先日の地元紙 C新聞に、国際連合総会にて、昨年暮れに採択された「平和への権利宣言」の記事があった。平和に生きる権利を全ての人に認め、国家が関与する戦争や紛争に、個人が「人権侵害」と反対できる根拠となる宣言の由。我国の非政府組織NGO(「平和への権利国際キャンペーン・日本実行委員会」と称す)も関与、日本国憲法の理念も反映されているとか。いかにも、何かと言えば「人類の理想」を振りかざすエセ人権勢力が喜びそうな内容だが、以下抜粋で、その意図などを見て参ろうと思う。
「平和への権利宣言」
第一条 すべての人は、すべての人権が保障され、発展が実現するような平和を享受する権利を有する。
第二条 国家は、平等、正義および法の支配を尊重し、平和を構築する手段として恐怖と欠乏からの自由を保障すべきだ。
第三条 国家、国連はこの宣言を実施するために適切な持続可能な手段を取るべきだ。市民社会は支援を奨励される。
第四条 寛容、対話、連帯の精神を強化するため、国際、国家機関による平和教育が促進される。
第五条 この宣言は、国連憲章、世界人権宣言および国際、地域文書に沿って理解される。
とまあ、ざっと見て参ったが、総じて理想論に突っ走った印象で、現実の国際社会と真摯に向き合った視点からであるのかどうかは疑わしい。次に、この宣言の採決がどうであったかを見て参りたい。
「平和への権利宣言」を決議した昨12/19の国連総会の採決は、131ヵ国が賛成、34ヵ国が反対、19ヵ国が棄権であった。安全保障理事会の常任理事5ヵ国は、中国(大陸)とロシアが賛成、米合衆、英、フランスの各国は反対。先進7ヵ国G7は、イタリーが棄権した以外、日本を含む6ヵ国すべてが反対した。
賛成は中南米や東南アジア、アフリカ諸国が多い。特にキューバを中心とした中南米諸国は議論を主導したという。我国外務省の担当者は「中南米の国々は、国際法上詰めた議論がなされていない人権について活発に提起する傾向がある」と指摘する。
反対は欧米諸国が多い。この運動で先駆的役割を果たした非政府組織NGOがあるスペインも反対に回った。(引用ここまで)
誤解を恐れずに申せば、この宣言は、中国大陸とロシアの両国が賛成した時点で、もう破綻していると言えるのではないか。特に、南シナ海をメインとする、暴力的とも言える海洋政策や、チベットなど少数民族への弾圧を平然と実行する前者、ウクライナ国や、有志連合とは言え、中東シリアへの度を超えた軍事介入を続ける後者が、宣言諸条を実行し得るのか、大いなる疑問符がつく所だ。両国は、安保理の拒否権と言う切り札を手にしつつ、一方でこの宣言の内容を主導できると踏んだからこそ、いち早く賛成したのだろう。特に第四条の「平和教育」の下りなどは、欧米や我国を抑えての、容共主導のそれになり下がる恐れが大きくある。そうなれば、簡単に迎合して「容共反日こそ正義」などと喧伝するのは、日教組主導の偏向教育であろう。
平和的生存権の具体化を図る勢力は、曲りなりにも法律の規定を経て成立した、安保法制の違憲性を強調して葬り去る意図もある様だ。現行の日本国憲法は、平和的生存権の条文はないはずで、ないものをある様に言いくるめるのは、どんなに学説や判例を並べ立てても、不当な拡大解釈だ。どうしてもと言うなら、憲法改正を是とすべき。そこの所は、前述の外務省関係の方の見方は、我々にとってのヒントとなるだろう。国際法上詰めた人権論議をする事なく、安易に平和的生存権に賛同する諸国を誘導し、自勢力に有利に導こうとする、不良な政治的意図も感じられる。
何よりも、G7など主要先進国の多くが反対するのは、大きな国際問題は、安保理で処理すべしとの前提があるから。筋の通った見解だ。そこへ、平和的生存権などと主張されても、国連レベルでも、余計な混乱の元となる、所謂ダブスタ(Double Standard)と揶揄される二重基準となるだけで、真に国際社会にとっての利益とならない事もあり得よう。当該の我国NGOの言動は、こうした事共を顧慮していない様に思えてならず、支持できない。今回画像は、昨年秋、当地北郊で迎えた、長野方面への燃料列車の様子。先頭の大型機は、次期主力として、試験途上にある所です。