納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています
先日、大リーグコミッショナーのボウイ・キューン氏が「大リーグ組織外のサダハル・オーがハンク・アーロンが持つ通算755本塁打記録を抜いても世界一とは認めない」と発言して注目された。アメリカの選手や国民の王選手に対する評価はどうなのだろうか?
王は神様、日本の最高の人気者
アメリカで最も著明なスポーツウィークリー誌「スポーツイラストレイテッド」8月15日号に王選手の特集が掲載された。それによるとミスター・オーが日本で最高の英雄にのし上がった理由は2つある。1つはバッティングフォームの特異性。2つ目はオーに優る人気者がいないことだという。「日本でのプロ野球は絶対的なものだ。バスケットもフットボールもプロ組織はない。有名なプロボクサーやテニスプレイヤーもいない」というわけだ。「和製ロバート・レッドフォードもいない」と芸能界にも王を超える人気スターがいないことを、いかにもアメリカ人らしくユーモラスに表現している。
この特集記事を書いたフランク・デフォード記者は6月下旬に来日すると一週間にわたり神宮球場、後楽園球場で巨人戦を観戦し、王選手や一本足打法の師匠である荒川博氏にインタビューする傍らライト投手(巨人)やロジャー選手(ヤクルト)などを取材した。神宮球場のヤクルト戦では会田投手から通算742号を放ちハンク・アーロンが持つ記録更新まで14本となった。昨年の7月に樹立した大リーグの金字塔が半年足らずで王選手に塗り替えられるのだからデフォード記者もアメリカ国民も快いはずはない。「日本の野球の歴史はまだ100年余り。体のちっぽけな男が我々の国技を追い抜くだなんて考える方がバカげている」と正直にジェラシーを吐露する。
王へのビーンボールは冒とくだ
なぜ王選手の代名詞でもある一本足打法を崩す為のブラッシュボールを投じないのかというのが大リーグの投手たちの疑問だ。現在の大リーグでは頭を狙ったビーンボールは禁止されているが、実際にはビーンボールまがいのブラッシュボールを投じる投手はいる。投手のテクニックのひとつであるブラッシュボールをなぜ使わないかという疑問も頷けるが、デフォード記者は「そもそも日本ではブラッシュボール自体容認されていない。人気者のサダハル・オーにぶつけたら彼に対する冒とくで大変なことになる」と解説し、「それほどサダハル・オーは日本人にとって代替の効かない唯一無二の存在なのだ」と力説する。
デフォード記者は王選手に対する印象を「飛びぬけてハンサムでもないが人懐っこい顔だ。後で分かったことだが実に模範的な性格の人だった」と語っている。この特集号の中では長嶋監督についても触れているが「ハッとするくらハンサムガイ」と王選手と対照的に描かれているのが面白い。その長嶋監督は王選手を「一言で表すなら非常に親切なジェントルマン。いつもチーム全員のことを考えている選手で和製ベーブルースだ」と評する。かつて巨人軍に在籍していたデーブ・ジョンソン選手(フィーリーズ)は「ミスター・オーはスーパーガイだ。私の知る限り彼以上にハードな練習をする選手はいない」とコメントしている。
98%は王と巨人に味方している
日本における巨人軍の独占的人気ぶりからデフォード記者は巨人の武勇伝は庶民文化のバロメーターと穿った見方をしている。巨人人気が垂直降下すれば大半の日本国民の最もシンボリックな失敗になり、人々は球場に駆けつけて気の毒な長嶋監督や王選手に必死に声援を送る。長嶋監督1年目の最下位になった時がまさにそうであったと指摘する。王選手個人も33本塁打と不振続きで連続本塁打王のタイトルも途絶えた。励まされた巨人軍は翌年は優勝し、王選手も49本塁打・123打点・打率 325 と復活を遂げた。この記事の中で注目されるのは判定が微妙な時は98%までが巨人や王選手に味方すると書いている事だ。
王選手とチームメイトのライト投手は来日前に巨人軍の投手として投げればストライクゾーンが広くなると言われたが、今これを素直に認めている。それを踏まえてデフォード記者の見解は次のようになる。「日本人が権威者を尊敬するのは勿論で野球の審判員も権威者に属する。彼らも調和を大切にする日本人の特性で難しい判定を下す時に巨人を勝たせたいファンに同調する傾向が強くなる。ミスター・オーも以前、『僕は4ストライクが許されている』と語ったことがあった。つまり三振ではなく四振だったということ。ただし現在ではその発言は否定しているがミスター・オーの輝かしい記録に影を差しかねない」
