納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています
中日と巨人、この2球団の話になると何時だって野球だけで終わらない。どうしても親会社である中日新聞と讀賣新聞とのいわゆる " 新聞戦争 " という生臭い話に行き着く。郡山での巨人戦に逆転勝ちして「みちのくシリーズ」を全勝した際に中日・山内監督はポケットマネーからポンと10万円を出した。3連戦最後の郡山の試合は9回二死から代打の豊田が西本投手から逆転2ランを放って監督賞を手にした。通常は5万円の監督賞のみだが巨人戦には「半督賞(ハントク賞)」と称する半分の2万5千円の賞もあり、牛島と金山が手にしたのだ。ことほど左様に中日の巨人に対するライバル心は相当なもので当然、親会社の中日新聞も販売部数で讀賣新聞に負ける訳にはいかないのである。
山内監督の一種異様なはしゃぎぶりの裏にもこの新聞戦争があるのだ。中日はシーズン前に二度ばかり壮行会を親会社の中日新聞本社内で行なった。社内での内輪だけの壮行会だから当然本音が飛び交う。球団関係者によれば今年ほど " 打倒巨人 " のボルテージが上がった事はなかったという。「ウチの打倒巨人は毎度の事なのですが今年はしきりと巨人の創立50周年が引き合いに出された。例年なら先ずは中日の優勝を口にするんですけど今年は自分の優勝より巨人の優勝を阻止する事をお偉方が盛んに強調してました。ちょっと異様な雰囲気でしたね」と中日新聞関係者は言う。
讀賣新聞が名古屋地区で「中部読売」を発行して50年になる。また中日スポーツと対峙する報知新聞も含めて " 中・読 " 戦争は激化するばかりであったが、昭和57年に一応の決着がついたと見られていた。名古屋の政財界の後ろ盾や根強い地元意識を背景に讀賣新聞の浸食を最小限に食い止めたからだ。それが今年になって再燃した大きな要因が地元の大府高から巨人入りした槙原投手の存在である。プロ2年目の昨季、中日相手に5勝をあげた。「中日新聞上層部が慌てたのは槙原の出身地である半田市の販売部数が激減した事。それまでは8対2で大きく水を空けていたのが5対5にまで急追された」と関係者は語る。
名古屋地区全体では中日新聞の牙城は依然として強固であるが、仮に今年も槙原に負け続け巨人に優勝されたら地滑り的な現象が名古屋地区に広がるのではないかと警戒している。一説には中日球団は山内監督に対して優勝よりも巨人に優勝させないよう厳命しているのではと言われているがあながち無い話ではない。一方の讀賣サイドも対抗策を打っている。例えば中日の準地元である津・金沢・岐阜・浜松で巨人主催のオープン戦を挙行した。また開幕後には名古屋初遠征の際に歴代の監督が名古屋市中栄区にある中部読売本社を訪れるのが恒例となっていて、今年も王監督が訪問し「僕らは野球で頑張るが記者さん達は一致団結して記事で敵を圧倒して下さい」と檄を飛ばした。
そうこうして始まったこれまでの今季対戦成績は7勝1敗1分けで中日が圧倒。「昨季の中日新聞は200万部、中日スポーツは50万部だったが今季の好調ぶりを反映してそれぞれ、202万部・51万部と伸ばして球団もろともウハウハ」とは中日担当記者。自分の所で確保していた中日スポーツが売り切れた為にわざわざ他の販売店に走る中日新聞販売店員が出るなど中日の快進撃に比例して中日スポーツは売れに売れている。片や低迷する巨人のせいで中部読売は大苦戦。「もう新聞は読まない!」という巨人ファンの足止め策として「お金はいらないから」と配達を続けているという噂話まで出る始末。明暗がこれ程はっきり出ては山内監督ならずともハシャギたくもなるだろう。
