Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 385 色々ありました 西武ライオンズ編

2015年07月29日 | 1983 年 



1983年ペナントレースはパ・リーグは西武、セ・リーグは巨人が制し日本一は西武。日本一になれなかった他の11球団は勿論、勝った西武にも色んな事があった1年だった。そんな人と事件で綴る小噺集である。


宿敵・巨人を倒し2年連続日本一を成し遂げた西武。今年を振り返りながら数々の話題を提供してくれた諸氏を讃え、次なる賞を贈りたい

よく眠れたで賞…昭和53年のヤクルト初優勝を含め3度リーグ優勝を果たした広岡監督。10月10日、本拠地で阪急に勝利した後、次のように苦笑いした。「今年ほど楽なシーズンはなかった。悩んで眠れぬという夜は一度もなかった。こんな楽に優勝してしまっていいのか、と違う意味で悩んだくらい」と話すほど余裕の優勝だった。開幕後に首位に立つやそのまま2位以下に大差をつけて独走。毎晩ぐっすり眠りにつく事が出来ました。

長嶋を超えたで賞…5月24日から29日までの大阪遠征で田淵が嘗て阪神時代に人気を集めた関西でホームランフィーバーを巻き起こした。26日に木下投手(阪急)から通算444号を放った。これで大卒選手として最多の長嶋氏の記録に並んだ。28日には山内孝投手(南海)から445号を放ち長嶋氏を超えた。5月の月間MVPにも選出され「憧れの長嶋さんに追いつき追い越せてこんな感激は生涯初」と満面の笑顔。

耐えたで賞…松沼兄が8月4日にプロ入り初となる二軍落ちとなった。7月末の球宴期間中に自らの不注意で左外腹斜筋挫傷を痛めてしまった。幸い軽傷だったがそれが日頃から自己管理に厳しい広岡監督の怒りを買ってしまったのだ。「ちょうど兄弟100勝がかかっていた時期でショックだったし弟に負担をかけてしまって申し訳なかった」と振り返る。それを糧に奮起し日本シリーズでの開幕投手を勝ち取った。

怒って完封したで賞…北の街・札幌で監督とエースの対立が勃発?7月16日、東尾投手は南海を相手に再三のピンチを切り抜け完封勝利。前日に東尾は球宴の監督推薦に漏れ少々オカンムリで広岡監督との勝利の握手の際も表情はブスッとしたまま。そんな東尾を広岡監督は「普段は喜怒哀楽が表情に出る東尾が今日は終始無表情で良かったね。投手はあれくらいポーカーフェイスじゃないと」と皮肉たっぷり。

冷たい目で賞…広岡監督に加え森ヘッドコーチの冷たい視線は時として大きな効果を生んだ。入団早々に洗礼を浴びたのが期待の左腕・野口投手。当初の即戦力の期待を裏切り二軍で燻っていたが5月になり一軍で打撃投手を務めたが「2人の視線が怖くて…」と意識過剰になり本職の方はサッパリな1年となった。その視線を生かしたのが松沼弟で「マウンドにいてベンチから冷たい視線を浴びせられる度に必死に投げましたよ」と奮起し15勝も出来たのは2人の視線のお蔭かも?

ズッコケで賞…「ありゃ珍プレーでしょうな」普段の試合後は寡黙な広岡監督が珍しく自分から報道陣に話しかけた。5月31日の日ハム戦の6回裏、走者一塁でソレイタが放った打球はフラフラと遊撃・石毛の後方へ。捕球に走る石毛と中堅手・岡村が激突して落球。ここまではよくあるプレーだったが急いで球を拾った岡村が三塁へ送球したがその球が山崎の背中へドスン。もんどりうって苦痛に顔を歪める山崎を尻目に走者はホームイン。「いやぁ~焦っちゃって…」と岡村は平身低頭。相手ベンチの日ハムナインが大爆笑していたのは勿論の事である。

魔術で賞…とっておきの西武のお家芸が隠し球である。役者は山崎と片平で「年に2~3回はやっている(山崎)」らしい。今季は8月21日の南海戦で山本和をカモった。6回一死に右前打で出塁した山本、山崎は右翼手のテリーから返球された球を素知らぬ顔でグローブの中に忍ばせた。高橋投手がセットポジションに入る仕草を見て山本が離塁するや片平に送球しタッチアウト。茫然とする山本。「さすが山崎、とぼけるのは超一流だ!」と西武ベンチからヤンヤの喝采を浴びた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 384 今年を彩った男たち ②

