Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#267 超・管理野球

2013年04月24日 | 1982 年 



広岡新監督を迎えた西武が生まれ変わろうともがいている。「新風」のキャッチフレーズに応えるべく次々にアドバルーンをブチ揚げた。と言うより揚げざるを得なった。それほど広岡監督の目には去年までの西武はプロ失格の体たらくに映っていたのだ。先ず広岡が着手したのが田淵の改造計画だ。田淵をターゲットにする事でチーム全体に意識改革を強いたのだ。

田淵は確かに変わった。先ず見た目からスッキリ体重が落ちた。昨シーズン中に95kg前後の巨体を揺らしていたのが嘘のようだ。西武の宿舎「桂松閣」の大広間に1枚の紙が貼ってある。そこには全選手の体重を記入する欄があり朝食を終えた時点と練習後の2度、毎日記入する。田淵の欄には「88kg・86kg」と記されているが、それによって田淵の動きが軽快になったのかと言うと「否」である。悲しいかな体重が減ったくらいでは長年の錆は落とせない。

西武きっての人気者でパ・リーグ移籍後ようやく指名打者制にも慣れて存在感を示し始めた田淵を広岡監督は何故一塁へコンバートするのか。それは「中心打者が指名打者ではセ・リーグの野球には勝てない」という自論からだ。捕手失格となった田淵が一朝一夕で一塁手をこなせる筈もなく当然の如くもたついたが、それは広岡監督の想定の範囲だっただろう。しかし田淵の拙守の悪影響はチーム全体に響く。2月23日の紅白戦無死一塁の場面で岡村が一ゴロ、普通なら併殺打だが一塁手・田淵が打球をファンブルしさらに悪送球。遊撃手の石毛はいつも通りに二塁ベースに入るが田淵がまごついた事でタイミングがズレて走者と交錯し左膝内側側副靭帯を損傷してしまった。責任を感じたのか翌日、田淵は風邪を理由に宿舎の自室に閉じ篭ってしまい広岡監督の発案で取り組み始めたチーム改造計画はいきなり躓いてしまった。

前途多難なのは田淵一人だけではない。紅白戦で1試合を通じて42球も一塁へ牽制球が投げられる珍事が起きた。首脳陣は「??」試合後に質すと次のような経緯だった。走者を置いた投手が先ず塁上を見ると野手から「牽制」のサインが出された。次に捕手を見ると「打者勝負」サインが。戸惑った投手はとりあえずプレート板を外して一塁へ牽制球を投げた。森コーチによれば「本来ならサインプレーは捕手からの指示で行なうもの。しかしこのチームは去年まで牽制のサインは野手が出していた。今年からは捕手の指示優先を徹底したつもりでいたが長年の習慣は容易には抜けず投手が混乱したらしい」との事。「前任者の根本(現管理部長)さんから『覚悟しておいてくれ』と言われた意味がやっと分かった(広岡監督)」何しろ去年まで野手と投手がてんでんバラバラにプレーしていたチームだけに広岡監督以下首脳陣も頭が痛い。




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#266 期待の星 ③

2013年04月17日 | 1982 年 


森脇浩司(近鉄)…猛牛打線が象徴するように近鉄は打撃優先のチームだ。その近鉄に守備のスペシャリストがいる。端正な顔立ちの森脇だ。元々守備には定評があったが今年に入ってからはさらに磨きがかかってきた。打球に対するスタートの勘の良さ、軽快なフットワーク、そして正確なスローイングとどれをとっても「パ・リーグで一番」と仰木コーチは絶賛する。関口新監督も「日本一の遊撃手になれる器」と賞賛。

「練習量で人に負けるのはイヤ」「実績が無いから練習の時からが勝負なんです」「もう充分練習したと納得した後にオマケに1つ練習するようにしている」居残り特打に特守、夕食後は素振り、とにかく今年のキャンプは練習・練習・練習なのだ。

