Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 363 本命なき去就

2015年02月25日 | 1983 年 



またぞろ長嶋氏の去就に関する見出しがスポーツ紙の一面に踊った。『ミスター遂に決断』…5月21日の後楽園球場内のサロンには長嶋派と呼ばれている面々が「今朝の見出しを見た?」「在京の大洋、ヤクルト、日ハム以外のチームは初めてだけど本当かね?」とヒソヒソ話。金田正一、張本勲、杉下茂、土井正三らは情報を持ち寄り情勢分析を頻繁に行なっている。彼らが最近しきりに口にするのが「大洋は長嶋さんに似合わない」である。開幕から巨人を走らせた最大の原因は大洋の対巨人の不甲斐ない戦いぶり。殆どが試合序盤で大量失点したり、リードしていても終盤でひっくり返されるパターンが常態化している。「二度と惨めな思いをさせたくない」と言うのが彼らの共通した思いで長嶋巨人1年目に最下位になった時の二の舞いは御免という訳。巨人と対等に戦えるチームでないとダメだとすると既出のチーム以外で監督召致に動く可能性のあるチームはあるのか?

長嶋氏周辺には解任した読売グループを未だに許していない人は多い。長嶋氏本人の本音は巨人復帰であると推察されるが周りは巨人を倒せる球団を考えている。だから大洋やヤクルトでは駄目でリーグの違う日ハムなど論外なのだ。では現実問題として希望に適した球団はどこなのか?「仮に西武がセ・リーグだったら文句なしだがそれは有り得ない。巨人のライバルと言えば阪神だがあそこが巨人出身の長嶋を受け入れるとは到底考えられない。とすると消去法で中日が残る」と言うのは某スポーツ紙記者。中日と言えば巨人とは親会社が新聞戦争を繰り広げているライバル球団だが長嶋氏本人は中日に対して悪い印象は持っていない。昨年8年ぶりに優勝した中日がまだ巨人が首位だった夏頃に早々と中日優勝を予言していたのは数ある評論家の中で長嶋氏ぐらいだった。

「宇野、田尾、中尾らビビらない肝っ玉の持ち主が揃っている。このタイプは接戦になればなるほど力を発揮する。投手陣にも疲れ知らずの若手が多く最後に抜け出すのは中日」と多くの評論家が巨人優勝を唱える中で中日の逆転優勝を宣言した。そもそも中日は長嶋好みのチームカラーで巨人の監督時代から三振が多く穴だらけで忘れた頃に一発を放つ程度の選手だった宇野を見て「いいねぇ、ああいうタイプは好きだね。打者はあれ位の思い切りが必要、2~3年後には良い打者になる」と言い切っていた。昨年終盤の直接対決でに9回裏に江川から4点を奪ってサヨナラ勝ちした時のような野武士的キャラクターが揃っている中日は実は長嶋氏好みなのだ。しかも中日球団フロントも長嶋氏に対してはライバル球団の元監督ではなく、球界の功労者という認識で長嶋氏個人には好印象を持っている。巨人出身の黒江コーチの存在が巷間言われる " 巨人アレルギー " は過去の話である事を証明している。

今季の近藤体制は盤石の筈だった。日本一は逃したが昨年8年ぶりの優勝を果たした近藤監督は投手分業制の確立や大胆な采配で評価を高めた。普通なら監督を交代させる理由はないがシーズンが始まると予想外にもたつき、様々な不協和音が漏れ伝わるようになった。しかし、何故長嶋氏なのか?そこには激化の一途を辿る中部地区での親会社同士の熾烈な新聞拡張戦争があるという。巨大全国紙に勝つ切り札こそ長嶋氏なのだ。企業戦争では相手方のエースを引き抜く事が最も手っ取り早い戦略であるのは明白。そのエースが相手企業のシンボル的存在なら効果は絶大だ。昭和44年に巨人の監督を永く務めた名将・水原茂を中日の監督として迎えた時の名古屋市民の反応は「宿敵の将をよくぞ獲ってきた」と好意的だった。長嶋氏の場合は恐らくこの時を上回る爆発的な人気が巻き起こるのは間違いない。

大洋は確かに長嶋氏が解任された翌年に中部藤次郎大洋漁業社長が正式に長嶋獲得宣言をし、昨年は大洋球団の株主であるサンケイグループと歩調を合わせて獲得を目指したのは事実。フジテレビの副社長との接触や長嶋氏が信頼するニッポン放送の深澤アナウンサーが使者となって交渉が進み監督就任は間近と言われてきた。ところがここにきて大洋漁業本社内に「監督としての能力は本当の所どうなのか」と疑問視する声が出始めるなど足並みの乱れが見えるようになり、そこに今回の中日説の出現。更に新たに中日説は巨人の陰謀だ、という声が飛び交うなどして事態は混沌としてきた。巨人の陰謀とは中日内部を混乱させてスタートダッシュに失敗した昨年の覇者の息の根を止めてしまおうとしている、という情報操作であるというもの。話がここまで飛躍すると何処までが真実なのか分からなくなる。

ところで肝心の巨人内部では現時点での長嶋氏はどういう存在なのか?日本テレビの氏家斉一郎副社長が年始の定例懇親会で「長嶋君が巨人のユニフォームを着る事はないだろう」と発言した。それに呼応するように球団内部に「そろそろ区切りをつけてあげた方が長嶋の為。淡い期待を持たせ続けるのも気の毒」との機運が漂い始めている。一方で長嶋氏が好き勝手に球団を選べるかというとそうではない。長嶋氏と個人的に親しく今でも球団の要職就任を要請し続けている正力オーナーの存在が大きい。過去2年間に複数の球団が正式要請する前の打診する段階で一つの関門となっていたのが正力オーナーで、オーナーが「ウン」と言わなければ打診すら出来ないのが実情。となると必然的にオーナー同士が懇意なあの球団が浮上してくる。ヤクルトである。松園オーナーは昨年の暮れ、セ・リーグオーナー懇談会の議長職を正力オーナーからバトンタッチした。常々、「正力オーナーの意を汲んで…」とまるで兄弟のようだ、と揶揄される程の間柄。ヤクルトも大洋同様にフジサンケイグループの一員、ここにきてヤクルト本命説が最右翼となりつつある。
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# 362 嗚呼、阪神…

2015年02月18日 | 1983 年 



「安藤!お前が監督をしていたら阪神は勝てん。即刻ユニフォームを脱げ。さもないと…」宝塚市梅野町にある安藤監督宅に差出人不明の手紙が届いた。「現場の責任者への風当たりは強い。夫が阪神の監督に就任した後は宿命だと諦めています」と最近は多少の事では驚かなくなった宏子夫人。しかし手紙に同封されていた " 異物 " に悲鳴を上げた。カミソリの刃とゴキブリの死骸が入っていたのだ。夫の安藤監督は開幕直後の勢いが嘘の様に低迷を続ける阪神の責任を一身に背負っている。そんな夫に野球以外の事に神経を使わせたくない、と脅迫まがいの手紙は夫が目にする前に捨てているが無様な負け方をすると2~3通の手紙が送られて来る。しかし安藤本人は紳士的な外見と違って意外と図太い。監督生活も2年目となると「カミソリでもゴキブリでも何ともないですよ。そんな事で気が済むのならどうぞ送ってきて下さい。いちいち気にしていたら命がいくつあっても足りませんよ」と当初は落ち着いたものだった。

開幕戦こそ負けたが直後の巨人戦で定岡と江川を攻略して2勝1敗と勝ち越して昨年同時期の5勝13敗2分と比べたら大違い。しかし首位巨人が勝ち過ぎて阪神の健闘ぶりが霞んでしまっている。「いくら阪神がソコソコ勝って例年よりエエと言うても巨人を見てみい、関西のマスコミが19年ぶりの優勝気運が高まったと煽ってもシラけるだけだわ」と阪神ファンは冷めている。更に悪い事に開幕から1ヶ月が過ぎると徐々に阪神の調子が落ち始めた。5月10日の甲子園での中日戦に4対8で敗れたのに続き翌11日も7対10で敗れた。試合後の安藤監督は「今日は何も言う事はない・・失礼」と報道陣の前から消えた。既に1ヶ月前の余裕は無くなっていた。負けが込んできた原因は投手陣の踏ん張りが利かなくなってきた事に加えて開幕直後は絶好調で「4割打者の誕生か」位の勢いだった掛布のスランプも。更に真弓が左太腿肉離れ、アレンが左手人差し指を骨折して登録抹消になるなど故障者も続出した。