パンチで勝負、とっつぁん人生変える
川崎球場のロッカールームでこのところ「あんたホントに元サラリーマン?」などとキャプテンの松原選手が高木選手を冷やかすことが増えている。ロッカーが隣同士の山下選手も「高木さんは相模原市役所時代はサボってばかりでしたんでしょ。それでなくちゃこんなに野球が上手いわけがない」とチクリ。5年前まで神奈川県相模原市役所収納課に勤務し、税金滞納者に対する差し押さえ業務をしていた高木選手。そんな高木選手を大洋ナインが冷やかすのも頷ける。プロ入り前は野球漬けだった他の選手を尻目にテスト入団の高木選手が突然の開花で打率3割3分6厘 で打撃十傑5位(8月19日現在)だ。シピン選手は11位、山下選手は17位と後塵を拝す状態。
特に後半戦に入ってから13試合で4割ジャストと高木選手は大当たり中。ひところはナント5割を超えていた。固め打ちも4安打が1回、3安打が2回と打ちまくった。知名度も急上昇中で「高木」といえばほとんどの人が中日の高木守道を思い浮かべるが最近は「アッ、大洋の高木だ」と言われることが増えてきた。大洋に入団してから3年間で一軍出場は21試合。昨年ようやく94試合出場した。そんな高木選手が大変身を遂げた理由は、もちろん本人の努力もあるが別当監督の存在が大きい。別当監督の好みは長距離砲だ。パンチ力がある選手なら少々の難があろうが別当監督は見事に変身させる。田代選手がその良い例だ。
愛称は " とっつぁん "
とっつぁんの愛称で分かるとおり、高木選手の動作はちと鈍い。富山での巨人戦で右ヒザを痛めたのも実はスライディングでやったもの。外野での守備となるとベンチをハラハラ、ドッキリさせる場面が幾度もある。そのうえ走塁も下手くそときている。だがパンチ力は売り出し中の田代選手に引けをとらない。そこに目をつけた別当監督の英才教育が始まった。「僕が前に大洋の監督をしていた最後の年(昭和47年)にテストに合格して入団し7試合ほど起用した。久しぶり会ってここまで伸びていたのに驚いた。この5年間相当努力したのが分かったよ」と別当監督。とはいっても監督自ら教えるチャンスはなかなか巡って来なかった。
だが何が幸いするか分からない。巨人戦での故障で試合に出られないブランクができた間、別当監督は直々に高木選手の打撃フォーム改造に乗り出した。「それが功を奏しましたね。それまで両ヒジを締め過ぎていたんです。それと構えた時に必要以上に右肩を内側に入れ過ぎていたんです。それを注意されて楽にスイングできるようになったんです」と高木選手は振り返る。以降の活躍ぶりはご存じの通りで、長嶋監督の目に留まり遂にオールスター戦にも出場することに繋がった。オールスター戦では自分と同じテスト入団の野村監督に挨拶をして野村監督から「お互いテスト入団の意地を忘れないように」と激励され感激したという。
一度死んだと思えば何だってやれるさ
これからの課題は左腕投手対策だ。新浦投手のような速球派だけでなく安田・梶間投手のような軟投派も苦手である。「球は速くないから打てそうなんですけどタイミングが合わなくて…(高木)」と苦手意識を認める。別当監督は「高木のような器用さが無い打者は軟投派を苦手にする。むしろ左対左のハンデじゃなくてタイミングの取り方や投手の心理を読むことを研究する必要があるね。今後も左腕投手が出てきても引っ込めないからそのうち慣れて打ち出すんじゃないかな」とのんびり構えている。
プロ入りして5年目、ただ今28歳。川崎市生田のアパートで妻・妙子さん、長女・愛子ちゃん(2歳)と3人暮らし。そして妙子さんのお腹には赤ちゃんが宿っている。「10月29日が予定日。家族が増えると今のアパートは手狭になるから一家の主人としてはそろそろ家を建てなきゃと考えてます」という。そして高木選手は感慨深げにこうも言う。「慢心しそうになるとあの時のことを思うようにしているんだ。入団した昭和47年のオフに球団から自由契約になるかもしれないと電話があったんだ。結婚したばかりで慌てたよ。実際に次の就職探しもしたし。一度死んだ身だと思えば何だってやれるさ」と。