その結果は守備の進歩だけでなく打力の大幅アップにもつながった。紅白戦の打率はチーム最高で右へ左へ打ち分ける技術もかなり身に付けてきた。課題の打撃も進境著しいとあって関口監督も「守りは当然、打つ方でもピカ一や」と今キャンプの成果に大満足のようだ。
 
【 通算成績 244安打 14本塁打 打率.223 】



源五郎丸 洋(阪神)…久々の大器出現に「無理はさせない」という方針の下、源五郎丸に許されたのは「捕手を立たせたままの30球」だが逸材ぶりを周囲に知らしめるには充分で、その投球は安芸キャンプを訪れた評論家の目を釘づけにした。「高校生でこれだけ安定感のある投げ方をする投手は珍しい(村山実)」「逞しい上半身とドッシリとした下半身は池永や尾崎の再来(須藤前大洋二軍監督)」と賛辞は枚挙に暇がない。チーム内でも予想以上の好評価につられてか二軍のグラウンドに足を運んだ安藤監督と小山投手コーチも真剣に一軍昇格を検討し始めた。

源五郎丸の特徴は身体の柔らかさとバネだ。早大のセレクションを受けた際に反復横飛びや立位体前屈といった身体能力テストが参加者中唯一満点で周囲を驚かせた。大きくワインドアップする、左ヒザを上げる、テークバックからしなるように出される右ヒジ、そして右足を高く蹴り上げてフィニッシュ。その間、途切れる事なく見続ける捕手のミット目がけて糸を引くような回転の良い直球が放たれる。安藤監督が2月24日に急遽一軍に上げたのは上の雰囲気に慣れさせようといった気軽なものではなく本腰を入れて一軍で使うと考えたからであろう。

柴田コーチと若菜捕手相手に60球を投げると「若い時の鈴木孝政(中日)そっくり。開幕から一軍でいけるんじゃないの(柴田)」「手元でグイッと伸びるあたり一級品(若菜)」と両者ベタ褒めだ。では池永や尾崎のように鮮烈なデビューを飾る事が出来るのだろうか?久保スカウトは「もし彼らのいた時代なら源五郎丸も開幕から勝ち星を上げる事も可能だろう。でも現在はその頃より打撃レベルが進歩したからいきなり活躍するのは無理でしょう。じっくり2~3年かけて育てる方が将来の彼の為になる」と否定的だ。

【一軍試合出場なし】 



金沢次男(横浜大洋)…21日の紅白戦で白組先発の金沢は同じく登板した新人・右田(2失点)を向こうに回して3回を2安打無失点と好投した。金沢はひとつ道を間違えたら今頃はプロゴルファーになっていたかもしれない。茨城県の佐竹高出身だが籍こそ野球部にあったが在学中は殆んど練習をしていなかった。というのも新設校ゆえにグラウンドが整備されておらず近くの空き地で素振りをするのが日課という有様で試合をすればコールド負けが当たり前の環境で練習に身が入らないでいた。中学時代に近所のオジサンから貰ったゴルフクラブを自己流で振っているうちに野球よりもゴルフに興味が移っていった。

「高3の時にやっとグラウンドが出来て真面目に野球に取り組むようになってゴルフ熱は冷めていきました」と言うものの現在のゴルフの腕前はハンデがシングルだ。高校卒業時には三菱自動車から誘いが来るほど投手として成長し、後に阪神入りする福家とエースの座を争うまでになる。関根監督も「とにかく良い度胸をしている。球威もあるし変化球もカーブ、スライダー、フォークと多彩で学校出の新人とは一味違います」とゾッコンだ。他球団の偵察隊も「球の出所が分かりづらく球質も重そうですね。低めにしっかり制球されているし要注意な存在(阪神・山本スコアラー)」と警戒する。