2015年07月22日 | 1983 年 



落合博満(ロッテ)…今季ラストゲームの10月18日の日ハム戦後に「やる事は全部やった。後は天に任せるだけだよ」と笑顔を見せたが取り囲んだ報道陣は意外であった。9回裏に西村の代打で登場したが江夏に右飛に打ち取られ打率を1厘下げ、打率2位のスティーブ(西武)が5厘差まで迫って来ておりさぞかし不機嫌な対応をするものと思っていたからだ。「ここ2試合は欠場し急に代打を告げられて準備不足だった。今季の最後を綺麗に締めくくりたったけど残念だった。でも悔いはないよ、全力を尽くしたシーズンだったから」と涼しい顔。それだけ落合には自信があったのであろう。報道陣が電卓片手に打率の計算に懸命になっていたが落合本人の頭の中ではスティーブが残り4試合で12打数7安打以上をマークしないと落合を越えられないのを既に把握していたのであろう。

振り返れば今季ほど落合にとって苦しいシーズンはなかった。キャンプ中に苦手の内角高目の球をドライブをかけて左翼線いっぱいに落とす新打法を試みたがこれが災いした。開幕してからの1ヶ月は2割7分台を行ったり来たり。得意の外角打ちも影を潜めてしまった。史上初の4割どころか3年連続の首位打者すら厳しい状態だった。試行錯誤を繰り返していた7月上旬の金沢遠征中に急遽フォームを元に戻した。顔の正面でバットを構えていたのをオーソドックスにし重心を下げてクローズドスタンスに。これを機に落合のバットから快音が再び聞かれるようになり球宴直前には打率を3割台に戻した。苦しい夏場も徹底した体調管理で乗り切り8月13日からの阪急戦の札幌遠征では2試合で7打数5安打し3割2分台まで打率を上げ、いよいよトップに踊り出るかと思われた8月31日の阪急戦でアクシデントが起きた。

打球を右手首に受けたのだ。幸い骨には異常はなく打撲で済んだが9試合欠場を余儀なくされた。好調だった打撃に悪影響が出るのではとの心配をよそに復帰後も打ちまくった。10月4日の日ハム戦で5打数3安打の固め打ちで3割3分3厘とし遂に112試合目にしてトップの座に帰り咲いた。以降、クルーズ(日ハム)とスティーブ(西武)との三つ巴の戦いが展開されたが落合が逃げ切り自己最高打率3割3分2厘で3年連続首位打者に輝いた。改めて今季を振り返って落合は「フォーム改造は長い目で見たら無駄ではなかった。今のフォームがベストではないのは確か。いずれ変えるよ」と改造をまだ諦めてはいない。苦しみながらも長嶋、王、張本といった強打者たちの記録に並ぶ3年連続首位打者を成し遂げた意義は大きい。今後の夢は史上初の4割打者。「永遠のテーマだよ。チャレンジし続けたい」と話す落合は目を輝かせた。



三浦広之(阪急)…イバラの3年間だった。来る日も来る日もシャドーピッチングと球拾い、背番号「22」の栄光を憶えている嘗ての女性ファンの多くが今では子持ちの主婦族だ。昭和56年5月のある朝、洗面所で朝の支度をしていた時ビリッという嫌な音と共に右肩に激痛が走った。福島商からプロ入りした1年目に4勝、翌年は7勝と先ずは順調な滑り出しだった。しかし3年目に3勝と成績を落とすと以降は下降線を辿る事となり挙げ句に肩を痛めてしまった。「もう思い出したくもない。『生きながら葬られ…』てジャズソングがあるけど本当にそんな感じでした。それでも故障した翌年はまだ再起出来ると思ってました。でも現実は厳しくフォームを下手投げに変えたりもしたんですがね…」 ここ3年は一軍は勿論の事、二軍ですら登板の機会は無かった。肩の痛みは消えたが後遺症で投球フォームがバラバラになり嘗ての球速は影を潜めたのだ。

