Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#315 先輩の意地

2014年03月26日 | 1983 年 

槙原寛己(巨人) / 金村義明(近鉄) / 右田一彦(横浜大洋)



李来発(南海) / 吉岡智毅(ロッテ) / 伊東勤 ・ 西岡良洋(西武)



川本智徳(日ハム) / 長嶋清幸 ・ 高木宣宏(広島) / 米村理 ・ 太田敏之(阪急)



源五郎丸洋(阪神) / 曽田康二(中日)
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#314 肝っ玉ルーキー

2014年03月19日 | 1983 年 



荒木ばかりがルーキーじゃない! 『 剛 』のルーキー、二村と平沼が高らかに名乗りをあげてきた。2人に共通するのは野性的な肝っ玉だ。


先ずは年長の二村忠美(日ハム)・・・


球歴…福岡県三潴郡大木町立佐木小学校3年生の時にソフトボールを始めたのがバットとグローブとの出会い。大木中学に進むと野球部に入り本格的に野球をやるようになりエース&四番で郡大会で優勝、県大会では3回戦まで勝ち進んだ。中学卒業後は伝習館高校に進学し、高校でも1年生の秋にはエース&四番となる。しかし甲子園大会出場にはなかなか手が届かず2年生の秋季大会では決勝戦で強豪・柳川商相手に延長12回まで死闘を繰り広げるが力尽きセンバツ大会出場を逃し、3年生の夏予選も3回戦で八女工に敗れた。

甲子園には行けなかったが阪急、ヤクルト、阪神、巨人などのスカウトが熱心に勧誘に訪れた。しかしドラフト会議で指名される事は無く高校卒業後は三協精機に入社したが僅か半年後に折からの不況の波を被り三協精機野球部は休部、多くの野球部員が離職の憂き目に。二村もその内の一人で半年間ほど無職状態だったが昭和54年春に郷里の九州産業交通に再就職した。こうした一連の出来事から二村は会社に人生を左右される危うさを身をもって知り、自分の身体一つでお金を稼げるプロ野球選手を本気で目指すようになる。

「投手も好きだがプロになるには打者の方が近道」と九州産業交通入社後は打者に専念する事に。打者転向僅か1年で都市対抗九州大会で首位打者になり、熊本県予選大会では2年目・3年目と2年連続で最高殊勲選手に選ばれた。そして4年目の昨年、県予選の熊本鉄道局戦で日本一広い藤崎台球場で3本塁打の離れ業。ポジションは三塁が主だが外野も守れる。


ライバル…伝習館高は進学校で卒業生の9割以上が大学へ進学し東大や九州大にも多くの合格者を出しているがプロ野球界入りした生徒は後にも先にも二村だけ。それ故、ライバルは他校の選手で宿敵・柳川高(旧柳川商)出身の田中(広島)、清家(阪神)、野田(近鉄)ら。

体格…身長180cm, 体重78kg, 首回り42cm, 胸囲102cm, 腹回り80cm, 足のサイズ27cm 手のひら26cm とどれもビックサイズだが極めつけなのがヒップ回りで115cm と外人並み。打席の中でスタンスを決める際に尻をブルブルと振る仕草から人呼んで「日ハムの淡口」。

体力…握力・右左共に 65kg , 視力・左右共に 1.5 , 脚力は100m走は高校時代の 12秒2 が 現在は 11秒7 にまで向上。ベース一周 14秒2、遠投 110mなど基礎体力は先輩選手に引けを取らない。

新婚…1月8日に3年間交際を続けていた九州産業交通総務部勤務の渡辺比登美さんと入籍。しかし二村は1月16日に上京して合宿所に入寮した為に暫くは別居生活を強いられ新婚生活はお預けと思いきや、大沢監督の粋な計らいで合宿所入りは免除となり3月から川崎市溝ノ口に3LDKの部屋を借りる事に。メデタシ、メデタシ。

悪ガキ…子供の頃から体格が良く三潴郡の健康優良児に選ばれ中学入学前に163cm ,70kg あって周りより頭一つ抜きん出ていた。身体が大きく目立っていた為に殊更に悪戯をしなくても何かあるとよく叱られた。ただし喧嘩や悪戯でガラスをよく割っていたのは事実で地元では「ガラス割りの忠美」と呼ばれていた。

