Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 372 第65回・夏の甲子園大会

2015年04月29日 | 1983 年 



高校野球史上初の「夏・春・夏」の三連覇を目指した徳島・池田高に対し全出場校が打倒池田に燃えた1983年の夏だった。第1の挑戦者は群馬・太田工、左腕の好投手・青柳を擁し戦前の予想も意外と善戦するのでは、と見られていた。試合開始早々に太田工が先制点を取り「もしや」と思わせたが2回にあっさりと池田高が逆転すると終わってみれば16安打・8得点で圧勝。青柳投手は「江上と水野には打たれたくなかった…」と意識する余りリズムを崩してしまったようだ。ただ勝つには勝ったが初戦という事もあって池田高に硬さもありやや物足りない面も目立った。続く2回戦の高鍋高戦では試合前のシートノックから気合が入ってキビキビと動いていた。恐らく蔦監督に手綱を絞められたのだろう、初回からの先制攻撃で勝負あり。試合前に「胸元にシュートを投げて仰け反らせてカーブで勝負」と語っていた高鍋高のエース・清野投手だったが9回を除く毎回の20安打・12失点と当初の目論見は脆くも崩れた。

3回戦では史上初となる前年度の決勝戦カードの再現となった広島商戦。広島商・沖元投手は球を低目に集めて先ずは無難な立ち上がりだったが2回に水野に本塁打を喫したのを皮切りに4回に集中打を浴びた。水野と並ぶ主砲の江上は水野とは違ったタイプで水野が初球から積極的に打つのとは逆に狙い球を絞って打つタイプなのだが広島商の分析は充分ではなかった。打ち気のない江上に際どいコースを狙って制球を乱して歩かせ、打ち気にはやる水野や高橋といった後続に痛打を浴び大量得点を許してしまった。この試合の水野投手は出来は悪く高鍋高戦より球威は無くスライダーを多投して広島商打線を抑えていたがアクシデントが起きた。沖元投手が投じたシュートが水野の左側頭部を直撃し水野はその場に昏倒した。投げ終えてベンチに戻る度に氷で冷やし続けて奮闘する水野に打線も援護しベスト8一番乗りを果たした。ちなみにこの試合に勝って春・夏甲子園通算14連勝の大会記録をマークした。

準々決勝の相手は中京高。今大会で池田高を倒す最有力候補と呼び声が高くエース・野中投手は水野投手と遜色ない好投手と言われていた。投手力は互角、攻撃力は池田高が上だが守備力は中京高が優り横綱同士の対決が実現した。野中投手は期待通りの投球で池田打線を5回まで8安打・1失点と好投したが中京打線は水野投手に4回までに7三振と沈黙。中京ナインは「やっぱり水野は速い、凄い」と圧倒された。5万8千人の大観衆の異様な熱気に押されたのか両チームとも硬さが見えて試合巧者の池田高にもミスが出た。5回表無死から安打で出塁した井上が坂本の右中間二塁打で本塁突入するもタッチアウト。無死二・三塁にするのがセオリーだったが焦りが出た。これで流れが変わり5回裏に中京高が同点に追いついた。野中投手の投球が冴えて追いついた中京高が有利な筈だが池田高はここから底力を見せる。1対1で迎えた9回表「後半の野中君はカーブを多投していたがカーブを捨てて必ず投げて来る内角球を狙え」と指示していた蔦監督。その指示通りに吉田が3球続いたカーブを見送って次の直球を捉えて決勝点となる本塁打を放ち池田高が勝った。

最大の難敵を倒して三連覇まであと2勝となった準決勝戦の相手は1年生エース・桑田投手がいるPL学園。試合はPL学園の打線が爆発する。広島商戦での死球の影響が残っていたのか水野投手は本調子とは程遠かった。PL学園は2回に小島が安打で出塁すると続く桑田はカウント2-0と追い込まれながらも3球目のインハイの直球を強振すると打球は左翼席へ。水野投手が甲子園に来て初めて浴びた本塁打だった。PL学園の攻撃は続き住田も本塁打を放つ。水野投手は打ち込まれて大量失点を喫した。「2回に4点取られてもまだ大丈夫と気持ちを入れ替えたけど6点を追加されて緊張の糸が切れてしまった。PL学園は強かった」と主将の江上も潔く負けを認めた。一方のPL学園の桑田は「たとえ打たれても相手は3年生、当たり前だ」と開き直って小気味いい投球に終始した。伸びのある直球と縦に大きく割れるカーブで池田打線を翻弄し、昨年夏の徳島県予選大会から続いた連勝を「38」で止めた。強いチームも負ける、それも零封で。これもまた高校野球だ。

決勝戦に勝ち上がったのは今春のセンバツ大会でも決勝まで進んだ横浜商とPL学園。好勝負が期待されたがPL学園は加藤と清原の本塁打などで横浜商を寄せ付けなかった。特に桑田投手の力投が優勝の原動力となった。横浜商は桑田投手の立ち上がりを攻めて二盗、三盗塁と足で揺さぶったが1年生エースは動じなかった。過去に坂本(東邦高)や荒木(早実)など1年生の活躍はあったが桑田ほど堂々と決勝戦まで投げ抜いた例はなかった。完投する余裕はあったが最後は上級生に花を持たせる形で7回でマウンドを降りた。桑田と同じく1年生の清原も先制本塁打を放つなど活躍した。過去の優勝チームで1年生がこれほど躍動した例は記憶にない。今大会は池田高の史上初となる三連覇が話題となったが達成出来なかった。この記録を塗り替えるのは桑田や清原を擁するPL学園かもしれない。
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# 371 後半戦に賭ける男たち ④