それでも毎年キャンプの頃には「今年こそ」と期待は大きかった。今年も高知キャンプでは好きな酒を断ち深夜まで宿舎のロビーでシャドーピッチングをする三浦の姿が目撃されている。ルーキー時の躍動的な力強い投球フォームのビデオを見て山口二軍投手コーチとマンツーマンで復活を目指した。23歳、日蔭生活が続いた青年なら人生の進路を今一度考え直さなければならない年齢である。「自分にプロ野球の世界で明日があるのか、と自問自答してみると不安な思いしか浮かんでこない。来年も二軍で球拾いするのかって…惨めですよ」と。心機一転、そんな三浦が出した結論がプロゴルファー転向だった。嘗て「球界の玉三郎」と持てはやされた男がドロに塗れる覚悟をしたのだ。ゴルフは2年前から始めた。球界でも指折りの運動神経の持ち主である三浦はみるみる腕を上げていった。

初めて出場した阪急グループ企業で構成されているブレーブス後援会のコンペでいきなり優勝した。その時のハンデは「24」だったが直ぐに「15」にまで下げられた。その腕前にゴルフ関係者が目を付けてゴルファー転向を打診したのだ。「ゴルフで食べていけるなんて考えもしなかったけどこのまま野球を続けても先は見えない。新天地にかけてみようと思います。僕にもプライドがありますからね」と気持ちは既に固まっている。だが両親をはじめ後援者の多くがゴルファー転向に反対している。10月15日に球団フロント陣や上田監督と話し合いの場を設け残留するよう説得されたが結論は出なかった。例え来季も現役を続けても見込みが低い事は本人が一番分かっており引退・退団は固い。球団からはフロント転身を薦められたが「まだ20代、表舞台から身を引くには早すぎる」と話す三浦は10月末にも進路を表明するつもりだ。



篠塚利夫(巨人)…10月15日の夜、東京・文京区役所を訪れた篠塚の脇には小柄でチャーミングな女性が寄り添っていた。二人揃って婚姻届を提出に来たのだ。このニュースは海を渡り大リーグのワールドシリーズ視察の為に米国にいた長嶋氏の耳に届いた。「へぇ~本当?いや今はじめて知ったよ」と公私共に恩師である長嶋氏は驚きを隠さなかった。同じ頃、日本でもスポーツ紙が一面でこの電撃入籍を報じ大騒ぎとなった。新婦は嘉津子さん(28歳)で妊娠2ヶ月だという。篠塚より2歳年上の姉さん女房で、母親は『月よりの使者』で看護婦役を演じた元映画女優の折原啓子さんで長女の嘉津子さんは母親譲りの美貌の持ち主。来年6月にはパパになる予定である。そんな目出度い時に野暮は承知で篠塚の最近3年ほどの私生活を振り返ってみる。

昭和55年12月、篠塚は当時の " 多摩川ギャル " と恋に落ち挙式の日取りも決まり幸せ一杯の筈だった。ところが挙式の9日前に突然の婚約解消。「性格が合いませんでした。彼女にも周囲にも迷惑をかけて申し訳ないです。心機一転、来年は野球に打ち込みます」と頭を下げた。その言葉通り翌年は打率.356 と首位打者こそ逃したが大ブレークして一流プレーヤーの仲間入りを果たした。で、その年(昭和57年)のオフに政美さん(前妻)と一緒になった。ただ1年前の事があっただけに挙式は延期し翌年12月に長嶋夫妻の媒酌で盛大な式を挙げた。「日本的でしっかりした女性。彼女の為にも今度こそ首位打者を獲りたい。子供もなるべく早く欲しいです」とアツアツぶりをアピールした。

ところがところが僅か8ヶ月後に政美さんは実家に戻ってしまった。「別居は事実です。理由は性格の不一致」と以前どこかで聞いた台詞。前年には甲斐甲斐しくテレビ中継をビデオ録画し藤田(阪神)との首位打者争いに内助の功を発揮していたのに。それはまた恩師である長嶋氏の顔に泥を塗る失態でもあった。しかし、まさかその時すでに新妻・嘉津子さんと恋の炎を燃え上がらせていたとは恐れ入る。余りの早業にただただ驚くばかりだ。感想を求められる藤田監督も困惑気味に「まぁ大人同士ですからね…今度こそ失敗を繰り返さないようにしっかりした家庭を築いて欲しい」と答えた。本人は「いろいろ言われるのは覚悟の上です」と " 三度目の正直 " にかける。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 383 今年を彩った男たち ①