実は讀賣新聞の他にも中日の快進撃に割りを喰った新聞社がある。スポーツニッポン新聞社だ。スポニチはペナントレース開幕に合わせて現地印刷を始めた。中日スポーツに独占されている東海地区の部数を当て込んでの事。「アチラ(中日スポーツ)さんと同じ事をやっても読者は奪えない。ドラゴンズの裏ネタやセンセーショナルな記事で中日ファンを切り崩そうと思ったんですが、ドラゴンズがこう強くちゃ勝負にならない。読者は単純なヒーロー記事を喜ぶんです」とスポニチ関係者は嘆く。最近では中日関連の記事が一面を飾る機会がめっきり減って地理的に近い阪神ネタが多くなった。
現時点では出だしからつまずいた巨人を横目に打倒巨人すなわち打倒讀賣を目論み通り果たし、返す刀で東海地区進出を虎視眈々と狙う毎日新聞系列のスポニチもバッサリと斬り捨てた山内中日。「ですから中日新聞本社では早くも論功行賞が行われているらしいですよ。例えば山内監督を招聘した鈴木代表に対して山内監督の任期中(5年間)の代表職を約束したみたいです」と中日担当記者。ま、そんな話はともかく中日ファンとしては山内監督の面白い野球がこの先もずっと見られればいう事なし、という所だろう。
今年プロ入りした大学出のルーキーでビッグ4と言えば高野(ヤクルト)、銚子(大洋)、白井(日ハム)、そして小早川(広島)だ。この中でド派手なデビューを飾ったのが小早川。2月25日の中日とのオープン戦で1本塁打を含む4安打・5打点の活躍を見せた。今回はポスト衣笠として期待される小早川を中心に4人の現状を伝える。
オープン戦とはいえプロ初打席で初アーチを含む4安打と衝撃のデビュー、翌日の試合でも安打し懸念の三塁の守りも無難にこなして首脳陣の評価もウナギ登り。今季一軍定着を目論む期待の中日・平沼投手のカウント1-3からのカーブを捉えた。しかし本人は「打ったのはストレート。浩二さん(山本)に『おめでとう』と言われた時は嬉しかった」と球種を勘違いするほど興奮していた。山本浩は大学の先輩であるだけでなく同じ広島出身でもあって日頃から可愛いがられていて、スパイク磨きなど身の回りの世話係も兼ねている。「浩二さんからは色んな事を学ばせて貰っています。夜間練習の特打の時もアドバイスを頂いています」と今や師弟関係だ。
入団早々に「サードを守りたい」と宣言し1月中旬に始まった沖縄での自主トレから阿南コーチとマンツーマンで内野守備の特訓を行なった。阿南コーチと言えば嘗て一塁から三塁へコンバートを命じられた衣笠や外野から遊撃に変わった高橋慶の時も守備力向上の担当となっていて今回の小早川が3人目である。「やる事は沢山ある。打球に対する足の運び、グラブさばき、バックアップなど課題は山積み。一度に全て克服するのは到底ムリ。一つ一つ憶えるしかない(阿南コーチ)」と今は1日500本の猛ノックを浴びている。ただ三塁には衣笠がいて簡単に試合には出られず、このままでは宝の持ち腐れとなってしまう為に首脳陣は本職の右翼での兼用も検討しているが基本は三塁である。
正三塁手の衣笠も既にベテランの域にありこの先何年もプレーし続けられるものではない。ポスト衣笠&山本浩が広島の近々の懸念材料である。外野手の候補はいるが三塁手は見当たらなかった。昭和55年のドラフト会議で原(当時東海大)を指名したが抽選に外れてしまった。あれから3年余、ようやく候補が現れた。「打撃に関しては球を捉えるタイミングやバットスイングの鋭さはプロで2~3年やっているレベルにある。後はどうポジション争いに勝つか、だ」と古葉監督も認めており、一にも二にも守備力向上が課題なのである。「キャンプを1回こなしたからと言って直ぐに使える三塁手になれる筈がない。これからはオープン戦で慣れる事も大事だしシーズンが始まっても今以上の努力が必要」と阿南コーチは手厳しい。