2015年04月22日 | 1983 年 



落合博満(ロッテ)…今シーズン前に高らかに " 打率4割 " 宣言をした落合が苦しんでいる。球宴直前にようやく3割に乗せた。並みの打者なら及第点だが三冠王にとって満足するには程遠い前半戦だった。落合がスランプを脱するきっかけとなったのがオールスター戦だった。今季から一塁にコンバートされたがファン投票では田淵(西武)に大きく水を開けられてしまったが広岡監督によって推薦出場が決まった。しかも田淵が左腕尺骨骨折の為に出場を辞退したので一塁でフル出場する機会に恵まれた。「正直言って日本一の監督さんが認めて推薦してくれたんだからこんなに名誉な事はない。精一杯プレーするよ、何とか自分の持ち味を出して後半戦に繋げたいからね」と落合にしては珍しく殊勝に真顔で語った。今季は何度も調子の波に乗り遅れてしまった落合としてはキッカケが欲しかった。そのキッカケを栄えある夢の球宴で掴もうとしていた。

色々と試行錯誤を繰り返した。7月4日から金沢で行なわれた日ハム3連戦の2戦目試合前、落合は若手の西村や佐藤健らと共に早出特打ちを行い打撃フォーム改造に踏み切った。これまでの名月赤城山の国定忠治ばりの顔の前にバットを立てていたのをオーソドックスな構えに変えた。更に下半身の重心を下げてクローズドスタンスにした。シーズン中に打撃フォームを変えるのは大博打だが本人は「今のフォームでも悪くは無いんだが俺は今年だけじゃなく数年先の事を見据えているのさ。新たなフォームで打つようになるのは来年のキャンプ以降だよ」と新打法はまだ練習段階のようだ。技術以外の肉体的なケアも試していた。球宴の10日ほど前から医師でもある友人の勧めで大好きな酒とコーヒーを断った。「体重も落ちてスッキリして動きも軽くなったよ」と早くも効果を実感していた。

新打法の予行演習となった球宴の初戦こそ低迷した前半戦の様な内容だったが第2戦では川口投手(広島)から本塁打を放った。外角高目の速球を狙いすました様に右方向へもって行く落合本来の一発だった。「球宴で初めての本塁打だったので気持ち良かった」と大舞台に強い所を見せ復活の狼煙を上げた。第3戦(広島市民球場)では北別府投手(広島)からバックスクリーン左に先制ソロ、9回表には角投手(巨人)から軽々と左翼席上段へダメ押し2ランを放った。勿論、MVPを手にした。「北別府と角に感謝しなくちゃ。まだまだ完全じゃないけど良い手応えは掴めた」と自信に満ちた表情が戻ってきた。

案の定、球宴明けの南海戦で3安打、次の試合では自身初の4打数4安打。それも全て中堅から右方向、来た球に逆らわず打ち返す落合本来の打撃が戻った。結局南海3連戦で8安打し打率を一気に上げた。「まだまだ。でも好調時に戻りつつあると感じてる」と久々の笑顔に。8月2日の日ハム戦では0対5とリードされた9回裏、高橋一投手から13号ソロを放つとロッテ打線に火が点き打順が一巡した打席で今度は抑えの江夏から右翼席にサヨナラ本塁打を放った。目下、打率.316 (8月2日現在) で香川(南海)を猛追している。香川との差はまだ5分近いが夏場が苦手な香川はジリジリ打率を落としている。落合は「3割3分台になるまでは大きな事は言わない」と舌を出すがその表情は不調だった前半戦とは別人である。



福間 納(阪神)…毎朝の食卓にスポーツ紙を広げて一人ニヤニヤ笑っている福間を見て早公子夫人は「主人は頭が変になったのかと思いました」と心配したという。福間が5分も10分もジッと眺めていたのはセ・リーグ投手部門。防御率欄の第2位に福間の名前がある。「だってね、自分の名前がこれだけ新聞に載るなんてプロ入り初めて。やっぱり気分いいっスよ」と明かす。肘を痛めて深沢投手との交換トレードで阪神にやって来たが獲った阪神も「左打者専用のワンポイントに使えれば御の字」程度の評価だった。ところが福間はまさに水を得た魚の如く開花した。「珍さんがいなかったらどうなっていたか。お世辞抜きで貴重な戦力です」と安藤監督が言うほど今や阪神に欠かせない投手となった。ちなみに「珍さん」は川藤選手が福間の風貌から付けたアダ名である。

痛めていた肘は自然と癒えた訳ではない。阪神を最後の死場と追い込まれた福間が尼崎の整体師の治療を受けて治したのだ。「彼(整体師)は高校の先輩なんです。『俺が絶対に治してやる』って銭・カネ抜きでやってくれて。持つべき者は先輩です」と振り返る。肘さえ治ればもう何の心配はない。「こんな事を言ったら世話になったロッテには申し訳ないけど閑散とした川崎球場と満員の甲子園球場ではやる気が全然違いますよ。あの歓声を浴びたら次も頑張ろう、って自然となります。阪神に来れて本当に幸せです」とロッテ時代には見せなかった笑顔で語る。ロッテでは在籍2年間で27試合登板だったが阪神移籍1年目は35試合、昨年は実に63試合に登板して8月14日の巨人戦でプロ初勝利を飾った。

福間が重宝されたのは左腕である事が第一だが同じ左腕でも藤原投手は先発タイプ、益山投手は準備に時間が必要で急な登板には不向き。山本和投手は抑え役だから投げる場面が決まっている。そこへいくと福間は少しの肩慣らしで準備OKでワンポイントや中継ぎもこなせて安藤監督にとって使い勝手が良かった。瞬く間に信頼を得た所へ藤原と益山が肘痛で二軍落ちした為に福間の出番が更に増えた。ワンポイントや中継ぎ役の筈が今季は不調の山本和の代わりに抑えまで務めた事もあった。「俺は10~20球くらいの肩慣らしでも大丈夫。こんな小さな身体( 174cm,67kg )だけどスタミナには自信がある」と胸を張る。