2015年07月15日 | 1983 年 



ペナントレースも終わり今はもうすっかり秋。振り返るまでもなくあの試合、あの場面が手に取るように甦っても来る。選手もまた同じ。バラ色の落合もいればここにきて自らの人生に方向転換を計ろうという三浦らもいる。彼らの笑みと苦悩の軌跡を追ってみる。


衣笠祥雄(広島)…12年連続の全試合出場。今季を終えて連続試合出場記録は1695試合。とてつもない記録であり来季以降も伸びて行くに違いない。恐らく王貞治の本塁打記録と共に日本球界不滅の大記録になるだろう。ただ今年も打率3割の壁を越える事が出来なかった。「俺の毎年の目標は沢山のヒットとホームランを打つ事だ」と特に打率には拘っていないよう振舞うがそれは強がりに過ぎない。ゴルフ界のヒーロー・青木功が今年16年間のプロ生活でどうしても欲しかった日本オープンのタイトルを取った。過去に「欲しい、とにかく欲しい。お金で買えるなら幾らでも出す」とまで言っていたタイトルだ。恐らく衣笠も「3割」に対して同じ心境だろう。まして衣笠はプロ19年目であり青木以上かもしれない。

今年はチャンスだった。3割の大台を常にキープし晴れて2000本安打も達成し勢いを持続出来ていた。このまま行けばまさに両手に花だった筈が野球の神様は意地悪だった。死球を受けて左手親指を骨折したのだ。実は当初はさほど痛みを感じず単なる打撲と勝手に判断し病院にも行かなかった。しかし10月に入ると徐々に痛み出し満足にバットが振れないようになる。連続試合出場の記録さえ無ければ試合を欠場できるがそうはいかない。打率はみるみる落ち始めてとうとう3割を切ってしまった。3割死守にもがく衣笠を一番熱烈に応援したのは担当記者の面々だった。

3割1分前後をキープしていた頃には衣笠がプレッシャーを感じないよう極力本人の前で打率の話は避けていた。10月になりズルズルと打率が落ち始めると記者達が " 臨時打撃コーチ " になりアドバイスを送ったりしていた。その頃はまだ骨折の事実が知らされていなかった為「そのうち打てるさ」「何ならバントヒットを狙ってみたら」などと多くの記者が冗談半分で茶化していたりした。そして安打か失策か際どい打球で出塁すると公式記録員のジャッジを固唾を飲んで待ち、失策とされると「安打にしてやれよ」と落胆した。1年中、衣笠の傍にいるので本人の苦悩が手に取るように分かり他人事でなくなったのである。敵・味方関係なく愛される衣笠ならではだ。

しかしそんな願いも虚しく今年も打率3割は達成出来なかった。だがこれこそ衣笠らしいと言えるのではないだろうか。3割を打っては衣笠ではない。「不死鳥」「鉄人」「豪快な空振り」などと並んで「3割を打てない」も立派な衣笠の代名詞なのである。3割を打ったら万人に愛される衣笠ではなくなるのである。衣笠は打率3割を自らに課した永遠のテーマにしているが3割以上に本人はプロ入り以来「遠くに飛ばす」事に重きを置いている。フルスイングの結果に3割を達成する事こそが男子の本懐なのである。来季はプロ20年目の節目の年。「よっしゃ、来年は20周年記念で3割達成だ」と言い放つ。1月には37歳になるベテランにバット置く気は毛頭ない。



荒木大輔…屈辱のJr.オールスター戦。あの時のキッとした表情が忘れられない。7月22日、後楽園球場で全イースタンの先発として登板したが定岡(広島)に先頭打者本塁打を喫した。降板後のインタビューで記者から「公式戦じゃないし大して悔しくはない?」と問われるとそれまではにかみながら答えていた荒木が目を吊り上げ「悔しいに決まっているでしょ。僕は打たれようとして投げている訳じゃないですから」と語気を荒げた。厳しい言葉の響きに生きるか死ぬかのプロの世界に身を置いている事を改めて実感した。人気だけが先行して実力が追いついていない、そんなイメージを払拭する為にも打たれてはいけなかった。それなのに・・「相手が甲子園で投げ合った畠山(南海)だったでしょ。口では意識していないと言っていたけどやっぱり…」と悔しさを滲ませる。その畠山が3回をピシャリと抑えてMVPに輝いただけに悔しさは倍増だ。