ドラフト後の12月13日に結納、今年の1月10日に挙式。「新婚旅行にも連れて行ってないから今年は精一杯やってオフには堂々と海外へ行きたいですね」契約金の一部を注ぎ込んで横浜市に3LDKのマンションを購入した。まだかなりの借金も残っていて「やるしかない」と自らを追い込んでいる。知子夫人も堂々としたもので「給料さえ運んでくれたら文句は無いですよ。怪我が心配?危険は多いでしょうがサラリーマンだって交通事故に遭う事だってあるでしょうから心配してたらキリがないです。まぁ建築現場関係の仕事だと思うようにしています」と、この新婚さんは夫婦揃って頼もしい。
  
【 通算成績 60勝70敗7S 防 4.21 】




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#265 期待の星 ②

2013年04月10日 | 1982 年 


玄岡正充(ヤクルト)…若松二世の誕生だ。鹿児島商工出身2年目の19歳が熾烈な外野手のポジション争いで1歩リードしている。1㍍68㌢、71㌔の若者はユマキャンプで急成長した。「玄岡を見ていると野球の上手い・下手はつくづくセンスのせいだと思わせるね。毎日血の滲むような努力をしても結局は一軍に上がれず野球界を去る選手が大半。チャンスをものにしてレギュラーを掴む選手には共通して『センス』があるけど玄岡も持ってるね」と首脳陣の評価もウナギ登りだ。

ユマで合流した新外人のデントが球場に来て目を丸くして驚いたのが玄岡のバッティングだった。「彼が野球選手だとは思ってもみなかった。今朝ホテルで見かけた時はチームメイトの子供がキャンプ見学をしに来てると思ったんだ。だってあの体格と童顔だもの、どう見てもハイスクールの生徒だろ」その"高校生"が小さな身体からは想像出来ない程の快音を響かせていたのだ。紅白戦ではレギュラー組の一番・中堅で皆勤賞。延べ40日間に渡る長いキャンプのせいか終盤は疲れが出てやや精彩を欠いたものの、18試合・50打数・13安打(2割6分0厘)。西井投手から120㍍の本塁打も放ちパンチ力も備えている事を示した。

若手選手は夕食後に宿舎裏手の駐車場で素振りをするのが日課になっていて玄岡も1日も欠かさず参加していた。下がコンクリートなので100回、200回と素振りを続けると靴底が擦れて穴が開いてしまう。大抵の選手は2足くらいを履き潰したが玄岡だけが4足だった。しめて160ドル(約3万6千円)の出費は薄給の身には痛かったが「自分が上手くなる為には惜しみません」と気にしていない。若松も自分の後継者出現に「アイツには僕が持ってるものを少しでも伝えてやりたい」と夜の素振り練習に足を運びコーチ役を買って出ている。
   
【 通算成績 66安打 7本塁打 打率.264 】


西岡良洋(西武)…右翼から一直線に猛スピードで御辞儀する事なく伸びる送球、これが噂の西岡のチーム、いや球界でもズバ抜けた強肩だ。紅白戦で西岡が右翼を守っていて右前打が出ても一塁走者で三塁を狙う者はいない。右翼線の二塁打性の当たりでも打者走者は二塁ベース数㍍手前で刺される。「一軍かって?当然。あの肩だけでお金が取れる」と選手の評価では厳しい観察眼を持つ広岡監督が珍しく褒めるほどだ。

昭和55年に和歌山県の田辺商からドラフト外で入団した3年目の選手。人との出会いは時として運命を変える。広岡新監督との出会いがそうだ。「広岡監督が『守りの野球をする。過去の実績は問わない』と言ったのを聞いて、よしチャンスだと思いました」と西岡は奮起した。西武の右翼は激戦区だ。左翼は立花、中堅はテリーで決まり、残る右翼を岡村・蓬莱・駒崎らと争う事になる。武器の強肩に加えて足も速く課題は打撃だが日に日にスイングも鋭くなりパワーも付いてきた。