そんな貴重な左腕が倒れた。球宴後の中日戦で大島の放ったライナーが左腕を直撃、担架で運ばれ即入院。スワ、骨折か?とマスコミは大騒ぎとなったが何と2日後にはケロッと戻って来た。試合(対巨人18回戦)は工藤~山本和のリレーで出る幕はなかったが「行けと言われたら行きましたよ。マスコミの皆さんは『今季絶望か』なんて騒いでいましたけど、ピンピンしています」と何事も無かったよう。給料査定係の石田博三氏は「仮にチームがBクラスになっても福間だけは別格。貢献度はNo,1です」と評価もウナギ登りだ。実は今オフに自宅を改装する予定で「殆どが借金ですけど初めて嫁さん孝行が出来そうです」と心は早くもバラ色のオフへ。後半戦も頑張る理由はそんな所にも有りそうだ。



田淵幸一(西武)…スタンドから沸き起こる大歓声の中、ゆっくりと誰にも邪魔される事なくベースを一周する。それは本塁打を放った者だけに許される時間だ。田淵はこれを過去459回も経験してきた。今季は嘗てない好調さで本塁打を量産して他者を大きくリードしていたが7月13日の近鉄戦で柳田投手から左手首に死球を受けて尺骨を骨折してしまった。当初は20日間で骨はつく、と診断されていたが実情は遅れている。「今は何を言っても始まらないよ。骨がつかなければ何も出来ないし…」と現在は埼玉・小手指にある自宅で長男の裕章ちゃん(1歳8ヶ月)相手に良きパパとなって一緒に遊んであげている。無類の人好きでファンに対して怪我をしている暗さは見せない。治療に通う病院の前でカメラを持つ少年にも「写真?いいよ一緒に写ろう」と快く応じる程だ。

プロ15年生。幾度となく怪我や病気と闘ってきた。「野球選手に怪我は付き物」と文句一つ言わない。昭和45年8月、外木場投手(広島)から左側頭部に死球を喰らい生死を彷徨った。球の避け方が下手でその後も死球を受けて欠場を余儀なくされたり急性腎炎を患い戦列を離れたりしたが、その都度這い上がってきた。本塁打王争いを独走中で久々のタイトル獲得が見えていただけに今回の怪我のショックは大きかったが望みは残っている。現在の29本塁打はまだトップである。8月いっぱい西武が順調に試合を消化していくと103試合で27試合残っている。仮にテリー(西武)が8月中にあと7本打つとすると34本、門田(南海)が10本打っても33本でまだ追いつくのは可能だ。

プラス材料は田淵に多い。先ず、田淵は固め打ちが得意で1本出ればポンポン続く事が多い。テリーは4月こそ量産したが5月以降はポツリポツリだ。二つ目は日本人選手であるという事。実はこれが大きい。相手から見ても「同じ打たれるなら外人選手より日本人選手の方がマシ」という心理が働くのは過去の動向からもハッキリしている。三つ目はテリー自身が本塁打に拘っていない点。「ボクは長距離砲じゃない。春先にポンポンと出た時に本塁打を狙ってフォームを崩してしまった。安打を沢山打つのがボクの役割」と本塁打王は眼中にはない。もう一人の門田も怖い存在だがテリー以上に量産体制が必要でベテラン選手には酷と言える。

水銀柱が35℃を超える真夏の炎天下、セミの鳴き声を背中に受けて黙々と走り込みをする田淵の姿がある。自身の誕生月でもある9月と言えば好きで燃える季節だ。また9月15日は敬愛する父親・綾男さんの命日で毎年9月は他の月以上に気合が入り本塁打を量産してきた。運命の糸に引かれるように白球をスタンドへ運んだ。自分でも「この季節は打てる」と信じて打席に入っている。動かせない左手を机の上に置き右手でメモを取りながら味方の戦いぶりをジッと見つめている。復帰する時の心の準備だけは怠っていない。「まだ大丈夫。俺はまだ終わっていない」…最後の27試合に賭ける田淵の熱き闘志を込めた雄叫びが漏れてきた。
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# 370 後半戦に賭ける男たち ③

2015年04月15日 | 1983 年 



宇野 勝(中日)… " チョンボ " の宇野が後半戦から三塁を守っている。お披露目となった7月29日の対阪神14回戦(甲子園球場)、いきなり先頭打者・真弓が放った打球が三塁ベース際を襲った。一瞬、目をつむった中日ベンチだったが宇野は横っ飛びして捕球すると一塁へ矢のような送球で難なくアウトに。「あれでスーっと気持ちが落ち着きました。ベンチが総立ちで拍手した?いやぁ普通のプレーですよ」と宇野本人は涼しい顔。このプレーで近藤監督から合格のお墨付きを頂戴した。宇野の三塁手起用が真剣に検討され始めたのは前半戦終了間近に、正三塁手であるモッカの怪我(左股関節痛)が長引きそうで「ひょっとすると後半戦の出場も危うい(山田チーフトレーナー)」と首脳陣に報告された頃だった。

「思い切って宇野を三塁に回す以外に策はない」と近藤監督はコーチ会議で提案したが複数のコーチ達が難色を示した。その内の一人だった作戦守備担当の高木コーチは「宇野の遊撃手としての守備力は格段に進歩している。今、宇野を三塁へ回す事は簡単だが代わりの遊撃手が見当たらない。それにシーズン中のコンバートは打撃面に悪影響を与えるリスクもある」と反対した。だが近藤監督は就任当時から宇野の長距離打者としての資質を伸ばすには「三塁手・宇野」が理想であるとの持論があった。モッカ不在という差し迫ったチーム事情によって近藤監督は「多少のリスクはあっても長い目で見れば今がチャンスなのでは」と反対意見を押し切り三塁転向を強行した。