「奴もなかなかヤルじゃないですか」と高野が小早川の活躍を耳にしたのは海の向こうのユマキャンプ。所属する大学もリーグも違うが投打の大学 No,1としてお互いの存在は意識し合っていた。4年生の明治神宮大会の準決勝戦で一度だけ対戦した事がある。第3打席までキッチリ抑えていたが9回の先頭打者として左中間に二塁打を許した。「内容まで憶えているんですからやっぱり気になる存在だったんですかね」と言うと二ヤリと笑う顔にはプロとしての余裕が感じられた。高野の評価は日に日に上がっている。早々とキャンプ中に武上監督から3月10日のオープン戦初戦となる日ハム戦の先発を命じられた。「今の所、他の人を気にする余裕は無いです」と言いながらも逸る気持ちを抑えている。
即戦力 No,1投手がベールを脱ぐのは学生時代に慣れ親しんだ神宮球場。「どこまで通用するのか不安の方が大きいですよ。やっぱりプロの打者は失投を見逃してくれませんから」速球に鋭いカーブ、それと味方相手では遠慮して使わなかったシュートも解禁するつもりでいる。「恐らくキャンプで見せていた投球より一段階ワイルドな高野を見せてくれるんじゃないかな」と武上監督はじめ首脳陣は今から大いに楽しみにしている。既に先発ローテーション入りは確定しているだけに今後は投球内容が問われる。「全て八重樫さんのサイン通りに投げます。小早川?エエ、彼とも銚子(大洋)とも早く対戦したいですね」と物怖じする事のない頼もしいルーキーである。
法政大学の同期で主将と副主将として小早川とクリーンアップを組んでいた銚子。ツーと言えばカー、の仲だがプロでは大洋と広島の敵同士に分かれた。「何やら大暴れしたみたいですね?早速テレビで活躍ぶりを見ました。先ず感じた事は小早川の打球はもっと鋭かったと思いました。例えば大学時代の彼が芯で捉えた三遊間を破る打球に野手は一歩も動けなかった。ただ今回の当たりは少し緩く見えましたね」と実感したそうだがそれは自らにも当てはまる。アマとプロの違いをまざまざと見せつけられているのだ。「プロの投手が投げる球威に押されてヘッドの抜けが遅くなって打球に力が伝わっていない」と自分でも感じているのだ。
大学野球とプロの世界では格段の差がある。大学王者の法大で主力打者を務めていたとしてもそこはルーキー。今後、投手の調整が仕上がってくれば今以上にスピードについて行くのが難しくなる。銚子もなかなか思うように左方向へ引っ張る打撃が出来ていない。本塁打こそ1本出たがまだまだフォーム固めの真っ最中である。 " 銚子シフト " なる外野手が一斉に右寄りに守備位置をずらすなど早くもプロの洗礼を浴びている。ともあれ敵味方に分かれてライバルとなる旧友だが「もう今は自分の事で精一杯で他人の事をあれこれ考える暇すらありません。だからお互い一度も連絡を取り合ってません。こっちはこっち、ゴーイングマイウエイです」と敢えて無関心を装う銚子であった。
日米大学選手権でのチームメイトだった小早川・銚子は東京六大学リーグのスター、首都大学リーグの星が高野、そして白井(日ハム)は東都大学リーグの即戦力 No,1野手としてそれぞれのチームに身を投じた。自主トレ・キャンプ序盤はかつてのチームメイト達の動向も多少は気になっていたという白井だがあっという間に学生気分は吹き飛んでしまった。アマとプロの違いをまざまざと見せつけられ自分の身体で実感したからだ。プロ入り前は自分の能力に少なからずプライドを持っていた。自信が無ければプロの世界にやって来る訳はないので当たり前の話であるが。しかしセールスポイントと自負していた守備と走塁でポカを連発する失態を演じてしまった。
