心得は監督を辞めた後に
    分かったことなんだけどね(笑)。先ず原理原則を説いてくれる師を持つこと。野球に限らず人生の羅針盤になってくれる人。
    私の場合は正力松太郎氏と梶浦逸外老師(元正眼寺住職)の二人。次に苦言を直言してくれる信頼できる部下を持つこと。
    九連覇時代は牧野ヘッドコーチがやかましく進言してくれた。最後は部外者の良きアドバイザーを持つこと。野球の世界しか
    知らない私に実業界で成功された方の集まりである「無名会」の皆さんの叱咤激励に勇気づけられた。森君もこういった人達を
    探す必要があると思う。この世界は自分一人ではやっていけない。老婆心ながら参考にしてほしい



不動の " 西武野球 " を確立すべきだ
記 者…お話を伺っていますと川上さんと森さんはV9野球の確立者と継承者という強い信頼関係で結ばれていることが分かりました。
    最強チームの再現に不可欠の新スタッフは固まりましたか?

川 上…その前に一言よろしいですか。スタッフ以前に私としては球団フロントとの意思疎通を大事にしてもらいたい。戦うのは現場だが
    戦う為の戦力補強などに球団から資金を出してもらう必要がある。普段からの付き合い方がイザという時にモノを言う。伝え聞く
    ところによると前監督(広岡氏)はフロントとの仲が良好とは言えず苦労したと聞く。森君に同じ轍を踏んでほしくない

 森 …私は球団あっての現場だという考え方です。必要以上に仲良くするつもりはありませんが適度な関係を築きたいです
川 上…監督がフロントと衝突すると一番困るのが選手なんです。まぁ森君はヤクルト時代の経験もあるから大丈夫だと思う
 森 …フロントと喧嘩している暇は今の西武にはありませんよ。チームは転換期でベテランと言える選手は投手陣では35歳の東尾と
    33歳の松沼兄、野手では片平、大田、田尾、石毛くらいで上手く世代交代できれば長期の黄金時代を築ける。選手が自分の
    球団に誇りを持てるように教育しなければならないと考えています

川 上…例え監督が交代しようが西武の野球は変わらないという確固たるモノを確立しなければならない。強いチームにはそれがある
 森 …大リーグのLA・ドジャースがそうですよね。監督や選手に変化があろうと、いつの時代でもドジャースの野球は変わらない
川 上…一貫性が大事。例えばあるコーチの指導と別のコーチの指導が違っていたら選手は迷ってしまう。何事もチームとしての一貫性、
    統一性が大事になる。樹木に例えるなら枝葉に多少の差異があろうとも幹さえしっかりしていれば樹は育つ。森君にはその幹の
    部分の確立をしてもらいたい
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# 603 師弟対談 ➊

2019年10月02日 | 1985 年 



阪神は見事に復活した。浪花っ子は狂喜した。その興奮が静まってくると何かを忘れていたような気がしてきた。そう、名門・南海のことである。かつては阪神と大阪の人気を二分した人気チームの凋落はあまりにも寂しい限り。南海が復活してこそ本当の大阪の復活があり、パ・リーグの復活がある。来季から指揮を執る杉浦忠新監督とかつて南海の一時代を築いた鶴岡一人氏に名門復活を語り合ってもらった。

金を儲ける為にプロに入った。これが原点なのだ
聞き手…先日のドラフト会議についてから伺いたい
杉 浦…長打力がある打者という事で清原君を指名しましたが縁がありませんでした。西川君(法大)か斉藤君(青学大)の
    二者択一でしたがウチの投手陣は右の本格派が多いので左腕の西川君にしました

鶴 岡…ドラフトを自己採点すると何点?
杉 浦…90点ですかね。左が2人、変則が1人と投手陣はまずまず。手薄な捕手や大砲候補も2人獲れました
鶴 岡…それにしても今年のドラフトは大騒ぎだったなぁ
聞き手…桑田・清原の話題で持ちきりでしたね
杉 浦…南海電鉄のおひざ元の岸和田出身の清原を指名しなかったら何を言われるか。最近は逆指名が流行してますけど
    敢えて指名しました