西岡は未熟児で生まれてきた。野球を始めたのも身体を強くする為だったが大阪・堺のリトルリーグ時代に右肩を痛めてしまった。「痛みは肩の筋肉を鍛える事で消せる」と教えられて筋肉強化に努めた。毎日5㌔の鉄アレーを持ち上げる鍛錬を続けると1年後には痛みは消えていて、その副産物として今の強肩を生んだ。ちなみに当時のリトルリーグ仲間だったのが南海・香川だ。「あの頃の香川はホッソリしていて今とは別人だった。彼が甲子園に出た時の姿を見た時はビックリした」と懐かしむ。背番号が「69」から「23」に変わった今季の目標は大きく走・攻・守、三拍子揃った広島・山本浩だ。

【 通算成績 403安打 50本塁打 打率.246 】


斉藤浩行(広島)…一軍合格間違いなしを印象づけたのは25日の紅白戦で同じ新人の津田から放った右翼線二塁打だ。内角球にバットを折りながらもしぶとく右方向へ打った打撃に首脳陣は唸った。加えて最終回には満塁の走者を一掃する今度は左中間への二塁打のオマケ付き。「球にしっかり喰いついていて振りも鋭い。実戦を経験させる為に今後も一軍に帯同させます」と古葉監督も目を細める。1㍍89㌢、83㌔の恵まれた体格で東京ガスからドラフト2位で入団した「ポスト山本浩二」の有力候補だ。登録は外野手だが「3個しかないポジションが無い外野では出番が少ない。内野もこなせるようになれば…」との声に「ポジションに拘りは有りません」と即座に内野手用グラブを調達して三塁手に挑戦中だ。

宇都宮商時代にも三塁手の経験があり急造内野手の割にはソツなくこなしている。阿南二軍監督も「上背のある選手は腰高になりがちだがそれも出てないし動きも柔らかい」と現時点では及第点を与える。宇都宮商卒業時にはクラウンを除く11球団が指名の挨拶に訪れたが本人は「プロへは行きません」と断っていた。「いきなりプロへ行くのには不安があったので。体力的にも技術的にも社会人を経験した方がプラスだと考えた結果でしたが正解だったと思います」「趣味は素振りです。1日に400回は振りますね、他にやりたい事も無いですから」と今は練習漬けだ。

キャンプ中盤でのフリー打撃では左翼スタンドへポンポンと放り込むパワーを見せつけている。「凄いパワーだな。この時期にあそこまで飛ばす奴はなかなかいないよ」と長らく待たれていた後継者出現に本家・山本浩二も目をシロクロ。他球団の偵察部隊も「若い頃のコージの雰囲気に似ている」と警戒を怠らない。一昨年のドラフトで原(巨人)の獲得にクジ運ひとつで失敗し大型三塁手の台頭を待ち焦がれていたカープに待望久しい選手が現れた。
  
【 通算成績 89安打 16本塁打 打率.196 】
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#264 期待の星 ①

2013年04月03日 | 1982 年 


牛島和彦(中日)…「いや~その話は勘弁して下さいよ」度胸満点のマウンド上では見せない態度の若きエース候補の牛島。昨年のオフに長い間苦しめられていた「痔」を手術したのだ。昨年の成績は痔のせいではあるまいが2勝7敗 防御率 2.77 とエース候補としては情けないものだった。ただし近藤監督の評価は「黒星は多いが実は相手にそれほど点を取られてはいない」と低くはなく「先発として長いイニングは厳しいがショートリリーフなら彼の持ち味を出せる」と今年は牛島を抑えで起用する考えだ。小松の先発転向後は鈴木ひとりに抑えを任せてきたがヒジ痛の持病がある鈴木は、いつパンクするか分からない。そこで牛島との二本立てで鈴木の負担を減らし長いシーズンを乗り切る腹づもりなのだ。

牛島の目標は先発・完投投手だが「目標の第一段階としてストッパー指令は大歓迎です。若いうちはどんな形であろうと1回でも多く投げて経験を積むのが大切ですから」と抑え役に異存はないようだ。問題は本当に牛島に抑えの適性があるのかどうかだ。「マスコミの皆さんは牛島はまだ抑え役としては力不足だと見ているでしょうが歳に似合わず投球術を心得ている。直球一本槍ではなくフォークボールという切り札も持っていて、タイプとしてはむしろ抑え役に適任」と権藤投手コーチも太鼓判を押す。プロ入り3年目の若武者には何事も将来の糧になるのは間違いない。
【 通算成績 53勝64敗126S 防 3.26 】