夜の帝王からドエライ怪物へと変身
8月16日、ナゴヤ球場での中日戦に登板した2年目の北別府投手(広島)。カウント2-1と追い込んだ大島選手に投じた決め球のフォークボールを完璧に捉えられ左中間スタンドに叩き込まれた。2日前、大島選手は西京極球場での阪神戦では山本和投手から2打席連続本塁打を放った。代打起用ばかりだった大島選手にとって20本の大台に乗せたのはプロ入り9年目で初めてだ。北別府投手から放った一発で3打席連発となった。これで後半戦に入り16試合で8本塁打。2試合に1本という量産ペースだ。打率も3割5分台へ上昇し、首位打者さえ窺える好位置につけている。今や押しも押されぬドラゴンズの中心選手である。
開幕前は話題を独占していたデービス選手が不在の今、ホットコーナーを守る大島選手がファンの声援を独り占めしている。「首位打者?とんでもないですよ。レギュラーになったのが今シーズンが初めて。打席での余裕もなくて1打席ごと夢中でやっているだけですよ」と大活躍にも控え目な大島選手だ。確かに今の自分を冷静に考えてみるだけの余裕はないだろうが、相手の広島カープナインは「中日にドエライ怪物がいた」と口あんぐり。 " 遊びに夢中な夜から働く夜へ " 一大転換となった大島選手。そこに野球一本に集中して打ちまくる大変身の原因があるようだ。
変身の転機となった森本の存在
昨シーズンまでの大島選手は野球よりお酒や車を愛する遊び人で有名だった。名古屋市内のマンションで気ままな独り暮らし。夜ともなれば栄地区のネオン街に繰り出した。誘われれば麻雀もやる。長髪で派手な服装に身を包み、どこか大洋のシピン選手に似たニヒルな男だ。それが今シーズンはピタリと止まってしまった。「一晩ゲームに出ると体重が3kg ぐらい減っちゃう。野球以外のことをする暇がないんです、悲しいことに(苦笑)」と大島選手は言う。
阪急から移籍して来た森本選手と三塁のレギュラーをめぐる争いを繰り広げていたが、森本選手の怪我をきっかけに大島選手の急成長が始まった。大島選手といえば一発長打が売り物で中日ファンは劣勢を挽回する起死回生の一発を放つ意外性に痺れた。だが歓喜するファンとは対照的に首脳陣は派手な一発より好機の場面で堅実な適時打を求めた。その首脳陣が欲する堅実さを今シーズンの大島選手は応えるようになった反面で一発がパタリと止まってしまいファンからは失望の声も聞かれるようになった。だが杉山コーチは「いずれホームランを打ち出す時は来る。ファンの人たちは待っていて欲しい」と太鼓判を押す。
兄の急死も拍車
今年の5月10日、神戸に住む兄・隆さんが急死した。大島選手はその日の試合に涙をこらえて出場した。試合後に兄のもとに駆けつけた大島選手は「今まで俺は何をしていたんだ…。両親や家の事を全部兄貴に任せて気楽に生きてきた。これからは俺が全て引き受ける。兄貴ゴメン」と亡き兄の前で誓った。その日を境に大島選手は変わった。人間はどんなことが人生を変えるきっかけになるか分からない。ただ、それを掴むか掴まないかはその人間の心がけひとつである。
オールスター戦に監督推薦で出場が決まった時、大島選手は「エエッ、僕が選ばれるなんて…まさか」と思わず叫んだ。全セの長嶋監督も若い大島選手が大きく成長しているのを感じ取ったひとりである。「努力していれば見る人はちゃんと見てくれるんだ」と再認識したという。大分の中津工高では無名の投手だったが当時の本多スカウトがその長打力を秘めた打撃センスに惚れてドラフト3位に指名され入団した。それから3年間はスカウトから二軍の指導者になっていた本多氏に鍛えられ、水原茂監督の抜擢で一軍に昇格したがレギュラーへの道は険しく実力よりも人気が先行していた。
プロ3年目の若手ながら派手な一発を放つなど中日ファン、特にヤング層の人気は高かった。しかし最近の人気はむしろヤングより玄人筋のファンに移行し始めている。いくら本塁打を放っても怖い表情を崩さない。もうヤング層には手が届かないほど大島選手は大きく脱皮してしまった。その意味では苦節9年目にして初めて人気・実力が伯仲した主力選手に堂々と仲間入りできたわけでもある。今の姿勢を崩さないかぎり大島選手は更に上昇し続けることだろう。
