現在ではプロ野球選手OBというよりテレビタレントとして有名ですが、あの江川や松坂でも
破れなかった甲子園大会の奪三振記録保持者・板東英二投手です。名門 徳島商のエース
として夏の大会準優勝をひっさげプロ入りしました。直球は速い、度胸も申し分ない。ただ
170cmに満たない身長を不安視する声も多くありました。中日に入団後、首脳陣は投手に
見切りをつけ捕手転向を告げましたが板東は涙ながらに拒否したこともありました。
それでも1年目 4勝、2年目 10勝、3年目 12勝をあげましたが球団が期待する「エース」に
値する投手にはなれませんでした。現在なら充分な成績ですが当時はエースなら20勝以上が
当たり前の時代でした。入団4年目に肩を痛めた板東は、球団からトレードに出すと通告され
ましたが引き取り手が無く、球団は仕方なく規定限度いっぱいの25%減の年俸で契約しました。
当然キャンプから2軍で燻ってましたが近藤貞雄コーチが抑えで使うことを進言し、当時としては
珍しい「火消し役」として板東は蘇えりました。
通算77勝のうち14勝目はあわや完全試合という勝ち星でした。プロ2年目の昭和35年8月2日
中日球場の対巨人戦、板東は初の2桁勝利を目指して登板しました。巨人の先発は藤田元司
中日は初回に2点を先行した後は藤田に抑えられ、投手戦となりました。7回表も3人で退けると
球場もザワついてきます。7回裏 本塁打で1点追加し 3 - 0、8回表は三・四・五番を難なく退け
あとは9回表を残すのみ。下位打線相手に気が緩んだのか代打のエンディ・宮本に三塁打を許し
ノーヒット・ノーランまでも消え、続く国松の二ゴロで1失点し完封も逃しました。
江川の1軍デビューは阪神戦でラインバックに逆転3ランを打たれて黒星だったことは知られているので、今回はプロの打者と初めて対戦した 「イースタンリーグ6球団拡大記念トーナメント大会」 の模様をとりあげる。
6月の1軍デビューより遡ること2ヶ月、春季キャンプも不参加で 心・技・体のいずれもアマチュアの
ままの状態にも拘らず半ば強制的にプロのマウンドへ送り出されました。試合の3日前「どうも球が
行かない、左腰も重いし肩の芯も出来上がってない…」と江川は現状をコーチに告げました。普通の
選手なら登板は回避されるでしょうが当時の江川の立場はそれが許される状況にありませんでした。
トーナメントの第2試合、対ロッテ戦は全民放各局が夕方のニュースで生中継しました。後楽園球場
には2軍戦では異例の3万2千人がつめかけ試合開始。ロッテの先頭打者・剣持は敵意ムキ出しで
打席に入り中前安打、2アウト後 四番落合が中堅越2塁打。五番新谷も左越2塁打で、いきなりの
2失点。続く2回は三者凡退でかたずけるも3回は一死後から4連打で3失点。結局 投球回数 3回・
投球数 65・打者 17人・被安打 8・奪三振 1・失点 5・自責点 4 がプロ初登板の結果でした。
江川は明らかに調整不足で全力投球からは程遠く、六~七分程度の力で投げているのが素人の目
でも分かりました。恐らく この時点で既に6月の阪神戦デビューが決まっていて、それに向けての
調整段階だったのでしょう。江川にとっては単なる顔見せ登板だったでしょうが相手のロッテは真剣
勝負でした。「国民的悪役」 を倒した高揚感からかロッテの各打者は、興奮気味に「高目は確かに
速いけど あれ位の投手は2軍にもいる(矢野)」「フォームが大人しいから怖さがない。カーブにキレは
無いしベルトから下の球は速くないよ(剣持)」「別に速くなかった(新谷)」など饒舌に語っていました。
しかし2安打した落合は「いい投手だよ」と一言だけ。やはり一流は一流を知るとでも言うのか何かを
感じ取ったのでしょう。
後年 阪神と巨人の監督として凌ぎを削った両雄は大学時代からライバル同士でした。2人は
競い合うように、そして互いの存在を意識しあって大学時代を過ごしました。大学の通算成績は
岡田 打率 .379 81打点 20本塁打
と遜色なく、両者 好成績を残しプロへ進みます。
原 打率 .398 105打点 21本塁打
岡田彰布は大阪で生まれ育ち子供の頃から甲子園球場に通うなど熱烈な阪神ファンでした。
父は大阪・玉造町で紙工業を営み、従業員で野球チームを結成して、大阪軟式野球協会の
天王寺支部に所属していました。岡田少年は小学校4年生の時、大人に混じりエースとして
投げてましたが10歳の少年に公式大会出場の資格は有りませんでした。その後 中学1年生で
関西選抜軍に選ばれ海外遠征に参加するなど将来を嘱望されていました。北陽高校に進学を
決めた3月、春の選抜大会に出場した北陽高を中学3年の岡田は甲子園のスタンドで応援して
いました。結果は北陽打線は17三振を喫っする完敗、その時の相手が作新学院の江川でした。
この時 岡田少年の目標 「甲子園出場」「早稲田大進学」「阪神入団」 に新たに「打倒・江川」が
加わりました。
原辰徳は甲子園のアイドル球児から卒業し、首都大学リーグの連続試合安打記録を塗り替え
長打力もついて2年秋には三冠王を達成するなど着実に成長していました。岡田が打倒・江川を
掲げていたのと同様、原はハワイ大のタツノ投手をライバル視していました。タツノとの出会いは
原がまだ高校生の時で、ハワイに遠征した時に対戦して全く歯が立ちませんでした。大学進学後
日米大学選手権大会で再び対戦するも完敗。「プロに行きます。希望は在京球団です」と進路を
ハッキリと口にする原ですが、プロ入りの前に「早くタツノ投手の球を打てる打者になりたい」との
新たな目標を掲げて練習に励み、3年時の日米大学選手権でタツノから本塁打を放ちました。
2人ともドラフトでは複数球団が入札し抽選となりましたが共に希望球団が引き当て入団しました。
プロ入り後は共に新人王を受賞し中心打者へとなっていきましたが 晩年 岡田はオリックスに放出
原は専門外の外野を守らされるなど共に冷遇を受けました。引退後は自軍の監督に就任するなど
ここ迄の2人の野球人生は似ていますが、この先どうなるか注目です。
川又(中日)・福間(ロッテ)・鹿取(巨人)
遠藤(大洋)・工藤(日ハム)
水上(ロッテ)・久保(近鉄)・藤沢(中日)
斉藤(大洋)・田辺(広島)
遠藤(大洋)・工藤(日ハム)
水上(ロッテ)・久保(近鉄)・藤沢(中日)
斉藤(大洋)・田辺(広島)