Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 694 V2プランに赤信号

2021年06月30日 | 1977 年 



巨人は4連勝という20年ぶりの開幕ダッシュを見せてV2への夢をふくらませたのだが、ちょっと待って頂きたい。勝っているとはいえ何か足りなくはないか。老婆心といわれるかもしれないけれど、どうも投手陣がおかしい…守りの野球を大事にするという長嶋野球なのに…

執念勝ちの大きな価値
「ウフフフ…」長嶋監督得意の含み笑い。開幕して4試合続けての表情は満足げ。20年ぶりの開幕4連勝、それも中日2回戦(15対4)、大洋1回戦(12対10)、大洋2回戦(7対4)と打力で相手をねじ伏せた。その中で特に長嶋監督が意義ある勝利と位置付けているのが大洋1回戦。実に4時間1分の超ロングラン。両軍合わせて22安打(巨人12、大洋10)、その中には5本のアーチが川崎球場の夜空に乱れ飛んだ。「こういう乱打戦では勝利への執念が強い方が勝つんだ。打つとか守るとかの技術より根くらべなんだ。今日の勝ちは大きいよ、ウンウン」と長嶋監督は巨人ナインの執念の強さを力説した。

また開幕2戦目の中日戦のスコアは15対4。打つ手打つ手がピタリと見事に当たった。中でも鮮やかだったのが " ラン・エンド・ヒット " 戦法。一般的なヒットエンドランは多少のボール球でもバットに当てて走者を進める必要があるが、ランエンドヒットはストライク球が来た時にヒッティングする盗塁優先の戦法だ。この日は5回試みて成功率は100%だった。「あんなことは三塁コーチャーズボックスに立って初めて。打者は打撃に専念できるからリラックスしてヒットエンドランより成功率は高いんだろうね」と黒江コーチは言う。こんな良いことばかりが続いたら長嶋監督の笑いが止まらないのも無理はない。


優勝争う終盤戦のよう
確かに開幕ダッシュに成功した巨人は素晴らしい。王が既に3本塁打(4月8日現在)、張本の広角打法も健在でOH砲揃って " 5点打線 " を牽引する。その限りでは長嶋監督の笑顔も納得だが、その笑顔の合間にフッと浮かない表情が垣間見える。これだけ勝って…と担当記者も不審がる。長嶋監督は最近無言で球を投げる仕草を記者らに見せる。つまり投手陣が不安なのだという。それをハッキリさせたのが大洋との3連戦で失点が計23点。1試合平均8点。いくら狭い川崎球場だったとはいえ「打ち勝ったけど投手陣があれだけ崩れると長いシーズンを考えたら今後が心配だよ」と長嶋監督も愚痴っぽくなる。

「開幕4連勝したといっても相手に勝たせてもらったようなもの。人工芝恐怖症の中日は自滅だし大洋は投手陣が崩壊。これが阪神や広島相手だったら勝てたかどうか怪しい(担当記者)」という意見も多い。また「ローテーション無視も甚だしい。まるで優勝間近の試合をやっているようだった」との声も。こうした意見に対して巨人の首脳陣は「勝ちは勝ちだよ。開幕して30試合くらいはある程度ローテーションを崩してでも勝ちに行くのは間違ってない。開幕3連敗したら五分に戻すのに3連戦を2勝1敗と勝ち越しても9試合必要になる。勝率五割に戻すのに12試合で約半月かかる。2勝1敗のペースは年間にすると86勝。結構キツイんだよ」と反論する。

だから堀内がリリーフしたり、6日の大洋戦のように小林➡ライト➡堀内みたいな豪華リレーも暫くは再びあるかもしれない。「しかし、いくら何でもこんな起用を続けていたら投手陣がパンクしかねない」といった声もネット裏では多い。事実、7日の大洋戦に連投した堀内が長崎に本塁打を浴びてKOされ不安が的中した。「今まで王や張本の打力の陰で目立たなかった投手陣の弱点が一気に露呈してしまった(担当記者)」と。しかも小林や新浦といった中堅どころの調子も今一つで、先発ローテーションが崩れたら5点打線が健在でも巨人優位説はあっけなく瓦解してしまうだろう。