鶴 岡…抽選はダメで元々。人気のない球団も欲しい選手を指名しなければドラフト制の意味がない
聞き手…ドラフトも終わって今度はトレードですね?
杉 浦…ウチは建前としてトレードはしないとしています。あくまでもこちらから動くことはないと
聞き手…山内孝投手のトレード話も巨人側からがあった?
杉 浦…ええ。山内本人にも話しましたがトレードを申し込まれるという事は相手が評価している証拠。まだまだ老け込む
    歳じゃない。有名税だと考えて来季は発奮しろと激励しました

鶴 岡…それもひとつの見方やな。それに付け加えるなら選手は何の為にプロへ入ったのか、やっぱりお金儲けですよ。
    オールスター戦に出られるような選手になっていい給料を貰う。プロの世界で生き残るには本人の努力しかない。
    そういう選手になれと

聞き手…その昔、鶴岡さんは「グラウンドには銭が落ちとる。拾うてこい」とおっしゃってましたね
鶴 岡…自分が好きな事をやって有名になり若いうちに家を建てて贅沢な生活をする。プロ野球選手にはこれが出来る。
    最近よく耳にするのが「鶴岡さん、今の若い選手は何で上手くなろうと努力せんのでしょうかね?若いうちにお金を
    貰い過ぎでは?」と。これは半分本当やが、もう半分は一般人の僻みだと思うんです。これなんですよ。プロ野球選手は
    一般の人から妬まれるくらいの存在にならなきゃダメなんです



三塁・香川にかつての中西太のイメージが・・・
聞き手…11月4日から秋季練習を行なっていますが手応えはいかがですか?
杉 浦…今まで外から見ていて団結力というか纏まりに欠けていたように思ってましたが、徐々にですけど変わってきました。
    門田などはここ何年も秋季練習には不参加でしたが今年は自ら参加してくれました。練習が始まって5日ぐらい経って、
    もうそろそろ切り上げて構わないよと言ったら「邪魔になるなら帰りますけど(笑)」と練習を続けています。チームの
    士気も上がるしありがたいですね

鶴 岡…それは良い傾向やね。そういう所を若い選手達はちゃんと見てますから
杉 浦…鈴木という若い選手がいるんです。体格に恵まれパワーも申し分ない。だけど今一つ殻を破れない。そこで鈴木に「門田の
    所へ行ってティーバッティングの手伝いをしてこい」と言ったら門田が鈴木にマンツーマンで打撃指導を始めた。勿論、
    打撃コーチ了承の下で。今はチーム全体に一体感が出来つつありますね

聞き手…今の所、来季の目玉は " サード・ドカベン " ではないかと
杉 浦…まだまだ実戦で試せる段階ではないですが面白いですよ
聞き手…中西二世だとか(笑)
杉 浦…まだ強い打球は捕らせてません。捕球する際の足の運びとか内野手としての初歩段階です。でも日々進歩しています
聞き手…ほ~。三塁手・香川は本気なのですね?
杉 浦…しばらく様子を見て判断したいと考えています。僕自身は西鉄時代の中西さんにイメージをだぶらせています。香川本人も
    「高校の時に少しやった事がある。違和感はないです」と言ってやる気満々です。結論を出すのはまだ先ですが

鶴 岡…話題にはなりますわな(苦笑)


良い監督とは相手に嫌がられる事を徹底的にやる男
聞き手…杉浦南海では二軍監督という名称を無くしました。その意図は?
杉 浦…二軍監督の下でリーグ戦をやりますよね、そうすると南海ホークスの選手ではなく " 二軍の選手 " という意識に陥ってしまう。
    二軍で活躍しても意味はないという意識を持ってもらおうと。一応は責任者は配置してますけど

聞き手…一軍と二軍の区別を無くすと?
杉 浦…ハイ。例えば一軍から二軍へ落ちた選手の指導は一軍のコーチが行なう。代わりに一軍へ昇格する選手について二軍のコーチが
    当初は行なず、一軍のコーチに引き継ぐ。これは近鉄の投手コーチ時代に感じた違和感から思いついたんです。一軍で抑え役に
    起用する予定の投手を二軍で先発させても意味はないですから