強心臓…1月16日に合宿所入りするとたちまち牢名主にのし上がる。そして一軍選手と初めての顔合わせとなる合同自主トレには自称「極道刈り」の三分刈り頭で現れて先輩らに「押忍ッ・押忍ッ」攻勢に周りは「アイツ本物じゃねぇか?」と口アングリ。そのくせティー打撃では初球を見事空振りすると「良い所を見せようと気負い過ぎた」

デビュー…2月26日のオープン戦初戦に七番・左翼で先発。2回裏の初打席で藤原(近鉄)から左越え本塁打、以降4試合連続安打・3試合連続打点と絶好調。6試合目の大洋戦は途中出場だったが斎藤明から逆転満塁本塁打、その後も2盗塁と美技を連発し左翼手のレギュラーをほぼ手中にしたとの声もチラホラ。

期待…「思い切りが良いしファイトを前面に出すのはプロ向きの性格。細かい事を言えばまだまだ未熟な面があるのは確かだが今のままでも充分レギュラークラスの力は有る(大沢監督)」 「懐の柔らかさは天性のモノで天下一品。リストも強くパワーも充分で何より物怖じしない性格が頼もしい。今まで自分が携わったどの選手にも無い魅力を持っている(矢頭打撃コーチ)」など総じてベタ褒め。



一方の平沼定晴(中日)は同級生の荒木(ヤクルト)や畠山(南海)のような華やかさには欠けるが現時点での評価は2人の上を行く。

両親…東京・中野区生まれで本籍は新宿区なのだが今の実家は千葉県習志野市にある祖父母宅。「両親とは生き別れなんです。原因?よく知りません。祖父母も教えてくれないし自分から聞いたりしません。別に会いたいとも思いません」その祖父・道雄さん(66歳)は現在糖尿病で入院中。「何としても一軍に上がってテレビに映る自分の姿をジっちゃんに見せたい」

球歴…袖ヶ浦東小学校、習志野第三中学校、千葉商大付属高校と野球を始めて以来ずっと投手。昨春のセンバツ大会にエース&三番打者で出場。「全然負ける気がしなかったんですが尾道商に0-3であっさり負けちゃいました。直球は走っていたんですが制球が悪くて四球・四球・犠打・安打・安打で3失点、滅多打ちされた訳ではなかっただけに悔しかったですね」

アダ名…キャンプ序盤にして既に3つのアダ名を先輩らに付けられた。「ゴキ・軍人・岩面」いずれも顔から連想されたものでゴキはゴキブリで潰れた顔や首が短いところから、軍人は口癖が「自分は、自分は…」というところから、岩面は読んで字の如く岩のような顔面から。まぁ愛情表現の裏返しという事で本人は気に入っているという。

外出禁止令…キャンプイン初日の夕食後、夜7時半からのミーティングまでの時間潰しにパチンコ屋に行った。すると人生初の 「7・7・7」 でフィーバー状態に。「いや~、我を忘れて打ち続けてたらミーティング時刻を過ぎちゃいました」結局30分の遅刻で二ノ宮二軍マネージャーからキャンプ中の外出禁止令を宣告された。「高校の校長先生からも叱られました…」とションボリ

タブチくん…3月12日の豊橋での西武戦に先発して5回を2安打無失点と好投。漫画『がんばれ!! タブチくん!!』を見て好きになったという田淵と2度対戦して見事2三振に討ち取った。「アレッ?漫画と随分違うゾっていうのが第一印象。空振りした時にブ~ンって音が聞こえました」対戦した田淵は「投球の間合いとテンポに天才的なものがある。真っ直ぐも速いし堀内タイプと言ったら褒め過ぎだけどそれに近いんじゃないかな」と絶賛。

臨時収入…その西武戦好投の御褒美に金二万円也の敢闘賞を手にした。「1月の初給料は明細書1枚だったのでプロになったという実感はあまり無かったけど、賞金を貰った時はビックリしました。給料以外にも頑張ればお金が貰えるのはプロならではですね。使わずに袋ごとタンスにしまってあります」