嘘か誠か最近「関西のスポーツ紙の中でA紙の夏のボーナスは全員カットされるらしい」との噂が渦巻いている。他社は宅配が主なので阪神の勝ち負けで販売数は変わらないがA紙は駅売りが中心なので阪神が負けると売上げが激減するという。事ほど左様に関西地方において阪神の動向はあらゆる方面に影響を与える。刺激的な見出しに定評のあるB夕刊紙に「阪神主力選手に大麻疑惑」の文字が躍った。事実なら大事件だが後追いするマスコミはなかった。記事では大阪新地キタに芸能人が頻繁に出入りすPという高級クラブがあり、そこで夜ごと大麻パーティーが開かれて逮捕者が出た。その店の常連に阪神の選手もいるから怪しい、ただそれだけの事で「疑惑」には程遠い憶測だった。つまりは困った時の阪神頼みで関西ではよくある話だが、その頼みの綱が開幕2ヶ月で路頭に迷った。独走する巨人の姿は遥か先…

巨人は20以上も貯金しているのに阪神ときたら6月5日現在、借金生活だ。思えば5月中旬から下旬にかけての対ヤクルト、広島戦の6連敗が痛かった。「私の計算では悪くて3勝3敗、上手くいけば4勝2敗と踏んでいた。今思うとそれでも甘い考えだったがまさか6連敗するとは…監督の不徳の致す所で弁解の余地は有りません」と安藤監督は項垂れた。続く中日戦は2勝1敗と勝ち越したが相手の中日は今の阪神以上に状態が悪く、監督と選手間がギクシャクしており阪神のお株を奪うかのようなお家騒動を展開中だ。その中日には勝ててもその後の巨人3連戦は負け越した。しかも負けた相手が江川や西本なら分かるが新浦と堀内といった " カビが生えたような " 投手に抑え込まれる体たらくにファンの怒りも頂点に。特にコーチ兼任のヨレヨレの堀内に負けた翌日の関西スポーツ紙はこぞって阪神の意気地の無さと「伝統の一戦」の看板が泣いているという記事が溢れた。

低迷の元凶は一体何なのか?行き着く所は主砲の掛布であり、開幕前の「3割・20本」宣言が虚しい岡田や故障続きで空砲のバースなどの打線の不調にある。開幕前に危惧されていた投手陣はベテランの野村や新鋭・工藤の台頭もあって何とかやり繰り出来ている。真っ先にやり玉に挙げられるのが掛布だ。開幕しばらくは絶好調で三冠王もしくは4割打者か、と騒がれたが5月中旬あたりからパタっと打てなくなった。原因は突然に胸部に激痛が走る奇病を患ったせいだ。現代医学でも原因不明の病で疲労が蓄積すると発症し、痛みだけでなく皮膚の一部が黒ずむ難病だった。激痛を抑える為にサラシをグルグル巻きにして打席に立った。一時、左方向へ流し打ちばかりだったのを憶えている方も多いだろう。「いいねぇ、最近は外角ばかり攻められるので引っ張らずに左方向の打球が多いんですよ。調子の良い証拠です」と掛布は言っていたが真っ赤な嘘。激痛で思い切り振る事が出来なかったのである。

5月の6連敗中の掛布は19打数4安打・打率.211・4打点、直後の巨人戦も12打数1安打と1割を切る打率。しかし当たりが止まっているのは掛布ばかりではない。不振の岡田やバースに加えて2000本安打達成後は極端に打てなくなった藤田、守りと走塁は一流だが打撃は二流の北村、盗塁がフリーパス状態で打撃まで神経が回らない笠間、新人の平田などに強打を求めるのは酷な話。だが打線にばかり低迷の原因を押し付ける訳にはいかない。野村や工藤など奮闘している投手もいるが肝心のエース・小林がだらしない。小林は6連敗中に2度先発したが玉砕。特に巨人戦では新浦に投げ負けただけでなく、新浦にプロ2本目となる本塁打を喫した。掛布に次ぐ高給取りが投手に打たれるようでは巨人に勝てる筈がない。何はともあれ猛虎復活の為に選手一人一人にガッツと自覚を促したい。
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# 361 スパイ大作戦 ④

2015年02月11日 | 1983 年 



話は半世紀前に遡る。アスレチックスにH・アームキーという35歳のベテラン投手がいた。彼は大リーグ通算166勝の一流投手だったが1927年には既に肩はボロボロだった。ア軍はこの年の夏場に入って首位に立ち優勝を射程圏内に捉えた。このまま行けばワールドシリーズに出られるかもしれない。最後の遠征を前にコニー・マック監督はアームキーを呼び「君を遠征に連れて行かない。この先は君の代わりに若い投手を使うつもりだ。今までご苦労さん」と告げるとアームキーは「監督の言う事は理解出来ます。でも16年間投げてきた私の夢はワールドシリーズの舞台で投げる事です。優勝したら1イニングで構わないので投げさせて下さい」と訴えた。それに対してマック監督は「分かった。相手のナショナルリーグで優勝するのはカブスだと私は睨んでいる。今日から君は投げなくていいからカブスの弱点を探ってくれ。そしてカブスが相手と決まったら君に投げてもらう」とアームキーに新たな任務を課した。

こうしてアームキーの諜報活動が始まった。カブスの試合を追いかけ監督の作戦の傾向、サインの出し方、投手や打者の癖を探り克明にメモを取った。更に選手の私生活まで監視するようになった。その間にアスレチックスは優勝しマック監督の読み通りカブスがナショナルリーグを制した。1927年10月8日、遂に両チームによるワールドシリーズが始まった。第1戦のア軍の先発投手はアームキー、敵も味方も唖然とした起用だったが結果は1失点の完投勝利だった。最終回は三者連続三振、計13奪三振は当時のワールドシリーズ新記録だった。このケースはアームキー本人が情報を収集・分析をし実践するという実に有効かつ効率的だった。この年のワールドシリーズはア軍が4勝1敗で制した。アームキーの他にウォルバーグ、アーンショウ、ロメルの3投手が1勝づつしたがアームキーの情報を共有した事は想像に難くない。

このアームキーの一件は大リーグ各球団に大いなる教訓となり、多くの球団が大なり小なり情報収集をするようになった。日本で言う先乗りスコアラーで米国では " アドバンス・スカウト " と呼ばれて、それを専門の職とする者まで現れた。有名どころではアル・キャンパニス(現ドジャース副会長)だ。現役時代は二塁手だったが選手としては大成しなかった。後に今でも読み続けられている名著『ドジャース戦法』を書いたり、スカウトに転じてあのサンディ・コーファックス投手を発掘するのだが、アドバンス・スカウトとして手腕を発揮したのが1959年のホワイトソックスとのワールドシリーズだった。相手のあらゆる情報を収集しホワイトソックスを4勝2敗で下してワールドチャンピオンフラッグを初めて西海岸の球団にもたらした功労者である。

ドジャースは西海岸にやって来る以前にブルックリンを本拠地にしていた 1939年~48年は名将・ドローチャーが監督を務めていたが彼は後年に『お人好しで野球に勝てるか』という半自叙伝を出版したが、題名からも推察出来るように現役から監督時代に至るまで一貫して " こすっからい " 野球に徹していた。ドローチャーの指示でドジャースはサイン盗みをしていた。当時のエベッツフィールドには手動式のスコアボードが設置されていたが、その中に潜み双眼鏡で捕手のサインを覗いていた。H(安打)・E(失策)・FC(野選)を示す小窓からハンカチを振って打者に球種を教えていた。Hの小窓なら直球、Eならカーブ…、そのお蔭なのかドローチャー監督時代のドジャースは強く、1944年を除く全ての年で3位以下に落ちる事はなかった。

同時期のインディアンスのアルビン・ダーク監督も同じような事をやっていたがその方法は些か稚拙だった。外野にしかるべき偵察要員を配置するのは一緒、ただし打者への伝達方法がお粗末だった。偵察者は外野席の最前列に陣取り、靴を脱いで両足をフェンスの上に差し出すのだがその姿は少々奇異だった。両足に履いているの靴下の色が赤と白と左右別々だった。そう、御想像の通り赤色の靴下なら直球・白色ならカーブ・両足ならチェンジアップを意味していた。しかし左右で色違いの靴下を履く事自体奇妙なのに、それをわざわざ見せびらかす態度を不審がらない方がおかしい。直ぐ相手にバレてしまった。

ワールドシリーズは後になって別称が付けられる事がある。1977年のワールドシリーズは、R・ジャクソンが「Mr.オクトーバー」の名に相応しい活躍を見せ「レジー・シリーズ」と呼ばれるようになった。その前年の1976年は「ウォーキートーキー・シリーズ」と呼ばれている。日本語に翻訳すると「携帯無線シリーズ」だが何故このように呼ばれるようになったのか?第1戦での事、ヤンキースの球団職員がネット裏の最上段からベンチに無線で連絡を取っていた。「右翼手をもっと前に、中堅手を右寄りに」…これに対戦相手のレッズが抗議した。判断はコミッショナーに委ねられたがヤンキース側は「データに基づいて守備位置の変更を指示しているだけ。ベンチからだと全体像が掴めないので高い位置から見ている。ネット裏上段から見ているので相手ベンチや捕手のサインを覗く事は出来ない」と主張し、コミッショナーもこれを認めて無線の使用を許可した。

第二次世界大戦前のヤンキースにビル・ディッキーという捕手がいた。ある試合での出来事、新人が打席に入った。彼は1球毎に打席を外して三塁コーチの方を見るがサインは毎回同じ。たまりかねたディッキーは言った「オイ坊や、三塁コーチは何度もエンドランのサインを出しているんだ。次の球は外角に来るから上手くやれよ」と新人に花を持たせた。また今季に阪急に来たバンプ・ウィルスの父であるモーリー・ウィルスの場合も面白い。盗塁王の常連である俊足のウィルスが一塁に出塁して、すかさず盗塁を狙うが相手バッテリーの呼吸が合わずサインがなかなか決まらず投げられない。投手はカーブを投げたいが盗塁を阻止したい捕手は直球を要求していたのだ。業を煮やしたウィルスは捕手に向かって「カーブの時は走らないから投手の希望を聞いてやれ」と怒鳴った。塁上のウィルスにサインは筒抜けだったのだ。

マイナーリーグの場合はもっと大胆になる。とある試合でバッテリー間のサイン盗みが得意な三塁コーチは投球と同時に大声で球種を叫んだ。すると投手の中には咄嗟に投げる球を変えたりして対抗した。そこで三塁コーチはコーチスボックスの一角にスコアボードの電光掲示板に直結するボタンを埋め込んだ。ボタンを踏んで電球を点けたり消したりして打者に球種を伝えたのだ。しかしこの方法も露見してしまう。風が吹こうと雨が降ろうと三塁コーチが立つ位置が変わらない事に不審を抱いた相手チームがボックス内を隈なく調べてボタンを発見したのだ。いつの時代もスパイ行為は無くならない。なら対抗策は無いのか?少なくともバッテリー間の防止策なら有る。捕手がサインを出したら投手が間髪入れずに投げればいいのだ。最近の大リーグの試合時間が2時間10分~20分に収まっているのもそのせいだと思われる。スピードアップは観客へのサービスだけではなくサイン盗み防止も兼ねている。

話は現代に戻るが大リーグは今、新たなスパイ問題で揺れている。なんとコミッショナーが独自にスパイを雇って選手の私生活を監視しているというのだ。事の発端は選手会理事長のモフェット氏が「コミッショナーの監視に注意するように」との通達を選手にした事である。当初はコメントを出さず静観していたコミッショナー事務局だったがファンの間にまで抗議の声が広がると記者会見を開き「我々は大リーグの健全化を維持する為に選手らがギャンブルなどに手を出さないよう監督しているだけで私生活を覗き見している訳ではない」と釈明した。これに対し選手会側は「選手は勿論、家族のプライバシーまで脅かされている。事務局の説明は説得力に乏しく広範囲の調査は適切でない」と反論した。今の所コミッショナー側も引き下がる気配はなく今後の成り行きに注目が集まっている。
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# 360 スパイ大作戦 ③

2015年02月04日 | 1983 年 



投手が投げる球種が予め分かれば打てる確率が高くなるのは間違いないだろう。しかし一方でベンチから伝達される情報を気にする余り目の前にいる投手に対する集中力が削がれてしまうのを嫌う選手がいるのも事実。富田氏が指摘したように「カーブ」と信じて踏み込んだもののシュートが来て死球を避けられずに病院送りとなった例も少なくない。概して球に喰らいつくタイプの打者は球種を教えられると逆に打てなくなるケースが多い。スパイ行為にはそうしたマイナス面もあるのだがベンチからの伝達が一向になくならないのは何故か。

