Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

報道メディアの正念場

2018-03-03 12:49:20 | 社会・経済

日本勢大健闘の裡に終了した、先の大韓民国・平昌(ぴょんちゃん)五輪中、決勝戦で韓国勢に惜敗した女子カーリング・日本チームが 試合の合間に嗜んでいた苺(いちご)の事が、ちょっとした話題になっている様だ。「大韓民国産」との触れ込みの所、実は先年 我国から不当に持ち出された苗が、韓国内で交配された品種らしいというのだ。

この件につき、今後こうした農産品種が持ち出されぬ様管理強化を図る 厚生労働大臣表明もされた様だ。「当然!」の一方で「遅きに失した」印象が強いのも事実。創作商品や技術などにまつわる特許の問題もそうだが、我国産業界には 総じて「オリジナル技術を、他国や他勢力に真似られない様、強い意思で守る」意識が欠如している様に思えてならない。経済の国益保持の為にも、是非とも意識改革が必要だと思うがどうだろう。

少し話が戻るが、朝日新聞が 前述の女子カーリング・チームが敗れた折、勝利した韓国チームを異常に持ち上げ報道した事が、各方面から批判されている様だ。「ああ又か」と思う反面、前述の苺とかに関する疑惑を、正しく伝えていたのかどうか?一抹の疑問が付き纏う。昨年来の 森友学園問題で、又も文書の不適切疑惑が表になり、そうした報道には血道を上げる朝日新聞勢力だが、国民市民の支持は この 10年でほぼ2/3まで後退したと言われる。以下、某ネット記事を引用しながら見て参りたいが、朝日「バカサヨ」編集陣がどれだけ意識しているかは、勿論分かったものではない。

「朝日新聞社崩壊はあるか」

新聞社のみならず、放送局の衰退も とっくに始まっています。私たちが「メディア」と称するものの形態が以前とは変化しているからでしょう。しかし。決して「問題は偏向ではない」と言いきれるでしょうか。衰退の一要因ではなかったでしょうか。私たちを「どうせわざわざ買って読んでも」という気にさせたのは、記事内容の酷い偏りを後に知らされ、うんざりするという個人的体験の積み重ねが、国中のあちこちで、数年がかりで起こったからに違いないのです。

その結果が、新聞販売店を襲い続ける 所謂「押し紙問題」でした。

販売店は疲弊させられ、新聞紙自体は全く潰れない、と。朝日新聞紙を初め 大手各社は、不動産など新聞以外の収入源を多く確保しています。だから呆れる様な対日ヘイト・スピーチをしていても、平然としていられるのです。

安部晋三総理大臣が朝日新聞勢力と闘う姿は、行政権力が報道権力と争っているだけに見え、特に問題とは思いません。ドナルド・トランプ米合衆国大統領は、その語り口が強烈だったり下品だったりしますが、私たち「民間」を虐めているようには全く見えないのです。

つまり、新聞社の問題は、もうその様にしか国民市民に認知されなくなったという事であり、「国民の声」でも「社会の木鐸」でも何でもなくなって久しい、と新聞社自身が思い知らねばなりません。そもそも「社会の木鐸」とは何ぞやという話で、私たちがこんな連中に 考えを左右されてはならないのです。(引用ここまで)

この記事を拝読すると、つくづくこうした問題は「読み手の情報読解力(リテラシー)にかかっている」との想いを新たにさせられる。拙者は、年に何度か遠出の折 ビジネス系カジュアルホテルに投宿の機会があるが、どの館にも、社局こそ違え 無料サービスの新聞多数が見られる。その多くは朝日系で、この事からも、いかに前述の「押し紙問題」が重いものかを 少しは感じる所である。言論表現は自由かもだが、あくまで原則論。真に国民の福利や 国家の安寧に資さぬ言動は許されるものではないとの自覚を、改めて促すべきと強く思う。今回画像は、当地北郊にての 名古屋鉄道の特急「パノラマ・スーパー」の様子を。

コメント (4)
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