①日本語としてわかるように。
今回のネット句会の選評の言葉。
①俳句についての考え方がおかしいと思われる句がたくさん。俳句は記録でも報告でもありません。『俳句の誕生』ご参考に。
②またダメ押しの季語もかなり多い。
③金子兜太の追悼句をいただきましたが、ほとんどアウト。金子さんがどんな人であったか、自分で作品を読んでつかんで。マスコミは真実を伝えません。とくに人のイメージについて。
前回の句会の選評に対する言葉。
指導をしても指導をしても駄目な投句者に少し厳しい言葉を発するのは。
(しかしながら、このように指導をやってくれる指導者は他にはいない。弟子の目顔をみて、当たり障りのない選評をする人の多いこと。結社の運営はそうでなければ、やってゆけない。)
結社の論客は素晴らしい人達ばかり。学の無い自分は彼等意見の理路整然とした、論理にを理解するのがやっと。
期待をしていた師の唱える意見に側近ばかりが賛同を。
もっと、論を論ずる者がいなかった期待外れ、、、私の思う事、外れているかな~?
(今、ある俳句界を取り巻く事柄)
しかし、凡人には凡人の動物的な本能と直感がある。
意見は述べるまでもなく、師や輪客の言っていることは、そのとおりと思う。
俳句なぞは、理屈で詠むものではない。
正直なところ、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、、、が高みに近づこうと心の底では思っていながら、下手な俳句を沢山作る境地を抜けられないでいる私の姿である。
大半の誌友も?
前回も今回も全没。
精進が足らないらしい。
🍒 春寒し恋も知らずに老いし猫
🍒 風光る湖移る雲の影
支離滅裂な今日の、何かを捨てて何かを拾う心の動き。私の忘備録であるから、私に分ればよい。