浅野ヒジ痛のショック
加藤初の離脱は計算していたが穴を埋めると期待していた浅野がヒジ痛を発症したのも懸念材料の一つ。浅野本人によれば軽症で投げられない状態ではないが、ヒジ痛は浅野の持病だけにいつ爆発するか不安は消えない。開幕前日に長嶋監督は親しい知人に「新外人が投手でなく野手(リンド選手)になったのは加藤の復帰が早まる可能性が高まったから。病院からの報告ではレントゲン検査でも異常は見られず練習再開の許可も出た。早ければ6月、遅くとも夏までには帰って来る。ということは4月・5月を乗り切ればOKといことだ。加藤が帰って来るまで首位戦線にいれば連覇も見えてくる」と心中を吐露していた。

それが浅野のヒジ痛で長嶋監督の計算に狂いが生じた。浅野が担う筈だったリリーフ役に堀内が起用されたのだがKOされてしまった。堀内は開幕の中日戦に先発して勝利に貢献した。その時点では長嶋監督の頭に堀内のリリーフ登板は無かったに違いない。それが浅野のヒジ痛で投手起用プランが大きく変わったと考えられる。こうなると新外人はやはり投手にしておけば良かったのではないかという意見が出始めたが後の祭りである。今は相手の自滅やラッキーパンチが当たって勝ち星を稼いでいるが、頼りの打線に陰りが出始めたら一転して敗戦が続くのではないかと長嶋監督は危惧しているのである。
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# 693 蘇った猛虎打線

2021年06月23日 | 1977 年 



いまや " 猛打阪神 " が話題の焦点だ。200ホーマー打線がハッタリだけでない凄まじさで、かつてのダイナマイト打線を彷彿とさせる猛威である。かくて猛虎の周辺はもう優勝騒ぎなのだが…

導火線に点火した掛布、佐野の競り合い
阪神が旗印に掲げた200発打線は本物のようである。この名称の名付け親である山内コーチはキャンプ終盤に「昨年は190本台で一歩届かなかったが他チームの投手陣の整備具合を見ると今年は昨年を上回りそうだ」と現在の好調ぶりを確信していたようだ。確かに打線好調の兆候はオープン戦の後半からはっきりと現れていた。岡山での南海戦では毎回安打の毎回得点。ブリーデン、佐野、藤田、掛布が5回までに本塁打を放ち、仕上げは6回に田淵のバックスクリーン弾。呆れた南海・野村監督が「アホらしくなる」と嘆いたくらいの大量17得点をあげた。

その勢いのままシーズンに突入し7日の中日戦でブリーデンの3連発や田淵の一発などで11得点。それだけで終わらない。掛布も負けじとバックスクリーンを越えてスコアボードを直撃する本塁打を放つなど手がつけられない猛虎打線なのだ。この猛打のきっかけは掛布。急成長した掛布は六番に座り、上位打線とクリーンアップが作ったチャンスをことごとく得点し、他球団の監督が「阪神はクリーンアップが2つある」と嘆くくらいだ。掛布は開幕戦のヤクルト戦でエース・松岡から満塁本塁打を放ちド肝を抜いた。昨季は11打数2安打と掛布を抑えた松岡だったが「決して悪い球じゃなかった。低目を上手く打たれた」と脱帽。

掛布に刺激された佐野がもう一人の立役者だ。佐野がドラフト1位指名、掛布が6位指名の同期入団だ。佐野は大卒、掛布は高卒で共にポジションは三塁でライバルだったがレギュラー争いに敗れた佐野は今年のキャンプから外野にコンバートされた。外野のレギュラー争いも激しく当初は佐野は控えで代打が役目だったがレギュラーの東田が怪我で調整が遅れた関係で、とりあえず佐野が左翼手のポジションを得た。「一度手にしたレギュラーの座は誰にも渡したくない。あいつにいつまでも負けていられるか」と普段は物静かな佐野が珍しく感情を露わにした。 " あいつ " とはもちろん掛布のことである。

ドラフト1位と6位。大学出と高校出。だが勝負の世界は結果が全てで肩書きは無用の長物。掛布の後塵を拝した佐野はヤケになり酒で滅入った気分を紛らわしたことも。そんな佐野に与えられた打順は八番。八番打者といえば昨年まで掛布が任されていた打順で、まだ掛布の体温が残っている生暖かい椅子に座るのは正直おもしろくないだろうが、そんなことを言ってはいられない。ただ我武者羅に球に向かっていく佐野の姿はまさに鬼神を思わせるファイトの塊だ。長打力もあり掛布と互角の競り合いが現在の猛打阪神打線の核となっている。