実は今年のキャンプでも三塁転向が検討されたが宇野本人が「ショートを守っていないと野球をやっている実感が無い。サードが嫌だという訳ではなくてショートが好きなんです」と三塁転向に難色を示していた。首脳陣は三塁転向が打撃に悪影響を与えたら大変と判断し遊撃手に固定したがシーズンが始まると期待の打撃は大不振。下半身が崩れて粘りが出ず凡打を繰り返し、あれだけ固執した遊撃の守りでもチョンボが続出。挙げ句に6月29日のヤクルト13回戦ではマウンド上で近藤監督と取っ組み合いになりそうな喧嘩を始める始末。本来ならば罰金ものだが近藤監督は「親子喧嘩のようなもの。ちゃんと叱っておいたのでそれで終わり」と不問に付した。

この寛大な処置に宇野の心境に変化が起きた。「俺が甘かった。自覚しなくちゃ」という気持ちになった所に降って湧いたような三塁転向話はグッドタイミングで今回は素直に受け入れた。三塁を守る宇野の動きは日を追う度にサマになっていった。打順も転向2試合目からトップバッターに抜擢された。一番を打つのはプロ入り初の事だったが「最初はどうしていいか面食らったけどやってみると実にいいもんです。楽しいですね」と戸惑いはないようだ。長距離砲として将来のクリーンアップ候補と言われていた宇野が自由奔放に打ちまくるトップバッターを務めるのもまた一興だ。宇野が低迷する中日のカンフル剤となれば近藤監督も万々歳だろう。



島田 誠(日ハム)…「ここまで来たら是が非でも狙ってみたい、と言うより必ず取ります」・・滅多に大言壮語しない島田が真顔でタイトル獲得への思いを打ち明けた。プロ入り7年目の今シーズンは開幕から順調に戦績を積み上げてきた。球宴前ラストゲームとなった7月19日の南海戦を終えた時点での成績は打率.343 で香川(南海)に次ぐ2位。盗塁数も大石(近鉄)・福本(阪急)に肉薄しており共にタイトルの射程圏内につけている。特に打者としての最高勲章とも言える首位打者のタイトルを虎視眈々と狙っている。開幕39試合目の6月2日の西武戦で打率を3割の大台に乗せると後はコンスタントに打ち続け率を上げていった。勿論、打てない日もあったが無安打を2試合と続ける事がなかった。そこには技術云々以前に人間として一回り大きくなった姿が浮き彫りにされている。

一昨年、自己最高の打率.318 をマークし日ハム球団初優勝に貢献したがその翌年は打率.286 と成績を落とした。しかも両肘痛に見舞われて前期日程終了時点では2割4分台の体たらくだった。「オメイなんぞ2千万円プレーヤーじゃねぇ、20万円でも高けぇぐれいだ」と全ナインの前で大沢監督に叱責され悔しい思いをしたが何一つ反論出来なかった。「あんな思いは二度としたくない。今年は誰からも後ろ指を指される事のない成績を残したい」と決意し、❶ 1年を通じて万全な体調を保つ ❷ 1試合、1打席を大事に気を抜かない ❸ タイトルを絶対に取る・・といった目標を掲げてシーズンに臨んだ。更に公言しなかった目標もあった。尊敬する福本(阪急)のあらゆる成績を上回る事だ。打率は勿論、難攻不落の盗塁数もだ。即ちそれは盗塁王獲得を意味していた。

「福本さんに追いついても大石に抜かれたら意味がない。その為にも首位打者と盗塁王になる事が2人に勝つ絶対条件なんです」 「2部門とも追う立場。暫くは離されずに追いかけて一気に追い越したい」と何時にない執着心を垣間見せる。島田にとって意気込みだけではなく充分狙える条件も整っている。それは暑い季節の到来である。1㍍68㌢、65㌔ という小兵ながらスタミナには自信を持っている。1年を通じて不振だった昨年でも8月は3割4分4厘の高打率をマークした位に夏場は得意なのだ。暑さを乗り切る為のスタミナ源である焼き肉やモツ類を貪り喰い、逸子夫人特製の酢料理メニューのお蔭で怪我防止対策もバッチリなのだ。「怪我さえしなければきっとやってくれると信じています」と逸子夫人は結婚以来初となるビックプレゼントに早くも胸躍らせている。

夫人が島田の活躍に期待している訳には理由がある。後援会の有力者が3割3分以上の打率を残せば家族4人にハワイ旅行をプレゼントすると約束しているからだ。この人物は「島田誠を励ます有志の会」の世話人代表をしている北九州市八幡西区にある山地産業(株)の山地社長。社長の奥様と島田が従姉弟という関係で単なる後援者以上に親身になって応援してくれている。このビッグプレゼントも島田にシーズンを通して良い意味の緊張感を持続させる為の親心の一環だろう。チームは残念ながら下位に低迷中だが大沢監督は島田の活躍に及第点を与えている。「塁に出た以上はどんな事があってもホームベースを踏みたいというのがトップバッターの願望です。残りのシーズンに完全燃焼したいと思ってます」 島田誠、通称 " チャボ " は山椒のようなピリリと辛いプレーをする毎日を送っている。



西村博巳(横浜大洋)…25歳の年増ルーキーが大洋の外野の一角を奪い取ろうとしている。176㌢ 78㌔ のズングリとした体型ながら近藤作戦コーチが「肩も足も普通だが勝負所では力を発揮する球際に強いタイプ」と感心する。球宴明けの7月26日のヤクルト戦に代打で登場すると梶間投手から決勝点となるプロ入り初本塁打を放ち、31日からはスタメン出場を果たし規定打席不足ながら打率3割をキープしている。「別に力みとか気負いは無いですね。出番が増えれば安打も増えると思ってましたから。一軍の投手?ウ~ン、一軍の投手だからと言って特に意識は無いです。小松(中日)なんかはもっと速いと思っていたけど…」と頼もしい限りの台詞を吐く。それが " 大人のルーキー " と言われる所以だ。

