老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

  恥ずかしながら類想の中の類想

2018-01-31 13:03:28 | 俳句

             

 少し寒さがゆるぶ。
最近は、パジャマを素肌に着るのは今までと同じだけれど、その上から、古いカーディガンでも羽織らなければ、寒くて眠れなくなった。おお 嫌だが、何か?には勝てないことばかりである。
吟行に行くのに杖が離せない。
奈良公園を散策しながら、方向音痴の私は度々径を聞いた。
「私の今いる場所はどこでしょう?」
みんな、親切に詳しく径を教えてくれた。
休憩所にいると、杖をついている私を見た、椅子に座っている先客から、席を譲られたことも。
有難い、素直に親切を受け入れた。有り難うございます。何か?は(歳)だ。

 今日は、投句の締切。
やっと三句が出来た。

パソコンを開いていてこんな句に遭遇をした。    

          蒼空に千木の切っ先風光る

          青空に千木のすくつと冬桜

(風光る)は大きな神社に吟行をしたらしい句。(冬桜)は不肖私の、冬桜のお題を繋いだ私のしりとり俳句。
これぞ類想中の類想句だ。
捨てるも捨てないもない、しりとり俳句でのお遊びだからとは云え、、、、

     千木とは 

     

 『神社の大棟の両端に載せたX字状の材。堅魚木 (かつおぎ) とともに神社建築のシンボルである。元来は破風の先端が延びて交差していたが、雨仕舞いの関係から別材として棟上に置くようになった。比木ともいう』

 大きな神社にはそれなりに立派な千木は。
末のお社にはそれなりに、これらの比較をして神社の格を想像するのも楽しみである。

 最初に学んだ先生がこれらに詳しかった。
同じ門下生だから思わず(千木)なる言葉を使ったとも、、、、
両句とも発表をして通用をする句ではない。季語は大動き。すくっとも、切っ先も同意語。
潔くわたしは、おお、、恥ずかしい捨てます捨てちゃいます。
 
こんな月並な陳腐な発想しか出来ぬ私を恥じながら、精進が足らないのが哀しい。歳をとるのは嫌だやだ、、と今日は思った次第。 

  

     

 

コメント
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