下から突き上げられて主力打者も爆発
「あの二人、えらく張り切っているやないか」…六番・掛布、八番・佐野の活躍に上位打線の選手たちが " 傍観 " を始めるという珍現象が起こった。阪神という球団は不思議なチームで他の選手の成功や失敗をチームメイトでありながら、いたって冷静に受け止める癖がある。投手が打たれて負けると野手陣は自分らが打てずに援護できなかったことは棚に上げて「今日は投手陣がピリッとしなかったね」と評論家のような発言を繰り返す。同様に野手のエラーで試合を落とすと投手陣からは「あんなエラーをされたら投手は気の毒だよね」と批判する。投手陣、野手陣ともに当事者意識が欠けているのが阪神の体質なのだ。

当初は下位打線の活躍に上位打線の面々はいつものようにどこか他人事で冷めた目で評論家気分を決め込んでいたが、いつの間にか雰囲気は変わっていった。そこには山内コーチの存在があった。山内コーチは巨人のコーチ時代から練習好きで教え魔の定評があった。雨で中日戦が中止になった8日、雨でユニフォームをびしょ濡れにさせても田淵をはじめ主力選手にバッティング練習を命じた。開幕前は近年になく順調な調整が出来て期待された田淵だったがシーズンが始まると調子が上がらず、外人勢も音なしでさっそく世間から「掛布を五番に抜擢すべき」の声が上がり始めたが、山内コーチの特訓のお蔭で主力打者も息を吹き返した。


OBたちも阪神優勝に強い肩入れ
当然ファンの熱狂度もヒートアップ。阪神の応援団に狂虎会という組織がある。会員の一人は「くどくど言いません。とにかく優勝して下さい。僕は昭和48年に阪神が優勝したら結婚すると友人に宣言しました。本音を言うと彼女にプロポーズをする勇気がなくてキッカケが欲しかったのですが、あの年は素人判断ですが阪神は優勝できる戦力だとの確信もあり結婚する気満々でした。でも…彼女はもう別の人の所へ嫁いでしまいました。こうなった男の意地です。阪神が優勝するまで結婚しません!でもこの先何年も優勝しなかったらどうしよう…。日本一になってくれとは言いません、僕の幸せの為にも優勝して下さい」と。

本誌の開幕展望号に掲載された順位予想で阪神を1位に挙げた評論家は19人中11人。巨人が4人。広島、中日が各2人と阪神がダントツだった。ちなみにその11人とは横溝桂、有本義明、林義一、花井悠、村山実、松木謙治郎、笠原和夫、田宮謙二郎、苅田久徳、大島信雄、青田昇の各氏である。11人中5人が阪神OBで「今年のセ・リーグは混戦必至で阪神、巨人、広島、中日のどこが優勝しても不思議ではない。心情としては阪神に勝って欲しいね(林)」や「決して贔屓目じゃないよ。阪神は優勝できる力は十分にある(村山)」と評価する面々が多い一方で「もちろん阪神に勝って欲しいけど、1位に予想しないと周囲からとやかく言われるんで1位にしておいた(某氏)」と本音を漏らす在阪のOB評論家も。

心配も無くはない。阪神の優勝を予想しなかったOBの藤本定義氏は一つの危惧を抱いている。藤本といえば巨人、阪神を共に優勝に導いた名将の一人で、特に投手起用に関しては絶対的な手腕の持ち主だ。古くは沢村やスタルヒン、そして村山や小山を使ってペナントを握った経験があり、阪神優勝の成否は投手陣にあるという持論はいささかも揺るがない。「打線には波が生じやすい。今日は大暴れしたかと思うと明日はさっぱりというのが珍しくない。打線に頼ったチームは平均的な勝率を維持することは難しい(藤本)」という。現在の阪神打線も7日の中日戦のように大爆発してもそれを長期間継続させるのは無理だ。

「1、2年目は経験不足だったが今年は3年目でようやくチームの戦力、選手の個性も把握できた。もうベンチの失敗は許されない。ファンの皆さんの期待に背かない成績をあげられそうです」と謙虚でありつつ、溢れる自信を秘めて吉田監督は言う。吉田監督はヤクルトと大洋をマークしている。当面のライバルである巨人や広島には勝ち越す自信はある。それだけにヤクルトや大洋に取りこぼしては優勝を逃してしまうという計算だ。「ゲートが開いたら脇目をふらず突進する(吉田監督)」と宣言し、開幕30試合を目途に先発ローテーションを無視してでも勝ちに行く腹づもりで、勝負は夏場以降だと考えている。200発打線と吉田監督の采配が嚙み合ってはじめて阪神ファンの夢は満たされるだろう。
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# 692 週間リポート 大洋ホエールズ編