和歌山県・紀の川のほとり、高野山の近くで生まれ育ち高野山第一中学校で野球を始めた。紀の川を挟んだ隣町の九度山中学には現ヤクルトの尾花投手がいた。「ええ、1年先輩で一度だけ対戦しました。2安打しましたよ、カーブと直球でしたね」と懐かしそうに語る。伊都高校に進学すると2年生の春にセンバツ大会に三番打者として出場したが初戦で札幌商に敗れた。高校卒業後は住友金属に就職して昨年には都市対抗野球で初優勝を達成し、その活躍が評価されて大洋から3位指名されプロ入りした。安定したサラリーマン生活から25歳と遅いプロ入りは勇気と覚悟が必要だと思われるが本人は「いやぁ即決しました。だってサラリーマンでも交通事故で明日にでも死ぬかもしれないでしょ。あれこれ心配したって始まらないじゃないですか」と常に前向きなのだ。

住友金属時代は周囲から「壁にぶち当たらない男」と言われていた。年間50試合程を行なうが西村は毎年3割&10本塁打をクリアしてきた。更に盗塁も30個を下回る事がなかったという。中学、高校、社会人と一度もレギュラーの座から外れる事はなかった。だから梶間投手から放ったプロ初本塁打は野球人生初の「代打本塁打」だった。「根が単純だから直ぐに周りに同化しちゃうんです。高校野球なら高校レベルに、社会人野球なら社会人レベルに順応出来た。だからプロでも同じでキャンプでも特にレベルの違いは感じなかったです」と順調にプロ生活を送っていた西村にアクシデントが襲った。キャンプの練習中にスライディングをした際に左肩を脱臼してしまった。全治3週間の診断を受け壁にぶち当たらない男に初めての試練が訪れた。「入院なんて生まれて初めてだったんで不安でした。でもくよくよ考えたって早く治る訳ではないので開き直りました」

幸い開幕には間に合ったが二軍スタートを余儀なくされた。狂った歯車はなかなか噛み合わず二軍でも結果を出せずにいた。5月末、二軍の視察に訪れた関根監督は打率1割台に低迷していた西村に「オイ、この成績は何だ。とても一軍じゃ使えんぞ、二軍で3割以上を打っても一軍で2割8分がせいぜいだ。3割5分を打ったら一軍へ上げてやる」と言ってハッパをかけた。「分かりました」と答えた西村は関根監督の注文を僅か1ヶ月足らずでクリアした。二軍での打率.347 を引っ提げて6月28日に一軍に昇格した。午前中に合宿所で特打ちをやった後にナイターの球場に向かう日常を送っている。「3割は何としても達成したい。それが今年の目標ですね」…と大人のルーキーは至極当たり前のように言って今日も元気にグラウンドへ飛び出して行く。
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# 369 後半戦に賭ける男たち ②

2015年04月08日 | 1983 年 



井上祐二(南海)…ニックネームは「クマ」、南国宮崎出身だが風貌や動きが北の白熊のような雄大さを感じさせる。8月4日現在、25試合に登板して6勝7敗2Sと特筆すべき成績ではないが底知れぬ可能性を秘めた20歳の若者は必ずや近い将来の南海のエースになる逸材だ。それは首脳陣の起用法にも表れている。投手分業制が確立した現在では珍しく井上は先発完投は勿論、中継ぎや抑えもやっている。南海投手陣が人材不足なのは確かだがそれが井上に一人三役を任せている理由ではない。エースになるであろう男に様々な役割を経験させるべく長期的プランに立った起用である。前半戦は西武キラーを前面に押し出してパ・リーグに旋風を巻き起こした南海だったが徐々に力不足を露呈し、今ではBクラスに低迷している。優勝は無理としてもチーム再建の第一歩として何としてもAクラス入りを果たしたい所。そこで井上にかかる期待は大きい。

「今の勝ち星(6勝)には満足していません。最低でも10勝はしたいです」と文字にすると僅かだが実際は言葉を選んで朴訥と話す様子は今時の若者らしくない。しかし逆にそれがスケールの大きさを感じさせる。高校(都城)を出て3年目だから先ずは順調と言える。しかし人知れぬ悩みに苦しんだ時期もあった。それは今年の呉キャンプでの事、井上は河村投手コーチに徹底的に鍛えられた。先ず手始めにスムーズな体重移動が出来るように投球フォーム改造が敢行され、27日間で合計4千球を超える投げ込みにも耐えた。「うん、よく耐えた。コチラの厳しい注文にも歯をくいしばった」と河村コーチは振り返る。ただ井上も一度だけ反抗した。否、正確に言うと反抗しているように見える場面があった。首脳陣が見守る前でネットに向けて大声を叫びながら球を投げつけたのだ。

「はい。あれは全然上達しない自分が情けなくて…自分でも突然あんな行動に出たのが不思議で。それ程マイっていたんでしょうね」と振り返る。エース帝王学を着々と学んでいる井上。「投手陣の頭数が足りない事もあって今のような使い方をしているけど決して無理はさせていないし、彼の将来の為にも大きな肥しになると断言できるよ」と語る河村コーチの言葉を借りるまでもなく " 真のエース " は先発完投は勿論、大事な所では抑え役もこなさなければならない。そんな投手の理想像に井上は邁進している。井上本人も「そりゃあ最初は戸惑いましたよ。調整の仕方とか難しい面もありましたから。でも今は慣れましたし試合展開を読んで自分なりに出番が分かるようになりました」「僕は完投しても2日あれば投げられます。肩の回復が早いんです」とすっかり自信をつけた。「勉強です。勿論、全て成功するに越したことはないですが失敗しても勉強になります」後半戦も当然フル回転するつもりでいる。