「自分がこんなに野球が下手だったのかと思うとガッカリしました」と完全に自信を喪失した時期もあった。だがそこは駒大・太田監督が「総合力では石毛(西武)より上」のお墨付きを添えてプロへ送り出した逸材、1日1000本の打ち込み・600本の特守を14回受けると頭角を現し紅白戦で田中幸投手から初本塁打、その後も快音を響かせ13打数5安打・打率 .385 と打ちまくった。オープン戦では少々お疲れモードなのか打撃は3試合で8打数1安打・1四球・1三振と精彩を欠いているが守りは堅実さをアピールしていて先ずは首脳陣から合格点を貰った。「手も足も出ない訳ではない。まだ球種を絞れてないだけ。小早川の活躍?他人は他人、自分は自分です」と白井はユックリズムの腹づもりのようだ。
「何しとるんじゃ、打者に集中せい!」サチ(衣笠)の一言で我に返った。佐々木にカウント2-1からの3球目は高目のボール気味のカーブをファールしてカウントは変わらず。4球目は直球で誘うが見送られ2-2の平行カウント。続く5球目、内角低目にボールになるカーブで空振り三振に仕留め、ようやく一死。ここで再びサチが走り寄る。今度はヨシヒコ(高橋慶)も来て一息ついた。次打者は石渡(現巨人)、小技も得意な選手でスクイズも警戒しなければならない。初球のカーブを石渡は悠然と見送る。「悠然」と言うより漠然と打席で立っているという感じだった。じっくり球筋を見極めるとか狙い球が外れたとかではなくベンチからの指示を待っているかのように。水沼のサインは2球目もカーブ。投球動作に入った瞬間、石渡がバントの姿勢になった。と同時に水沼は立ち上がった。「来たか!」・・カーブの握りのままウエストボールを投げざるを得なかった。石渡もウエストボールが変化するとは思っていなかったのだろう、球は曲がり落ちてバットの下を通り過ぎて行った。
スクイズ失敗。三塁走者の藤瀬は三・本間に挟まれタッチアウト。二死二・三塁と近鉄圧倒的有利の場面から一転した。それにしても我ながらよくもカーブの握りでウエストボールが投げられたと感心する。とてもその瞬間を理屈・理論づけなど出来ないが思い当たる事が一つある。カネさん(金田正一氏)に教わったのだが、投げようとして打者に球種を読まれていると感じたら投げる球を瞬時に変えられるようになって一人前の投手や、とアドバイスされ自分なりに研究していた。球種だけでなく腕がトップの位置にあっても打者の気配によって投げるコースを変えられるとカネさんは豪語していた。それをカネさんは「間」と表現していたが若造だったワシは頭では理解出来ても実践する芸当は持ち合わせていなかった。しかし長い事やっているうちに時折本能的にそういう事をしている自分に気がついた。カネさんが言っていたのはコレか、と得心がいくようになった。それが一番大事な瞬間に出た。つくづく積み重ねというものは大切であると実感した。
余り語られていないが水沼のキャッチングは見事であった。石渡のバントの構えに反応して慌てて立ち上がった時点で恐らく水沼は自分がカーブを要求した事など頭から消えていただろう。石渡がウエストボールが予期せぬカーブだった事に対応出来なかったように水沼も球をファンブルしてもおかしくなかった。しかも三塁走者の藤瀬は猛ダッシュで本塁寸前まで到達していたので水沼が少しでもミスをしていたら間違いなく同点になっていただろう。水沼の冷静沈着なプレーがあったからこその結果だった。しかしまだ二死二・三塁とピンチが続く。ここで再びサチが来て「まだ試合は終わっとらん。気を抜くな」とアドバイス。改めて気持ちを切り替えて石渡に相対した。ここまで来ると前述した「流れ・勢い」は近鉄から広島へ移っていた。勝負球はカーブと決めていた。勝利の瞬間、何をどうしたかは憶えていない。後で映像を見るとピョンピョン飛び跳ねたり水沼に抱き付いたりしているが全く記憶がない。身体の芯から喜び、感動した時はそういうものなのかもしれない。