聞き手…これは阪神が安芸キャンプでやった一・二軍合同キャンプみたいなものですか?
鶴 岡…ウ~ン、シーズン中も続けるとなると阪神の上を行く改革やな。僕が監督の時も一・二軍の意思疎通は難しかったからね
杉 浦…チームが強いときは二軍からどんどん選手が育っていた。野村や広瀬など二軍からの叩き上げだった
鶴 岡…それに昔はコーチが手取り足取り教えるなんてなかった。自分の目で先輩から技術を盗んでいた。僕の場合は藤村さんだった。
    今は教え過ぎる。選手だって体は一つなんだから言われた事を全部やっていたら頭が混乱してしまう。取捨選択も大事やね

杉 浦…そうですね。ヒントを貰う感覚で宜しいかと
鶴 岡…辞めてしまったが広岡は良い監督だった。継投策が上手かった。永射が出て来ると相手は早く点を取らないと、と焦る。
    かつて西鉄の稲尾がブルペンで投げ始めるとこっちも焦る。そんな時はウチも杉浦にブルペンへ行けと命じた。これなんか
    三原さんから学んだ策。相手の嫌がる事をやらんと勝てない。それが出来る監督こそ良い監督だ

聞き手…川上さん(元巨人監督)も同じ様な話をしていました
鶴 岡…川上君も常に相手が嫌がる事をやって九連覇を成し遂げた。相手に見破られるような事をやっていたら監督は務まらない


隠れ南海ファンをいかに顕在させるかが課題
聞き手…阪神フィーバーで大盛り上がりの関西ですが、一方で南海の低迷が続いています
鶴 岡…今回、杉浦君が監督に就任して中年以上の人達は喜んでいるね。期待が大きいから頑張って欲しい。頑張れ、と言う以上に
    何が何でも勝って欲しい

聞き手…勝たないとお客さんが球場に来てくれないですし
鶴 岡…勝たないと親御さんが子供たちを連れて球場に来てくれない。ただし同じ勝つのでも学校が休みの春休みや夏休みに地元で
    勝たなイカン。勝って1万人のお客さんが周りに宣伝してくれるのと3万人のお客さんでは影響力が違う。前監督の穴吹君にも
    言ったんだ、君も頑張っているけど子供たちの前で勝たないとダメだと。肝心の夏休み中に最下位ではアカンと

聞き手…毎年、5月のゴールデンウイークの頃までは頑張っているんですけど夏休みまで持続しない
鶴 岡…春先は大阪球場も結構お客さんで埋まってますよ
聞き手…私たちマスコミ関係者の間では人気の目安はテレビの視聴率ですね。昭和40年代までは毎日放送が南海戦を、朝日放送が
    阪神戦を同時間帯に放送していたんですが両社の視聴率に差は殆どありませんでした。ところが今や雲泥の差です

鶴 岡…こういう事を言うたら叱られるかもしれないが近鉄や阪急が勝つより南海が勝つ方がパ・リーグの為にはエエ
聞き手…昔は南海と阪神が関西の人気を二分してましたからね。難波にもう一度火を灯さなければいけない。関西地区だけでなく全国に
     " 隠れ南海ファン " は潜在している。そういった人達を再び呼び戻さないと。今では南海ファンと公言すると笑われてしまう

鶴 岡…大人だけでなく子供たちの世界でもあるそうだ。学校で南海ファンだと言うと馬鹿にされると聞いた
杉 浦…先日、テレビで阪神優勝の特別番組が放送されたんですが、その中で「西武が何じゃい。マイナーやないか」という発言が
    あったんです。これは西武だけでなくパ・リーグ全体をマイナー扱いしている発言で聞いていて悔しかった。阪神もセ・リーグも
    憎くないけどやはりカチンッときました。おこがましいけどパ・リーグを盛り上げるには南海が頑張らなければダメだと思い
    ましたね。微力ではありますがパ・リーグ隆盛の為に一役買いたい。その為には2~3年先ではなく来年すぐに勝ちたい。
    パ・リーグの為にも勝ちたいんです

聞き手…頑張って下さい。期待しています。本日はありがとうございました
コメント (1)
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