2021年06月16日 | 1977 年 



♪ 技と力と男意気 ♪ ♬ 大洋勝利花 ♬
「これで肩身の狭い思いをしなくてすむ」とナインが手放しで喜んだのは球団歌と応援歌がやっと出来上がったからだ。大洋を除くセ・リーグの5球団には早くから球団歌と応援歌があり、多くのファンにも親しまれてきた。「どうしてウチには無いんだ」と不満の声が球団内にあった。最近はシーズンオフになると球団対抗歌合戦がテレビで放映されることが多く、各チームの選手は球団歌をバックに勇ましく入場して来るのだが大洋の場合は流行歌が流れる。選手らが肩身の狭い思いをするのも尤もな話だ。昨年の12月に日本コロムビアのスタジオで晴れてレコーディングが行われ遂に大洋にも球団歌と応援歌ができた。

  【大洋応援歌 ♪ 行くぞ大洋 ♪】
1.行くぞ大洋 行くぞ大洋 行くぞ大洋 勝負の世界
  GO,GO,GO,GO
  行くぞ大洋 行くぞ大洋 行くぞ大洋 鍛えた技で
  泥にまみれて滑り込む 燃える闘志は我らの誇り
  光輝ある歴史 大洋ホエールズ

2.行くぞ大洋 行くぞ大洋 行くぞ大洋 男の世界
  GO,GO,GO,GO
  行くぞ大洋 行くぞ大洋 行くぞ大洋 磨いた腕で
  打って走って現在を勝つ 唸る力を合わせ
  勝利を掴む大洋ホエールズ

3.行くぞ大洋 行くぞ大洋 行くぞ大洋 勝負の世界
  GO,GO,GO,GO
  行くぞ大洋 行くぞ大洋 行くぞ大洋 勝利を目指し
  流す涙は男の血潮 誓うナインでがっつり掴む
  勝利の星は大洋ホエールズ


  【大洋球団歌 ♬ 勝利花 ♬】
1.好きで選んだこの道に技と力と男意気
  希望を果たす背番号ここらで一発ホームラン
  やるぞ大洋勝利花・・

2.俺が選んだ背番号 敵を倒すぞ男意地
  勝利の花を咲かすまで やればできるさド根性
  燃えろ大洋生命花・・

3.夢をつかむぞこの道に星を数えてペナントへ
  男の意地はグランドで きっと咲かせる勝利花
  やるぞ大洋今日も行く・・


大物の陰に無名の大器がいた
大洋のドラフト指名選手は入団拒否が相次ぎ1位指名の斎藤明雄投手(大商大)と5位指名の安田尚弘投手(報徳学園)の2人だけと寂しいものだが高松スカウトは「いやあ、量より質ですよ。中身で勝負です」と胸を張る。このルーキー2人はキャンプイン以来、同じグループで練習をしているが投げる度に2人の評価はウナギ昇りで高松スカウトの発言も決して負け惜しみとは思えない。先ずは年長の斎藤。別当監督は「最低でも5勝はいけるだろう。上体の柔らかさと腕のしなり具合といい申し分ない。即戦力だね」とベタ褒め。別当監督は斎藤には英才教育を施す予定で、例え打ち込まれても二軍に落とさず投げさせるつもりだ。

いつも斎藤の球を受けている山本捕手は「これまで過去に受けてきた新人の中では一番ですよ。球の回転もいいし、バズーカ砲みたいな重い球ですよ」と即戦力の実力は十分あると保証する。また度胸の方は更に凄い。キャンプ10日目に初めてシートバッティングに登場した時は厳しいプロの洗礼を浴びたが「今日はストレートだけだったし、打者にぶつけたら申し訳ないので遠慮があった。試合で僕の援護をしてくれる攻撃陣の方々ですから。他のチームが相手ならぶつけても何とも思わないからグイグイ内角を攻めますけどね」と他球団の選手が聞いたら顔を真っ赤にして怒り出しそうなことを平気で言い放つ。やはり大物だ。

