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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 576 ペナントレース総括・日本ハムファイターズ

2019年03月27日 | 1985 年 



惜しまれる前半戦の " つまずき "
元盗塁王の監督が何故か盗塁を活用せず
開幕戦こそ勝利したが直ぐに8連敗を喫する最悪のスタートとなった今季の日ハム。それでもオールスター戦までには27勝26敗6分けと五分以上に戦ったのだから来季は楽しみである。しかし高田新監督1年目で不可解だったのは盗塁を活用しなかった事だ。盗塁数トップの阪急は156、続くロッテ・西武・南海も揃って100盗塁前後を記録したが日ハムは51盗塁だった。2年前には124盗塁だったのだから首を傾げたくなる。高田監督といえば現役時代の昭和46年に盗塁王となった実績があり、成功率は7割3分8厘で通算200盗塁を記録した俊足の持ち主。それだけに今季の足技が影をひそめたのは残念である。

投手陣の失策数は他球団を圧倒。河野投手1人で6失策
来季へ向けてのもう一つの課題が投手陣の守備強化である。投手はただ投げるだけではなく、6番目の内野手であることを自覚しなければならない。日ハム投手陣はつまらないミスが多かった。他球団投手陣の失策数は西武7、阪急8、近鉄9、ロッテ・南海12だが日ハムは20と圧倒的に多い。20失策中、打球をはじいたエラーは5個で捕球後の悪送球が12個もある。例えば新人の河野投手は6失策中4個が悪送球だった。こうしたミスは防げるミスだけにもったいない。

驚異的だった柴田投手の1試合平均の奪三振
守りに不安があった日ハム投手陣だが本職の投げる方はリーグでもトップクラスである。チーム防御率はリーグ2位。被安打率も2割5分6厘で優勝した西武に次ぐ2位。特に柴田投手の被安打率は2割3分5厘で打者を抑え込んだ。日ハム投手陣の特筆すべき特徴は奪三振の多さである。730奪三振はリーグトップで2位西武の645個に大きく差をつけた。柴田投手の存在が大きい。柴田の1試合平均の奪三振数は7.2個。西武の郭投手はオリエントエクスプレスの異名を持つ快速球の持ち主だが5.7個と柴田には及ばない。

番記者が選ぶベストゲーム
6月6日、対西武11回戦(平和台)。この日の前々日の6月4日の試合で郭投手に屈辱のノーヒットノーランを喰らい、翌5日も東尾投手・渡辺久投手に抑え込まれて2試合連続完封負けし、外出禁止となり博多の夜もお預けとなった。こうした憂さを古屋選手のバットが晴らした。1対1で迎えた9回裏、抑えの切り札・渡辺から左翼席へサヨナラ本塁打を放った。その瞬間、高田監督はじめ選手達は我を忘れて万歳!古屋は完投勝ちした河野投手と2人で監督賞を分け合った。前半戦は西武相手に負けが先行していただけに痛快なシーンだった。

清原獲りはマスコミサービス?というお粗末な話
来季のフロリダキャンプに暗雲が?と言ってもチームではなく記者団の話。ドラフト会議前まで番記者連中の間で「清原を獲って来春はフロリダへ行こう!」が合言葉だった。つまり清原入団 ⇒ 世間の注目が集まる ⇒ 担当記者がフロリダへ派遣、という図式。ドラフト直前になると大社オーナーが清原獲得を指示したとか、いやいや高田監督は即戦力投手を希望しているなど様々な情報が乱れ飛んだ。そして(指名を待つ選手は勿論、会社のお金で海外へ行けるかもしれない記者達も)運命の11月20日、清原に入札したが抽選に外れてフロリダ行きはオジャンとなった。

そもそもドラフトで指名する選手に記者が右往左往するなんておかしな話。これには伏線があった。9月初旬に日ハム本社がある大阪で大社オーナー主催の夕食会があった。出席したのは本社役員と球団からはフロントと監督以下スタッフ。その席で来春のフロリダキャンプが話題となった。球団フロントの一人が「フロリダは遠い。キャンプに取材に来るマスコミは少ないでしょうね」と言った。それに対して大社オーナーは「なるほど。マスコミが来てくれないと日ハムの報道は減るな。何か良い方策はないかな?」とフロント陣に問うた。すると「何かマスコミが注目する話題を提供する必要がありますね」と答えた。それが例の「清原を獲ってフロリダへ行こう!」だったのだ。