ひとつの壁にぶち当たった時、人間それをどう突き破るか。一番難しいところだが、それを見事成功した後の生きざまは素晴らしいものになるはずである。
セーブは男の生き甲斐、反逆児の転身
「ここいらで踏ん張らないと名前を忘れられてしまう」江夏投手が復活宣言をした。阪神から南海に移籍し、期待されながら昨シーズンは勝ち星が少なくその名前は新聞紙上から消えた。そんな江夏投手がリリーフ役に徹し復活を遂げた。8月15日の阪急戦でリリーフし6試合連続セーブポイントを記録した。これは7月10日の近鉄戦ダブルヘッダーでのセーブから数えて8連続セーブとなり、中日の鈴木孝投手が一昨年にマークした7連続セーブのプロ野球記録を更新した。「記録といってもリリーフじゃねぇ。でもまぁチームの勝利に貢献できることは働き甲斐のあることだわな」と江夏投手は振り返る。
往年の江夏投手を知る人には驚きの発言だろう。根っからの先発完投型で監督が交代を命じたらプイッと横を向き不貞腐れた表情をするのが珍しくなかったのだ。反逆児と呼ばれ異端者とまで言われた江夏投手の最近の豹変ぶりには驚かされる。苦悩の末のリリーフ役転向だった。開幕前に左腕の血行障害を起こし、一時は再起不能とさえ言われたくらい重症だった。しかし腕に電流を当てパラフィンで患部を温める特殊な療法が効いて徐々に回復し投球に支障がないところまで這い上がってきた。球団は数十万円する治療器具を江夏投手の為に購入し、大阪球場のロッカールームの奥に設置した。
午後に球場入りするナインより一足早く江夏投手はロッカールームに来て治療器具を使用した後、入念にマッサージを受けて試合に臨んだ。阪神時代に酷使した左腕はボロボロだった。江夏投手は「過去の事は言うまい。今は一生懸命、若い選手たちに負けないよう頑張るだけや」と静かに語るが、そもそも " 若い選手 " という表現を使うほど江夏投手はまだ29歳で老け込む歳ではない。野村監督も「江夏の存在は大きい。若手選手にはない経験値がある。自分は江夏を頼りにしている」と江夏投手の存在の大きさを指摘し、昨シーズンの不振から「江夏獲得は失敗だった」という声にも「そんなことはない」と言い続けてきた。
あの江夏が「監督のために」と
野村・江夏会談は昨オフからずっと続いてきた。江夏投手が監督と膝を交えて話し合うのは初めてで、阪神時代では皆無だった。「野村監督は僕を庇い、励まし人生についてまで教えてくれた。こんなありがたいことはない。僕は野村監督の為、チームの為にリリーフ役に徹することを決意しました」と話す江夏投手の表情は底抜けに明るかった。そんな江夏投手にショッキングな事が起きた。阪神時代には常連だったオールスター戦に選出されなかったのだ。江夏投手はオールスター戦期間中の休みを利用して野村監督の自宅がある豊中市刀根山に引っ越しを行なった。選手がシーズン中に住まいを変えるのは異例である。
それ以来、遠征に行く時も野村監督と行動を共にした。野村監督にとっても江夏投手と一緒にいることで左ヒジの状態を確認できて都合が良かった。「江夏の復活は信じていた。あれだけの大投手を短い寿命で終わらせしまってはいかん。それはワシの使命でもある」と42歳で今なお捕手という重労働に耐えて現役で活躍する野村監督にとって江夏投手の選手寿命を延ばすことは大事な仕事である。藤田学、山内、佐藤、金城投手らを先発で起用できるのもリリーフ役の江夏投手が控えているからだ。本人の努力と周囲のサポートもあって江夏投手は復活することができた。
左ヒジの痛みもなくなり「毎日でもいい。僕が役立つならいつでもマウンドに立ちたい」と " 優等生 " になった江夏投手は話す。「本人も速球一本やりで押し通すのはもう無理だと気がついて、打者との駆け引きや読みを駆使した投球術は天下一品。あとは左腕がどれくらい耐えられるかだ」と評論家各氏は口を揃える。また南海担当記者は「江夏は逆境を乗り越えて性格まで変わった。子供も生まれて親としての自覚を持つようになり、公私共にまさに文字通りの大変身だ。チームに溶け込もうという気持ちがいじらしいほど分かる」と言っている。秋口に向かって江夏投手の投球から目が離せない。