篠塚利夫(巨人)…王助監督をして「彼の打撃は完成の域に達しつつある」とまで言わしめた篠塚だったが今季前半は不調に苦しみ続けた。「レギュラーになって4年目だけど調子が悪くなった事は当然だけどある。でも打席の中で構えを変えたり工夫をするうちに自然と元に戻った。それが今年は何をやってもダメだった…こんな長いスランプは初めて」 スランプの原因は技術的な事だけではなかった。7月中旬に一部スポーツ紙に政美夫人との別居が報じられた。思えば6月に入って極度のスランプに陥ったのも私生活の不和が原因だったと想像出来る。篠塚本人はこの問題について多くを語りたがらないが「皆さんは僕のスランプを私生活と結びつけて考えているようですが違います。これだけはハッキリさせておきたいんです。家庭内の不和で調子を落としたなんて書かれていますが関係ないです」と普段は温厚な男が語気を強めた。

では安打製造機とも言われる打撃に狂いが生じた原因は何だったのか?篠塚曰く「視力が急に落ちちゃってね。元々近眼で両目とも 0.7くらいだったのが6月に入ると右目が 0.1、左目が 0.3になった。原因?分からないです」 いくら打撃の職人と言えどもこれだけ急激に視力が落ちたらプロの投手が投げる速球や変化球に対応する事は難しいだろう。だが逆に言えばそのような状況下でも打率3割を維持していたのは流石である。そして後半戦、篠塚は8月を勝負の月と考えている。「正直、首位打者のタイトルは難しいが取り敢えず3割2分か3分に上げる事が出来たらまだチャンスはある」と諦めてはいない。3割そこそこの現状を篠塚本人もファンも納得していない。シーズンが終わってみれば3割2分以上は打っていると誰もが信じて疑わない。だが野球人生最悪のスランプは意外な副産物をもたらした。「スランプになってから長打が出るようになってね。理由は分からないけど余分な力が入っていたんでしょうね。悲しいかな柵越え程の力は無かったから勘違いしないで済んだけど」

ただ肝心の視力低下の原因は今も分かっていない。「少しは良くなってはいるけど…(篠塚)」と不安は残る。その為に首脳陣の中には眼鏡やコンタクト着用を勧める者もいるが本人は「眼鏡をかけるくらいなら野球を辞める」と言い切り頑として受け付けない。そこには天才にしか分からない何かがあるのだろう。一昨年、藤田(阪神)と熾烈な首位打者争いを繰り広げた時も視力は 1.0に満たなかった。プロ入り前から守っていても捕手のサインは見えていなかったと言う。そんなハンデを負いながらも安打製造機とまで言われるまでになっただけに「今さら眼鏡なんて」という心境なのだろう。現在は篠塚本人の意志を尊重している藤田監督や王助監督も仮に今季の成績が3割を切るような事になったら意見が変わるかもしれない。「色々と言われるけど僕には野球しかない」と力強く言い切る篠塚の表情が明るいのが救いだ。



バンプ・ウィルス(阪急)…目立たないが隠れた所でキチッと自分の役割を果たす・・まさにバンプの事である。去る対近鉄16回戦の8回、4対1とリードした一死満塁の場面で打席に入ったバンプは左犠飛を放ちダメ押し点をあげた。この試合の主役は先制の20号本塁打を放った水谷であり中押しとなる2ランを放ったブーマーであるがサヨナラ負けが続いた阪急にとってダメを押したバンプの犠飛は大きかった。「日本に来たガイジンの多くは本塁打を求められるが僕は大きいのを打つタイプではないし阪急にはブーマーもいる。僕にしか出来ないプレーをするように心掛けている。自分の仕事をするだけだ」とバンプは静かに語る。これこそバンプ・ウィルスだ。多くのファンを欣喜雀躍させる事はないかもしれないが玄人受けのするバイプレーヤーなのだ。

しかし前半戦の印象は今ひとつ。年俸1億円の4年契約、現役大リーガーとして華々しく来日したが怠慢プレーが目立つと酷評された。いわば悪評プンプンの「害人」に成り下がってしまったバンプ。確かに本人が認めているように長打力は期待出来ないし、打率.280 前後を打ってもチャンスに弱く勝利への貢献度も低い。また守備面でも堅実ではあるが美技は少なくチーム内外から「あの程度なら若手と大差ない」の声も聞かれる。こうした技術面以外では凡打やエラーをしてもシラーッとした姿に「無気力」「怠慢」と失望するファンも多く、前評判が高かっただけにその反動もまた大きい。これで本当に後半戦に期待出来るのか?

そもそも酷評の殆どは誤解によるものと言える。先ず大リーガーの内野手に長距離打者は少なくシュアなタイプが多く、バンプのような盗塁王に長打を望む事自体が間違っている。チャンスに弱い事に弁解の余地はないが敢えて庇うならストライクゾーンの違いや変化球が多い日本の投手に慣れるのには時間が必要なのではないか。周知の通り大リーグのストライクゾーンは日本と比べると総じて低く必然的に大リーグの打者の多くがアッパースイングになる。これでは決め球に低目のボールになる球を多用する日本では打てない。前半戦のバンプは3割には届いていないが健闘しているとも言える。守備面でも同じで美技がないのは美技を普通のプレーに見せているとも言える。そして「無気力」は感情に左右されない「冷静さ」の裏返しではないのか。感情を表に出さない姿勢こそ大リーガーらしさである。