荒木の周囲には常に人気と実力のギャップが纏わりついた1年だった。球団そして首脳陣は腫れ物に触るように破格な扱いに終始した。それは7年前のサッシーこと酒井投手の比ではなかった。キャンプ前から激励会、後援会の発足、引きも切らない取材攻勢、そしてCM出演。しかも親会社より先に他社製品のCMに出演するのは異例中の異例。忙殺される日々に荒木に心底からの笑顔は無かった。その端正な顔に会心の笑顔が初めて広がったのは5月19日、神宮球場での阪神戦でプロ初勝利を上げた時だった。予告先発、少し前の5月9日に19歳になったばかりの荒木にこれまで経験した事のない重圧がのしかかったが、5回を3安打無失点に抑え大杉の本塁打による1点を守り勝利を手にした。

試合後の会見で「新人王?まだ1つ勝っただけでそんな大それた事・・今はずっと一軍で投げられるよう頑張るだけです」と語っていたが実はその時に言わなかった感想を後になって話している。それは「1つ勝つ事の難しさと怖さが分かった」と打ち明けた。チームの方針で実力不足は明らかなのに一軍に帯同し自分が納得出来る練習もままならず興味と嫉妬の視線に常に晒され、不本意ながら言われるがままに投球フォームを幾度に渡り改造された挙げ句に結果を出さないと「所詮は人寄せパンダ」と酷評された。

自分は何をすればいいのかすら分からないまま一軍で開幕を迎えた。首脳陣はなるべく負担が少ない負け試合の中継ぎで起用しプロの世界に馴染めるよう努め、荒木もまたそれに応えて一応の結果を出して挑んだプロ初先発。自分を勝たせる為に周囲の大人がどれだけ気を使っているかを記念すべき日を境に思い知る事になった。首脳陣の狙いは既に今季ではなく来季以降に大きく伸ばす事にあると荒木にも分かる。投球回数は28回 2/3 と新人王の資格を来季に持ち越して今季を終えた。「監督さんの配慮はとても嬉しいです。せっかくですから来年の開幕前には " (新人王を)狙ってみたい " と言えるよう頑張りたいです」とその間に横たわるハードルが高い事は百も承知で荒木は力強く答えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 382 男の決断

2015年07月08日 | 1983 年 



プロ野球ペナントレースも終盤、あと少しで日本シリーズが始まる。多くのファンが日本一をかけた戦いに注目が集まる時、2人のスター選手が自らを顧みている。 " 巨人キラー " の平松(大洋)と " 月に向かって打て " の大杉(ヤクルト)である。2人の周辺を追ってみた。


大杉勝男…「野球をやめてちょうだい」 芳子夫人は涙ぐんで訴えた。だがこの男は打席に立った。そして再び襲った不整脈。そして倒れた・・それでも来季もやるという。男・38歳の " かすみ草 " はそう簡単に引き下がれない。「ONがヒマワリでノムさんが月見草なら俺は神宮に咲くかすみ草だ」と大杉が一世一代の名台詞を吐いたのは史上5人目の通算1500打点を池谷(広島)からの20号本塁打で達成した8月21日での事だ。誇らしさの中に大杉独特のユーモアを交えたのだが、この時すでに大杉は病に侵されていた。19年目の今シーズン、キャンプでの出遅れが原因で決して順調なスタートではなかった。初スタメンは11試合目で徐々に調子を取り戻し次々と記録を達成していく事となる。

史上初となるセパ両リーグ 1000本安打(6月3日)、通算4000塁打(8月6日)、両リーグ 1000試合出場(8月8日)、そして前述の通算1500打点。大杉が身体の変調を最初に感じたのは記録達成ラッシュ中の8月2日の広島戦の試合中で昨年の夏に一度経験していた不整脈の発作だった。ただ今回は周囲に知られずに済んだ。「まずい、例のヤツだと思ったけどチームが大事な時期だったから」と不安を押し殺し翌3日は小倉、4日は広島へと移動し3連戦を何とか終えた。だが4日の試合後の大杉は他のナインが足早にベンチ裏へ引き上げるのと対照的にベンチ内の長イスにぐったりと腰を下ろしたまま苦しげな表情で動けずにいた。周囲は異変に気づく事となる。