ドラフト会議終了後、高田監督は「残念でした。皆とフロリダへ行けなくなっちゃったね。名護でお別れかな(笑)」と。勿論、これは監督流の冗談だと分かっていたがドラフト以後は球団から来春キャンプについての具体的な話はない。思い起こせば昭和56年に初優勝した時、球団はマスコミ陣をハワイへの優勝旅行に招待してくれた。フロリダキャンプはヤンキースとの業務提携10周年を記念するヤ軍との合同キャンプで球団レベルを越えた日ハム本社を揚げた一大行事なのである。清原が入団しないから取材に行かないというのは有りえない。チームに同行するのが報道する者の義務だと考えている。
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# 575 ペナントレース総括・近鉄バファローズ

2019年03月20日 | 1985 年 



猛牛打線は復活。でも守乱では…
凋落の一途を辿った捕手の盗塁阻止率
捕手陣の凋落が目立った今季の近鉄であった。3年前の昭和57年は近鉄捕手陣は図抜けた盗塁阻止率を誇っていた。パ・リーグの平均阻止率3割2分6厘に対して近鉄は4割3分8厘。梨田選手は4割6分0厘、有田選手は4割1分6厘だった。その近鉄が翌58年は3割6分6厘、昨季は3割5分5厘と徐々に低下。今季は一気に2割1分5厘まで落ち、トップ・西武の3割7分5厘はもとより5位・阪急の2割7分7厘より数段悪いリーグ最低の阻止率である。重盗を含め103盗塁を許したのに対しアウトにしたのは僅か28試走というお寒い内容。


あまり期待の持てなかった外野手の肩
捕手同様に外野手の弱肩ぶりも露呈した。内野手へ返球し進塁、或いは帰塁する走者をアウトにした時に記録される補殺数は外野手の肩の強さの目安と言われている。日ハムのアンダーソン選手は打つ方では期待を裏切ったが守りでは12補殺と強肩ぶりを示した。特に8月6日のロッテ戦では1試合3補殺のパ・リーグ記録に並んだ。チーム別でも日ハムはトップの35補殺。それに対して近鉄はチーム全体でも日ハムのほぼ半分の18補殺に終わった。

満塁弾10発の200発打線が一躍看板に
こうした守備面のマイナスを補ったのが猛牛打線だった。近鉄のチーム本塁打数はパ・リーグトップの212本。バース・掛布・岡田を擁する阪神より7本少ないだけ。また満塁本塁打は10本で、これは昭和55年に西武が記録したパ・リーグ記録の9本を塗り替える新記録だった。昨季まで通算171本塁打を放ちながら満塁弾は未経験だった栗橋選手もプロ12年目にして初満塁本塁打を8月29日に放った。外人の本塁打もデービス40本、バンボ31本と2人だけで昨季の外人勢(デービス18、マネー8、デュラン7、コーリー3)の倍近くの71本塁打を放った。

番記者が選ぶベストゲーム
8月8日、対西武16回戦(藤井寺)。9回表を終えて得点は2対4とリードを許していた。西武先発の工藤投手は近鉄をお得意さんにしており、この試合も8回までデービス選手の2ランだけに抑えていた。9回裏一死後、代打・栗橋選手の安打を足がかりに柳原選手の適時打で1点差に迫り同点のチャンス。しかし代打・有田選手は三振で二死と追い込まれた。この絶体絶命の場面で村上選手が大仕事をやってのけた。初球のストレートを見逃した後のカーブを狙い打つと打球はライナーで左翼席へ。抑えの切り札・森繁投手から逆転サヨナラ2ランで劇的勝利を収めた。大石選手の怪我で出場機会を得た若武者が明日のスター選手の切符を手に入れた瞬間だった。

三塁手が本職の金村選手が投球練習をする異常事態
対阪急19回戦(ナゴヤ)は大乱戦となった。加藤英選手の3ランなどで序盤は大量リードの近鉄だったが投手陣の自滅と阪急打線の爆発で8回を終えた時点で7対5と追い上げられた。9回表の近鉄のマウンドには4人目の住友投手。住友は7回表二死一・三塁の場面で登板しピンチを抑えていた。この日はリリーフエースの石本投手が連投からくる疲れの影響でベンチを外れていて、首脳陣は最終回のマウンドを住友に託したのだった。9回表、先頭の石嶺選手は中飛で一死。次の福本選手は四球。ここで近鉄ベンチが動き鈴木康投手を投入。代打・ヒックス選手の3球目に盗塁を許したが空振りの三振に仕留めて二死までこぎつけた。