石嶺和彦(阪急)…もう一人の「和彦」は牛島の1年先輩のプロ入り4年目の捕手だ。2月8日の夜、上田監督がいる305号室を石嶺はノックした。「誰や?」「石嶺です。監督にお話があります」「まぁ入れや」・・・上手になりたい、一軍のレギュラーになってお金を稼ぎたい。でも一軍の壁は高く容易に崩す事が出来ず悩み「俺はこれでいいのか?何が足りないのかすら分からない…」袋小路に迷い込んでしまい上田監督の助言を求め思わず監督の部屋を訪れてしまったのだ。

「君にとって野球とは何なのかね?」上田監督の問いに「何がなんでもやり遂げなければならないモノです」中学生時代に一度だけ野球部を退部し野球を捨てていた時があった。先輩・後輩の人間関係に嫌気が差したのだ。そんな石嶺に「戻って来い」と言ってくれたチームメイトのお蔭で今の石嶺がある。「あの時に辞めなくて良かった。彼らの為にも早く一人前になりたい」「ただ入団1年目に左膝を痛めてしまった。40日間も入院する捕手としては致命傷を負ってしまい、このまま捕手に拘っていて良いのか悩みました」一軍に上がりたい・・でもこのまま捕手に拘っていては遠回りではないのか?自分では答えを見つけられず上田監督を頼ったのだ。

上田監督は「捕手・石嶺」を高く評価していて昨年も一軍でマスクを被らせ経験を積ませた。「キャッチングもリードも伸びた。打撃も含めて現時点ではレギュラーに一番近い」と開幕一軍は勿論、先発メンバーの第一候補に挙げている。「小学校の頃からずっと捕手をやって来て捕手には拘りがある。監督と話してスッキリしました。やれば出来る、レギュラーへの道も見えてきた気がします」と本人も吹っ切れたようだ。

【 通産成績 1419安打 269本塁打 打率.273 】



仁村 薫(巨人)…前評判が高かった男が早くもプロの壁に苦しんでいる。キャンプ序盤、フリー打撃中の仁村を見た評論家は口を揃えて「将来40本塁打を打てるのはこの男しかない」と絶賛した。評判の良さに首脳陣も早速紅白戦に起用した。ところが実戦になると快音は鳴りを潜めた。同じく二軍から昇格した岡崎や高卒新人の吉村(PL学園出)らが安打を放ったのとは対照的に2試合で無安打。大きく構えてグリップの位置を高くしようとする余り、脇が空いて差し込まれるのだ。これだとフリー打撃のような緩い球なら捉えられるが生きた球は打てない。

「確かに非凡なモノは持っているが長距離砲にしては身体が少々小さい(1m75cm,72kg)。遠くへ飛ばす能力は有るがタイプとしては中距離打者かな」と国松二軍監督は言う。「両親は最後まで反対でしたからプロで3年やって目処が立たなかったら実家の養豚業を継ぐ約束を両親としているんです」と将来の安定が保証された新日鉄の内定を蹴ってまでしてプロ入りしただけに後戻り出来ない。即戦力と期待されたが現実は甘くはなく、今は二軍で必死に練習する毎日を送っている。

課題は打撃だけではなく外野手に転向して間が無いせいかまだ打球に対する勘も素人同然。早大時代に肘を痛めた後遺症でスローイングも全開とは言えない。「打撃はこれから打ち込めば何とかなると思いますが守備は1からやり直しです。だから今年1年は下でみっちり修行した方が将来のためになると思います」と本人にも焦りは無いようだ。「こちらが注意点を指摘すると即座に改善できるのは大したもん。長く二軍にいる選手じゃないですよ」と国松二軍監督も仁村の能力の高さを評価している。

【 通算成績 91安打 15本塁打 打率.231 】
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