「俺から監督に言ったんだ。しんどくてバットが振れないって」しかし大杉は試合に出続けた。ボロボロの身体を記録達成への気力だけで支えていた。そして8月8日の「両リーグ 1000試合出場」を達成した試合の途中で交代した。まだ病を公にしていなかったが試合後の「途中交代?余りに興奮し過ぎて足が縺れちゃって…」は今となると大杉の心の奥が透けて見えるようで忍びない。この頃の芳子夫人は「何もそんな身体で…。もう野球をやめて下さい」と涙ながらに何度も懇願したという。しかし大杉は試合に出続けたが遂に限界がやって来た。9月29日、広島市民球場内で発作を起こし救急車で広島県立病院に搬送され緊急入院した。帰京後の10月3日に代々木の中央鉄道病院で精密検査を受け「発作性心房細動」と診断された。

過労やストレスが発作の原因で運動は厳禁レベルの病状だった。現在は安静と軽いジョギングを繰り返し薬餌療法をしながら定期健診を受ける毎日を過ごしている。「とにかく今は治す事だけ考えている。引退?冗談じゃない、来年もやるよ」と周囲の心配をよそに時折思い出したように愛用の950g のバットを握り絞める。来年3月で39歳となる大杉にとって来季は引退を賭けてのシーズンとなるだろう。一昨年に名球会入りした打撃の職人がその集大成をファンの瞼に姿を焼き付ける。来季のシーズン第1号本塁打は史上初の両リーグ200本塁打となる。




平松政次…ホエールズのエースに君臨してきたプロ12年生の平松が今シーズン終了を目前にして揺れている。「ボロボロになってまでプレーしたくない。僕にもプライドがあるし引き際は綺麗にと常々考えてきた」 平松はユニフォームを脱ぐ時期を決めかねている。実は今年の正月、自主トレを前にして平松は「(あと8勝の)200勝出来たらユニフォームを脱ぎたい。今の力からして8勝くらいが精一杯だろう。遠くも近くもない丁度いい目標だし肩の状態もシンドイ…」と早々に引退宣言をしていた。そして開幕。キャンプで右足内転筋を痛め一軍合流が1ヶ月遅れたものの5月19日の巨人戦で初勝利を完封で飾ると球宴前の7月21日の広島戦までの2ヶ月で5勝し通算200勝達成は間近と思われた。

ところが後半戦に入るとまるで勝利の女神が平松を引退させまいとしているかのようにパタッと勝てなくなる。8月、9月を過ぎても勝ち星は挙げられず「今年はもう無理だ」と本人も半ば諦めるとその開き直りが良かったのか10月に入ると勝ち運が戻って来た。トントンと連勝しあと1勝(10月10日現在)にまで迫っている。今シーズン終了までまだ2~3回は先発する機会が残っており順調なら今年で引退は間違いのない様相になってきた。ところがここにきて引退を思い留まるよう説得する動きが出始める。先ず現場の責任者である関根監督が反対の狼煙を上げた。確かに平松の存在は大きい。今季は開幕から巨人戦は6連敗、その嫌な流れを止めたのが平松であり目下のところ平松の代役が務まる若手投手は見当たらない。更に中部オーナーまでもが「平松や辻はウチにとってまだまだ貴重な戦力。そう簡単に辞められては困る」と引退に異議を唱え始めた。

そんな現場だけでなく身内の家族からも「まだ引退は早い」と待ったの声が出た。平松ら6人兄弟を女手ひとつで育てた母親・ます江さんは「これまで何とかプロの世界でやってこられたのは監督さんはじめチームの皆さんのお蔭であるのを忘れてはいけない。それを自分の勝手だけで引退しては周囲を裏切る事になる。よく話し合ってチームに迷惑のかからない結論を出して欲しい」と。平松にとって誰よりも頭の上がらない母親の言葉だけに影響は大きい。更に「まだ子供も小さい(長女5歳・次女3歳)のでまだまだ頑張って欲しい」と洋子夫人も引退反対派。ここまで内外から引退に反対されると本人も「ウ~ン、参っちゃうねぇ」と困惑顔。

実は引退に関して平松には " 前科 " がある。昨年5月に持病である右肩痛を発症した際に遠征先の名古屋市内の宿舎で関根監督に引退を申し出ている。その時は関根監督が必死に思い留まるよう説得して事なきを得た。ただ今年は持病の肩痛に加えて精神的要素も加味されている。「目標(200勝)を達成した後の自分に自信が持てないんだ。負けても悔しくならないというか抜け殻のようになってしまうのが怖い」と不安を吐露する。目ざといマスコミ界は今季の引退を想定して早くも2社ほどが「是非ウチに」と声をかけている。オールスター戦や日本シリーズでのゲスト解説で喋りの達者ぶりは証明済みで引く手あまたなのだ。平松の決断が下されるまで大洋ファンの落ち着かない日々は続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 381 ドラフト展望 ⑤