日本シリーズ終了後にも嬉しい事があった。ペナントレースのMVPに選出されたのだ。これは本当に嬉しかった。自分自身の喜びだけではなく救援投手という役割に最高の栄誉が与えられた事が嬉しかったのだ。従来の受賞者は優勝チームの本塁打王とか首位打者、投手で言えば20勝投手などが主だった。選手も世間もMVPとはそういうモノだと思っていた所にワシのような云わば " 縁の下の力持ち " 的な選手に光が当てられたのが嬉しかった。若かりし頃のワシは「投手は先発・完投こそ生き甲斐。リリーフ役など真っ平御免」と言い続けていたが、阪神から移籍した南海の監督だった野村さんに「江夏よ、プロ野球界に革命を起こしてみないか」と説得され嫌々ながら救援投手を務める事となった。この年にMVP受賞の知らせを聞いた時に真っ先に思ったのが野村さんのあの言葉だった。「あぁ、ホンマに革命を起こしたんやな」・・充実した年だった。
今でも初対面の人とは必ずと言っていい程あの場面の話になる。昭和54年の近鉄との日本シリーズ。3勝3敗で迎えた第7戦、広島の1点リードで迎えた9回裏。もう一度同じような場面に遭遇したらスタコラサッサと逃げる・・それが正直な気持ちだ。あの場面を語る前にあのシリーズの最中にワシの頭をチクリと刺激した事に触れておきたい。大阪球場での第1戦、2戦と連敗。その第2戦の7回裏無死一塁でマニエルに対し福士がカウント0-2とした場面で急遽、ワシに出番が来た。一塁走者は " あの " 藤瀬であった。普段より牽制球を多投したり間合いを取り先ずは藤瀬の盗塁を防ぐ事を考えていた。どうにかマニエルをカウント2-2までに戻した迄は良かったが勝負球は藤瀬の足を警戒しクイックモーションで投げた為に制球が甘くなり打たれ傷口が広まり万事休す。たとえカウント2-3になっても慎重に投げるべきだったと。 " 二兎追う者は一兎も得ず " この教訓があのシリーズ中ずっと頭にこびり付く事となる。
両軍譲らず3勝3敗で迎えた11月4日の第7戦。ワシが福士から引き継いだのが4対3でリードしていた7回裏二死二塁、前述の第2戦と似たような場面だったが、この試合は7回、8回と無難に抑え9回裏を迎えた。先頭打者は羽田。羽田は初球から打ってきた。センター前ヒット。アレッ?と思った。日本シリーズ最終戦の最終回、しかも1点を追う場面だ。きっと慎重に選球してくると勝手に思い込み簡単にストライクを取りにいき打たれてしまった。「なんちゅうチームや。セオリーが通じん」と思った。次打者はアーノルド。ここで代走に藤瀬が起用された。第2戦を思い出し打者に集中したが思わぬ事が起きた。藤瀬が盗塁を試み、阻止しようと水沼が送球した球が悪送球となり藤瀬は三進。あっという間に無死三塁、外野フライで同点の大ピンチとなってしまった。水沼が顔面蒼白で詫びに来たがワシは平気だった。高目さえ投げなければ外野まで飛ばされないと外人相手の勝負は心得ていた。低目を攻め続けた結果は四球で無死一・三塁となり球場がザワつき始める。
正直言うと「同点は仕方ない」と腹を括った。サヨナラさえ防げばまだ勝機はあると。迎える打者は平野。平野はこの試合で2ラン本塁打を放っており要注意人物だった。ただ南海時代に対戦した事があり、その時の印象では攻撃的ではなく受け身タイプの打者だったので初球からストライクを取りに行こうとセットポジションに入ろうとした時だった。三塁側ベンチの動きが目に入った。池谷と北別府が慌ててブルペンに走って向かったのだ。「何だ、何だ?監督はワシを信用しとらんのか?」「日頃から『江夏と心中する覚悟』と言っているのは嘘か?」と心が乱れ頭に血がカーと昇った。監督の言葉に少々痛みがあろうが意気に感じて投げ続けていたのは何だったのか…怒りよりも虚しさを感じた。マウンド上で「冷静になれ」と自分に言い聞かせて改めて平野に対峙した。先ず初球は真ん中高目にストレートを投じたが案の定、手を出さない。既に一塁走者は眼中になかった。第2戦で得た教訓を生かして打者に専念しようと決めた。