日本式ストライクゾーンへの対応はどうなっているのか?決め球の変化球同様に高目のボール球への対処が鍵となる。大リーグ式アッパースイングでは高目のボール球を打つ事は出来ない。キャンプから住友打撃コーチがレベルスイングへの矯正を指導しているがバンプ本人は直す気はなく「日本の変化球にも慣れてきた。高目?大丈夫、まぁ見ててくれよ」と自分のスイングに自信を持っている。残り50試合を切って、些か呑気過ぎる気もするが後半戦に入り打ち始めた事もあり周囲は見守るしかない。ただバンプに4年契約による安心感がある事は否定出来ないが決して「害人」ではない事だけは確かである。
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# 368 後半戦に賭ける男たち ①

2015年04月01日 | 1983 年 



冷夏の予想を覆し日本列島は猛暑が続いている。プロ野球はこれからが本当の勝負所となる訳だが後半戦にかける12球団の注目の男達に迫ってみる。

達川光男(広島)…達川は " 生涯一捕手 " の野村克也氏を目標としている。野村氏との出会いは人に紹介されたものではない。球場を訪れた野村氏に直接「ちょっと教えて下さい」と頼み込んで以来の師弟関係だ。「原(巨人)はどうやって攻めたらいいんですか?」と現役捕手としてのプライドを捨ててまでして教えを乞いている。その達川を見る野村氏の目も昨年までは「学ぼうとする姿勢は認めるが、まだ私の言っている意味を理解出来ていない」と厳しかったが今年になって変わってきた。今年のオールスター戦に達川は出場し、解説者として球場に現れた野村氏に「お前もようやく一人前になったなぁ」と声をかけられた。オールスター戦に選ばれたからではない。前半戦での津田投手や川口投手に対するリードを野村氏は讃えたのだ。

前半戦の広島の躍進は達川を抜きにして語る事は出来ない。昨年までは水沼、道原に次ぐ第3の存在だったが今季は正妻の座をガッチリと掴み若手投手陣を引っ張っている。達川は一人前でなかった過去5年間を「マスクを被ると打たれてはイカン、と消極的な考えしか頭になかった。打たれると自分のリードは棚に上げて投手のせいにばかりしていた。今年は出づっぱりなので打たれてもイチイチ考え込む暇もなくベンチの監督の顔色も気にしなくなった」と振り返る。古葉監督は衰えが顕著な水沼に代わって道原を起用するつもりだったが故障した為に仕方なく達川を使ったが力不足は否めずシーズン当初は我慢を強いられた。それが試合を重ねる毎に逞しくなっていった。達川が定位置を確保した事で課題だった弱かったバッテリー間が改善され広島の快進撃が始まった。

達川に後半戦の展望を聞くと「前半戦の通りにやるだけですよ」と即答した。昭和54、55年の優勝は経験しているが殆どがベンチで先輩達の活躍を眺めているだけでシーズン終盤の緊迫した場面での出場は少なく、修羅場の経験不足を懸念する声もあるが本人は「任せて下さい」と意に介さない。なるほど達川の経歴を見ればその余裕ぶりも頷ける。広島商時代は3年の春に怪物・江川卓を倒して準優勝、夏は全国制覇し東洋大学でも東都リーグ初優勝に貢献している。特に負ければ終わりの甲子園を制した事が自信になっている。余談になるが古豪と呼ばれる広島商だが春夏の甲子園大会で記念すべき初本塁打を放ったのが達川だった。プロでは非力で通っているだけに意外であるが本人は「僕は木製バットで打ったんです。池田高がよく打つと言ったって金属でしょ?格が違いますよ」と今でも鼻高々なのである。

日本シリーズを念頭にオールスター戦中にはしっかり西武勢の偵察もしている。移動日に西武ナインは広島の練習場で調整を行った。ブルペンで投げ込む投手陣を観察し、練習後は旧知の松沼兄弟・石毛・森と久しぶりの再会を楽しんだ。松沼兄は東洋大の3年先輩、弟は1年後輩。石毛と森は同じ東都リーグで対戦した仲間である。「彼らの癖は知ってます。今は彼らの方が格上だけど勝って俺の格を上げたい」と頭の中では既に日本シリーズで西武と戦っている。ここ迄は順調に来ているが周囲が心配いているのが達川のチョンボである。緊張すると周りが見えなくなり思いがけない行動をしたり発言をしたりするおっちょこちょいな性格なのはよく知られている。鈍足ぶりを揶揄した" 大杉石コロ発言 " などはいい例だ。グラウンドの外でも先輩の金田留投手に連れられて美空ひばり邸を訪れた際に「何で小林旭と別れたんですか?」と聞いて金田を大慌てさせた事もあった。尊敬する野村氏を真似て囁き作戦を敢行しているが先人の域にはまだまだ遠く及ばない。



大石大二郎(近鉄)…作家の山口洋子さん曰く大石は球界の「おしん」だそうだ。言わずと知れた朝のテレビドラマの主人公の事だがドラマの中で幼少期を演じた小林綾子ちゃんのポッチャリ笑顔とクリクリした瞳が大石を彷彿させるらしい。下位に沈んだまま浮上のきっかけすら掴めない猛牛軍団。そんなチームの中で唯ひとり打撃ベスト10に入り、走っては35盗塁するなど166㌢と球界で一・ニを争う小兵が孤軍奮闘する姿が「おしん」とダブるのだそうだ。しかし実際の大石は静岡市内で鮮魚業、酒店、仕出し屋と手広く事業をする家の次男坊として生まれて何不自由なく育ち、静岡商→亜細亜大学→近鉄のドラフト2位指名と歩んできた野球界のエリートである。

