この年のドラフト候補選手は開催前から不作と言われていましたが、いま振り返って見ても不作と
言うより凶作でした。指名人数が1球団4人までと限定された為、即戦力を確保するのが優先されて
高校生の指名は26人に留まりました。高校生を1位指名したのは5球団でしたが成功と言えるのは
中日・牛島投手くらいです。一方、大学・社会人も人材は豊富とは言えませんでしたが、前評判通り
阪神・岡田、日ハム・木田は新人王に相応しい成績を残しました。 指名人数枠が少なかった為に
ドラフト外で選手を取り合いをする事もあり、 ドラフト下位指名選手よりも契約金が高くなる現象も
起きました。また目玉の岡田・木田は指名後も話題に事欠きませんでた。
岡田は子供の頃から阪神ファンで阪神入りには何の障害もありませんでした。1億円とも言われた
契約金についても 「片手くらいやったみたいですよ」 と金銭条件は二の次といった口ぶりでした。
大阪で事業を営み阪神のタニマチ的存在だった父親・勇郎氏は指名の挨拶に来た小林スカウトに
入団する為に二つの条件を出しました。➊三塁手として起用すること ➋合宿には入れず自宅から
甲子園球場へ通わせること、の二つです。球団側はこの条件をアッサリと認めてしまいましたが、
チーム内やOB連中からは批判の声が上がりました。➊は掛布という この年 本塁打王のタイトルを
獲得したレギュラーがいます。掛布は大人の対応をしましたが、波乱を期待するマスコミのヤジ馬
連中は早くも「掛布vs岡田」を煽り、➋については「子離れしろ」と世間からも批判されました。
前年の広島指名を拒否し、「在京のセ」を希望していた木田勇投手は日ハムに指名されましたが
こちらでも父親が交渉の場へ登場しました。指名の挨拶に訪れた三沢スカウトに対して 「本人が
嫌だと言っているのに何故指名したのですか」と気色ばんで抗議しました。当初は拒否の姿勢を
見せていましたが時間が経つと徐々に軟化していきました。最後は条件面の駆け引きとなり木田は
「都内に両親と住める土地が欲しい」と要求しましたが、日ハム側が意図的 ? にその事を外部へ
漏らした為、木田側は世間からの批判に晒されました。予想以上のバッシングに慌てた木田側は
土地の要求は取り下げて契約し入団しました。
日ハム・木田 阪神・岡田
ロッテ・竹本 中日・牛島 南海・香川(2位指名)
近鉄・藤原 巨人・林 大洋・杉永
南海・名取 広島・片岡 西武・鴻野 ヤクルト・片岡 阪急・木下