2015年07月01日 | 1983 年 
【阪神タイガース】:高野、池田、和田、とにかく投手が欲しい…元々が弱体投手陣の所に加えてエースの小林が突然引退してしまい何が何でも投手の補強が必要となった。❶高野(東海大)❷池田(日産)❸和田(法大)❹中西(リッカー)これが大雑把に見ての1位指名入札候補(順番は現段階でのスカウト陣の評価)である。とにかく " 今すぐ使える投手 " が必要なのだ。「マスコミの皆さんは宣伝上手だから名前の出た投手は全員が直ぐにでも2ケタ勝てるように勘違いするけど実際は社会人出身でも2~3年は鍛える必要がある」が安藤監督の持論だがこれはここ数年の「即戦力」の筈だった中田や大町あたりでの実体験から得た結論であろうか?

安藤監督の意見を好意的に受け取ればドラフトだけではなくトレードも含めた補強に目途が立っているのかもしれない。何はともあれ投手を指名するのは間違いなく抽選次第では水野(池田)や仲田幸(興南)といった高校生も1位指名と成り得る。また「投手、投手と言いますが長期的なチーム展望からすれば野手も補充しなければならない(小林スカウト部長)」から池山(市立尼崎)を狙う動きもある。昨年の1位は木戸の単独指名に成功した。それは田丸・小林両スカウトの法大OBラインの賜物だったが今年も和田(法大)獲得に大いに利用する腹づもりだ。



【中日ドラゴンズ】:藤王は譲れないが山内新監督は投手に未練…近年の中日のドラフトで今年ほど方針が明確な年はない。1位指名入札は地元の藤王(享栄)以外あり得ない。「ポスト谷沢は彼しかいない(田村スカウト部長)」「何が何でも藤王を獲れ(堀田球団社長)」と日を追って藤王獲得熱はヒートアップしている。球団は故障中で出番の無かった水谷投手を6月にスカウトに転身させ藤王番としてピッタリマークさせている。その水谷は11月のスカウト会議で「外堀はほぼ埋めた。両親は勿論、学校関係者の支持は取付けた」と豪語した。藤王獲りは中日本社の意地とメンツがかかっている。

フロント主導となった今年のドラフト。新任の山内監督と言えども口を挟む余地はない。山内監督は「守ってこそ野球」と高野(東海大)や水野(池田)の名前を挙げているが、過去に槙原(巨人)や工藤(西武)をミスミス他球団に獲られた事に東海地区の反発は強く再び地元のスター選手を逃がしたら堀田球団社長の責任問題に発展しかねない。首尾よく藤王を獲得できた後は野中・紀藤(共に中京)、仲田幸(興南)、池山(市立尼崎)、穴吹・林(共に岐阜第一)、伊藤(享栄)あたりを獲得する狙いだ。



【ヤクルトスワローズ】:水野に御執心。一方で左腕投手と捕手に色目…中途半端な即戦力よりもパワーとスピードに溢れた素材の獲得、これが今ドラフトの方針だ。田口スカウトの「朝9時の新幹線に乗って午後2時くらいに着く所にいる選手が欲しい」によるとそれは水野(池田)という事になる。パワーとスピードの条件にピタリと嵌り人気も申し分なし。また使える左腕がベテランの梶間ひとりという事情から将来のエース候補として小野(創価)や仲田幸(興南)もリストアップされている。チームの弱点は捕手陣にもあり大矢が兼任コーチとなった以降は八重樫ひとりと心もとない。そこで仲田秀(興南)、野村(熊本工)を調査中だ。

野手に関しては武上監督から「内野手でチームリーダーになれる選手が欲しい。出来れば大学で揉まれていて統率力のある選手を獲って欲しい」と注文が出されている。主将、もしくは副主将で全日本クラスとなると的は絞られてくる。主将を務めた銚子(法大)か白井(駒大)、或いは小早川(法大)か西浦(近大)あたり。このうち銚子は大洋が1位に指名するのではとの情報があり分析を進めている。「とにかく欲しい選手を指名する。重複も覚悟だ(田口スカウト)」と昨年は荒木を抽選で獲得しているだけに運には自信があるようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする