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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 824 惜別

2023年12月27日 | 1976 年 


今年の6月に成人T細胞白血病で亡くなった北別府学のルーキー時代インタビュー


連覇ならずパッとしなかった今年のカープだが、ここにきて俄然脚光を浴びだした新人がいる。ウエスタンリーグ優勝の立役者である北別府学投手である。

ライバルは青山投手(中日)
聞き手:巨人戦に初登板(9月29日)した感想は?
北別府:別に意識しませんでした。ただ、王さんや張本さんを相手にすると圧倒される感じは正直ありました。
    ランナーをためないように思い切り投げることだけ考えました。

聞き手:巨人打線は怖かった?
北別府:怖いと思いますね。でも力むとこの前の阪神戦(19日)みたいに打ち込まれちゃうから冷静になろうと。
    でも王さんの時は抑えようと力んでしまって全然ストライクが入りませんでした。

聞き手:満員の後楽園球場でも緊張しなかったの?
北別府:むしろ緊張したのはデビュー戦の神宮球場や甲子園球場の時で、前の阪神戦で打ち込まれてしまって
    自分は本当にプロで通用するのか不安になって巨人戦では緊張する余裕もなかったです。

聞き手:高校出の新人で一軍で活躍している選手はあまりいない。自信がついたのでは?
北別府:そうですね、まだ自信とまではいかなくとも安堵感はあります。プロ入り前は2~3年は二軍で体力を
    つけるのが優先だと思っていましたから、こんなに早く一軍で投げられるなんて考えていませんでした。
    同期でプロ入りした選手でいま一軍にいるのは青山投手(中日)だけ。同い年だけに負けられません。


まさかプロ入りするとは
聞き手:プロ入りの決意はいつから?
北別府:夏の県予選が終わった頃です。いろいろな球団から話があって指名されるかもと思いました。甲子園には
    一度も行けなかったので、それまではプロ野球は夢のまた夢でした。

聞き手:プロは昔からの夢だった?
北別府:いえ。僕は野球をやっていて一度もプロは考えてませんでした。
聞き手:思い描いていたプロ野球と現実はどうでしたか?
北別府:確かに厳しい面もありますが、一方でそうでもない面もありました。厳しいのは時間に関する事です。
    練習も私生活もです。寮の門限は一度も破っていません。

聞き手:その寮生活はどうですか?
北別府:まぁ楽しくやっています。暇な時はレコードを聴いたり読書したりゴロゴロしています。
聞き手:家族は?
北別府:両親と兄2人です。親父はプロ入りに賛成してくれましたが、お袋は反対しました。心配しないように
    時々は実家に電話をしています。


何でも吸収しよう
聞き手:今シーズン終了後に若手選手を大リーグのパイレーツに派遣する話がありますが参加するのですか?
北別府:まだ正式には聞かされてませんが、もし参加できたら向こうの野球を見てみたいです。
聞き手:ところで目標とする選手はいますか?
北別府:外木場投手や鈴木孝政投手です。特に鈴木さんは真っすぐと落ちる球で勝負できる憧れの投手です。
    今まで雲の上の存在だった人たちと話ができるのは夢のような気分です。だから外木場さんに
    話かけれると本当に嬉しいです。学べるものは貪欲に吸収したいです。

聞き手:今後の目標は?
北別府:正直勝ち負けはどうでもいいんです。早く一軍で1勝あげたいですけど、内容のある投球をしたいです。
    そして絶対逃げるんじゃなくて真っすぐ打者に向かっていく投手になりたいです。

聞き手:これからも頑張って下さい
北別府:はい、ありがとうございます。怪我をしないように頑張ります。
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# 656 最低保障

2020年10月07日 | 1976 年 



来シーズンから一軍選手の最低年俸は現行の240万円から360万円にアップされるのが確定的となった。20日、東京・九段のホテルグランドパレスで行われる実行委員会で討議され、来春1月13日、東京で開かれる選手会で正式に決定となる。年俸360万円以下の若手選手にとっては文字通り嬉しい年になりそうだ。

今も生きている最低保障60万円
大洋・松原、阪急・加藤のセ・パ両リーグ選手会長の努力がやっと実る " 嬉しい春 " が来たようだ。これ迄の歴代選手会長は年金問題とこの参稼報酬アップをメインに経営者側との特別委員会で掛け合ってきた。その結果、年金は昨年から8%アップ(最高で年額36万円)に決定し、一軍選手の最低年俸も一昨年から現在の240万円となった。更に今度は松原・加藤選手会長は最低年俸を360万円へアップと同時に、プロ野球選手の『参稼報酬の最低保障(野球協約八十九条)』の倍増(120万円)を要求してきた。『●●選手、年俸倍増!』といった話題がスポーツ紙の一面を飾る一方で野球協約では未だに『最低保障額は60万円(月5万円)』が謳われているのだ。

勿論、今どき年俸60万円といったプロ野球選手は存在しない。だが実際は年俸150万円以下の選手はセ・パ12球団で二軍に20人ほどいると言われている。プロ野球選手は一軍でプレーして初めて一人前の権利を要求できる。二軍の選手はモノ言えぬ存在なのだ。低年俸ではアパート暮らしも苦しく合宿所で食事込みで月額1万円前後の寮費を払い生活している。二軍選手の待遇は12球団様々でヤクルトは昨年に物価高を考慮して最低年俸を180万円(月額15万円)に引き上げた。そして今年は不況手当の名目で一律に年額12万円アップして192万円(月額16万円)とした。「昨今のせちがらい物価高の世の中で選手達に惨めな思いをさせたくないですからね(徳永球団代表)」という思いやりからだ。

巨人も低年俸の選手を対象に一律12%アップを決めた。「現在ウチには150万円以下の選手はいませんが他球団にはいるようです。未だに野球協約で60万円なんて記載が残っていること自体が恥ずかしいことです」「世間の誤解を招かない為にも野球協約の最低保障条項の60万円は抹消すべきだと考えています」と球団フロント幹部は言う。一方で「私は一・二軍の選手にサラリーの格差は必要だと思います。その悔しさが二軍選手を奮起させる。1日でも早く一軍に上がって高い給料を得られるように頑張る筈ですから。必要悪ですかね」と鈴木セ・リーグ会長は言う。


240万円以下ではノンプロ以下!
ところで一軍選手の最低年俸360万円は2年前に240万円が決まった時点で特別委員会に出されていた。これに対して経営者側は「一律に360万円なんてとんでもない。240万円でさえ大きな支出なのに(某球団代表)」と尻込みしていた。とりわけ全6球団が赤字のパ・リーグは240万円も渋面を刻んでの了承だった。それが来季から360万円にアップされる背景には物価高に加えてパ・リーグが2シーズン制による恩恵を考慮した結果だ。前・後期ともに優勝争いをすれば優勝できなくても観客動員は増える。優勝すればプレーオフで更に加算される。またファンサービスの工夫次第で観客を増やせる事は、今季リーグ最多の88万人を動員した日ハムが証明した。

先日行われたドラフト会議で上位に指名された選手の幾人かが入団拒否をした事も経営者側にショックを与えた。特にドラフト前にはプロ入りを表明していた駒大のエース・森繁和投手のロッテ入り拒否が好例だろう。ロッテは1位指名した森に契約金2500万円・年俸240万円を提示したが森は入団を拒否して住友金属へ就職を決めた。森はプロ入りする筈だったのに…と不思議に思った他球団のスカウトが内情を探ってみたら住友金属の大卒初任給は年額240万円だった。「今はノンプロでも支度金の名目で300万円から500万円を用意するのは常識になっている。ロッテと同額の給料なら終身雇用のサラリーマンを選ぶのは当たり前」と話すのは某社会人チームの監督だ。

こうした有力選手のプロ野球離れに巨人軍の山本顧問弁護士は「ドラフト指名選手の入団率が年々悪くなっているのは待遇面、特に年俸の低さにあります。機構側も真剣に考える時だと思います」と冷静に分析する。社会人野球に参加する一流企業なら大学を卒業して10年も勤務すれば年2回のボーナスを含めて年額500万円を超えるサラリーを手に出来る。10年どころか翌年の保障すらないプロ野球。例え最低年俸を360万円に上げてもまだまだ低い。「年俸アップをすれば赤字が増えるとパ・リーグは否定的。黒字球団が多いセ・リーグも利益が減ると後ろ向き。来春の特別委員会では経営者側から選手会に対して何かしらの交換条件を突き付けつる可能性もある(パ・リーグ関係者)」


二軍からの昇格選手は日割りで
また野球協約九十二条で参加報酬の最高25%と定められている減額制限を30%に引き上げるよう経営者側が求める可能性もあるという。現状では選手の同意なしに25%以上を減給した場合は当該選手は移籍の自由が認められている。その移籍の自由条項を撤廃したい経営者側と存続を求める選手会側は対立している。ところで最低年俸を引き上げても経営者側の負担はそれほどではないという指摘がある。というのも360万円未満の選手には一軍登録日数の日割りで支払われるからだ。しかもその日割りの差額(360万円 - 240万円=120万円)分が丸々負担増になるわけではない。

例えば巨人の新人・中畑選手の年俸は240万円。来季も現状維持と仮定し、春季キャンプ・オープン戦で頭角を現し1シーズンを一軍に定着したとする。その場合、中畑が手にするのは差額の120万円ではない。開幕日の4月からペナントレースが終了する11月までの約240日間が実働期間。差額120万円を365日で割ると1日分は約3300円で、実働240日分は79万円余り。これが中畑が手にする額である。何故こういう計算になるのか。実際は2月から11月末までが契約期間であるのだが、選手の給料は便宜的に月給と同じように毎月支払われていて、差額分はこの実働期間に対して支払われるものであるからだ。


王でも他のプロスポーツより安い
それに比べると大リーグの最低年俸は1万8千ドル(540万円)とやはり本場は違う。選手協会の発言力が年々強くなった背景には要求実現の為にはストライキも辞さない強気な交渉術がある。移籍の自由を得たオリオールズのレジー・ジャクソンはヤンキースと5年・300万ドル(9億円)で契約した。片や日本のプロ野球界のベスト5は➊ 王(巨人)5700万円 ➋ ジョンソン(巨人)3900万円 ➌ 田淵(阪神)3800万円 ➍ 野村(南海)3400万円 ➎ 張本(巨人)2800万円 。これ以外の2000万円以上の選手は助っ人を除くと山本浩(広島)くらいで大リーグには遠く及ばない。

日本の他のプロスポーツのゴルフ・ボクシング・レスラー・競馬・競艇・競輪らと比べても野球は低い部類だ。単純計算でも前述のレジー・ジャクソンの年俸は60万ドル(1億8000万円)になる。悲願の打倒巨人を達成し2年連続日本一になった阪急でも " 1千万プレーヤー " がやっとである。しかし明るい兆しはある。阪急の「少年友の会」会員は今季飛躍的に会員数を伸ばした日ハムの1万人を大きく上回る3万人だ。また昨年から入場税法の改正で、一人3000円未満の場合は無税となった。プロ野球の入場料は甲子園球場の巨人戦のグリーンシート席でも1500円と高くなく、税法改正の恩恵を得そうだ。

今季のセ・リーグ全体では907万人を動員した。全球団が赤字のパ・リーグに対してセ・リーグ最低の動員数だった大洋(98万人)でも黒字で全6球団が黒字だった。セ6球団は言うに及ばず、パ6球団の営業担当者も来季の入場料に関して大幅な値上げは考えていないそうだが、球場の観客席や通路・トイレなど設備面を大リーグ並みに改善すると入場料の若干の値上げは有りうる。だとしても2000円程度に抑える事は出来そうでお客さんの足が遠のくことは避けられそう。選手の待遇改善のみならず、ファンサービスの充実など経営者側が行うべき事は数多い。その意味では経営者側の努力が足りないと指摘されても致し方ない。
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# 655 十大ニュース ➎

2020年09月30日 | 1976 年 



❾ また一番売れる金の卵に逃げられたプロ野球のメンツ
今年も多くの金の卵たちがプロをソデにした。高校球界人気 No,1 の原辰徳(東海大相模)をはじめ武藤一邦(秋田商)、津末英明(東海大相模)、黒田真二(崇徳)ら甲子園でお馴染みの面々。大学では森繁和(駒大)がロッテ入りを拒否して社会人へ進んだ。何故こうもプロ野球は嫌われるのか。これら拒否組の理由は大きく分けて二つある。一つはプロへ行くのは大学を卒業してからでも遅くないと考える進学希望。二つ目はプロよりも将来の保証のある社会人を選んだ方が得だという考え方である。今年に限っては原選手の親子関係による進路があったが、これも進学希望派に入れてよいだろう。

進学希望者が増えた理由は好きな球団に行けないのなら大学へ進学する方がまし、というドラフト制度に対する不満がある。原親子の場合は記者会見までしてプロ拒否を表明した。「巨人が希望球団です。でも巨人以外だったら進学すると言えば他球団に申し訳ないし、ただ進学すると言っても信用してもらえないので記者会見をして退路を断った(原選手)」という心境だったそうだ。黒田投手の場合も同じだ。巨人・阪神・広島以外ならプロ入りしないと表明したのは、進路は自分に決めさせて欲しいという選手側の心の叫びだ。ドラフト制度はそもそもは契約金の高騰を防ぐ目的の為に考えられたもので、戦力の均衡化は後付けだ。つまり球団経営者側の論理で選手側の意思が反映された制度ではない。

最初から選手の意思は黙殺され球団側にとってのみ有利な制度なのだ。そこで2年前から選手の自由を制限する代償として契約金の上限が撤廃された。今年のドラフト会議でヤクルトが1位指名した酒井投手が粘りに粘って手取り3千万円(税込み3千8百万円)を手にして騒がれたが、もしもドラフト制度がなく自由獲得状態だったら低く見積もっても7~8千万円で争奪戦になっていただろう。自由に好きな球団も選べず契約金も3千万円止まりとなったら、現代っ子が「大学で4年間野球をやってからプロへ行くか、社会人で堅実な人生を送るかを決めても遅くない」と考えるのは至極まっとうな話だ。

山口投手(阪急)のように大学へ進学し社会人野球で2年間プレーしてから " 最後の勝負の舞台 " としてプロ入りするのが最も利口な生き方ではないのか。甲子園を踏み台に早慶戦、都市対抗、そして日本シリーズの舞台でプレーすることが野球人として最高のエリートコースと言える。もし社会人野球で挫折しても会社員として一生が保証されるのであれば高校からプロへ行くのではなく大学へ進学するのが賢明なのではと思うのも当然か。こうした選手を若者らしくない、と大人が批判するのは間違っている。何故ならそうした考えこそ今の大人が作った現代社会の典型的な若者像であるからだ。



❿ 泡と消えた張本の暴力事件
殴ったのか、殴られたのか。いわゆる " 広島事件 " は開幕間もない頃に起こった。一般紙の社会面に大きく報じられたこの事件は書類送検まで発展したが不起訴処分でピリオドが打たれたものの、何やらスッキリしないまま終幕を迎えた。4月16日にそれは起きた。巨人は甲子園での阪神戦で連敗を喫し、開幕して5勝4敗で広島入りした。試合は佐伯と新浦の先発で始まり巨人が先制したがすぐに広島に逆転を許した。8回裏に広島が追加点し2点差としたが9回表に巨人が1点を入れて1点差。尚も二塁に走者を置き代打の山本功が中前にポテンヒット。二塁走者の土井が猛然と本塁に突入するも山本浩からの好返球で本塁憤死、ゲームセットで広島が勝利した。

しかし三塁側ベンチから長嶋監督が飛び出し柏木主審に詰め寄り猛抗議。すると興奮したファンがグラウンドへ乱入し、巨人ベンチ前のウェイティングサークルに置いてあった素振り用の鉄棒を手にすると抗議している長嶋監督に向かって突進した。それを見た巨人のベンチ入り選手全員が飛び出しファンは取り押さえられた。すぐにそのファンは係員によってグラウンドから出されて混乱は収束した。結局、長嶋監督の抗議は認められず広島の勝利が確定し一件落着した筈だった。だが本当の混乱は試合後に起きた。巨人の選手らを乗せ広島市内の宿泊先へ向かうバスが球場通用口の脇で大勢のファンに取り囲まれていた。

長嶋監督らコーチ陣は既にバスに乗車していたが、多くの選手が球場内の通路で待機していた。痺れを切らした数名の選手がバスを取り囲むファンをかき分けてバスに乗り込もうとしたその時だった。ファンの1人の " 決死隊 " が張本に掴みかかった。張本と周りにいた選手がそのファンを取り押さえたが、その際に「バットで頭を殴られた(被害届を出した谷村仁臣さん)」為か頭部を切って出血した。これがきっかけとなりガードマンの制止を振り切って約1000人のファンが乱入して大混乱に陥った。棍棒でバスの車体を叩くファンをバスの窓から身を乗り出して応戦する選手。長嶋監督が「手を出しちゃいかん!」と叫んだがその声は飛び交う罵声で掻き消された。

谷村仁臣さん(39歳・食品販売業)は張本を名指しで刑事告訴し、広島県警広島西署が傷害事件として捜査を始めた。翌19日、広島3連戦を終えた張本が広島西署に出頭して任意の取り調べを受けたがバットで殴った事は全面的に否定した。だが広島県警・畑谷刑事部長は送検するつもりであると語った。被害者・目撃者・張本・末次・槌田らから事情聴取を行ない5月18日に書類送検の手続きを取り約1ヶ月に渡る捜査が終了した。ところが8月23日に証拠不十分で不起訴となった。これが事件(法的には事件ではない)の全貌だが、怪我をしたファン・張本個人に対する中傷・球場警備の不備の露呈など誰も得をせず幕を下ろした。


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# 654 十大ニュース ➍

2020年09月23日 | 1976 年 



❼ アッと驚くセ・パ首位打者戦線の怪
ノーマークと言ったら失礼かもしれないが、張本(巨人)を最終戦で抜き去った谷沢(中日)。片やパ・リーグでは全くのダークホースだった吉岡(太平洋クラブ)と両リーグ共に首位打者は大穴が制した。「もし張本さんが僕と同じくらい残り試合があってギリギリまで競っていたら、たぶんタイトルは獲れなかったでしょうね」と谷沢は笑うのだが、それはペナントレースが終了してかなり時間が経過した後になって気楽に笑っているが当時のプレッシャーは相当のものだった筈だ。10月19日の広島との今季最終戦で4打数3安打の固め打ちをして首位打者のタイトルを奪取した。

試合後、昨季の首位打者・山本浩(広島)は「立派なもんだ。とにかくおめでとう。大変なプレッシャーの中でタイトルを掴むとは完全に脱帽です」と褒めた。3本目の安打を打たれた高橋里投手は「僕が絶対の自信を持って投げたフォークボールを完璧に打たれた。谷沢さんが一枚上手だった」と完敗を認めた。広島の選手達がケチの付けようがないくらい、この日の谷沢の当たりは完璧だった。だから敵味方を問わず「よくやった!」という爽やかなムードが漂った。タイトル狙いで四球合戦が当たり前の昨今では久々に清々しい試合だった。

パ・リーグのバットマンレースを制した吉岡選手はもうじきプロ10年目を迎える27歳。そろそろ中堅クラスの選手だが無名と言って差し支えない。「普通の場合だとまぁコイツはひょっとしたら…なんて予感があるもの。去年の白選手は移籍直後で精神力が充実してる上に前期で既に3割を優に越える成績だったので首位打者のタイトルを獲得しても不思議じゃなかった。ところが吉岡の場合は前期は一軍と二軍を行ったり来たりで活躍を期待する方がどうかしている。それが後期も終わり近くなると、あれよあれよで首位打者になるなんて思いもしなかったよ」と鬼頭監督は自分で起用しておいて呆れ返っているのだから外部の人間が驚くのも無理はない。

青木渉外担当重役がロッテのスカウト部長だった時に吉岡をロッテに入団させたのだが、選手を見る目に定評がある青木も「上手くいって2割6~7分のバッター。でも足が速いので取り敢えず獲った」程度だった。一昨年のオフにベテランの菊川選手との交換トレードを申し込んだ時も、ロッテ側があっさりOKしたので「ひょっとしたらプロの力量が無いと見限られた選手なのか」と思ったくらいだった。そんな吉岡が今年レギュラーとして試合に出られた要因は開幕から続いたの基選手の不振だった。吉岡も打てなかったが基よりはマシと判断した鬼頭監督が仕方なく二軍から昇格させて二塁手として起用し続けるとヒットを量産するようになった。

活躍のきっかけは基の不振だったが後期になって復調した基を押しのけてレギュラーを死守したのだからその充実ぶりが群を抜いていたのも事実。しかし愉快なのはまだ門田選手(南海)らとの首位打者争いがたけなわだった頃、吉岡は「これで万が一、タイトルを獲れなかったとしても僕の給料からしたらよくやった、大健闘だと球団は褒めてくれるでしょうね」と言ったことがあった。それもそのはず、今季から一軍選手の最低年俸が240万円となったが、吉岡の稼ぎはその最低年俸に毛が生えた程度の260万円。プロ生活9年目とはいえ昨年までの実績は一軍では殆どない。それを考えると今季の大活躍はお見事だった。



❽ ドローチャーに振られるやライターに買われたライオンズ
ペナントレースは別として大きな話題を提供してくれたのは太平洋クラブ、否、現クラウンライターライオンズだろう。何しろ開幕前には世界的超一流監督のレオ・ドローチャー氏を監督に迎えるとアドバルーンを揚げて世間をアッと言わせた。結局は逃げられた挙句にシーズンが終わるや否やクラウンに身売りの憂き目に遭った。恐らくドローチャー監督が実現していたら今季十大ニュースのトップの座に輝いていたであろう。何しろドローチャーといえば大リーグでも屈指の名監督でカージナルス、ドジャース、ジャイアンツなどで辣腕を揮う一方で喧嘩っ早い " 魅せる " 監督でもあり日本でも大人気を得たであろう。

それが土壇場まで「きっと来る」と球団はPRに努めたが最後は病気で来日できず、マスコミは『ドローチャーがドロンした』と揶揄した。ドローチャー氏の為に球場内の監督部屋や住まいとなるホテルの最高級部屋を更にデラックスに改装するなど用意万端だっただけに、さすがの強気一辺倒の中村オーナーもガックリ。あのドローチャーが来るなら、と年間予約席を購入したファンは「ペテンにかけられた」と怒り、中村オーナーは平謝り。何しろこの決定が開幕直前の3月15日だったので球団内はてんやわんや状態となった。そもそもキャンプ・オープン戦は監督不在でアメリカから練習内容を記した手紙が送られて来たのみで日本のプロ野球史上前代未聞だった。

後を託された鬼頭ヘッドコーチが監督に就任し懸命に指揮を執ったが、チームの士気は上がらず大方の予想通り最下位に沈んだ。あれほど熱狂的だった平和台のファンもシラケた感じで盛り上がりも何もあったもんじゃない。吉岡の首位打者くらいしか話題はなく、このまま年を越すかと思われたが来季から球団名が変わるというビッグニュースが待っていた。すわ、身売りか!? とファンは大騒ぎとなったが実は業務提携先のスポンサーが太平洋クラブからクラウンライターへ変更によるもので本拠地も移動せず博多のファンも一安心。とにかく今年のライオンズはグラウンドの外で世間を騒がせた1年だった。


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# 653 十大ニュース ➌

2020年09月16日 | 1976 年 



❺ 江戸っ子・荒さんのあんまりアッサリしすぎたクビ
ヤクルトの荒川監督更迭はペナントレース序盤最大のニュースだった。突然の休養命令に荒川監督は「闘志は健在だぜ。だけど休めと言われたら仕方ねぇじゃねいか!」と江戸っ子らしく啖呵を切った。その時が訪れるまで荒川監督は何の疑念も抱いていなかった。5月13日の早朝に代々木の荒川監督宅に佐藤球団社長から「ホテルニューオータニで昼食でもどうか?」と電話があった。この申し出に荒川監督は「ハハ~ン、目下5連敗中の実情を聞きたいんだな」と軽い気持ちで快諾した。昼食後のコーヒーを飲みながら佐藤社長は実に言いにくそうに切り出した。「ねぇ監督、しばらく休んだらどうですか?」と。「休む?何故?」と荒川監督が問うと「いや、何となく疲れているようで見ているのが辛いんだよ」これが事実上の解雇宣告だった。

前日の5月12日まで確かにヤクルトは5連敗をしていた。しかし5連敗を喫する前は開幕からまだ1ヶ月足らずで通算10勝10敗4分けと監督が休養に追い込まれるような成績ではなかった。「荒川監督は休養する。今後は広岡ヘッドコーチが采配を振るい代行する」と佐藤社長はロッカーに集めた全選手を前にして発表した。お互いに顔を見合わせる選手たち。余りにも早い監督休養に戸惑いを隠せない。同じ頃、五体健全でピンピンしていた荒川『前』監督は記者たちを前に「オラァ、二度とユニフォームは着ないぜ。5連敗がなんだ!これから10連勝してやろうと思った矢先にこの仕打ちだよ。情けねぇわ」と。情けないのは自分か、それともフロント陣か?

監督休養の荒療治は確かにカンフル剤になるが長続きはせず一時的だ。広岡ヤクルトの初戦は代打・山下選手のサヨナラ打で連敗街道から脱出できたが、シーズンが終わってみたら荒川ヤクルト(3位・4位)を下回る5位だった。時が経つにつれ早すぎた休養劇に仕組まれた筋書きが鮮明になってくる。荒川更迭の決定を下したのは勿論オーナーであろう。ただその前後に系列スポーツ紙が連日に渡り荒川批判を展開した事に他紙のヤクルト担当記者たちはキナ臭さを感じていた。系列紙は5連敗を含む15敗を検証し、投手起用がもう少し上手ければ半分近くが勝てた試合だったと報じ、監督の打者を見る目は一流だが投手に関しては素人同然と切って捨てた。

「傷が大きくならないうちに…」と松園オーナーが決断した。広岡監督代行は6月に正式に監督に就任した。佐藤社長は「契約期間は3年」と発表した。佐藤社長が三顧の礼を尽くして招聘した広岡ヘッドコーチ。実は佐藤社長は最初から監督就任を広岡ヘッドに打診したが「コーチなら引き受けるが監督は断る(広岡)」と言われた為、監督のお鉢が回ってきたのが当時打撃コーチだった荒川前監督だったのだ。実際、荒川監督就任会見の席で佐藤社長は「私は今でも監督には広岡君になってもらいたいが、本人が頑なに断るので…」と言い放った。最初から荒川監督は一種のピエロだった。こうした点と点を結びつけると初めから江戸っ子監督の儚い運命は決まっていたようだ。



❻ 知恵の三原と大沢親分が組んだチビッ子大作戦
観客動員は実に70%増の88万人でパ・リーグ No,1の動員を果たした日ハムのアイデアは殊勲賞もの。日ハムフロント陣はこの結果に自信をつけ、来季は更なる強い方針で臨む。球団事務所の壁には来季の目標が飾られている。❶ 少年ファイターズ会員3万人、❷ 観客動員 120万人、❸ シニアファイターズ会員 1000人、この3大目標達成に向けて既にスタートは切られている。会員募集のダイレクトメールの郵送料金だけで100万円を超えたが、入会申し込みが殺到して担当者はテンテコ舞いで嬉しい悲鳴。刺繍マーク付きの帽子にデニム地のベスト、ファンブックなどの盛り沢山のプレゼントに加えて内野席無料招待券も手にできる。

「純真な子供の心を金で釣っている」「営業的にはマイナスではないか」「観客動員といってもタダ券をばら撒いているだけでは」などの声があるのも事実だが全て的外れである。「チビッ子ファンに的を絞るのは将来を考えての事。現在の野球ファンは圧倒的に巨人ファンです。その好みを一朝一夕に変えるのは難しい。でもまだ好きな球団が定まっていない子供達に良いイメージを持ってもらえれば変えられるかもしれない」と三原球団社長は言う。今季の無料入場者数は全体の15%だった。営業的に採算が取れるのが100万人だからその割合をベースに目標を120万人としたのだ。

「金を使っていると言われるが、使っているのは金ではなく頭です。大リーグではどの球団もプロモート(販売促進)に総経費の1割は計上している。ウチの場合もその程度で金をばら撒いているわけではない」と球団職員は言う。実際に収入が50%アップしているのだから球団の判断は間違っていない。球団では更なる企画を考えている。❶ 球場結婚式:総額は100万円以上かかるがスポンサーを付けて球団の負担は10万円ほど、❷ 開幕戦の始球式で使用する球をキャンプ地の鳴門から少年ファンの手で聖火方式で東京までリレー、❸ 暑い夏場は球場でおしぼりサービス、などなど検討中。

従来の勝てばファンは勝手に尾いて来る的な安易な発想から脱するには若い世代の柔軟な考えが必要になる。「だから今井部長を取締役に抜擢して、より斬新な思考を期待している」と三原社長は言う。こんなフロント陣の努力と同時に大沢監督以下の現場組の努力も大変なもの。「とにかくこちらの無理な注文にも快く協力してもらっている。そうした現場の協力なしでは成功しなかった」と今井取締役は大沢監督に感謝する。様々な催しもだが、サインを求められると快く応じてチビッ子ファンは大喜び。アイデアはこうして生かされ、ようやく日本のプロ野球界にも新しい球団経営方針が育ってきた。


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# 652 十大ニュース ➋

2020年09月09日 | 1976 年 



❸ プレーオフなし。阪急が強すぎたパ・リーグの悩み
「今年は2シーズン制への挑戦の年だった。ある意味では日本一よりも前後期制覇の方が意義があったかもしれない」と上田監督は言う。元々阪急は昭和48年から続いている2シーズン制が大嫌いなのである。それでいて昭和50年はプレーオフで近鉄を破り、今季はプレーオフなしで共に日本シリーズに駒を進め日本一になった。それでも上田監督は2シーズン制を嫌うのは「安定した力で1年間を根をつめて試合が出来ない。急場しのぎの陣容整備や鍛錬の仕方では選手寿命を縮めてしまう(上田)」からなのだ。今季は前期優勝を決めたが後期のスタートで躓いた。「そりゃ仕方ないよ。私がいくらハッパをかけても緊張感が切れてしまった選手の動きは鈍い(上田)」

2シーズン制を否定するのは上田監督だけではない。「2シーズン制は短期勝負。ウチには不向き(ロッテ・金田監督)」「2シーズン制は気苦労ばかりで残ったのは空虚な疲労だけ(南海・野村監督)」など現場はこの制度に反対するが来季も続く。「連盟の事務局で机に向かっている人には分からないのだろうね…」と上田監督は嘆く。2シーズン制で1年間のヤマ場を多くして観客動員を増やそうというのがパ・リーグとしての最大の狙い。2シーズン制以前の1試合平均の観客数は6千人前後だったが、2シーズン制を実施した昭和48年以降は9千人前後に増えたのは事実である。

ただし前後期それぞれ違った球団が優勝してこそ2シーズン制の面白みが増すわけだが「これからしばらくは阪急の天下が続きそう」と金田監督が言うように現在の阪急のチーム力は頭一つ抜けている。近鉄は昭和50年に後期優勝したがプレーオフで阪急に敗れた。「阪急はプレーオフの短期決戦の戦い方も熟知している。日本シリーズに進むのは至難の業」と近鉄・西本監督。過去11年に渡り阪急を率いて阪急を強くした張本人が言うのだから信憑性は高い。

前期を制するカギはスタートダッシュである。開幕から勢い良く飛び出してしまえば他球団は後期に備えて無理はしない。それだけに各球団のエースたちは中3日、もしくは連投といった無理を強いられるケースもしばしば。阪急・山口、ロッテ・村田、南海・佐藤らは連日ベンチ入りし登板に備える日々が続く。こうした無理が選手寿命を縮めてしまう事を監督ら首脳陣は分かっている。分かってはいるがやらなければペナントレースに勝ち残れない。この現状をリーグ関係者はどうするのか。放置したまま選手が壊れれていくのを手をこまねいて見ているだけなのか・・



❹ 一番地味な男がやらかした派手すぎた天国と地獄
末次利夫。1シーズンでこれほど明と暗の両極端の主役を演じた男もそうはいない。先ずは天国・・6月18日の阪神戦、初めて対戦する江本投手に巨人打線は0対2に抑えられ9回裏を迎えた。このまま負ければ阪神に1.5ゲーム差に迫られ首位の座も危ぶまれた。先頭の淡口は左飛、柴田は四球で出塁したが高田が三ゴロに倒れて二死一塁。続く張本は左二塁打して二死二三塁となった所で吉田監督は江本に代えて山本和を投入した。山本は王を歩かせて二死満塁となった。打席には末次が入った。この日の末次は遊直・二ゴロ・三振と抑えられていたが「江本は初めての対戦で手こずった。投手が交代してもう好球必打しかないと何度も自分に言い聞かせた(末次)」と。

ボールカウント0-2からの3球目は満塁押し出しを嫌う山本が投じたハーフスピードの直球が来た。だが「外角寄りだったので長打になりにくい(末次)」と判断し見送った。この冷静さが快打を生んだ。カウント2-2からの5球目は末次の狙い通り内角に来た。一閃されたバットに弾かれた打球は左翼スタンド中段に飛び込んだ。逆転満塁サヨナラ本塁打。長嶋監督がナインの先頭を切ってベンチから飛び出しホームベースで待ち構える。場内は歓声と紙テープが乱れ飛んだ。「本当に興奮しました。どうやって四つのベースを回ったのか憶えてない。何が何だか分からない…」と普段はポーカーフェイスの末次も体を震わせ声も上ずっていた。

興奮のクライマックスは試合後の風呂場だった。王や張本らが「万歳、バンザイ!」と言いながら末次にお湯をかけ、裸の大人達が子供のようにハシャギ回った。だがその末次を地獄が待ち構えていた。9月7日、甲子園球場での阪神戦。巨人は8対6と2点リードで7回裏を迎えた。二死満塁の場面で打席には池辺選手が入った。池辺の打球は詰まり力なく右翼方向へのポップフライ。バックする二塁手・ジョンソン選手、センターの柴田選手と前進する末次の3人が落下地点に走り寄って来た。セオリー通り打球方向正面の末次が捕球態勢に入り打球はグローブに収まった…ように見えた次の瞬間、ポロリと白球がこぼれ落ちた。

満塁の走者が次々と生還し巨人は逆転負けした。" 世紀の落球 " と周囲は大騒ぎし、末次は奈落の底へと突き落とされた。宿舎に帰っても末次は部屋から一歩も外へ出ず朝を迎えた。翌朝になると宿舎や球団事務所に末次への激励の電話や電報が殺到した。『コンニチノキョジンガアルノハ、アナタノオカゲ。クヨクヨセズニガンバレ』というご婦人からの電報は沈んだ末次の気持ちを勇気づけた。「皆さんの優しい気持ちが一番嬉しかった。このお礼は必ずします(末次)」と気持ちを切り替えた。末次にとっては幸せポロポロと、涙々ポロポロの1年だった。


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# 651 十大ニュース ➊

2020年09月02日 | 1976 年 



今年も色んなことがありました。歓喜に叫んだり、腹を立てたり、眉をしかめたり、また苦笑いさせられたり・・時には考え込んだり。恒例の十大ニュースを編集部がちょっとひねってピックアップしてみました。

❶ 長嶋巨人、大逆転しながら日本一成らず
それは今年に限らずプロ野球の歴史の中でも奇跡的で壮絶な戦いだった。阪急が日本一に王手をかけた日本シリーズの第6戦。巨人が日本シリーズ史上初の7点差をひっくり返した逆転劇の幕は、すでに照明塔の影が伸び始めていた5回裏から上がった。得点は0対7と阪急に大量得点を許し敗色濃厚で阪急の2年連続日本一は時間の問題と誰もが思った。5回裏、先頭の淡口が四球、続く柴田が二塁打で無死二・三塁。しかしマウンドの山口は大量点をバックに慌てない。張本の内野ゴロと王の中前ポテンヒットで2点を失い5点差になったが「どうと言うことなかった」と上田監督の言葉通り試合は淡々と進むと思われた。

続く6回裏、高田が粘って四球で出塁すると山口に悪い癖が出始めた。続く吉田も四球。ここで淡口が3ラン本塁打を放ち2点差に詰め寄ると山口に代わってエースの山田がマウンドに送られたが球場内の雰囲気が徐々に変わり始めた。8回裏、淡口が安打で出塁すると、今シリーズ第4戦で4連敗を阻止する2ラン本塁打を放った柴田が再び起死回生の2ラン本塁打を放ち同点となると球場内は興奮のるつぼに。試合は同点のまま延長戦へ突入し10回裏、今シリーズ不振にあえいでいた張本が一塁線を破る二塁打を放つと王は敬遠。ここで打席は投手の小林だったが二塁内野安打で満塁とし、一打サヨナラの場面を迎えた。

打席には第5戦でようやくヒットが出た不振の高田。カウント1-1後の3球目を打つと打球はライト前に糸を引くようなクリーンヒットでサヨナラ勝ちした。これで3連敗から3連勝で対戦成績をタイに持ち込んだ。「これで勢いは完全に巨人。明日も勝って日本一だ!」と多くのファンは信じて疑わなかった。ところが第7戦はベテランの足立投手の巧みな投球を打ち崩せず、逆転日本一は成らなかった。今年の巨人はいつもこうだった。シーズン序盤は打線が奮起し連戦連勝。夏休み中にマジックが点灯するのか、とファンを喜ばせたが後半戦は一転して投手陣が踏ん張れず連敗を喫っしてファンをハラハラさせた。

リーグ優勝もすんなり決めるものと思っていたらモタモタしている間に阪神が息を吹き返して肉薄し、リーグ最終戦の広島戦でやっと決めるなど長嶋流ハラハラドキドキ野球の1年だった。その集大成とも言えるのが日本シリーズだったのだ。勢いに乗って勝つと思わせて負ける。まさに天国と地獄。「あの大逆転の第6戦をスタンドで見ていたんです。でも0対7になって阪急の胴上げは見たくないから試合途中で帰っちゃいました。ところが家に帰ってテレビを見たらサヨナラ勝ちでしょ、嬉しいやら悔しいやら。期待して第7戦をテレビ観戦したら今度は手も足も出ずに完敗。まったくねぇ…」とファンは残念がる。



❷ 王のホームラン700号 ~ 714号騒動の周辺
「見送ればボールになるシュートでした。あまりにアッサリ出たので…」10月11日の対阪神23回戦で山本和からベーブルースの記録を破る715号本塁打を放った王は冷静だった。しかしこの日までの周囲の大騒ぎといったら・・記念すべき一発が右翼ポールに直撃したのを確認した王は両手を広げ30㌢ほど飛び上がった。それが精一杯の喜びの表現だった。国松一塁コーチを経て王の元へ戻ったホームランボールは " 715号・王貞治、S51年10月11日 " と書かれ野球博物館へ寄贈された。しかし寧ろこの記念すべき715号より、その前の700号騒動の方が遥かに凄まじかった。

700号を巡る狂騒曲は7月3日、ナゴヤ球場での中日戦で鈴木孝から逆転の32号、すなわち699号アーチをかけた時から始まった。それは王がかつてないプレッシャーとの戦いでもあった。 " あと1本 " にマスコミをはじめ日本中が騒ぎ出した。試合のたびに右翼観覧席にジッと座り続ける記者やバックスクリーン後方にはバズーカ砲のような超望遠レンズを付けたカメラがズラリと並んだ。だが翌4日の試合は敬遠作戦にあって5打席4四球。名古屋から札幌へ舞台が移った対広島3連戦でも王のバットから快音は聞かれなかった。「700号は通過点。いつかは出ますよ」と言う王もやはり人の子。日ごとに口数は減り報道陣の前にあまり姿を見せなくなった。

打てない焦りから打撃フォームを崩した。悩み考え苦しみ、自律神経をやられ背中と腹の筋肉が硬直した王が突然嘔吐したのもこの北海道遠征だった。北海道から帰京し迎えた対阪神3連戦は全て雨で中止となり、700号狂騒曲は鹿児島と熊本に舞台を移した。しかしこの九州遠征でも一発は出ず、オールスター戦を挟んで後半戦に持ち越された。王が悩んだのは自分のバットが湿るのと同時にチームの調子が下り坂となり、オールスター戦を前に阪神に首位の座を奪われてしまった事だ。「いくらホームランを打とうがチームが勝たなくてはしょうがない。記録よりも勝って優勝したい(王)」と苦悩の日々は続いた。

オールスター戦が終わり一息ついた王は多摩川で約1時間・180球の特打ちをして気分転換をした。それが功を奏したのか翌日の川崎球場での大洋戦の5打席目に待望の700号を鵜沢投手から放った。数々の記録を打ち立てた王が苦しんで3週間もかかってようやく樹立した大記録だった。午前3時過ぎ、テレビ局の取材から解放された王は自宅に帰って来ると「長い間ありがとう。今後も忙しくなるけど宜しく頼む」と恭子夫人と2人だけで祝杯をあげた。700号の大騒ぎは一段落ついたが、次はベーブルースの714号更新が待っていた。記録更新への道は途中に腰痛という予想外のアクシデントに襲われてペースが乱された。

713号、タイ記録の714号が出た10月10日の後楽園球場の一塁側ベンチ後方のボックスシートにいる筈の母親・富美さんの姿はなかった。実は朝一番の新幹線で京都の伏見稲荷へ願掛けに行っていたのだ。数ある神様の中で " 戦いの神 " といわれる熊鷹神社に息子の大記録成就を祈ってきた。富美さんがトンボ返りで東京に戻り自宅のテレビのスイッチを入れると間もなく714号が飛び出した。更に翌日、ジッと両手を胸の前で合わせて祈りながら見つめる両親の前で、あの715号が右翼ポールを直撃したのだ。今回の大騒動は恐らく来季に訪れるであろうハンクアーロンの持つ755号の記録を破る狂騒曲のプレリュードに過ぎない。


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# 650 サッシーのお値段

2020年08月26日 | 1976 年 



去る12月8日、長崎市内の東急ホテルでは時ならぬ地元名士が顔を揃えて『酒井圭一君ヤクルト入り』の大パーティーが開かれた。久保長崎県知事、諸谷長崎市長、長崎市助役、その他長崎財界の大物が顔を揃えた。はるばる東京から駆けつけたマスコミを含めて報道陣はざっと50人、テレビカメラ4台、地元ニュースカメラ6台。ヤクルト・松園オーナーのお膝元とあって長崎では前代未聞の大パーティーだった。そのきらびやかな席で当の酒井は大きな体を小さくして蚊の鳴くような声でインタビューに応じていた。また入団交渉の席で担当スカウトらに「是非とも松園オーナーにお会いしてお願いしたいことがある」と直訴していた父親・酒井義員さんは、お願いを口にするどころか感極まって泣き出してしまった。

一方の松園オーナーは得意満面で酒井親子に対して「契約金は退職金と思わずお父さんが自由に使いなさい。圭一くんにはマウンドで自分の右腕で稼ぐという気持ちを持ってもらいたい」と声をかけられた義員さんは更に大泣きしてしまった。祝福される酒井家側より松園オーナーの方が目立つこととなった。そんな酒井親子を見つめる松園オーナーは意外と苦労した入団交渉を思い出したのか感慨深げだった。相思相愛で交渉はすんなり運ぶものと思われていた。交渉初日こそ挨拶程度で済まし、翌日には条件提示、翌々日には仮契約というのがヤクルト側の算段だった。ところが、豈図らんや契約完了まで実に16日間を要した。

しかも提示した条件が当初の契約金2000万円・年俸240万円から徐々にアップして最終的には契約金は手取り3000万円にまでなった。一時は手取り2800万円で合意しかけたが酒井家側が一夜にして拒否。ヤクルト側が3000万円を了承すると今度は引退後の身分保障を求めてきた。その時は『悪いようにはしない』という口約束でケリをつけたが、交渉は終始酒井家側のペースで行われた。「松園オーナーの『圭一くんの右腕で稼げ』という発言にはその時の皮肉が込められているんじゃないですかね(ヤクルト担当記者)」と。12月11日に外遊を控えた松園オーナーの為に何としても年内に入団発表をしたいヤクルト側の思惑を見事に突いた酒井家側の完勝だった。

手取り3000万円は税込みだと3740万円になる。税金は最初の100万円に対しては10%、次の100万円には20%と段階を踏んで徴収されて計740万円となる。これだけの金額をヤクルト側に負担してもらうことに成功した酒井家だが、実は税金はこれだけではないのだ。契約金を手にするとヤクルト側が負担する740万円の他に来年の3月迄に確定申告をして所得税を納めなくてはならない。今回は3000万円の収入に対し所得税約1200万円が発生するが、源泉徴収で納める740万円を差し引いた460万円を酒井家は納めなければならない。更にほぼ同額の地方税460万円もあり酒井家が3000万円を丸々手に出来るわけではないのである。

華々しいプロ生活をスタートした酒井だが厳しいプロの洗礼が待ち受けている。最近の高卒ドラフト1位選手たちはあまり活躍できていない。数少ない頭角を現した選手は昭和47年の鈴木孝投手(中日)と昭和48年にプロ入りし3年かかって新人王になった藤田投手(南海)くらいで、昭和49年の土屋投手(中日)・定岡投手(巨人)・永川投手(ヤクルト)らはまだまだ期待に応えていない。センバツ大会で優勝した仲根投手(近鉄)は全くの鳴かず飛ばず状態だ。今回の大騒動は酒井本人のあずかり知らぬ事態だが、周りの大人たちの言動に振り回される若者が気の毒なのは間違いない。


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# 649 週間リポート ④

2020年08月19日 | 1976 年 



ヤクルトスワローズ:ハッハ張本か若松か?
" 一日天下 " ではあったが若松選手が張本選手を抜いて打率トップに躍り出た。今シーズン最後の対巨人4連戦初戦の第3打席で右前打して、無安打に終わった張本を1厘上回ったのだ。「最後に笑えれば最高だけど、こういう競い合いではとにかくトップになっておくことが重要なんだ」と若松は取り囲む報道陣を前に笑顔を見せた。本格的な打率争いが始まって4ヶ月、ホプキンス選手や王選手らが次々と脱落する中で、7月からトップの座を2ヶ月以上守ってきた張本を引きずり落しただけにこの日の若松は饒舌だった。

もっとも翌日の試合で2安打した張本に対して若松は1安打に終わり再び1厘差の2位に落ちてしまった。厘どころか毛の争いとなるとグラウンドでの戦いだけでなく、心理戦・舌戦の舞台裏の戦いも熾烈になる。「若松?なかなかやるねぇ。でもだいぶプレッシャーを感じているみたいだな。それは俺も同じ。打率1位は若松、首位打者は俺」と凡人には理解不能な話をする張本。対する若松も「ハリさん?とにかくヒットを打つのが上手い。でもハリさんにはない若さが僕にはある」と負けていない。

直接対決で1試合毎に1厘ずつトップ張本と2位若松の差が広がり5厘3毛差となったが若松はまだ諦めていない。2安打、3安打と固め打ちする張本に対して若松は4タコ(4打数無安打)となる寸前の最終打席で安打を放って何とか踏みとどまってきた。今までの若松なら4タコで終わるところを最後に安打するあたりはストップ・ザ・張本に並々ならぬ執念を感じる。いずれにせよ昭和29年の与那嶺選手(打率.361)、同36年の長嶋選手(.353)、同48年の王選手(.355) 以来の3割5分を超える高打率で決着しそうな首位打者争いである。


大洋ホエールズ: " 大洋ホエールズ " が消える?
巨人と首位争いを繰り広げる阪神を迎えての3連戦。1勝1敗の後の3戦目は先発の根本投手が打たれて3回表終了時点で5点のビハインドとなった。ところが5回裏に高木、中塚選手の長短打で2点を返すと6回裏には先発の上田投手から代わった安仁屋投手を攻めて松原選手が3試合連続の33号ソロで2点差まで詰め寄り、7回裏に高木選手の6号ソロ、8回裏に米田選手の3号ソロとシピン選手の30号ソロで勝ち越して阪神に逆転勝ちし3連戦を勝ち越した。

阪神だけに勝っては片手落ちだと言わんばかりに「来週の巨人戦も一泡吹かせてやろうぜ」と気勢を上げ、練習にも熱が入った巨人戦2日前に一部スポーツ紙に『大洋が身売り』と派手な見出しが躍った。「エッ、本当かよ。冗談じゃないよ、嫌なこと言うなぁ」と選手たちは練習どころではなくなった。「やっぱりチームが弱いといかんなぁ。好き勝手なことを書かれる。それにしても今回の記事は酷い。身売りとなるとホエールズだけでなく親会社の大洋漁業本社のイメージダウンにもなる。道義的にも許せない記事だ」と秋山監督もカンカン。

事の重大性を鑑みて看過できないと判断した横田球団社長は練習前に選手を集めてシーズン中としては異例となる訓示をした。「10年、15年先のことは分からないが今現在、報道された話は絶対にないので心配しないように」と球団の経営内容まで詳しく説明して選手らの動揺を抑えた。それにしても今回のような騒動は15年ぶりに最下位になったことも影響しているのかもしれない。「やっぱり勝負事は勝たなくてはダメ。チームが最下位になんかなるから、有る事、無い事好き勝手に書かれる」と某ベテラン選手が言った言葉が今シーズンの大洋の悲哀をしみじみと感じさせた。


読売ジャイアンツ:コージ! コージ! コージ!
8月24日のミーティングで黒江コーチが「ワンちゃんが試合に出られない。今こそ全員一丸となって頑張ろう」と発言し巨人ナインに緊張が走った。「昨日の練習中に土井と駆けっこになって、負けないぞとダッシュをしたら腰がキーンと痛くなった。情けないやら恥ずかしいやら(王)」と反省しきり。この王の欠場に目の色を変えたのが若手選手たち。「代わりに俺が指名されると思った(柳田)」「俺も一塁なら守れる(原田)」「本職は外野だけど俺が(淡口)」など代役を志願する選手が多い中で指名されたのがルーキーの山本功選手。

王に代わって一塁手としてプロ入り初めてスタメン出場すると打つわ打つわの3安打の猛打賞。全得点に絡む大活躍だった。ところがである、この活躍にベンチの反応は「おいコージ、ヒットくらいで喜ぶな。王さんの代役なんだから一発を打たなアカンぞ」と巨人ナインから手厳しい祝福が。これには山本も「そんなにプレッシャーをかけないで下さいよ。ヒットを打っても1本じゃダメ、全打席ヒットでも王さんの代わりは務まりませんよ」と大きな身体を小さくして反論する姿にベンチは大爆笑。王欠場の沈滞ムードは一掃された。

そんな山本功と同期入団のドラフト1位指名の篠塚選手も二軍戦ではあるが頭角を現し始めてきている。8月18日の対日ハム戦(千葉)で二番で先発出場するや第1打席でいきなり川原投手から右翼席へプロ入り第1号本塁打を放った。「打った瞬間、手ごたえは十分でダイヤモンドを回りながら " やったぞ " と心の中で叫びました(篠塚)」と嬉しさを隠し切れない様子。21日の試合でも宇田投手から第2号を放つ大当たり。関根二軍監督は「今年1年は体力作りに専念させようと考えていたが、やはりバットコントロールなど野球センスは抜群で試合で使いたくなる」と絶賛する。山本功に負けず一軍デビューは意外と近いかもしれない。
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# 648 週間リポート ③

2020年08月12日 | 1976 年 



広島東洋カープ:ドクター・ホプキンス帰る
公式戦がまだ残っているのにホプキンス選手が日本を離れアメリカに帰国した。怪我の治療をしにとか身内に不幸があったとかではない。入学が決まっているシカゴのラッシュ大学医学部の授業に1ヶ月遅れで出席する為だ。まだシーズン中なのに、と感じるファンも多いだろうが球団との契約条項に「優勝の可能性が低くなった場合はシーズン途中でも帰国できる」と記されてあり仕方ない。「残念ではあるが本人の勉強のことを考えるとやむを得ない」と重松球団代表も容認している帰国だ。

ホプキンスは来年の1月と5月にインターンの試験を受けるので仮に広島に復帰するとしても来年の6月以降となる。ただし復帰しても野球を続けるのは来年までと決めている。ホプキンス本人の野球への情熱は大変なもので「6月からプレーしてもカープの優勝に貢献できる自信がある。カープもカープファンも大好きなので再びカープのユニフォームを着てプレーしたい」とチーム復帰に意欲を見せる一方で「カープがダメなら他球団でプレーしても構わない。カープも好きだが日本が大好きなんだ」と。

昨シーズン悲願の初優勝を遂げた広島カープ。その陰のMVPと言われたのがホプキンス。今シーズンも10月4日現在、打率.332 で打撃10傑の4位とチームには欠かせない戦力で戦列復帰は願ってもないことだが、どうも引っかかるのが復帰が6月以降になること。「ウチでプレーするかどうかはシーズン終了後に来季のチーム構想を検討する時点で決める」と重松球団代表は慎重だ。さてさて結果はどうなるか注目である。そのチーム構想に影響しそうなのがルーキーの北別府投手。一足先に一軍入りを果たした同期入団の小林投手を追い越し、今では先発ローテーションに食い込んでいる。

14回 1/3 イニングで被安打12、失点8と数字は今一つだが長身から投げ下ろす速球は威力充分で早くも " 外木場二世 " の評判しきり。カープでは3文字姓の投手は大成すると言われている。安仁屋、外木場しかり、かつて小さな大投手と言われた長谷川良平氏も3文字。首脳陣の期待も大きく既にアメリカの教育リーグに派遣されることが決まっている。「もっと場数を踏ませたいが30イニング以上投げると新人王の資格を失ってしまう。悩みどころだね」と古葉監督も苦悩している。


中日ドラゴンズ:ウワサはバットで吹っ飛ばせ
「トレードに出されようがもう何でもいいんだ。どうにでもなれだ」という井上選手は終盤戦の大詰めになって気持ちが吹っ切れたようだ。最近はひところのような切羽詰まった表情は見受けられない。気持ちがスッキリすると不思議なもので、あれほど迷いに迷って狂いっ放しだった打棒が生気を取り戻してきたのである。9月下旬の対巨人24回戦で久しぶりに試合を決める一発を放ったと思えば、続く対ヤクルト22回戦では9回表に勝ち越し3ランを安田投手から奪った。

走者を2人置いて代打に起用されボールカウントは0-3。「こんな場面なら絶対ストレートを投げてくる。少々ボール気味でも思いっきり振ってやろうと思った(井上)」打席でこれだけ余裕が出たのは久しぶりだった。井上の3ランで勝利した与那嶺監督は口では「よくやったょ」と褒めたが内心は複雑な思いだったに違いない。というのも今回のトレード話は与那嶺監督が主導していたものだったからだ。「井上は貴重な戦力だ。来シーズンは復調して活躍してくれる筈だ。トレードなんてとんでもない」と一部球団フロントはそれ見たことか、と言わんばかりに与那嶺監督を非難した。井上にとって価値ある一発だった。


阪神タイガース:暑く長~いロードは終わった
阪神にとって今年の夏はことのほか厳しかった。長期ロードに出た23日間の戦績は6勝10敗2分けでロード前は2ゲームだった首位巨人との差も6ゲームに広がり、終わってみれば文字通り死のロードだった。阪神ナインは24日、静岡から新幹線に乗り帰阪し久々に我が家へと戻った。「いろいろとアクシデントもあってキツかったですな今年のロードは。せめて5割で乗り切りたかったけど残念です。やっと甲子園に戻って腰を据えて戦えるので仕切り直しですわ」と吉田監督は前向きだ。

確かに今年のロード期間中はアクシデントが多かった。打線の中心であるラインバック選手が右手親指の故障で欠場し、もう一人の助っ人・ブリーデン選手は妻の父親が急死し帰国を余儀なくされた。2人が抜けた打線を補う救世主も現れず攻撃陣はガタガタに。ところが甲子園に戻った25日の広島戦は水を得た魚のように打ちまくったのだから、いかに厳しいロード生活だったかが分かる。前日に戻って来たブリーデンは「チームが大事な時に帰国して申し訳なかった。この借りは返す」と即スタメンに復帰しタイムリーヒット。ラインバックも代打で登場しタイムリーを放つなど巨人を猛追する為の役者は揃った。

ダメダメな打撃陣の中で孤軍奮闘したのが21歳の若武者・掛布選手だ。ロード期間中は64打数24安打・打率.375 と打ちまくった。ロード最終戦の対大洋20回戦ではチーム全得点を1人で叩き出した。前日に受けた死球も問題なしのまさに " 群鶏一鶴 " の大活躍だった。掛布は大洋戦前の札幌からの移動日に習志野市にある実家を訪ねた。掛布は両手いっぱいの北海道みやげの他にバットを持参した。実家の庭にある素振り場でスイングの練習をする為に。こうした努力が成長の支えとなっている。「他の連中は情けないが掛布はアッパレや。普段から野球に対する取り組む姿勢が違う」と山内コーチもベタ褒めだ。
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# 647 週間リポート ②

2020年08月05日 | 1976 年 



近鉄バファローズ:目的はプレーオフ観戦だが
来季の戦力アップを目指す近鉄が現役大リーガーの獲得に動き出している。中島スカウト部長は10月4日夕刻、羽田発の日航機で渡米した。表向きは9日から始まる大リーグのプレーオフの観戦・視察となっているが、実際は新外人を探すのが目的とされている。現在はジョーンズ選手とロリッチ選手ともに残留させる方針だが正式には決定していない。中島部長が現地で目星をつけた選手と交渉して獲得の目途がつけばドラフト会議後の11月下旬に再渡米して正式契約をする算段だ。そうなった場合、本塁打王のジョーンズは残留、ロリッチは解雇となる見込みである。

監督契約を延長した西本監督の受諾条件に❶右の強打の外野手 ❷内野の要となる野手 ❸投手陣の強化 が含まれていた。補強の中心はドラフトやトレードだが、不発に終わった場合は外人に頼らざるを得ない。もともと得点力が不足しているうえに小川、伊勢らベテラン選手の衰えが見え始めて特に後期は苦戦を強いられた。そこでジョーンズと並ぶ大砲がなんとしても求められる。しかし昨今の現役大リーガー獲得は以前より厳しくなっている。というのも大リーグは来年から2球団増える為に選手の争奪戦が勃発している。日本で活躍している各球団の外人選手にさえ触手を伸ばしているのだ。

だが山崎球団代表は大リーガー獲得を認めない。「中島スカウトの渡米は前回(6月にも渡米している)のお礼やプレーオフ見学が目的です。外人選手と交渉する予定はありませんし、ジョーンズ選手とロリッチ選手は残留の線で交渉中です。仮に新たな外人を獲得するとしてもウインターミーティング後でしょう」と言うが、この時期に渡米する理由は新外人獲得以外あり得ない。山崎球団代表が本音を明かさないのは前回の渡米で情報が洩れて交渉が上手くいかなったことが原因と思われ、再び獲得に失敗したら責任問題に発展する可能性が高いからだ。球団フロント幹部の一人は「阪神のラインバックやブリーデンみたいな選手が見つかるといいな」とオフレコを条件に話したという。


日本ハムファイターズ:俺の相手じゃ軽すぎたぜ!
大沢親分がまた退場処分された。24日、川崎球場での対ロッテ戦の1回裏のロッテの攻撃中、日ハム先発の新美投手が投じた球の判定を不服として中村球審に抗議をしている際に右手で小突いて中村球審を転倒させてしまい退場となった。大沢監督の退場処分は6月17日の阪急戦(後楽園)に続き二度目。この時は竹村投手のビーンボールまがいの投球に激怒し竹村の頭をポカリと殴り、罰金と7日間の出場停止処分を受けた。1シーズンに監督が二度の退場処分を受けるのは昭和28年の藤本定義監督(大映)以来、23年ぶりの出来事だった。

今回の退場劇の発端は単純そのもの。新美投手がロッテのラフィーバー選手に投じた球をボールと判定されたこと。だが伏線はあった。初回、日ハムの攻撃で一死三塁でウイリアムス選手の時に高目の球をストライクと判定されウイリアムスは不満顔。三塁コーチスボックスにいた大沢監督は何も行動しなかったが、ウイリアムスが打ったサードゴロで飛び出した三塁走者はタッチアウト。更に打者走者のウイリアムスも微妙なタイミングだったがアウトでダブルプレーとなり攻撃終了。大沢監督の抗議は5分間に及んだが判定は変わらずイライラが溜まっていた。「試合開始早々、三度も微妙な判定でしかも全てウチに不利。やってられんよ(大沢監督)」

「手を出した行為は反省するが倒すつもりはなかった。ちょっと押したつもりだったけど、あの人(中村球審)が軽すぎて吹っ飛んじゃったんだ」と弁解するが二度目だけに周囲の声も厳しさを増している。 " 親分 " と呼ばれるくらい血の気が多いのだろうが、面白いのは親分のピンチに選手はあまり奮起せずこの試合を落としてしまった。これには大沢監督も計算外だったようで「三度目は無いよ」と反省しきり。余談になるが大沢監督不在の間は鈴木コーチが監督代行を務め、6月の出場停止期間中を含めて2勝1敗1分けと重責を果たした。


太平洋クラブライオンズ:一振りで決まった首位打者
過保護とか甘やかし過ぎとか周囲からいろいろ言われながらも「首位打者のタイトルをヨシ(吉岡)に獲らせたい」と鬼頭監督は自分自身が首位打者争いの渦中にいるかのような張り切りぶりだ。昨季は同じくライオンズの白選手が江藤前監督の温情?で首位打者をゲットしているが、同じ温情でも白の場合が規定打席数ギリギリの403打席に達した時点で出場しなくなった末に掴んだタイトルだったのに対して吉岡選手は既に20打席も上回っているのだから堂々と胸を張っていい。

それにしても厳しく長い戦いであった。つい10月の初旬までは打率3割を境に3人の選手が僅か1厘2毛差でひしめき合う大激戦だった。なんとか終わりが見え始めたのが前節の近鉄戦2試合を欠場した後の対南海11回戦(平和台)に先発出場した吉岡が2打数1安打で競争相手の門田選手・藤原選手(ともに南海)に水を開けてトップに躍り出た。この試合は既に阪急が前・後期完全優勝を決めた後のいわば消化試合だったが、首位打者争いを見にデーゲームにも拘らず四千五百人もの観衆が詰めかけた。

この試合で鬼頭監督は吉岡を通常の一番から九番に下げた。「相手(門田・藤原)の打席の結果を確認してから打てるから(鬼頭監督)」だそうだが奇策は見事に功を奏した。どうせ吉岡は近鉄戦に続いて出場しないと考えていた門田は動揺したのか一死一・三塁の場面で古賀投手の内角球に中途半端なスイングで併殺打。二打席目も一死満塁の場面でフォークボールに手を出し空振り三振に倒れた。なんとも間の良いことに吉岡に最初の打席が回ってきたのが門田が二度凡退した直後で、気が楽になった吉岡はボールカウント2-2からの5球目を右翼線に二塁打を放った。

「一振りで決まっちゃったね」と試合後の吉岡はウィンクをしてご機嫌だったが、こんな当たりが出たのも鬼頭監督の奇策のお蔭であろう。吉岡は第二打席で右飛に倒れるとお役御免となりベンチに下がった。対する門田は何とか挽回しようとその後も打席に立ち続けたが結果は5打数無安打に終わり、吉岡との差はさらに広がった。門田はその後、大阪球場での試合で安打を放ち何とか首位打者のタイトル奪取を目指すが吉岡とは9厘差の3位、藤原が7厘差の2位だった。優勝や順位争いと関係がなくなったから出来た鬼頭監督の奇策だったが、来年はそんな奇策なしでもタイトルが獲れるよう吉岡には精進してほしい。
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# 646 週間リポート ①

2020年07月29日 | 1976 年 



阪急ブレーブス:果たして " レフト・長池 " は?
「四番・レフト・長池」と4日の日ハム戦(後楽園)で場内放送アナウンスされた。DH専門の長池選手が守備に就くということは当然、DH制のない日本シリーズを想定してのリハーサルだ。「外野はウイリアムス(右)、福本(中)、大熊(左)で万全だが、攻撃面を重視すると長池の打棒に託す場面がきっとある。その場合に備えて長池に守備の練習もさせておかないと」と上田監督。相手は巨人か阪神か今は未だ分からないが、仮に巨人なら舞台となる後楽園球場に慣れさすには絶好の日ハム戦。「後楽園の人工芝もシーズン当初よりもだいぶ摩耗している。球の切れ具合も変わってきたし改めて検証する必要がある」と久々の後楽園球場での試合に上田監督は注意を払う。

肝心の長池はというと、やはりモタついた。4回裏、ウイリアムス選手が放ったレフト線への打球のクッションボール処理を誤った。記録上は三塁打だが、実際は二塁打に失策が重なり三塁進塁を許してしまった。「やっぱりカンが鈍っているんやな。練習せな皆に迷惑をかけてしまう」と長池は反省しきり。首脳陣の不安が的中しただけに長池本人は意気消沈したが、上田監督は「悪い所がハッキリして良かった。今から修正すれば日本シリーズには十分間に合う」と安堵の表情を見せた。もし長池をベンチに置くとすれば四番打者抜きで戦わなくてはならず、日本シリーズまでに守備の不安を解消しなければならない。

その日本シリーズに向けて今もっとも忙しいのが八田スコアラーだ。ペナントレース中は先乗りスコアラーとしてパ・リーグの5球団の情報収集に全力を注ぐ八田スコアラーの次なる仕事はセ・リーグ覇者の分析だ。9月30日、西京極球場で後期優勝を果たし上田監督が宙に舞った前後から活動を開始し、今日は後楽園球場、明日は甲子園球場と八面六臂の忙しさで巨人と阪神の戦力分析に余念がない。「八っちゃんの情報は正確無比。リーグでもナンバーワンの分析力」と上田監督も全幅の信頼を寄せている。「2年連続日本一達成の為に役に立てれば嬉しい(八田)」と今日も走り回っている。


南海ホークス:過去の実績が何になるんや
8月24日、西宮球場での対阪急6回戦で野村選手は足立投手から左前安打を放ち通算5000塁打を記録した。昭和31年にプロ初安打を打って以来、21年間という歳月をかけて築き上げた金字塔なのだが野村本人は「これも栄光というのかな…」と今一つ素直に喜べないように見えた。「プロ野球に栄光など存在しない。過去の実績が何になる(野村)」と記録達成に興奮や感激は皆無なのだ。最近の野村は記録に無関心になっている。これまでのプロ生活で記録した数々の栄光にもさして執着心を感じさせないのだ。

以前は違った。積み重ねられていく数字に自らの尻を叩かれ、目標達成のために意欲を燃やしたものだった。その結果として三冠王、600本塁打などの大記録を達成して、その都度新たな感激を味わってきた。「なるほどプロ野球選手にとって実績は財産みたいなものや。しかしその実績が何になるんや、過去の記録は単なる数字に過ぎないのではないか(野村)」と。そんな野村の気持ちに追い打ちをかけたのがモントリオール五輪から帰国し、引退を表明した水泳の田口選手を追いかけたテレビ番組だった。過去三度の五輪出場で金メダルも取った田口だけにその引退声明はさぞかし感激的なものかと思われたが「水泳をやめる虚しさだけが残った(田口)」と意外なものだった。

五輪といえば世界最高峰のスポーツの祭典である。そこで金メダルでも取ろうものなら日本中の英雄である。だが野村には引退した田口には英雄どころか社会人として第一歩から出直す苦しさしか感じられなかったという。「世界を相手に金メダルを取っても選手を引退した後の生活に何の影響もない。ましてやたかが日本国内のプロ野球記録に誰が注目するのか。一時の栄光でメシは喰えん。単なる自己満足だけで終わってしまうのではないか(野村)」とテレビ番組を見た野村は田口の姿に自分を置き換えて侘しさに襲われたという。こうした例は一般社会でも見受けられることだが、確かに日本のスポーツ界では過去の実績・栄光に支えられることは少ない。

ところが海の向こうの野球の本場である大リーグでは本塁打記録を塗り替えたハンク・アーロン氏は将来を保証されていると聞いている。また五輪でも諸外国、特に社会主義圏では金メダル1つで社会的地位が国家により保証されている。それぞれの国によってスポーツに対する理解の差があるとはいえ、選手の意欲を左右することは確かである。翻って日本のプロ野球界にはアメリカほどの歴史はなく、功労者への保証は手厚くないがこんなことで失望せずにノムさんにはこれからも頑張ってもらいたいものである。


ロッテオリオンズ:毒蝮!ワシの球を打ってみい
日本球界で前人未到の400勝をマークしたカネやんが「プロの投手の球でも打ってみせる!」と豪語するタレントや歌手などの有名人と対決するテレビ番組があった。これはTBSテレビが企画した『みんなで金田正一に挑戦』で、収録が去る25日に川崎球場で行われた。主審には「私がルールブックだ」でお馴染みの二出川延明氏が13年ぶりに務め、捕手はカネやんが国鉄時代にバッテリーを組んだ根来コーチで、カネやんにとって現役時代を彷彿させる布陣を敷いた。

対する有名人も錚々たる野球狂がズラリ。一番・山田太郎、二番・黒沢久雄、三番・勝呂誉、四番・毒蝮三太夫、五番・水島新司、六番・本郷直樹、七番・サンダー杉山、八番・青空球児好児、九番・野村真樹。そして解説者には水原茂と豪華メンバーが顔を揃えた。これらの挑戦者の中でカネやんが「ちょっと油断のならぬ相手だぞ」とマークしたのは熱狂的な巨人ファンの毒蝮三太夫と漫画家の水島新司の四番・五番コンビ。なにしろ毒蝮は高輪商時代は強打の三塁手として鳴らし甲子園を目指していた。その夢は予選で早実に敗れて達成できなかったが実力は折り紙付き。いざ勝負!・・結果は空振り三振でカネやんに軍配が上がった。

「あいつに打たれたら1年中、テレビ・ラジオで全国放送されるから絶対に抑えてやると気合が入った。三振が取れて良かった」と息つく暇もなく続く水島新司と対戦した。南海ファンの水島は草野球を今でも年間40試合以上するとあってカネやん自慢のカーブを見事に中前にクリーンヒット。これにはカネやんも「ワシのカーブをちゃんとミートできるとはたいしたもんや」と脱帽。南海球団からプレゼントされたホークスのユニフォーム姿で現れた水島は「これで格好がつきましたわ」とご機嫌だった。

一方のカネやんは元気いっぱいで口の方も負けていない。内角低目ギリギリの球をボールと判定されると二出川氏に噛みついた。「おいアンパイア、あれがボールに見えるようじゃ目が悪くなったんとちゃうか」と毒つくカネやんに二出川氏は「ピッチャーは余分な口をきくもんじゃないです。黙々と一所懸命に投げてこそ名投手ですよ」とまたもや鮮やかな名文句でカネやんをヒラリとかわした。これには解説の水原氏も「カネやんの負けや」と大笑い。このユーモラスな対決でカネやんは被安打3に抑え、とりあえずはプロの面目を守った。現役を引退して7年、43歳のカネやんは「ワンポイントならまだまだ現役で通用するでぇ」と終始ご満悦だった。
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# 645 悲運の名将

2020年07月22日 | 1976 年 



近鉄のニックネームは猛牛だ。かつて千葉茂監督の登場で千葉の異名がつけられたのだが、西本監督の鍛えっぷりも猛牛のような凄さで有名だった。高校野球のようにゲンコツを振り上げる西本監督に選手は痺れたものだが、そのゲンコツが最近みられなくなったという…

石垣に爪を立てても這い上がりたい
「いやぁぜんぜん変わっていませんよ。いつゲンコツが飛んでくるかヒヤヒヤしてます」「そう言われればゴツンと叩かれる回数は減ったかな」と近鉄ナインの意見は分かれる。8月27日の対太平洋戦、近鉄は4回までリードしていたが太田投手が5回に二度の暴投などで失点して3対5で敗れた。後期に入り対太平洋戦は6連勝していただけにこの敗戦は痛かった。太田は「すみませんでした」と小声で言ったきりベンチの片隅で小さくなっていた。この試合には太田の他に水谷、柳田、鈴木、福井と虫干しをするかのように矢継ぎ早に登板させた西本監督は相変わらず口をへの字にしていたものの、長い顎を撫でているだけで押し黙っていた。

「去年までとは明らかに違う。今年は終始落ち着いていて感情を表に出さなくなった。現在の戦力なら仕方ないと達観しての無表情か、ヤル気が失せているから無表情なのかは分からないがやはり近鉄が浮上するには西本監督の檄が必要」というのが近鉄担当記者の見方だ。今シーズンの前期は浮上できなかったが後期に入ると引き分けを挟んで5連勝と上々のスタートを切ったが長続きせずBクラスに転落したままだ。「要するにチーム全体の実力不足が原因。その一つに西本監督が情熱を失いかけているのが影響しているのではないか」と前述の担当記者は言う。「石垣に爪を立てて這い上がる」と西本監督は言うが選手たちの反応は今一つ鈍い。


育てる野球より勝つ野球が優先だ
それにしても西本監督の打線編成は苦労の連続だ。一番から五番まで左打者を並べて途中で左腕投手が出てくると右打者にガラリと変えるツープラトン打線だが、それが上手く機能していない。その代表が期待の若手・島本選手だ。キャンプからオープン戦にかけて珍しく西本監督が島本を褒めた。「コウヘイ(島本)ほど熱心な選手はいない。皆の手本になる選手だ。たとえ打てなくても起用し続ける」と熱弁をふるったが最近では代打にすら使われていない。これに対してマスコミだけでなく球団フロント陣からも島本を使えという声が沸き起こってくると「素人は黙っておれ(西本監督)」とご立腹の様子。

「育てる野球も大事だが一番肝心なのは勝つ野球じゃ。それを優先させてなぜ悪い」と苦虫を嚙み潰したような表情の西本監督。昨シーズン後期に優勝したとはいえ、近鉄は長い間Bクラスに低迷し負け癖が染み付いてしまい、勝つことよりも選手が明るく卑屈にならないよう球団フロント陣は雰囲気作りに苦労してきただけに西本監督が求める勝つ野球に追いついていないのが現状である。優勝経験豊富な西本監督にしてみればこうした周囲の気遣いがまどろっこしくて仕方ないのだ。監督が勝つ野球を目指しているのに選手やフロント陣がついてこないのが歯がゆくてならない。加えて助っ人のジョーンズ選手の扱いについても西本監督は気に入らないのだ。

近鉄は外人選手について妙に神経質なところがある。それというのも昭和47年から翌年にかけて近鉄は外人選手で大失敗している。ハンキンス、クオルス、コギンスなど今では名前すら忘れられている選手を大枚はたいて獲得したが大外れとなり、当時の球団代表のクビが飛んだことがあった。次が南海から移籍して来たジョーンズで昨シーズンは29本塁打を放ち残留は濃厚と思われたが球団との年俸交渉は決裂し球団はジョーンズを解雇してしまった。「あんな真面目で俺のアドバイスを忠実に守る外人はいない」と西本監督がお気に入りのジョーンズだったが、球団としては過去の外人選手を巡る失敗がトラウマとなりあっさり手放したのだ。

西本監督はジョーンズの解雇に反対だったが球団フロント幹部の謝罪と新たな助っ人を獲得する約束に納得した。だが新外人獲得は難航した。これはと思う選手は年俸が折り合わず、ジョーンズ以上の選手を見つけられなかった。困り果てた球団はなんとジョーンズと再契約を結んだのだ。これには「新外人のアテもないままジョーンズを解雇したのか。チーム作りすら分かっていない」と西本監督は呆れた。そのジョーンズは「俺が頑張れるのはボスのお蔭」と大きな身体を折り曲げて西本監督に最敬礼。外人選手の本塁打記録を塗り替えて本塁打王もほぼ確実という活躍を見せただけにフロント陣は形無しだ。


勝負はツキが果てたら終わりやで
昨年の後期優勝の勢いで今年も…という考えは甘すぎる。「そんなフロント陣と選手の考えの甘さに西本監督はウンザリしているんだよ」という球団OB評論家の意見が今の近鉄の現状を最も端的に表している。フロント陣はともかく、選手らがなぜ西本監督の指導で伸びないのか?「それはね広島カープにも当てはまるように優勝して選手の給料が予想以上にアップしたせい。ダウンしたのは板東投手と橘投手くらいで、監督が選手はまだまだ一人前じゃないといくら叫んでみても選手は「俺は世間から認められた」と考えたくなるのが人情。監督が浮かれる選手を見て苦々しく思い、サジを投げてしまうのも仕方ない(球団OB評論家)」と。

現在12球団の監督の中で最高齢56歳の西本監督を失望させる材料がいっぱいなのだ。「3年契約が切れる今シーズンで西本監督は辞めるだろう。佐伯オーナーとの間で『3年の契約中に優勝する』の約束は一応去年の後期優勝で果たした。過去に11年間在籍し五度の優勝を果たし、強く慰留された阪急でさえあっさりと辞めた。西本監督の心底にあるのは、唯一の趣味で大好きな麻雀の世界で使われる『勝負はツキが果てたら終わり』の言葉。恐らく今シーズンで勇退すると思う」と担当記者。勇退の弁まで推察するとは恐れ入るが、西本監督の去就について球団関係者に確認してみたところ「半々かな」と全面否定しなかったことから、あながち間違った意見ではなさそうだ。

もしもそんな事態に陥ってしまったら近鉄の今後はどうなるのか。阪急を辞めた時は上田現監督という後継者がいたが、近鉄にはいるのか?「杉浦投手コーチが適任者ではないか。西本監督と同じ立教大学出身で大学で同期の長嶋も巨人で監督を務めており、経歴・実績ともに申し分ない。仮に長嶋相手に監督として日本シリーズで対決するとなったら日本中の話題となることは間違いない。多少ヤジ馬的な考えだが、本堂二軍監督や関口コーチではネームバリューで劣る(担当記者)」といささか先走ってしまったが近鉄は佐伯オーナーの鶴の一声で全てが決まる球団だけに予測はハッキリ言って難しい。

3年契約の最後の年になって急に怒らなくなった西本監督と底が割れてきたチームの戦力、それに加えて近鉄球団首脳の動きを三題噺風に結びつけると、やはり不穏と言うか想像以上の結末が待っているのではないかという結論になる。ただし残り試合数も少なくなってきたが、ここから近鉄が猛然と連勝街道を突っ走り首位に躍り出て優勝してしまえば事態が急変する可能性もゼロではない。なのでここしばらくの近鉄の戦いぶりと西本監督の言動を注意深く観察する必要があり、軽々に断を下すわけにもいかないがとにかく近鉄が微妙な現状にあることだけは確かなようだ。
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# 644 黒人差別 ?

2020年07月15日 | 1976 年 



一連の差別問題の余波で過去にMVPを受賞した複数のメジャーリーグの元スター選手たちが、MVPのトロフィーからケネソー・マウンテン・ランディス(初代コミッショナー)の名前を削除するよう求めていることが明らかになった。同氏がコミッショナーを務めた1920年~1944年に黒人選手がメジャーの舞台でプレーすることはなく、差別主義者であるというのが理由であるが、過去にも黒人選手を巡って騒動が起きたことがあった。


今シーズンの首位打者争いは両リーグとも熾烈を極めたが、現在のアメリカン・リーグでは今回のタイトルを巡って大問題が起きている。その発端となったのはリーグ戦最終日の10月3日、ロイヤルズスタジアムで行われたKC・ロイヤルズ対M・ツインズの試合。この試合まで毛差の打率争いをしていたのがロイヤルズで同僚のジョージ・ブレッド選手とハル・マクレー選手だったのだが、ツインズのスティーブ・ブリエ外野手が見せた " らしからぬ " 凡ミスを犯した。ロイヤルズは2対5とリードを許した9回裏・二死の場面でブレッド選手が放ったレフトへの打球は平凡な飛球で試合終了と誰もが思った。ところがブリエ選手が目測を誤ったのか打球は目前にポトリと落ちた。

この安打でブレッド選手の打率はマクレー選手を抜いて首位打者に躍り出た。続いて打席に入ったマクレー選手が安打すれば再び首位に返り咲いたのだが結果は遊ゴロで試合終了し、首位打者のタイトルも逃した。ブレッド選手の打率は3割3分3厘3毛、対するマクレー選手は3割3分2厘6毛で僅か7毛差で涙を飲んだ。問題が起きたのは試合終了後。マクレー選手が三塁側ダッグアウトに乗り込みツインズのモーク監督に対して何やら激しく喚き始めたのである。マクレー選手は「モーク監督がブリエ選手に指示してブレッド選手の打球を捕球させなかった。白人選手に首位打者のタイトルを獲らせる為の陰謀だ」と主張したのだ。

マクレー選手はアメリカンリーグでは屈指の指名打者と称される黒人選手。そのマクレー選手の抗議に対してコミッショナーも調査に乗り出さざるを得なくなり、関係者を集めて意見を聞くこととなった。もしもマクレー選手の主張通りモーク監督が実際にブリエ選手に指示を出していたと認められたらブレッド選手の安打は取り消されて首位打者のタイトルはマクレー選手のものとなる。確かにブレッド選手が放った打球はブリエ選手の守備範囲に飛んでおり、故意に安打にしたという主張も否定は出来ないが真相は藪の中だ。モーク監督とブリエ選手は共に疑惑を否定しており、マクレー選手の主張が認められる可能性は低い。

ところで現時点では生涯初の首位打者のタイトルを獲得したと言っていいジョージ・ブレッド選手はピッツバーグ・パイレーツに所属するケン・ブレッド投手の実弟で右投げ左打ちのアベレージヒッター。早くからその素質を認められており、いずれは大リーグを代表する打者になると言われていた。1971年にロイヤルズにドラフト指名されて入団した生え抜き選手で地元ファンの支持も絶大。プロ入り2年目の1973年のC・ホワイトソックス戦でデビューし、3年目の昨年に打率3割をマークするなど順調に成長してきた。今回のタイトル獲得で一層の飛躍が期待される若きスター候補選手だ。
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# 643 ストーブリーグ ❸

2020年07月08日 | 1976 年 



昨年、セ・リーグは巨人と阪神が中心となりトレード戦線で活発に動いていた。阪神は江夏を放出し巨人は張本を獲得した。今年注目されるのはヤクルトである。ヤクルトはトレードを殆どやらない球団だ。チーム全体をファミリーに例えて結束している。だが血の入れ替えをしないとチーム内での競争意識は減り、向上心も欠けるようになる。広岡監督は監督就任の条件としてトレード解禁の約束を取り付けたと思われる。今年のヤクルトは今までにない思い切ったトレードを敢行する可能性が高い。

巨人:目玉商品は末次
優勝目前の巨人で注目されるのが末次選手。「末次の動向がカギだね。他球団へ行けば充分四番を打てる選手だから欲しい球団は多い」と巨人番記者は話す。巨人としては末次を出す以上は勝ち星を確実に計算できる左腕投手を希望している。だが勝てる左腕はパ・リーグでも少ないだけに候補は限られる。ズバリ狙いは近鉄の鈴木投手。巨人としては長嶋監督 - 西本監督の立教大学ラインを頼りにする腹づもりだがこのトレードが実現する確率は相当低い。

末次以外では高橋・小川両投手。2人とも杉下投手コーチと上手くいっておらず浮いた存在となっている。またジョンソン選手の退団は必至。問題児・ライト投手も新外人次第だが貴重な左腕だけに残留の可能性もある。いずれにせよ過去の中日や広島がそうだったように優勝するとトレードにブレーキがかかるのと、土井や柴田といったV9戦士はプライドが高いだけにトレードは難しく、今年のトレードは活発にならないというのが多くの見方だ。


阪神:一線級放出辞せず
オールスター戦後の凋落ぶりから吉田監督は「こんな調子ではトレードを活発化してチームの体質を変えなければダメだ」と公言しただけに今年の阪神からは目を離せない。特に投手陣に対する吉田監督の不信感は相当なもので、例え一線級でも不平分子はトレードの俎上に載るに違いない。昨年はあの江夏でさえ放出した吉田監督だけに投手陣は戦々恐々状態だ。ようやく主戦クラスに成長した古沢投手、リリーフに回り成功した山本和投手ですら安泰とはいえない。

ただ投手陣にも不平不満の理由はある。他球団の投手に比べて阪神の投手の年俸は安いのだ。山本和の年俸が仮に30%増となっても300万円という安さなのだ。球団は阪神という人気チームにいるお蔭で副収入を多く得られて他球団の投手と遜色ない筈であると言うが、実力を正当に評価してくれという投手たちの主張はもっともな話だ。狙いは日ハムの新美投手、巨人の淡口選手だ。阪神としては兵庫県の三田学園出身の淡口は是非とも欲しい選手で、一線級の放出も考えている。


中日:野手放出、投手移入
とうとう人工芝の後楽園球場で1勝も出来なかった中日。あまりの惨状にチームに同行していた中川球団代表が「これじゃ今年のオフは全員がトレード候補だ」と冗談を飛ばしたが、一部スポーツ紙が『代表がトレードの最後通告』と書いたもんだから選手全員が凍りついた。昨季数々のワースト記録を書き替えた巨人が張本獲得のショック療法で蘇ったのを目の当たりにしたフロント幹部がその気になっても不思議ではない。事実、シーズン中のトレード期限前までに幾つかの球団に接触していた。オフになれば更に積極的に動くであろう。

5月・6月頃に阪急や近鉄に対して火の車状態だった投手陣にトレードでテコ入れを画策したが、シーズン中ということもあり阪急や近鉄が用意した交換要員は主力ではなく一軍半クラスの投手だったので中日にとってプラスにはならないと判断しトレードは成立しなかった。この時の中日は第一線の中堅クラスの放出も止む無しという立場で、それは今も変わっていないので今オフはダブついている野手を交換要員に投手獲得を第一に活発なトレードを持ちかけると思われる。


大洋:ぬるま湯はやめる
Aクラスには全くといっていいほど顔を出さず、中部オーナーならずとも「個々の選手はそれなりに実力を持っているのにどういうことだ」と嘆きたくもなろうものだ。ぬるま湯にドップリと浸かっている選手を放出して新しい血を入れて体質を改善することが急務である。横田球団社長を筆頭とするフロント陣は「反対する意見もあるだろうが現状のままでは来年もBクラスだ。今年こそ思い切ったトレードを敢行してチームの再建を図りたい」と言うが、その台詞は少々聞き飽きた感は拭えない。

昨年のオフに表面化しなかったが横田球団社長と秋山監督が揃って「平松をトレードの交換要員にしてもいいか」と中部オーナーにお伺いを立てていた。 " 腐っても鯛 " の言葉通り平松は入団以来、大洋のプリンスとして今なおチームの顔である。その平松を放出する事とは一大改革を意味する。平松といえば中部オーナーのお気に入りであることを承知の上での陳情だった。実際にトレードは実現しなかったが球団社長や監督がそこまでして何とかチームを立て直したいという姿勢は評価できる。

昨年に続いてトレードに関しては今年も同じ方針のはずである。今のところトレード要員にリストアップされていないのは松原選手、山下大選手、シピン選手、奥江投手らで、あとの選手は条件さえ整えば話し合う余地は残っている。前述の平松も然りである。こうした大洋の動きを察したのかロッテ、日ハムの関係者がネット裏から早くも狙いをつけた選手の動きに目を光らせている。球界内では今年のストーブリーグの主役は大洋であるという意見は多い。


ヤクルト:守りの野球実現へ
「新しい血を注入しなければチームは強くならんでしょう」と佐藤球団社長。勿論、監督就任の条件として広岡監督が求めたトレード解禁を指しての発言だ。トレードに関しては荒川前監督も松園オーナーに直訴していたがチームの一体感を大事にするオーナーに却下されていた。だが3年越しの要請で誕生した広岡政権では球団としてバックアップは約束されている筈。まだシーズン中なので広岡監督は未だ具体的なチーム作りは語ってはいないが「トレードはどんどんやる。球団の理解が得られれば僕の理想は実現する」と明言している。

6月にこんな噂が流れた。日ハムの新美投手とヤクルトの榎本選手のトレード話だ。2人ともチーム内では余剰戦力なのであまり話題にならなかったが、両球団のフロント陣同士の繋がりを表す噂話だった。球団フロント幹部も苦笑しながらも否定しなかったことから単なる噂話の域を出ていたと思われる。今オフの目玉商品は浅野投手とシーズン前から阪急が欲しがっていた益川選手だ。浅野は今季はまだ1勝と不調だが他球団による評価は高い。益川も現在は二軍落ちしているが環境さえ変わればまだまだ戦力になると見ている球団は多い。
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