賭けに出た。内角のストライクゾーンいっぱいの所からボールになる落ちる球を投げようと決めた。打ってもファールか内野ゴロ、ただしワンバウンドして捕手が後逸する危険も孕んでいるが平野への2球目はこの球しかワシにはなかった。投げた。平野は打ちにきたが途中で止めてハーフスイング。判定はストライク。平野も近鉄ベンチからも「振ってない」と抗議するが判定は変わらず。ただその間隙を縫って一塁走者が二盗に成功。無死二・三塁となり広島ベンチから満塁策が指示され平野は敬遠でいよいよ無死満塁となった。「勝負あった…」マウンドの土を手に取りながらワシは思った。勝負事には目に見えない流れがある。理屈ではない、敢えて表現するなら「勢い」だろうか。どうせ負けるのならリリーフのプロとして華々しく散ってやろうと開き直りベンチを睨んだ。近鉄ベンチではない、広島ベンチをだ。どうしてもブルペンで投げている池谷や北別府の姿が気に障っていたのだ。後になって冷静に考えればワシは既に3イニング目で仮に同点となり延長戦突入を想定すれば監督として当たり前の準備なのだがそこまで考えが至らなかった。
続く打者は代打の佐々木恭。初球は内角低目にボールになるカーブで探りを入れると佐々木は打ち気満々の姿勢で見送った。「よし、この打ち気を利用してやれ」と決めた。打ちたくてウズウズしている打者にはストライクかボールか際どい球を散らしていくしかない。2球目は外角低目の直球を再び見送ってストライク。3球目は内角の懐付近への直球。佐々木は敢然とフルスイング。打球は物凄い勢いで左翼線へ飛び場内の近鉄ファンから歓声が上がったがファール。打球を追った先のブルペンで投げている2人の姿が再び視界に入った。「信頼されてないのに何を懸命に…」まだ拘っていた。その時だった、サチ(衣笠)が一塁の守備位置から猛然と走り寄って来て「何をしとるんじゃ、ベンチを見るな!打者に集中せい!」と檄を飛ばされた。サチはワシの思いを見抜いていた。ベンチやブルペンを見てイラついているのを見て取っていたのだ。「お前が投げんと何も始まらん。今は余計な事を考えるな」と言うと守備位置へ戻った。「分かってくれている奴もおるんや」・・・気持ちがスーと落ち着いた。
それにしてもまぁ、これだけのベテランを掻き集めたものである。6人の大量移籍入団。彼らの平均年齢は実に34歳である。ドラフトが全くの思惑外れだったなら分かるが安藤監督は「先ずは狙い通りの補強が出来た」と言っていたのだ。彼らには失礼だが誰が考えても信じられない補強である。その裏には何があるのか?
関西のスポーツ紙のN紙とD紙は球界の話題をテーマに漫画を掲載している。活字に表現しにくい話題も漫画でユーモラスに描き読者にも選手にも好評を博している。しかし先日、両紙は読者から抗議を受けた。「新聞はワシらの仕事にケチをつけているのか?まるで差別しているみたいじゃないか」と。両紙が偶然にも同時期に安藤監督を廃品回収業者になぞらえ笑い者にしたのだ。『御家庭で不要になったクズ鉄、古新聞はございませんか…』と街中を行き来する安藤監督。怒りの主は大阪の廃品回収業者たちで真面目に働く人間を笑いのネタにしている事への抗議だった。両紙の担当者は平身低頭で謝罪し一件落着したが実は当の安藤監督には大受けだった。安藤監督が運転するトラックの荷台には山内、稲葉、太田の3つの「クズ鉄」が積み込まれていた。こういった陰口は早くから出回っていたが誰も表立って声にしていなかっただけでそれをズバッと漫画で取り上げて拍手喝采だった訳だ。