もう一人の安田は全国区では全くの無名選手。それもそのはずで名門・報徳学園の投手とはいえエースではなく、3年生最後の夏の県予選でも15人のベンチ入りメンバーに入れるかどうか当落線上の選手だった。安田が公式戦で投げたのは3年生の夏の県予選3試合だけ。しかも僅差の場面ではなく大量リードした試合の終盤だけ。そんな安田がブルペンで投げる度に「腕の使い方がいい。球の回転が素晴らしく高目は伸びてホップする。高校時代の成績が信じられない」と別当監督の評価も高い。ここ数年来、左腕投手不足がチームの課題で頭痛の種だっただけに思わぬ掘り出し物にニンマリ。

安田をスカウトした高松スカウトによれば「3年生の時はフォームを崩して見る影もなかったが、僕は安田が2年生の時からプロで通用する素材だと思っていた。あの回転のいい高目のストレートは高校生では打てないでしょうね。課題はコントロール。でもこれは練習次第で改善できるよ」と。確かに安田は2年生の時、掛川西高との練習試合で16奪三振の快投を見せている。しかしコントロールが悪く、一発勝負の高校野球では使いづらかったわけ。これを聞いた堀本投手コーチは「プロは今日負けても明日勝てばいいんだ。思い切って投げろ」と安田にアドバイスし、安田はイキイキと投げている。



打たれてまだまだ自信あり?
「紅白戦と違って別のユニフォーム相手に投げるのは燃えますね」とニヤリと不敵な笑いを浮かべたルーキーの斎藤投手。8日の広島戦でオープン戦初登板を果たした。結果は山本浩選手に左翼席に特大の一発を浴びるなど4イニングを投げて被安打9と惨めなデビューとなった。だが斎藤は「コントロールさえ気をつければプロでもやっていけると確信しました」と精一杯の虚勢を張った。待ちに待った初登板だった。5日の長崎でのヤクルト戦でサッシーとドラ1同士で投げ合う予定だったが酒井投手が体調不良で登板を回避した為に、斎藤の登板もお流れとなった。「高校生相手に負けるわけにはいかない」と意気込んでいたがガックリ。

なので初登板となった広島戦は鬱憤を晴らそうとマウンドへ上がったが赤ヘル打線の餌食になってしまった。初回にいきなり衣笠選手に死球。プロ入り後に覚えたシュートがすっぽ抜けてしまった。これが最後まで尾を引いた。インコースに厳しい球が投げづらくなりコースが甘くなる。そして斎藤が「あの一発はショックだった」という山本浩の本塁打。ボールカウント1-3からストライクを取りにいった5球目を豪快に左翼席に運ばれた。打たれたことがショックだったのではなく、その時の自分の精神状態がショックだったと言う。

山本浩に対する3球目は初回に衣笠にぶつけたのと同じシュート。胸元に投じた球を山本浩はもんどりうって倒れて避けた。斎藤は「いかん。またぶつけたら大変なことになる」と思ったそうだ。4球目は外角に外れるカーブ。5球目を左翼席に運ばれた。「あんなに大袈裟に倒れる程の球じゃなかったのにビックリしてしまい弱気になってしまった。そんな自分がショックだった(斎藤)」と。強心臓と言われる斎藤もやっぱりルーキー。リーグを代表する2000万円プレーヤーがうった芝居に気後れしてしまったようだ。
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# 691 週間リポート ヤクルトスワローズ編

2021年06月09日 | 1977 年 



売れ売れ!スターに仕立てろ
ヤクルトが看板商品 " サッシー " の大々的な売り出し作戦を展開中だ。松園オーナーが自ら長崎に乗り込んでお披露目発表をしたのを皮切りに東京でも長崎の規模を上回る入団発表を行った。12月20日、新橋のヤクルト本社6階の大会議室に酒井をはじめドラフトで指名した新人と移籍組の合わせて8人が顔を揃えた。「(酒井は)全国区の人気者ですから賑やかにお披露目してあげないと(フロント幹部)」と事実上は酒井の為の入団発表だった。集まった報道陣からの質問も酒井ひとりに集中し、プロ12年目の倉田投手(元巨人)や13年目の伊勢選手(元近鉄)らも完全に脇役に追いやられた。

たまりかねた?広岡監督が「酒井君らドラフト組は皆素晴らしい素質の持ち主だが、来年の戦力とは考えていない。トレード組を即戦力として計算に入れている」と発言して、酒井一辺倒の雰囲気に面白くなさそうに仏頂面をしていた移籍組をわざわざ持ち上げるシーンがあった程だ。それにしても球団の酒井にかける期待度の大きさといったらどうだ。ドラフト制度が始まって12年目で引き当てた " イの一番 " に対する売り出し以外の何ものでもない。お披露目を二度もやっただけでは留まらない。お次は自主トレの公開PRである。

年が明けた1月4日、酒井は地元長崎で自主トレを開始した。ただでさえマスコミの注目が集まる中、この自主トレに何とエースの松岡投手が駆けつけて大騒ぎになった。松岡の合流はもちろん球団からの指示だった。かねてより酒井は「僕の憧れは松岡さん。松岡さんみたいに速球で勝負できる本格派になりたい」と言っており、酒井の希望を叶えるべく球団が郷里の岡山でノンビリ正月を過ごしていた松岡に長崎行きの指令を出したのだ。「普通なら何を馬鹿な、と断りますがヤクルトが本社をあげてルーキーを売り出すと聞いたら協力しないとね。俺を目標としてくれているのも悪い気はしないし(松岡)」と苦笑い。

松岡の岡山から長崎までの飛行機代やホテル代、更には松岡には " 出張扱い " として球団から日当が支給された。また酒井の練習開始時間や松岡の到着予定時刻なども克明にプリントして報道陣に配布をする手際のよさである。『ヤクルトの星、地元長崎で希望に満ちた始動』…こんな新聞の見出しとテレビ・ラジオでの大々的な報道の効果を球団は狙っているのである。「大勢の人に囲まれてインタビューを受けると甲子園のマウンドよりも緊張します」と頬を紅潮させる酒井。いずれにせよスター不足のヤクルトが打った売り出し作戦。これが酒井の将来に影響を及ぼすか注目したい。



熱が下がって評価は上がる
梶間投手の評価が上がり、サッシーの熱が下がった。3月6日に長崎で行われた大洋戦は完封負けしたが新人の梶間が先発ローテーション入りを確実にする快投を見せた。一方で長崎出身で凱旋登板する予定だった酒井投手は流感に感染し欠場となった。梶間は先発して5回を2失点。5回一死から4連続安打で失点し敗戦投手になったが、当たり損ねの打球が2つの内野安打になる不運もあった。上・横・下手と変幻自在の投球を披露し3回まではパーフェクトピッチングで広岡監督も「先発・救援どちらでも使える。文句なしの即戦力」と合格点をつけた。「少し疲れが出て肩が重かった。まぁ70点くらいかな」と梶間は淡々と自身の投球を振り返る。

酒井の球場入りはヤクルトの守備練習が始まる正午少し前。それまで酒井は宿舎の長崎グラウンドホテルの自室で横になっていた。風邪をひいて2日間続いた40度近い高熱は抗生物質のお蔭で平熱に下がったが、まだ体がふらついていたので休んでいたのだ。とても試合で投げられる状態ではなかったが球場には地元が生んだ怪物を一目見ようと1万人を超すファンが駆けつけ熱気でムンムンしていた。スタンドには " 頑張れ酒井圭一君 " の横断幕が張られ、ON並みの拍手に酒井は照れくさそうに頭を下げた。「風邪さえひかなければ…次に長崎に来る5月の公式戦(対中日戦)に投げられるよう頑張ります」と話すのが精一杯だった。

松園オーナーが決めた郷里での予告先発も風邪をひいてお流れとなった。事前に酒井の登板中止は地元のテレビニュースで告知されたが、早朝の7時頃から球場内の事務所に酒井は登板するのかどうかの問い合わせ電話が鳴りっぱなしだった。ファンの出足は良く開門時間を1時間早めた。先発は無理でも1イニングくらいは投げるかもしれないという期待があったのかも。酒井の体調を心配した松園オーナーが「無理はさせるな。すぐに帰京させるように」と電話で直々に命令を下した為、当初は球団側も酒井をホテルで待機させようと考えていたが球場に詰めかけたファンの為に急遽の顔見世となった。