大石の礼儀正しさは球界内でも有名だ。挨拶魔とさえ言われている程で顔を合わせる度に頭を深々と下げる。それは先輩選手に限らず担当記者の中には1日に7回も挨拶された者もいる。初めてファン投票で選ばれた今年のオールスター戦でこんな事があった。サインを頼まれたのだが寄せ書きで、しかも自分が最初だった。まだ誰のサインも書かれていない色紙を渡されると「先輩達を差し置いて自分が書く事は出来ません」と頑なに断った。たかがサインでも長幼の序をわきまえている。これが原(巨人)だと「ブリっ子」と言われるが大石だと「おしん」と評される。別の人が同じ事をやると優等生過ぎて鼻につく行動も大石だと健気と言うかひたむきと捉えるの人が多いのも人徳のなせる業だろう。

プレーぶりにもそれは表れている。二塁手としてのプレーは決して派手ではなく見栄えのするダイビングキャッチはやらない。最後の最後まで立って捕球する事を諦めず打球を追いかける。一歩でも足で追いかけた方がダイビングキャッチより守備範囲は広がる。また内野ゴロの際の送球に対するバックアップは大石の象徴でもある。必ず全力疾走で一塁カバーに向かう。殆どが無駄に終わるが万が一に備えて自分に課せられた事として決して怠らない。近鉄の選手で一番運動量が多いのも大石だろう。守りで動き回り、8月2日には両リーグを通じて100安打一番乗りを昨年よりも21試合早く達成した。出塁すれば盗塁王・福本(阪急)に4個差をつけて35盗塁でトップをひた走り、チーム唯一の全試合出場を続けている。

今季の盗塁数の目標は50個。昨年はシーズン終盤まで福本と盗塁王を争ったが最後は福本「54」、大石「47」と振り切られ福本が13年連続で盗塁王となったが2人の差は「三盗」で福本の12個に対して大石は5個だった。しかし今季は既に8個の三盗を決めており、更には本盗2個を成功している。後半戦になっても勢いは衰えず4試合消化時点で3個増やしている。出塁すれば必ずと言っていい程盗塁を試みているがそれはチーム状態と関連している。後半戦になっても負けが込みチーム内の雰囲気は沈んだままだ。「お客さんも盛り上がらないでしょう。だから僕が走って少しでも雰囲気が良くなれば…」 本来なら勝つ為の戦術として盗塁があるのだが今の近鉄では勝っても負けても走らなければならないのが物悲しい。だが大石の盗塁は低迷する近鉄の中でもキラリと光る希望の閃光である。



井本 隆(ヤクルト)…心なしか瞳が潤んでいるようだった。次々と差し出される手を井本は固く握り返した。7月30日の大洋戦に後半戦初先発した井本は若松の本塁打による1点を守り抜いて近鉄時代の昨年8月29日の西武戦以来の完封勝利をあげると「ヤクルトに来て初めて勝った時より嬉しい…」と言葉に詰まった。今シーズンで11年目を迎え近鉄時代は鈴木啓志と共に「右のエース」と並び称されていた事を考えれば、たかが1勝に大げさなと思われるが本人は精神的にそこまで追い詰められていたのだ。ヤクルトが昨年の開幕投手を務めた鈴木康投手を放出してまで獲得し、武上監督も「これでウチにも太い柱が出来た。年齢的にもベテランの松岡と若手の尾花の間でバランスも取れている。井本には15勝を期待している」と胸を張った。事実、キャンプからオープン戦を通じて結果を残し評価は揺るぎないものとなっていた。

ところが本番のペナントレースが始まると4月と5月に1勝づつしただけで期待を裏切り続けた。セ・リーグのストライクゾーンに戸惑ったのか直球とカーブでカウントを稼ぎシュートやスライダーで討ち取る得意のパターンが消えてしまった。身上としていた内角球でエゲツなく攻めて打者をのけ反らせる事も少なくなった。「新しいリーグに遠慮してよそゆきの野球をしている」と投げればKO続きに武上監督の信頼も失いつつある。6月18日の阪神戦に先発した井本は初回に打者6人に対し3安打・2四球で5失点、犠牲バントの1死を取っただけで1回持たずにKOされた。遂に武上監督は井本に二軍降格を言い渡しミニキャンプ指令を出した。上水流トレーニングコーチが専従し「とにかく走って走って倒れても更に走らせた」という特別メニューを課し、井本は日に日に強まる陽射しの下で走り続けた。

ミ二キャンプは10日間で終わったが即一軍に呼ばれる事はなかった。井本が不在の一軍投手陣はベテランの松岡・梶間投手にヘバリが見え始め尾花も打球を右膝に当てて怪我をするなど満身創痍状態でノドから手が出るほど井本の復帰が待たれたが、首脳陣は調整に万全を期して一軍昇格は1ヶ月後だった。「正直言って苦しかったです。これだけやってダメだったら今年はもう使ってもらえないかもしれない(井本)」 井本は打撃投手まで買って出て投げ込んだ。近鉄時代のプライドも全て捨てて鍛え直した。にも拘らず7月13日の大洋戦に先発した井本はまたしても期待を裏切り6回・6失点でKOされた。降板後はベンチに放心したように座って虚ろな目でグラウンドを見つめる姿が印象的だった。

井本にはどうしても頑張らなくてはならない事情がある。そもそも今季の不調の原因とまで言われている現夫人との離婚問題は解決していないが同棲中の女優・横山エミーさんがこの8月に出産する予定だ。井本にとって初めての子供だがその子の為にも今オフまでには離婚を成立させ心機一転、親子3人の新たな家庭を築かなければならない。公私ともに背水の陣で臨んだのが今季初完封で勝利した冒頭の大洋戦だった。「自分がどれほど期待されているのか、は分かっていました。ただそれで意識過剰になり必要以上に力が入り過ぎていました。それを反省して自分のピッチングをする事だけに集中しました。本来の自分を取り戻せば勝てる、と言い聞かせて投げました」と後半戦初勝利を振り返った。ヤクルトに請われてやって来た井本が初めて見せた自分らしさだった。「やっと開幕した気分ですよ」 手負いの男の逆襲が今始まった。
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