プロの洗礼…3月3日の初登板で高橋慶(広島)を遊ゴロに仕留めて以来、3試合11イニング無失点を続けてきたが3月15日の近鉄戦で大石に本塁打を喫し初失点。「カウント0-3と悪くしたのが全ての原因。でも逆にスッキリしました」と影響は残りそうもない。

最有力候補…平沼に対する評価はウナギ登りだ。「久々の大型高校生(西武・広岡監督)」「間違いなく開幕から出て来る(広島・古葉監督)」と敵将はもとより「社会人出だった権藤と比べても遜色なく小松の1年目より遥かに上。開幕一軍?当然でしょ。新人王は奴で決まり」と近藤監督。
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#313 幻のスイッチヒッター

2014年03月12日 | 1983 年 



高木豊の株が急上昇中だ。昨年の秋季キャンプでスイッチヒッター転向に着手し、春季キャンプでは鋭い当たりを見せており先ずは順調。これまでのスイッチヒッターは元々は右打ちの場合が多いが高木は左打ちに右打ちを加えるという変わり種。大洋が誇る俊足3人衆(加藤博、屋鋪、高木)が揃ってスイッチヒッターとなるだけに他球団にとっては更に脅威が増す。

この3人が一・ニ・九番に並ぶ打線はオープン戦で既に3試合で試されて、3人の打率は.294 ・出塁率は.412 と好結果を出している。トリオの中で高木はスイッチ転向僅か5ヶ月と素人同然なのだが打率.278 ・2本塁打・4打点と好調ですっかり自信を付けたようだ。「将来的には高木は三番に据えたい選手。でも器用だし今年は一・二番で起用出来たらと思っている」と関根監督も高木の成長に期待を寄せていて、オープン戦の結果次第では基から二塁のポジションを奪う可能性も高い。

「右で打つようになってまだ間がないですけど何となく勘どころは掴んできました。打順はやっぱり上の方が良いですね、今は打席に立つ機会を一つでも多くして実戦感覚を培っていきたいです。自分としては結構いけそうな気がしています」と手応え充分。守備の方は入団3年目にしてベテランの遊撃手・山下との呼吸もピッタリで不安は無い。今の所、二塁手のポジション争いの相手は基だが「ベテランにはベテランの味があり、若手には勢いという目に見えない大きな力があるんです」と小森守備コーチの軍配はどちらにも上がっていない。

1m72cm と小柄だが足腰のバネは滅法強く25歳という若さも武器だ。一見おとなしそうに見えるが実のところ、なかなかしたたかな男でもある。同期の原(巨人)は一足早くチームの主軸に成長したが「今は差をつけられているけど追いつき追い越してみせます」とライバル意識を隠さない。高木がスイッチヒッターとして一人前になれば中日・都、巨人・角、阪神・山本和、広島・大野ら各球団の左腕が登板しても恐るるに足らず。高木の成長の如何が2年目の関根丸の浮沈を握っている。




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#312 球界地獄耳 ②

2014年03月05日 | 1983 年 



「プロ野球界発展の為に抜本的に考え直さねばならない時期に差し掛かっている。その一つの具体案として東西に分けて2リーグとし、公式戦の中に東西交流戦も含めるというプランを今シーズン終了後にでも提案しようと考えている」と南海・川勝オーナーが発言して球界に大きな波紋を呼んだ。「とんでもない無責任な発言」「面白い提案だ」と様々な声が寄せられているが、何故この時期に責任ある立場の人物がこの様な発言をしたのかと球界関係者は衝撃を受けている。

それは川勝オーナーと報道関係者との新年懇談会での出来事だった。「プレスの皆さんとも久しぶりだねぇ」と懇談は和やかに始まった。今年は南海グループとして悲願の関西新空港(泉州沖)の建設がスタートする年で球団も穴吹監督を先頭に再生を計ろうと激励し、パ・リーグは10年ぶりに1シーズン制に戻した事に加えて球界発展の為に更なる振興策を考える必要がある、と淡々と語り出した。それが爆弾発言に向かいだしたのは日本シリーズでのDH制導入に関する話題に差し掛かったあたりから。「セ・リーグのオーナーの中に下田コミッショナーに対して失礼な発言をする人がいる」「パ・リーグごときが何を言うか…という調子で我々を軽視する風潮が目に余る。自分達(セ・リーグ)さえ良ければ他(パ・リーグ)はどうなっても構わないという態度は許せない」など何時しかセ・リーグ批判を展開するようになった。

