◆連続打席無安打…さすがに記録の持ち主は打者ではなく投手。阪神・伊藤投手が昭和53年5月31日の広島戦以来の60打席連続打席無安打にピリオドを打った。1年目は4打数1安打、2年目は12打数0安打、3年目の昨年は24打数0安打と新人時代の1本きりだった。今年の奇しくも同じ5月31日の大洋戦で右前安打を放った。ただし1本出たからと言って打撃開眼した訳ではなく以後また無安打が続き10月4日の中日戦で打ったが、44打数2安打・打率は.045 で今季は終了。安打以外の42打数中26三振、中堅より左へ飛んだのは遊ゴロが1つと非力さが目立った。
◆0球セーブ…阪急・山田投手は5月15日の日ハム戦で1球投げただけでセーブをあげたが、それの上を行ったのが南海・三浦投手。6月4日の日ハム戦9回裏1点差の二死一塁で打者は古屋の場面で三浦投手が登板した。右前安打を放ったソレイタの代走・井上晃が大きくリードをしたのを見て牽制球を投げてアウト。0球セーブが成立した。セーブの規定が設けられて今年で8年目だが0球セーブは三浦で2人目で1人目はチームメイトの金城投手。なお三浦は5月6日の西武戦では2球でセーブをあげている。
◆負け越し…今年のセ・リーグは巨人の独走状態だった。序盤こそ中日が快進撃で首位に立ったが1ヶ月で息切れして6月に入ると巨人以外の5球団が揃って借金生活でセ・リーグでは昭和46年以来10年ぶりの出来事。この時は2日間だけの事だったが今年は7月になっても5球団は勝ったり負けたりで勝率5割前後をウロウロ。7月15日にも5球団が負け越し状態に陥った事からでも巨人の独走ぶりが分かる。
◆振り逃げで2点…6月23日の甲子園での阪神-広島戦、9回裏2点リードの広島は簡単に二死とした所で急に大野投手が制球を乱して死球、四球、四球で満塁のピンチを招いてしまった。打者の藤田平はカウント2-1からの4球目を空振りして三振。試合終了と思われた次の瞬間、ワイルドピッチで球は後方へ転々・・・三塁走者に続き二塁走者の吉竹も生還して同点に。続く佐野がボテボテの二塁内野安打でサヨナラ勝ち。広島には悪夢のような一戦だった。記録上は藤田は三振振り逃げで出塁、2点は大野投手の暴投であって藤田に打点は付かない。
◆三振で1打点…藤田と同じく三振だったのに打点が付いたケースがあった。三振した打者に打点が付くという日本プロ野球史上初の珍事が起きたのは4月14日のイースタンリーグ・日ハム-巨人戦での事。一死二・三塁で山崎は空振り三振したが田村捕手が捕球できず後逸して球を拾った田村が一塁へ送球して山崎を刺す間に三塁走者が生還。山崎はアウトになったが打点が付いた。上記の藤田の場合は「暴投」で山崎が「打点」となったのは打点が付く場合の定義があるからだ。ルールブックには打点の規定に【注】として「無死または一死で走者が一塁にある時を除いて捕手が第三ストライクを捕えないで一塁に送球して打者をアウトにする間に三塁走者が得点した場合は打者には得点打を記録する」とあり山崎に打点が付いた。
◆両打ち・リー…8月10日の西武-ロッテ戦4回表二死満塁で打者はリー。ここで西武は先発の山下に代えて永射を投入した。これを見たリーは右打席に入り左前に2点適時打を放った。次の7回の打席も右打席で対戦したが今度は遊ゴロに倒れた。実は高校時代のリーはスイッチヒッターだったのだがプロ入りしてからは左打席一本。しかし日本に来て2年目の昭和53年6月10日の近鉄戦で左腕・村田と対戦した際に右で打ったが結果は三ゴロ併殺打。ちなみに今季の対永射の成績は10打数1安打だった。
◆14年目で2号…中日・正岡選手は9月1日甲子園での阪神戦で今シーズン第1号を放った。これがプロ入り14年目で2本目の本塁打だった。初本塁打は昭和51年5月3日のヤクルト戦で会田投手から放った。第1号を打つまでに480打席を要したが、そこから第2号までには916打席を費やした。今季終了時点で1023試合に出場しているが主に守備固めで打席に立つ機会は少ない。1000試合以上の出場で本塁打が5本以下なのは正岡の他には島原輝夫(南海)の1096試合で3本があるだけ。
◆フリーパス…西武・吉本捕手は32機会連続で盗塁を許したまま今季を終えた。昨年の盗塁阻止率は3割1分9厘でパ・リーグ平均(3割1分6厘)に近く弱肩という訳ではなかった。今季の前期は2割7分3厘と若干落としたが特に悪さが目立つ成績ではなく阪急・福本の三盗を阻止した事もあった。しかし7月9日の南海戦で定岡に二盗されてからは走られ放っしのまま今季は終了。吉本以上に悲惨なのが日ハム・加藤だ。吉本は7人を刺しているが加藤は26機会で刺したのはゼロ、当然盗塁阻止率もゼロ。ちなみにパ・リーグの盗塁阻止率の最高は近鉄・梨田の4割1分3厘だ。