~過去の出来事~
「日本の投手はなぜ堂々と勝負してこないのだろう。ブラッシングボールばかり投げてくる。アメリカなら間違いなく喧嘩になっちゃうよ」とロッテのリーは息巻く。ビーンボール騒動には外人選手が関っている事が多く、昨年のマニエルの死球は記憶に新しい。過去にはシピンが門田を突き飛ばし大騒ぎになった。昭和53年5月30日、後楽園での巨人vs大洋の首位攻防戦の3回裏2死でシピンを迎えた新人・門田は徹底した内角攻めをした。第1打席で死球を喰らっていたシピンは、カウント1-0から3球続けて胸元をえぐられて激怒しマウンドの門田へ突進、二塁ベース付近で突き倒して組み敷いた。
「コーチから内角高目を攻めろと言われてました。シピンが段々と後ろへ下がっていったので、こっちも追いかけて投げただけで・・」と度胸満点の新人も伏し目がち。代わりに古賀が「投手は内外角ギリギリからベースの外へ流れる球を常に投げようとしていて内角の場合は必然的に打者の体スレスレに行く。打ち取る為であって、ぶつける為ではない。好打者ほど避けるのが上手いし」と語った。ちなみに古賀も巨人時代にヤクルト・大杉の左腕に2度ぶつけて襲いかかられている。日ハム・大沢監督は「度胸のない投手に思い切って内角を突け」と自軍の投手にハッパをかけるが、再三に渡って「らしい」ボールを投げる阪急・竹村投手に逆上しマウンドまで行ってポカリと殴った事もあった。やはり、ぶつけられると腹が立つものらしい。
「(ビーンボールなんて)無いと信じたいけど・・」と言うのは現在セ・リーグの首位打者の阪神・藤田だ。6年前にヤクルト・松岡に頭部に死球を受け、2ヶ月近くも戦列を離れた経験があるだけに「故意に頭を狙う投手がいるとは思いたくない」と語る。同じ阪神では6月24日の広島戦で掛布が大野投手にぶつけられた。手で頭をかばったので直撃は逃れたが、一大事になりかねない1球だった。選手生命どころか本当の命にかかわる死球だったのが昭和45年8月26日の広島戦での田淵。1打席目に左ヒジに死球を受けていたが2打席目も思いっきり踏み込んだところ、外木場投手のシュートを避けきれず左耳付近に死球を喰らった。昏倒し耳から大量出血する姿を見た村山投手は「ブチは死ぬ」と本気で思ったそうだ。幸いな事に「逆行性健忘症」のせいで田淵はボールが当たった前後の記憶が無い為にボールに対する恐怖心も植えつけられずに復帰を果たした。