☃ 風花や運動場に朝礼台
「現在の学校ではなく、作者の心にある学校だろうか。教師も生徒も、句には一人も出て来ない。それが句の空間を広くしている。一句を読み終えて、改めて風花がきらきらと見え、切ない」
「俳句も詩歌の一つだから心に訴えて来なければならない。しかし、俳句はくどくど述べて訴えるものではない。物を通して読み手が感得するといった形の詩なのである。
『風花』『運動場』『朝礼台』と二つの助詞だけからなり、一見、ぶっきらぼうな句だ。だが、そこから見えてくるのは、詠みなれ、使いなれのではない、切ないまでにきらきらした『風花』なのである。
『朝礼台』が効いている。ぽつんとある感じだ。さらに朝礼台の『朝』が風花に響いている。
朝礼台という、やや古々しい言葉が、この場合、実に効果的なのだ。 実際は嘱目の句かもしれないが『心にある学校か』と読み手の想像力を刺激するのである」
私の句に 川崎展宏氏 がこれだけの字数を費やした選評を書いて下さった。
想い出の深い深い句だ。
結社に属してもいない見知らぬ私の句を取り上げて下さった。
有り難うございます。。ちょっと遅すぎますか?
椅子に座って窓の外に目をやると、風花が舞っていた。
今日は今年一番の寒さ。朝は気温は氷点下だった。
冬ごもりをしている。猫を膝にぼんやりと至福の時間だ。
それで窓の外の風花、思い出さずにいられない句が浮かんだ。
ほんの二~三分舞った花は、それっきり。。。。消えてしまった。
思い出すには充分な時間だった。