力に負けた?徳永代表去る
ある程度は予想されていたが徳永喜男球団代表(65)が3月14日に退任した。同日、球団の株主総会がヤクルト本社で開かれ佐藤邦雄球団社長の留任、徳永常務の代表退任と相馬和夫専務(49)の球団代表就任人事を承認した。冒頭で「ある程度」と表現したが徳永前代表の更迭問題は数年来ウワサになっていた。しかし球団きっての、というよりセ・パ両リーグの球団フロントの中でも最も野球に精通していると評価されているだけに意外感は否めない。佐藤球団社長が本業の弁護士業務が多忙の為、出社できるのが月に10日程で相馬専務も野球に関しては素人同然なので「徳永さんの存在は球団にとって便利このうえなかった」とヤクルト担当記者は言う。

だが野球の世界と同様にフロント陣にも勝負の責任が追及されるのが常だ。チームの勝敗の責任は監督に、助っ人外人選手の選考の是非はフロント陣にある。ジャクソンやロバーツはともあれチャンス、テータムに始まり最近ではあの悪名高きペピトーン獲得の失敗の時点から大リーグ通でもあった徳永前代表に批判の矛先が向いていた。更にフロント内部の不仲も更迭劇に拍車をかけた。毎年のように揉めるコーチ人事。フロント内部で意見を統一して松園オーナーに上げず、派閥毎で異なる人事を提案するので毎度差し戻し。徳永前代表は鈴木セ・リーグ会長の懐刀として連盟内では力を発揮できてもヤクルト社内では無力に等しかった。

新たに就任する相馬代表にも課題は山積する。代表職といえば試合の管理人を兼ねる。本拠地はもとより遠征にも常にチームと同行して監督、コーチ、選手の管理掌握からトラブルの収拾まで球界の裏の裏まで精通していないと代表は務まらない。球団関係者の間では若い相馬代表は実は松園オーナーの信任が厚い田口総務部長が代表に昇格するまでの繋ぎ的な見方が多い。二軍監督時代から松園オーナーと懇意だった田口部長。その田口部長と徳永前代表の不仲ぶりは本社内でも有名だった。徳永前代表が球団を去った今こそ田口部長の代表就任への障壁は無くなったのだ。

もっと遡れば更迭された荒川前監督の擁護派の中心が相馬代表であり、排除派は佐藤球団社長を中心とした徳永一派。当時から荒川前監督の処遇に関してはフロント間の対立が裏の要因と言われていた。更に穿った見方をすれば既に広岡監督の後任の大本命とされている武上コーチを巡って推進派と排除派の対立が早くもフロント間で始まっているという。広岡監督が求めていた森昌彦氏のヘッドコーチ入閣もフロント間の対立のせいで実現しなかった。オープン戦で好調をキープしているヤクルトだが人事を巡る暗闘は深く静かに燻ったままだ。
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# 690 週間リポート 中日ドラゴンズ編

2021年06月02日 | 1977 年 



家を新築じゃい!やったるぜ
星野のいない中日投手陣なんて…と言う人は多い。確かに昨季後半、右足肉離れで星野が不在となった投手陣は崩壊してしまった。契約更改の席で17%減を言い渡された星野は「そんなバカな。俺の怪我は公傷でしょ。あれを公傷と認めてくれなければ安心してプレーできない。断固戦うよ」と怪気炎を上げた。この勢いに押されたのか二度目の交渉で球団は11%減に譲歩し200万円ダウンの1600万円を提示し星野はサインした。「まぁお互い痛み分けってところかな。最初から公傷扱いして金額提示してくれていたらもっと気持ちよくサインしたのにね」と破顔一笑とはいかなかった。

契約更改を終えた星野は各方面からの誘いを全て断り、年も押し迫った12月20日に右足の回復具合を診てもらう為に広島の住田師を訪ねた。「うん、もう殆ど大丈夫だ。後は怪我をした右足を鍛えていくことだ」とゴーサインを得て早速ランニングを開始した。周囲は急に走ることに反対し年が明けてから徐々に動けと忠告したが星野には1日でも早く体作りを開始したい理由があった。星野は現在、名古屋市内に新居を建設中なのだ。「ローンを返す為にも来年は頑張らなくちゃ。200万円のダウンは痛いよ。早く体を元に戻してキャンプに備えたい」と気持ちは既に戦闘モードになっている。