昨年オフに降って湧いたようにエースの小林が現役引退を表明し是が非でも先発ローテーションを任せられる投手が必要となった。実は小林は球団に対しシーズン途中から引退したい旨を伝えていたが安藤監督はじめ首脳陣は引退を翻意させられると思っていた。慌てた阪神は抑えの山本和をタマに大型トレードを画策する事となる。小林の引退で球団はなりふり構わない補強を迫られたがトレードは成立せず山本と首脳陣間の不信感が残ってしまった。トレードがダメなら…となった球団は " 信じられない補強 " をせざるを得ない状況に追い込まれていった。先ず安藤監督と慶応大学の先輩・後輩の関係でもある藤田監督(巨人)にお願いして太田投手を獲得。巨人は無償トレードでOKとしていたが阪神が太田のプライドを傷つけまいと鈴木投手との交換トレードとなった訳だが鈴木にとってはとんだトバッチリである。
小林の穴を太田一人で埋められる訳はなくトレード担当の西山・藤江の両編成担当が動き出すが11月過ぎとあって他球団は既に来季の編成はほぼ終えておりトレード話は難航した。「あの時の阪神さんの慌てぶりは凄かったね。とにかく余った投手なら誰でもいい、という感じだった(在京パ球団フロント)」と。時機を逸していたので在阪球団に絞って交渉をし始めた。同じ関西地区の球団なら引越しをしなくて済む事で少しでも選手や家族の負担を軽くしようと配慮したのだ。結果、山内新(南海)と稲葉(阪急)の両投手の獲得に漕ぎ着けた。実は今回のトレードには裏話がある。阪急、近鉄、南海の3球団間には「阪神とはトレードしない」という不文律が存在していた。阪神に移籍したからと言って成績が急に向上する訳ではない。なのに関西のマスコミは1試合に活躍しただけで大騒ぎをしてスター選手扱いをする。それを見たファンに「何であんな良い選手を放出したんだ」と文句を言われる。そんな不条理に在阪球団の各フロントは嫌気が差していたのである。
「山内や稲葉のトレードが決まった時、阪神の実情が分かったと思いましたね。だって3球団の不文律は我々も知っていましたし、その内の2球団が無償トレードで放出した訳でしょ?つまり2人がいかに余剰戦力なのか、ハッキリ言えば使い物にならないガラクタって事ですよ。そのガラクタを獲らなくてはならない程に阪神は選手が足らないという事です」と某セ・リーグ球団関係者は言う。マウイ、安芸と続いているキャンプで山内・稲葉・太田はそれなりに順調に調整をしている。3投手に弘田を加えた移籍選手達は最後の一花を咲かせようと頑張ってはいるが、どうもチーム内には彼らを " 面白くない存在 " と見る雰囲気が広まりつつある。理由は至って簡単で補強を焦るがあまり彼らの年俸が全て現状維持のまま契約した事。例えば稲葉は昨季、2試合・7イニングに登板しただけで普通なら減俸が当たり前だが年俸は1千5百万円のまま。阪神では池内と同額で防御率のタイトルを獲得した福間と3百万円しか違わない。
これでは今まで阪神一筋でやってきた生え抜きから不満が噴出するのも当然で思わぬ形で不協和音が表面化した。「さすがに阪神も年俸ダウンを相手球団に打診したが『それならトレードはしない』と言われて泣く泣く現状維持で契約したそうですよ。とにかく頭数を揃えて体裁を整えたかったんでしょうね。後々困るのは目に見えているのに、それだけ焦っていた証拠です(某パ・リーグ球団関係者)」・・しかし一連の補強を " 廃品回収 " と揶揄出来ない。昨年も同様にベテラン投手の野村を大洋から加藤博との交換で獲得した時も使い物にならないと批判されたが終わって見れば小林に次ぐ12勝を挙げる活躍だった。出血を伴わない無償トレードで今回まさに " 二匹目のドジョウ " ならぬ三・四・五匹目のドジョウを目論んでいるという訳。ただ本来なら球団は長期ビジョンに立ってチーム作りをしなければならずベテラン選手に偏ったチーム編成は歪みを生じる。阪神の将来を考えると今回の補強は決してプラスにはならないであろう。