ところが蓑田選手に二塁打を許し1点差。続くブーマー選手にも適時打され7対7の同点に追いつかれた。なおも二死一塁で松永選手にボールカウント1-1となった所で左腕の依田投手に交代。しかし依田はストライクが入らず四球を与え二死一・二塁に。この時だった。何と近鉄ブルペンで金村選手が投球練習を始めたのだ。セットポジションからカーブを交えて真剣そのもの。さすがは報徳学園が夏の甲子園大会で全国制覇した時のエース。球の伸び・キレともに本職の投手と遜色なかった。近鉄に余り馴染みのない名古屋のファンはこの " 異変 " に気づかない。マウンドでは依田が苦しみ続けていた。代打・長村選手に対して初球こそストライクだったが2球目以降はボール球が3球続き、歩かせれば満塁となりピンチは広がってしまう。

近鉄ベンチでは岡本監督や仰木ヘッドコーチらが身を乗り出してブルペンをジッと見つめていた。投手コーチがベンチから飛び出してブルペンの金村と何やらヒソヒソ話。答える金村の表情にはいつものひょうきんさは消えていた。満塁になったらいよいよ金村の登板か?と思われた次の瞬間、ボールカウント1-3からボール球くさい5球目を打った長村の打球は力なく中堅手・佐藤選手の頭上に飛んで行った。結局、試合は近鉄が押し出しでサヨナラ勝ち。金村起用について岡本監督は群がる記者を押しのけて無言を通していたが再三の問いかけに「(金村登板は)本気じゃなかったよ」とポツリと答えるとすぐに話題を切り変えた。

しかし同じ質問をされた仰木コーチは「満塁になったら金村を起用する予定だった。谷宏投手が残っていたがウォームアップに時間が必要で間に合わないし、無理やり登板させて故障したら元も子もない。あの場面では負け覚悟で金村しかなかった」と苦笑いしながら告白した。さて、当の金村はというと「ほんまに行けと言われましたよ。久しぶりのピッチングでしたけど思っていたより違和感はなかった。これでも甲子園優勝投手ですからね(笑)。カーブもキレてましたしまだまだ捨てたもんじゃないと思いました。投げたかった?まぁね、エへへ」とブルペンでの緊張した金村からいつもの金村に戻っていた。
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# 574 ペナントレース総括・阪急ブレーブス

2019年03月13日 | 1985 年 



なんとか投・3本柱で戦い抜いたが
エース級4人を除けば僅かに6勝
来季に向けて投手コーチ陣を刷新した。伸び悩む若手投手に業を煮やした球団が大ナタを振るったのだ。梶本コーチはフロント入りし後任には植村元日ハム監督が一軍投手コーチに就任。足立二軍コーチは退団し近鉄に移籍。昭和50年以降、阪急がドラフト会議で1位に指名した選手は全て投手(昭和50年・住友、55年・川村は入団拒否)というのに多くが育って来ない。昭和51年の佐藤投手、同56年の山沖投手ら大学出身投手は戦力になったが昭和57年の榎田投手ら高卒投手は一向に芽が出ない。その結果、今季の阪急は64勝のうち山田投手、今井投手、佐藤、山沖の4人で58勝とベテラン頼りが鮮明となった。4月18日から10月12日にかけてこの4人以外で勝ったのは7月29日の星野投手ただ一人というのは驚きだ。

打撃専門のDHが打率2割そこそことは
指名打者の人材不足も優勝を逃した一つの原因である。昭和58年には広島から移籍して来た水谷選手がDHで打率.291・34本塁打と活躍したが、翌58年の開幕戦でロッテの土屋投手に左側頭部に死球を受け長期に渡り欠場。今季は新外人のヒックス選手を起用したが打率.212 と期待に応えられなかった。球団別指名打者の成績はトップの日ハムと2位のロッテが共に打率3割以上、30本塁打前後であるのに対し阪急は本塁打は30本と遜色ないが打率が2割2分5厘。この打率は5位だった南海の2割6分3厘より4分近く低い数字だった。