プロ入りして7年間、星野は毎年昇給していて年俸ダウンは今回が初めて。それが星野の負けん気に火をつけた。今季にかける意地が痛いくらいに感じられる。「正月三が日くらいはゆっくり休養しますよ。休み明けからスケジュール通りのトレーニングを開始しますよ。まぁ見てて下さい、開幕戦では後楽園球場の連敗ストッパーになってみせますから」と星野は威勢のいい台詞を言い放った。周囲はこんな相変わらず強気のエースを頼もしい気持ちの一方で心配しハラハラしながら見守っている。



本当の本物は一味ちがいます
静かだった浜松キャンプにウイリー・デービスが合流した途端、" デービス旋風 " を巻き起こした。しかしそこは大リーグで17年間活躍してきた選手だけに周囲のお祭り騒ぎにも決して振り回されていない。普通、日本に来た外人選手は練習初日の打撃練習で長打をポンポン連発し「どうだ、オレの実力はこんなもんだぜ」と言わんばかりにデモンストレーションをかけるのが通り相場になっているがデービスにはそんな欠片さえも見られない。「本格的なバッティングはまだまだ先(デービス)」と軽く流して打撃練習を終えた。これには待ち構えていた報道陣も「無理をしないところはさすが大物」と感心しきりだ。

練習開始3日間の打撃練習で空振りはゼロで低目はバットを巻き込むように引っ張り、高目は上から叩きつけるダウンスイングで打ち方に無理がない。いかにミート中心を心掛けていたかが分かる。徐々に体が出来上がってくるとデービスは得意の足技を披露し始める。全選手の前で二盗のお手本を見せたが、大きなストライドは勿論だが日本人選手とは比べ物にならないくらいの大きなリードに「あれだけ一塁ベースから大きくリードしたら盗塁できて当然だ」と選手らは驚いた。来日前は足と肩の衰えを懸念する声もあったが一掃した。与那嶺監督は「全てが本物だったね」と相好を崩した。

毎朝7時になると宿舎の浜松グランドホテルの615号室から「ナムミョウホウレンゲーキョウ…」と何やらお題目が流れてくる。声の主はデービスで30分間続く。これには隣室の杉山コーチが「いつもあの声で目が覚めてしまう。それにしても陽気なデービスがお経を唱えるとは意外。外見では分からない真面目な一面もあるんですね」と半分は迷惑しつつも半分は感心し驚いている。今後キャンプを怪我無く順調に過ごし体調が万全に仕上がったら「今以上に我々が驚くプレーを披露してくれるに違いない」と関係者は首を長くしてその時を待っている。



反射神経に体がついていける
日ハムとのオープン戦の初回、三塁に谷木選手を置いて打席には高木守選手。高橋直投手が投じた直球にバットを一閃すると打球は左翼席に飛び込んだ。これまで貝のように口を堅く閉ざし黙り込んでいた高木の口元から白い歯がこぼれた。オープン戦で初めて見せた笑顔だった。「カウントが1ー1で次はきっと外角に来ると読んでいたが内角に来た。咄嗟にコンパクトに振り切った(高木)」と振り返る。高橋直は高木が苦手とするタイプの投手で読みが外れると中途半端なスイングで凡退することが多かったが、ようやく自分の体がいうことをきくようになったのである。「もう大丈夫だ」これが高木が笑顔になった理由だ。

オープン戦で二番に入った高木にとって長く苦しい道のりだった。浜松キャンプ中盤の守備練習中に背中にズキーンと鈍痛が走った。「まずい、またやってしまった…」と高木は目の前が真っ暗になった。周期的に襲って来る死球の後遺症による痛みで防ぎようがないのだ。かかりつけの名古屋市内の医師のもとへ行き治療しキャンプを1週間ほど離脱した。昨季も痛みを騙し騙し試合に出場していたが、とうとう体が限界を迎えて長期の欠場となってしまった。それを教訓に痛みが酷くなる前に治療に専念したのだ。

その甲斐あって痛みは酷くならずオープン戦に出場することができた。それでも当初は痛みの再発を恐れて思い切ったプレーは躊躇することもあった。それがあの試合で高橋直投手の内角球を咄嗟の反応で打つことができた。つまり気持ちとは関係なく反射的に体が反応したのだ。「これで開幕を迎えられる」と高木は久々に確信を得た。「キャンプで西沢さん(元監督)にこう約束したんです。例え体がボロボロになっても動けなくなるまで頑張ります、って。その約束を果たせそうです」と高木は嬉しそうに話した。チーム最古参の高木は間違いなく欠かせぬ攻守の要である。
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