プロ野球界は共存共栄体で経済界の競争社会とは質を異にする世界。皆で共存体制を作る努力をしなければならないとし「誰かが抜本的な発言をしなければ今のぬるま湯ムードは変えられない」と語った。すると記者から「その為の具体的なプランをお持ちなのか?」と問われ返答したのが例の東西2リーグ制だった。実は川勝オーナーは以前(昭和56年)に1リーグ制を提唱した事があった。しかし日本シリーズというプロ野球界最大のクライマックスを失う事に球界内外に反対の声が多くアッサリ撤回した。今回の東西2リーグ制は日本シリーズに代わる「日本一決定戦」もあり、共存共栄で球界全体を考えるという正論に川勝オーナーも自信ありげだ。

1リーグ制と言えば思い出されるのは昭和41年だ。日生球場のフランチャイズ問題で南海と近鉄が対立した。南海が大阪球場で試合をする期間、近鉄は日生球場で試合を行わないという取り決めを近鉄が守っていないと南海が抗議した。当事者間では解決せず当時の東京オリオンズ・永田オーナーが間に入った事で鎮静化どころか逆に大騒動に発展してしまった。予てより1リーグ制を模索していた永田オーナーは近鉄・佐伯オーナーに南海との合併を薦めるとフランチャイズ制の解決という大義名分があるのなら、と球団経営に苦労していた佐伯オーナーが話に乗った。これを機に永田オーナーは「東京と大洋」「東映とヤクルト」の合併を画策し大勢が1リーグ制に傾いたが巨人、阪神、中日が猛反対して立ち消えとなった。

また昭和48年にも1リーグ制騒動が起きた。この時の中心人物は太平洋クラブ・中村オーナーで横浜市が市内に新球場を建設する際に橋頭堡よろしく太平洋と大洋との合併を目論んだ。他にも「広島と日拓」「ヤクルトとロッテ」「近鉄と南海」の合併話の橋渡しをしたが、この時も人気球団の反対に合い頓挫した。奇遇だが中心人物2人のオーナーが所有する東京オリオンズと太平洋クラブライオンズはその後、球団身売りに追い込まれた。今回の川勝オーナーは先人の轍を踏む事のないように1リーグ制ではなく2リーグ制は維持するとしているが評判は芳しくない。

「抜本的に考えなければならないのは先ずは南海球団の運営方針ではないのか」とあるセ・リーグ球団幹部は言う。関西リーグの一員に擬せられたセ・リーグ球団の関係者は「結局は我々と試合をしたい、東西交流試合を打ち出したのも巨人とやりたいという事でしょ」と素っ気ない。さらに同じパ・リーグの関係者も「ユニークなアイデアだが、いざ現実となると…」「相手(セ)がある事だからねぇ」とかいささか当惑顔といったところ。キャンプも始まりいよいよ球春到来というこの時期に何故あの様な発言をしたのかと問われた川勝オーナーは「実は昨年のオフに言おうと考えていたのだがチームがあの成績(最下位)では聞く耳を持って貰えないと思い言いそびれた」と。

昨年まで5年連続Bクラス、スター選手不在とあって減り続ける観客動員数。昨年の総入場者数は12球団最少の43万9千人で、これは巨人や阪神なら10試合で越えてしまう数字だ。大阪球場の立地条件は後楽園球場に匹敵するくらいなのに大阪球場の経営も野球ではなく競馬の場外馬券売り場や球場施設内にある特殊学校の賃貸料で支えられているのが現状。これまで何度も球団身売り話が出ては、その度に「南海グループとして絶対に手放さない」と否定してきたが慢性的な赤字経営は事実。東西2リーグ制は南海にとっては良薬かもしれないがプロ野球界には存亡に関わる劇薬となりかねない。



今では巨人の人気も落ちてセ・パの差は昔ほどではなくなりましたね。むしろ高校・大学の有力選手の多くがパに集まって注目度ではセを上回った感もします。セ・リーグは「驕る平家は久しからず」を地で行ってますね…
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