" 足攻の阪急 " の伝統を守った松永らの足
阪急伝統の足技は今季も健在だった。松永選手は38盗塁で盗塁王。以下、弓岡選手28、福本選手23、岩本選手21など走る選手には事欠かなかった。チーム全体でも156盗塁は断トツの1位だった。また弓岡は46犠打とプロ野球歴代3位の記録を樹立した。これだけの犠牲バントをしながら空振りやファールを除いた失敗は8月16日の西武戦、1回表無死一塁の場面でバントが投手前の小フライになった一度だけで、成功率は驚異の9割7分9厘だった。

番記者が選ぶベストゲーム
7月2日、対西武12回戦(西武)。西武に大差をつけられ4位に甘んじた阪急だが、たった一度だけ強い西武を追い詰めた試合がこの日の一戦だった。6月の中盤から後半にかけて13勝2敗のハイペースで西武とのゲーム差を「6」にまで縮めての試合は郭投手と佐藤投手が先発して始まった。6月中の勢いのまま阪急が3回までに5点をあげ郭をKO。藤田選手が、松永選手が、ブーマー選手がそしてヒックス選手までもが一発を放ち10対0で勝利し、5ゲーム差とした。しかしその後は勢いは続かず優勝を逃した。

2つの" ユルフン事件 " に象徴される今季のダメ勇者ぶり
シーズン前後半を通じて二度の出来事を見れば今季の気の緩み具合が分かる。ひとつは5月21日の西武戦におけるブーマー選手。別に怠慢プレーをした訳ではない。この試合のブーマーは本来の背番号「44」ではなく「12」のユニフォーム姿でプレーをした。前夜、西宮でのナイターを終えると翌日に所沢に移動した。その際にブーマーは荷物にビジター用のユニフォームを入れ忘れ、球場に到着してから気がつくというお粗末ぶり。当初は巨漢のヒックス選手のユニフォームを拝借しようとしたが横幅は余り、縦は寸足らずとサイズが合わず断念。仕方なく身長が10cm低い山沖投手のユニフォームを借りて事なきを得た。

このような時は相手側の了承が得られれば問題なく出場する事は出来るが、やはりプロとして恥ずべき事態である。山沖はこの日は登板予定が無く、いわゆる「アガリ」だったから良かったものの、当のブーマーは「自分の背中は見えないけど、やっぱり変な気分」といつもと違う状況が影響したのかこの日は1安打に終わり試合も2対5で敗れた。来日3年目の今季は打率こそ3割をマークしたが上田監督曰く「集中力を欠いて、ここ一番という場面で期待に応えていない」と苦言を呈した。1年目の年俸(2千5百万円)が今では3倍以上になり周囲からは慢心や気の緩みを危惧されていたが、不安が的中してしまった。

もうひとつは9月1日の南海戦、この試合は西宮球場でのデーゲーム。何と同球場の売り物であったスコアボートのアストロビジョンが故障してしまい使用出来ないという珍事が。昭和57年に総工費10億円をかけて完成した自慢の設備だったのだが、選手の名前や得点、更にはボールカウントまでもが表示されず草野球のようだった。そのせいではないだろうが7回裏には二塁走者の松永選手がアウトカウントを勘違いして刺殺された。「ベンチにいてもいちいちスコアラーにボールカウントを確認したり妙な感じだった」と上田監督も渋い顔。試合もエース・山田投手が打たれて逆転負け。「投手はスコアボートに『0』が並ぶのを励みに頑張るものなのに、何か気が抜けちゃって…」と山田も意気消沈だった。
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#573 ペナントレース総括・ロッテオリオンズ

2019年03月06日 | 1985 年 



三冠王・落合、村田兆治復活、話題は多いが…
やらずもがなのタイムリーエラーが多い
ロッテ投手陣のチーム防御率はリーグ3位。しかし総失点は4位。つまり失策がらみの失点が多く、防御率に反映されていない。総失点中の失策がらみの失点は「98」。その比率は13.8%でリーグ最下位である。ちなみに最も少ない阪急は「64」で9.2%だった。例えば4月17日の近鉄戦で先発した仁科投手は7回裏まで3失点に抑えていたが8回裏に6点を取られてKOされた。一死後に水上選手が失策。次打者は三振に倒れたので仁科投手はこの時点で水上選手の失策がなければこの回を抑えた事になり、この後に取られた6点は仁科の自責点にはならなかった。

村田投手の復活で増えたモノ。それは暴投
失策数106個で守備率が.979 とリーグ4位だったロッテ。これにはバッテリーエラーは含まれていない。暴投30、捕逸12 は他球団の2倍近い。そこには村田投手の復帰が関係している。勝負球のフォークボールは暴投になり易く、村田ひとりで11暴投。主戦捕手で129試合出場の袴田選手の捕逸は8個で特に多いことはないが、20試合出場の斎藤選手は3個と多い。しかし斎藤は内野手から捕手へ転向して間もない為に致し方ない。

新人・横田や西村ら4年目以下選手の台頭
バッテリー間も含めて守りのミスが多かったロッテだがチーム打率は両リーグで1位の2割8分7厘だった。打線の中心は三冠王の落合選手だが今季は若手選手の台頭が目立った。横田選手は打率.300 でプロ野球史上8人目となる新人3割打者になった。シーズン前は横田以上の評価だった岡部選手もシーズン終盤に一軍昇格し少ない試合数ながらも12打数7安打・打率.583・2本塁打と打ちまくった。また野手転向2年目の愛甲選手は5月26日の阪急戦でプロ14打席目にして初安打を放ち、規定打席には届かなかったが打率.305 をマークした。4年目の西村選手も打率.311 をマーク。これに2年目の高橋選手を加えたプロ入り4年目以下の若手選手は計1030打数313安打・打率.304 と結果を残した。

番記者が選ぶベストゲーム
10月5日・対西武25回戦(西武)は意地を見せた一戦だった。西武がマジック「1」で迎えた地元の試合での胴上げに燃える西武の先発は防御率1位を走る工藤投手。対するロッテは荘投手で試合は始まった。初回、荘が田尾選手に適時打を許し1点を献上した。しかも荘は右肩の異常を訴えて1回で降板、2回裏からは新人の小川投手に継投した。重苦しい雰囲気を払ったのが落合選手。4回表に逆転45号2ラン、9回表にもダメ押しの46号。緊急登板した小川も2回以降は西武打線を1安打に抑え、最後まで投げ切り3対1で勝利した。「シーズン前半戦、西武を走らせたのはウチの責任」と稲尾監督。精一杯の抵抗を見せたロッテに来季の光を見た思いがした。

うっかり有藤が本領発揮。2千試合出場を知らなかったのは自分だけ
今季も押し詰まった10月17日の対近鉄戦。この試合で珍しい布陣が見られた。本来DHのリー選手が右翼へ、有藤選手がDH・五番でスタメンに名を連ねた。リーが守備に就くのは初めてだがこれには理由があった。この試合が有藤の2千試合出場達成の日だった。最近は若手の愛甲選手や岡部選手にスタメンを譲りベンチスタートが多かった有藤に「記念の日はスタメン出場で」と稲尾監督の粋な計らいであった。スタメンを知らされた有藤は「最近は守る機会も減ってチームに迷惑をかける」とスタメン出場を辞退した。スタメンを勧めるコーチと固辞する有藤。試合前にはちょっとした押し問答になった。そこで折衷案として守りに就かないDHでの出場となったのだ。

後で分かったことだが実は有藤自身は「2千本安打の方ばっかり気にしていたのでうっかりしていた。今になって考えると稲尾監督に申し訳ないことをした」とこの試合が2千試合目だと監督やコーチは知っていたが本人だけが気がついていなかった。スタメン出場を伝えた千田守備走塁コーチは「てっきり本人も知っているものと思っていた。何故あんなに固辞するのか不思議だったが後で知らなかったことを聞かされて合点がいった」と苦笑い。なんともノンビリ屋でうっかり者の有藤らしいエピソードだった。ちなみに試合の方は苦肉の策にもかかわらず、リーは4打数1安打・2三振、有藤も先制タイムリーの1安打だけに終わり近鉄に負けてしまった。

ともあれ有藤は今季、目標としていた2千本安打を達成した最高の年となった。その甲斐あって今オフは大忙し。北は札幌から南は鹿児島まで全国10ヵ所で " 2千本安打達成記念パーティー " が開かれた。述べ1万人を超えるファンに祝福され笑顔・笑顔の日々を過ごした。今季終盤から終了直後にかけて来季の去就問題が再燃したが、それも球団との話し合いで決着し、12月3日に東京・錦糸町のロッテ会館で開かれたパーティーの席上で自らの口から「優勝する為にチームの役に立ちたい。代打でも何でも構わない」と現役続行を表明した。次々と目標を達成し名球会にも仲間入り。来季には通算300盗塁(あと21個)にも意欲を見せる。未だ闘う男は健在といった所だ。
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