「そりゃ確実性が上がるからです」と多くの関係者が口にする。「例えば犠牲フライが欲しい場面でプロの打者なら球種さえ分かればほぼ確実に外野フライは打てる」と多くの打者は言う。球種が分かっていたら打ち易いのは当たり前で年間130試合トータルで見れば得点増に大きく貢献しているのは明白。打者は「この投手は次にどんな球を投げてくるのか」に神経を注ぎ、ある意味でそれが投手との戦いの全てだ、と言い切る打者が殆ど。「そうした神経戦をサイン盗みは省いてくれるのだから打者は楽だ」と。「僕らは相手の先発投手が発表されると、この前はああ攻めてきたから今日はこうくるかなとか色々ケースを想定するもんです。相手バッテリーとの腹の探り合いが野球の面白さなんですよ」とパ・リーグのある主力打者は言う。それがスパイ行為で球種を事前に教えられたら自分の頭であれこれ考える必要がなくなる。全て他人任せの状態に慣れてしまうといざ情報が与えられなくなると対応出来ない。自分で分析・蓄積してきたデータと経験があってこそ相手の出方を推測出来る。

長いプロ野球の歴史の中でスパイ行為なんかに依存しなくても自分で相手の動きを観察して癖を見破り、それを財産にして自分の投球や打撃を伸ばしてきた選手は数多い。それこそが本当の " 骨身を削る戦い " にもなる。現在ではどこのチームでもやっているビデオ撮影による研究は決してスパイ行為ではない。例えば江夏投手(日ハム)のセットポジションからの一連の投球動作で両腕の動きの違いで直球か変化球かを見破ったチームがあった。当然の如く江夏は滅多打ちされた。しかし江夏は自らその癖を逆手に取って利用し次に対戦した時は完全に抑え込んだ。鈴木啓投手(近鉄)もまた投げる際の口の動きで球種がバレた事があったが直ぐに修正した。定岡投手(巨人)の場合はカーブを投げる時だけ口から舌がチョロっと出てしまう。何度も直そうとしたが緊迫した場面では、つい癖が出てしまい痛打される事がしばしば続いた。そこで癖を直すのを諦めてカーブ以外を投げる時も舌をわざと出すようにして窮地を脱した。ビデオに撮り研究して癖を見つけるのもプロなら、それを乗り越えるのもプロである。

投球フォームの癖だけではない。例えば走者を背負った場面でフォークボールを投げるつもりで球を指で挟んでいたら素早く牽制球を投げる事は出来ない。そういう時は取り敢えずマウンドプレートを外すだけにとどまる。それだけの事で観察眼の鋭い打者は " フォークボールを投げるつもりか " と察知する。しかし経験の浅い若い打者はそうはいかない。「だから自分なりの対処法を持たない若手には癖を見破った三塁コーチなどから伝えてやる。それは決してスパイ行為ではない」と自軍は絶対にスパイ行為をしていないと断言するセ・リーグの某球団コーチは語る。かつて阪急にダリル・スペンサーという豪快かつ緻密な頭脳を持つ元大リーガーがいた。彼は相手投手の癖をメモした小さなノートをズボンのポケットに常に携帯して他の打者にも教えていた。それが後の阪急黄金時代の礎を築いたという関係者は多い。これもスパイ行為ではなくれっきとした戦略であり、相手の癖やパターンを読み解く野球の醍醐味の1つである。

最後に座談会にも出て頂いた富田・関本両氏に自身の体験談を語ってもらおう。「嘗て西鉄ライオンズで20勝して新人王にも輝いた池永正明投手は同い年だったんだけど、彼が引退後に『トミには痛い所でよう打たれたな』と言っていたが彼は気づいていなかった。僕が彼の投球パターンを見抜いていた事を。勝敗を左右する場面の決め球はいつもスライダーで、その前には必ずシュートを投げてきた。それも打ち取る為のシュートではなく死球すれすれのシュートを投げてきた。ベンチからの情報なんて必要なく次のスライダーを踏み込んで苦も無く打ち返した。自分で考え自分の身体で得た情報を駆使して打ってこそ投手を攻略した充実感を味わえる(富田)」

「南海や広島で活躍した国貞泰汎さんと去年に会った時に『関本君のシュートは投球フォームで分かった。お蔭で5回は死球を避けられた』と言ってた。ただ打つだけじゃないんだよ、無用な怪我をしないというのもプロとして大切な事なんだ」「ホリ(堀内)さんがプロ2年目で肩で風を切ってブイブイ言わせていた頃に誰にも打たれなかったカーブ、いや昔で言うドロップを武上(ヤクルト)さんだけには打たれた。球の握りで球種がバレてたと分かったホリさんはカーブの握りのまま直球を投げた。しばらくその投げ方で武上さんを抑えたそうだ(関本)」…スパイ行為によって教えて貰う情報に頼って自分では考えようとしない打者がいくら打っても、こういう野球の面白さは体験出来ないという裏からの証言である。
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